4cm/ss
峰くんとの出会いはそれより少し以前の話になるけれど、正直彼と初対面を果たした瞬間は驚いた。
彼の男性らしからぬ姿に戦々恐々したと言っても過言ではない。
あたしより細いんじゃないかと思わせるほどの、体躯。
あたしより可愛いんじゃないかと思わせるほどの、綺麗な顔立ち。
あたしより女の子らしいんじゃないかと思わせるほどの、たおやかな仕草――身なり。
本当に男なのかと素直に疑問に思った。
実は女の子で、何か特殊な事情があってネクタイを締めてるのかと疑惑を抱いた。
はっきり言って、性同一性障害の可能性も垣間見えたが、どうやらそうではないらしい。
後で知ることになる彼のそんな異質な姿は複雑な家庭環境と生い立ちに由来するものらしかった。
そして、何よりそれ以上に異質だったのが、『左目』を覆う眼帯である。
勿論、この場合『左目』とはあたしのことじゃなく。
彼の左目――。
青く透き通ったビー玉のような瞳。
浮き立った青色は妙に不気味に思えたし、酷い違和感を感じた。
けれどそんなことより、何より綺麗だと思ったのだ。
綺麗な青色の瞳。
左目――。
まぁ彼の左目に対するそんな感想はこれよりも少し後の話だ。
この時のあたしはまだ彼のことを詳しく知らないし、野暮な詮索もしなかった。
思ったことを口に出すのがあたしだとしても、彼の眼帯については何も問わなかった。
それは何故か。
誰にでもそんなこと察することができるからである。
人に踏み込まれて欲しくない領域の見極めなど、苦手だろうと察するには十分だったのだ。
だからあたしは今から峰くんのことをまだ何も知らない――ただ可愛い友人の一人としか捉えていなかった週末のことについて語ろう。
峰くんの悲惨な過去についても知らない。
峰くんが青色の猫に行き遭ったことも知らない。
あたしが赤色の猫と共にいるということも、まだ誰も知らない。
三人で仲良くデートするはずだった、週末のお話。
両手に花、とはいかなかったが――この場合何と言えばいいのだろうか。
いや――ある意味、千尋からすれば『両手に花』だったのかもしれない、か。
そんな展開は望んでいないけれど。
◆
「峰くん、おはよー」
「あ、お、おはようございます」
千尋の黒猫を初めて学校で目撃して、その後に虐められていた峰くんを救出(?)し、そして後日楽座さんが千尋と同じ様に白猫を連れて――この一週間でよくもまぁこんな濃密な時間を体験できたものだ。
自分でも感心する。
結局、あたしは未だに千尋に『猫』の存在を伝えられずにいた。
嫉妬や憎悪、怨憎や怨恨なんかがぐるぐると腹の中で渦巻いて、打ち明けることができなかった。
まぁこれはあたしが勝手に抱いている醜い感情だ。
酷く醜く、腹黒い――。
素直さが故に顔に出やすいと言われるが、自分ではそうとは思えなかった。
こんなにも。
こんなにも汚い心中が表情に出ているとはどうしても考えられなかった。
そう言えばむしろ、感情が表に出ないようにも捉えられるだろう。
実際のところ、自分自身でそういった自覚はほとんどなかったのだけれど。
「ねぇ、もしかしてなんだけど――」
「……は、はい」
「峰くん相当待ってた?」
「え、えっと――二時間くらい、です」
「待ち合わせは十五分前が基本でしょうが!!」
と怒鳴ると、峰くんは小さな体躯を震わせて、怯えた表情を見せたのだった。
それを見て、まるでウサギのようだと思った。
あたしの突っ込みも間違ってはいるけれど。
遅刻者に対する突っ込みのはずが――。
ともかく。
ともかく、である。
待ち合わせ時刻を忠実に守って来たのだが、何故だろう嫌な気分になった。
まるで遅刻したあたしが逆切れしているような様だ。
時刻は午後二時――三人で買い物に出掛けるためにあたしは二人を呼び出したのだった。
正直に言えば、勿論千尋と二人きりが良かったのだけれど、何となく間が差したと言うか、これもまた変な気遣いで遠慮してしまったと言うか。
峰くんには申し訳が立たないが、場を和ませるための要員として連れ出したと言ってもよかった。
あくまで建前は、せっかくできた友人とより一層仲良くなりたいというものだった。
なんて腹黒い。
なんて醜い。
『赤猫』を打ち明かすのに、峰くんの存在は非常に邪魔だったけれど、まぁそれでも二人きりになる場面くらい作ればいいかと思っていた。
思っていたのだけれど――そう上手くはいかないらしい。
ここでもまたあたしの不運は続いているようだった。
まるでご利益のない大吉である。
「おはよう、左目。と言えば俺の右目が眠っているみたいだけど、まぁ寝起きだから強ち間違いではない――」
「前にもそれ聞いたわ!」
「……何で怒ってるんだよ。別に遅刻したわけじゃない」
「峰くんが二時間も待ってたのに、遅刻したわけじゃないとかよく言えるね!」
「それは勝手に千早が待ってただけだろ……」
「女の子にも同じことが言えるの!?」
