3cm/ss
さてさて、あたしが無様に玉砕した過去を回想したところで残るのはもの悲しさだけなのでここらで逸脱した話を元に戻すとしよう。
一度は諦めようと思った。
けれど、そう容易に感情を抑制できるはずはなく、少しの間隔は空いたものの千尋とまたこうして普段通りに――告白する以前と同じ様に会話をしている。
まぁそれもどうかと思う。
気にはしないでおこうと思うけど、どこかよそよそしくなってしまうものだ。
振られたからと言って友達関係が崩れることはないのだろうが、嫌でも気になってしまうものだ。
しかし千尋はそんな気配すらさせず。
そんなこと気にも留めていない様子だった。
そして、そんなある日である。
具体的には、あたしと千尋が黒猫を埋葬した公園を最後に訪れてから数日後。
彼は学校に一匹の『猫』を連れてきていた。
あの時――車に轢かれた猫と同じような『黒猫』だった。
勿論、学校内にペットを連れてきた、なんて馬鹿げたことではなく、それを見て直感で理解した。
あたしの猫と同じだ、と。
あたしが出遭ったように、千尋もまた出遭ったのだ、と。
あたしと千尋は同じ境遇なのだ、と。
そう思って、少し嬉しくなった。
彼と秘密の共通点ができたことが喜ばしかった。
誇らしかったと言ってもよかった。
学力面や、現実を知る感性においても、あたしはどこか千尋に引け目を感じていたのだ。
何の共通点も理解し合えることもない二人だったのが、『猫』という秘密な存在のおかげで距離が随分と縮まったように思えたのだ。
だからこそ、あたしは彼の『黒猫』を見て、声を掛けようとした。
同じだよ、と。
あたしも千尋と同じだよ、と。
掛けようとしたが。
それは残念ながら阻まれることになる。
ぼそぼそと後方の席で『黒猫』と会話していると思えば、隣の席で漫画を読む楽座さんのそれを覗いては薄らと微笑んでいたのだ。
それを見て、あたしはまた明日でもいいかと遠慮したのだった。
嫉妬に塗れながら、どうしてか間を割ることができなかった。
それは多分、学年一位と二位の学歴を誇る二人だったからだと思う。
ここで引け目を感じたことが、どれほど後悔することになるのかを知らずに――。
◆
「千尋、昼休み一緒にご飯食べない?峰くんも一緒に」
と昼休みを告げるチャイムが鳴ったところで一目散に彼の前に向かった。
昨日のせいもあり、今日こそは同じ境遇同士分かり合おうと思った。
分かり合って、お互いの距離が縮まればまだチャンスはあると考えた。
偶然にも舞い降りた『猫』という存在は、荒唐無稽ながらもあたしの中では恋のキューピットさながらである。
それを利用してでも、あたしは千尋と近づきたかった。
下種だろうと醜いだろうと、浅ましいとか、浅はかとか、なんとでも言えばいい。
そんなこと気にしていられなかった。
なんたって、あたしは神に誓ったのだから。
「ごめん、ちょっと体調悪いからトイレに行ってくる。また明日に」
けれど、そう言ってまたも機会を逃すのだからあたしの不運は極まっているのかもしれない。
御神籤で大吉を引いたのにも関わらず、だ。
全く、神様はいい加減だと思った。
まぁそれでも、別に急ぐことではないのかもしれない。
また明日にでも。
また明後日にでも。
いつでも伝えられるのだ。
あたしと千尋だけの秘密だ。
誰にも見えないし聞こえない『猫』のことは、あたしたち二人だけの秘密なのだから。
そう考えて、自室で留守番しているはずの『赤猫』に与えたタイヤキ二十個が残っているか懸念した。
まぁ下校途中にでもまた買って帰ろう。
そう思った。
◆
翌日の朝、今日こそはと、気合を入れて家を出たのは良いものの、果たして上手く千尋と分かち合えるのかどうか、心配だった。
話を聞くにどうやら、『猫』は『現在』を変えるらしい。
らしい、と言うのもいまいちあたしにはそれがどういうことなのか理解することができなかったからだった。
いや、理解はしているが――。
何と言えばいいのか、言葉を理解してるだけで内容を全く把握していなかった。
突然、現在を変えるとか言われても……である。
ちんぷんかんぷんである。
頭上に浮かぶ無数のクエスチョンマークを数えたいほどだ。
千尋の『黒猫』もあたしの『赤猫』も同じ類の存在らしいけれど、そんな理解不能な存在を共通点にして距離が縮まるのだろうか。
それに起因する懸念だ。
千尋は『猫』が一体何なのか理解しているのだろうか。
それともあたしが馬鹿だから理解できないだけなのだろうか。
勿論、『彼女』が『何』なのかは訊いた。
訊いたけれど、返答は曖昧なもので、はぐらかされて有耶無耶にされて、挙句の果てに話題は摩り替えられて――核心を突く解答は得られなかった。
神様仏様がいい加減なら、猫神様もそれ以上いい加減らしい。
まぁそれでも取り合えず今のところは、謎の『猫』があたしと彼の両方に存在するということだけで良しとしよう。
こんな怪談染みた存在が無数にあってたまるか、だ。
最近日本史で習った、八百万という言葉があるらしいけれど。
そうして、少しの不安を抱きつつも意気揚々に登校して教室の扉を開けた矢先。
一目に飛び込んできたのは、机の上に『黒猫』を座らせた千尋と、頭の上に『白猫』を乗せた楽座さんだった。
馬鹿なあたしでも分かる。
馬鹿だけれどあたしにでも分かる。
彼の『それ』も彼女の『それ』もあたしの『それ』も、また同じものなのだと。
二人はお互いに共通点ができたように、同じ境遇同士分かち合うかのように、仲睦まじく会話していた。
先を越された、なんて。
それ以上に、あたしが存在するはずだった場所にいる楽座さんに嫉妬した。
妬ましくて、嫉ましい。
自分でも音が聞こえるほど歯を食いしばった。
握った携帯電話がみしみし、と音を立てた。
二人を横目に自分の席に着いたあたしは、制服の胸ポケットに入れた一本のボールペンを机の下でこっそりと、しかし大胆にへし折った。
「……くそっ」
運良く、そんな憎悪に塗れた言葉は誰にも聞こえなかった。
八百万の神と言っても、猫神様まで八百万にしなくてもいいのに。




