6cm/ss
現在を変える――壊す、ということは一体どういうことなのだろうか、という疑問は学校に到着して早々に解決する。
あたしの把握している記憶と、周囲の環境には大きな差異があるようだった。
具体的に言えば、他クラスから休み時間になるとやって来ていた峰くんのことをクラスメート誰一人として覚えていなかった。
そして自分の机の引き出しに入れていた、峰くんの愛読書(詳細は省く)がいつの間にか無くなっていた。
峰くんが勝手に持ち出したという可能性はあったけれど、クラスメートの反応を見る限りどうやらそれは低いらしい。
もっと言えば、千尋と同じくらい仲の良かった友人がどうしてか今日は一言も挨拶をして来なかった。その後あたしが彼女の机の前に行って、「おはよう」と声を掛ければ、意外そうな顔をして不器用に愛想笑いをした。
これもまた『現在』を壊した影響なのだろう。
まるで新しく転入してきたクラスのような感覚だった。
自分一人だけが過去に取り残されたような感覚に陥った。
千尋と楽座さんは欠席らしい。
後方の座席が連続して空いていた。
あたしには『現在』を壊す前の記憶があるけれど、果たして二人はどうなのだろうか。
クラスメートと同様、今までの関係が全て崩壊していたとするのなら、どうすればいいものか。
いや――むしろその方が好都合なのかもしれない。
今まで通りの関係を維持しても、それは『現在』を壊す前と何ら遜色ないではないか。
しかし。
しかし、だ。
携帯電話のアドレス張がほとんど真っ白になっているのを見れば、あたしの予想は当たっているのかもしれない。
千尋や峰くん、楽座さんは勿論。
クラスメートの連絡先も消えていた。
消えに消えて、消失していた。
バックアップを確認しても、それは同じだった。
これもまた、『現在』を壊した影響が及んだ結果なのだろう。
そう確信した。
◆
『まぁ大よそ結果は予想していたが、何と言うか――自分で言うのもあれだが人間関係がすっきりしたようだな』
あたしはこの日。
初めて猫を学校に連れてきていた。
楽座さんと同じように頭に乗せるスタイルは少し抵抗があったので、通学用のカバンに入れて登校した。
そして、机の横に吊るしたカバンの中から真っ赤な頭を覗かせて彼女は言った。
「……そうだね」
『なんだ、後悔しているのか?』
「後悔と言うか――」
『はは、まぁお前は千尋以外の人間のことなど気にも留めていないんだから、クラスメートとの関係がどうなれ知ったことじゃないのかもしれないね』
「千尋と楽座さんが欠席してるから確認を取ろうにも取れないの」
『――確認?』
「昨日まで仲良かった友達が他所他所しくなってる。千尋も同じようにそうなってるのかなって」
『それはつまり、立屋 千尋がお前を記憶しているかどうか、という意味かい?』
「そういうこと。あたしとしてはいっその事、記憶も全部真っ白になってくれれば良いんだけど――」
『あぁ、それはないよ』
「――だよね」
『お前と同じように私と同じような色猫と存在している人間は全て等しく、改変される以前の過去、或いは現在の記憶を保持しているよ』
「じゃあ、峰くんが過去を壊したようにあたしが現在を壊したことは他の三人にはすでに伝わってるんだね……」
『――どうだろうね』
彼女は曖昧に答える。
『明確に伝わっているとは言い難い。と言うのも、少々頭のキレる人なら何となく察することができるだろうが――』
「……夢?」
『そう、それだよ。例えばここで峰 千早が改変した過去についてネタばらしをしてみようか。お前も知ってる通り、彼は過去にトラウマを抱えていたけれど、それを壊した結果『彼女』になった』
夢。
今朝見た夢ははっきりと思い出すことができる。
少女と変貌した峰くんが、自分の首を絞め上げている夢だ。
しかしこれは、自分の手で自分の首を絞めるのではなく――少女となった峰くんが少年の峰くんの首を絞めていたのだった。
二人の峰くん。
男女二人の峰くんだ。
あたしはこの手の夢を見るのは二度目だと、起床したと同時に思った。
そう、赤猫と出遭う直前に見た夢と同じようなものだった。
頭がキレる、なんて自覚は微塵も無く、むしろ逆だという自覚しかないあたしだけれど、あの夢を見て目覚めた瞬間――きっと峰くんが過去を壊したのだと、推測することができた。
別に確証はなかったが。
別段証拠もなかったが。
それなら、あの夢は――あの手の夢はきっと、時間が改変された影響であたしたち四人が見ることのできるものなのだろう。
事実、峰くんは女性化したようで、まさにこれは正夢だ。
デジャブではなく、正しく夢の現実だ。
夢が現実になった正夢なのだ。
『お前は恋愛感情という、たかが気の迷いで現在を清算したが、それに比べて峰 千早の変えた過去は重いな。劣悪な過去をトラウマに持つ『彼女』と、たかだか恋愛で勢い任せに壊したお前、さぁどっちが利口なのか』
「……説教?」
『いやいや、そんなつもりはないよ。お前がやったことは正しいし、峰 千早がやったことも正しい。けれど、どちらも間違っている』
前後の台詞が完全に矛盾していたが、あたしは沈黙した。
彼女の言わんとしていることを理解できたからだ。
『後悔と言うのは、後で悔いる――過去を悔いる、ということに由来しているのだろうが、それを言うなら《先悔》と言う言葉が無いのは当然のことだね』
だって――。
と赤猫は続けた。
『未来に悔いるとは、一体どんな状況下で生まれると言うのだ?』
あたしは答えなかった。
◆
昼休み直前の授業、つまり四限目の体育を終えた後。
グラウンドシューズから上履きに履き替えようと、下駄箱を開けると一枚のノートの切れ端がひらひらと足元に落ちた。