「……千早は男だろ」
暫しの沈黙。
沈黙して、沈黙して、沈黙して。
それを打ち破ったのは千尋の後ろに姿を隠していた楽座さんだった。
「えっと、おはよう――じゃなくて、こんにちわ」
楽座さんは相変わらず頭上に白猫を乗せたスタイルで言う。
呆然とした。
まさか、どうして、なんで、と疑問に思った。
なんで彼女が――なんで『この女』が――。
「初めまして、楽座怜那です。彼に誘われて来ました」
と、丁寧に自己紹介を済ませた楽座さんはたおやかな身なりで軽く会釈する。
ぎりっ、と。
ぎしっ、と。
歯を食いしばってしまう。
多分今のあたしの顔は相当歪んでいるだろう。
千尋が言うように、怒ってるというのは言い得て的外れではなかった。
まさか楽座さんが来るなんて。
誰が想像していただろうか――いや、予測はできていたはずだ。
あの時。
彼女が千尋と同じ様に、同じ猫を連れてきた時から。
それでもあたしは、理性で嫉妬心を抑えて。
「あんまりクラスじゃ話したことないけど、千尋と仲良かったんだ?」
「仲は良くない。彼が勝手に付き纏うだけ」
「お、おい……誤解するような意味合い含めるんじゃねぇよ」
「誤解するような意味って?あぁ――あぁ、なるほどね」
「……納得するな」
くそっ。
くそっ、くそっ、くそっ、くそっ。
「あ、あの……初めまして、僕は峰 千早で、です」
「初めま――峰ちゃん?」
「い、いえ峰くん、です」
「ふぅん?峰くん、初めまして楽座です」
「あ、は、はい。ご、ご丁寧にど、どうもです」
「その眼帯――」
「……えっ」
「――素敵ね」
峰くんはそう言われたことに呆気に取られた様子だったが、すぐに顔を緩めて可愛らしい笑顔を作った。
今まで一度もそんなことを言われる経験がないように、初めての経験のように、顔を綻ばせた。
「あ、ありがとうございます。ら、楽座さんだって、お綺麗です」
「生憎だけど、私はショタコンじゃない」
「…………」
アメとムチが得意な楽座さんだった。
持ち上げて、どん底に落とす。
峰くんはこの一声によって、血相を変えた。
顔面蒼白、今にも死にそうな表情だった。
それでも、確かに先の言葉で峰くんの心を掴んだようで、意気投合したようでもあったのだった。
「あぁ、言い過ぎたかな。うん、でも峰くんみたいな可愛い女の子に惚れて貰えるなんて光栄。栄光と言っても良いかも」
「い、いや…僕、男で――」
「生憎だけど、同性愛の趣味はない」
「…………」
「万が一、峰くんが男の子だったとしても、私はショタコンじゃない」
「……え、っと、僕は――」
「でも私はブラコンだから。二人目の弟として、ならすごく可愛いと思う」
「……弟、は、はい。それで構いません!あはは」
あたしと千尋は二人のやり取りを見て。
楽座さんの手のひらで上手く踊らされる峰くんに一種の感心を覚えたであった。
人を手駒にするのはこうやるのか、と学習させられたのであった。
まぁその知識を使う場面が今後訪れるとは思えなかったけれど。
◆
楽座さんの介入により、喜ばしいことか否か、建前は上手く果たしたようだった。
いや、この場合峰くんと距離を縮めるどころか楽座さんにまでそれが及んでいるのだから最悪と言ってもよかった。
最悪の展開とはまさにこのことだ。
千尋が楽座さんを無断で連れてきたせいで、あたしは結局『赤猫』の存在を告白することができず、さらにはより一層嫉妬心が募るばかりだった。
お互いに分かり合えたかのように楽座さんと会話する千尋に嫉妬して。
満更でもないように応える楽座さんに嫉妬して。
そんな対象と初対面で意気投合する峰くんに嫉妬して。
本当に妬ましかった。
嫉妬で顔が真っ赤に膨れ上がるようだった。
その後に巡った服屋や休憩として立ち寄った喫茶店でも、あたしは内心穏やかではいられず、作り笑いですら引き攣っていたかもしれない。
それもそうだろう。
どうしてあたしが『こんな女』に先を越されて、あまつさえ千尋の隣を奪われなければいけないのか。
楽座さんが妬ましくて、疎ましくて、憎らしくて――そして何より羨ましかった。
去年末同様、今回の作戦もあたしは失敗した。
だから、別れ際の最後に四人の顔を近づけて撮った写真は上手く笑えていなかったと思う。
後で見返しても、自分で分かるほどに歪んだ笑顔だった。
嫉妬心に塗れた、歪なものだ。
その写真を欲しいと言った峰くんと楽座さんに転送した後、静かに削除して――。
あたしは誓う。
もう『秘密』を語るのはよそう。
神に誓って――いや、猫神に誓って。
秘密も嫉妬も、全部この汚い腹の中で溜め込もう。
綺麗なお面を被った自分でいよう、そしたら千尋が振り向いてくれるかもしれない。
誰も汚い心中の女子なんて好かないだろう。
だから被る。
嘘と嫉妬を隠したお面を――。
――ではなく。
この場合、被るのは『猫』。
それは言い得て妙だった。