一瞬、下駄箱の上に乗っていたゴミが落ちてきたのかと思ったが、どうやらそうではなく――あたしの下駄箱の中から舞い落ちたものらしかった。
携帯電話が普及したこのご時世に、わざわざラブレターを書く男子がいるとは思えなかったけれど、今までに体験したことのなかったことだったので、内心どきどきしてしまった。
しかしそんな期待は当然的外れで。
いや、案外そうとは言えないかもしれないけれど。
『休み時間に話があります』とだけ書かれた手紙(?)の文脈だけ捉えれば、それはいっそラブレターと言っても間違っていないのかも知れない。
その手紙には名前は勿論、場所も明記されておらず、あたしは悪戯だろうと特に気に留めずそのまま女子更衣室に向かった。
更衣室で誰とも話すことなく、誰の会話に混じることもなく、無言で着替えを済ませてから教室に戻ったところで、赤猫がカバンから顔を出した。
『グラウンドに白猫が来てるよ』
「……?」
『グラウンドに楽座 怜那と白猫が来てる。そう言えば、彼女は今日欠席していたんじゃなかったかい?』
と言ったのだった。
それを聞いて、あたしは教室を飛び出した。
突然、教室を走って飛び出すあたしのことなど、クラスメートの皆は何とも感じなかったようだった。
それはまるで、あたしの存在が猫と同様、見えていないような――そんな風に思えた。
教室のある三階から階段を一段飛ばしに降りながら、あたしは考える。
手紙の差出人を。
どうして『あの女』が欠席しているのに関わらず、学校に来ているのかを。
いや、こんなこと考えるまでもない、か。
あの手紙の差出人は楽座さんで、あたしに話があるから学校に来ているのだ。
きっとそうだろう。
目的は定かではないけれど、あたしに何か用があるのだろう。
いや、これもまた考えるまでもない、か。
あたしが壊した現在、それを確認しに来たに違いない。
或いは、峰くんが壊した過去、それを確認しに来たに違いない。
どうしようか、と不安だった。
何て言われるのだろうか、と不安だった。
けれど、そんなこと本当はどうでもよくて――。
どうして、千尋ではなく楽座さんなのだろうと思った。
千尋が現在を壊したあたしを心配して迎えに来てくれてもよかったのではないか。
よりによって、一体全体どうして『あの女』なのか――。
どうして。
どうして。
どうして、楽座さんなの?
どうして、あたしのところに来てくれないの?
あたしは嘘を吐いていた。
たった一つの、重大な嘘を吐いていた。
『赤猫』の彼女との邂逅を隠し通してきた。
隠し通して。
隠し通して。
隠し通して。
最初は隠す理由なんて無かったのだ。
本来なら一番最初に、千尋に打ち明けて、同じ立場に存在するはずだった。
けれど嫉妬や嫌悪で、告白することができず。
大吉を引いたにも関わらず、不運の連続で切り出すことができず。
伸びに伸びて。
伸びに伸びて。
最終的に『それ』に思い至ったのは今朝のことだった。
峰くんが過去を壊したということ――。
峰くんが過去を壊したことによって改変された現在――あたしたちの関係性が皆無になっているということ。
記憶だけの関係。
四人の記憶だけが頼りの関係。
あたしたちが保持している記憶上の関係性を証明するものは『今』にない。
それを実感したのは、峰くんの夢を見た後、あたしの周囲から峰くんの存在が消えていたことだった。
それなら――。
それなら――と。
そうなってしまえば――あたしの考えることは唯一つ。
『現在』も壊してしまって、あたしも消えよう。
消えて、消えて、消えて。
あたしが消えれば千尋が駆けつけてくれるだろう。
あたしという存在を――左目 翁という高校三年生、立屋 千尋に狂った恋心を抱く女子の存在を確かめに駆けつけてくれるだろう。
どうして『現在』を壊したのか、と罵倒されもいい。
馬鹿なことをした、と揶揄されてもいい。
あたしは千尋に来て欲しかった。
欲しかった――。
欲しかったのに。
消えたあたしと、消えた峰くんのどちらに千尋が向かうのか――なんて賭け、それはどうやら敗北したらしい。
あたしは二度目の失恋を経験したのだった。
だから。
だから、もういいや。
どうなってもいいや。
過去とか現在とか未来とか、そんなものどうだっていいや。
どうとでもなって構わない。
そんなこと、あたしの知ったことではない。
クラスの友人との関係が消え失せようが、あたしが今まで築き上げてきた建設的な人間関係が全て崩壊しようが、どうだっていい。
同じ境遇の四人――千尋と峰くんと楽座さんとの関係がどうなろうといいや。
四人がばらばらになって、散り散りになってもいいや。
唯一お互いの存在を確認し合える記憶という関係性だって、そんなの忘れてもいいや。
あたしはただ、千尋が好き。
好きで好きでたまらない。
◆
好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。
大好き。
◆
千尋が楽座さんの言うように、あたしを差し置いて峰くんの所に駆けつけているのだとしたら、いっそのことあたしは彼に自分の腹黒い心中をぶつけよう。
狂った愛情をぶつけよう。
三度目の正直、だ。
あたしは携帯を開いて、彼の電話番号を一桁づつ、手で打ち込んだ。
親愛なる彼の電話番号など、記憶していて当然だ。
例えアドレス帳が真っ白になろうとも。
『立屋 千尋』
と画面に現れた。
どうやら、あたしは気づかない内に、無意識に彼の電話番号を真っ白になったアドレス帳に登録していたらしかった。
アドレス帳に彼だけの名前しかないということに違和感はなく、むしろ何故か心地良かった。




