2cm/ss
高校二年の冬休みは謂わば最後の冬休みだ。
三年に上がれば受験直前という明確な未来が見えている以上、唯一羽を伸ばせると長期休暇と言っていい。
直後に春休み、夏休みと控えているものの、将来設計を建てるべきだろうから、この冬休みが『唯一』とあたしは考えていた。
そして、明確に見えている未来が一つ。
あたしと千尋が同じ学校で過ごす最後とも言える冬休みだということ。
およそ一年を残す学校生活が終われば、きっと千尋は有名大学に進学し、散り散りになるはずだ。
曖昧な未来だけれど。
少なくともそれだけは見えていた。
それだけを見据えていた。
だからこそ――。
だからこそあたしは。
理由はない、と言いつつもあたしは。
「左目、どうして俺は年越しを君と過ごしているんだ?」
「特に理由はない」
「ないのかよ!」
デートと言うには程遠いが、あたしは千尋と近所の神社に足を運んでいた。
小さな、小さな神社だ。
来訪者はいるのだろうけど、生まれてこの方そんな人を一度も見たことがなかった。
いやこの表現だと語弊を生むかも知れないが、この神社には数度訪れた程度だ。
勿論、巫女もおらず。
あるのは賽銭箱と大縄を結んだ鐘、ひび割れて色褪せた鳥居。
一応、御神籤は備えているようだった。
けれど結ばれたそれは悲しくなるほど数少ないものだった。
管理者はいるのだろうか。
そう思わせるほど、殺風景で廃れた神社だ。
まぁさすがに神社の管理を誰も担っていないはずはないと思うけれど。
「まぁ別に家で過ごすつもりだったから良いんだけど。と言うか、こうしてわざわざ神社に足を運ぶのはいつ振りだろう」
ふてぶてしい様子は変わらなかったけど、案外千尋も楽しそうで良かった。
あぁ、いや楽しんでるとは言えない、か。
千尋が楽しんでくれないと誘った意味ないんだけど……。
と思った。
「やっぱお賽銭は五円の方がいいのかな?」
賽銭箱を目の前にあたしは訊く。
「なんで五円なんだよ」
「ご縁がありますように、ってこと」
「それ言うなら、高額の方がご利益ありそうだけどな。一万円入れれば、それだけ縁もあるかもしれない」
「……えっと、ご縁と五円をかけてるから意味があるわけで――」
「神様仏様に駄洒落が通じるのかよ。ってかそれって高額な賽銭を入れたくない人の言い訳なんじゃないか?そう謳っておけば低額でも変な目で見られずに済むし」
「ひねくれ過ぎでしょ!」
厚手の上着のポケットから無造作に一万円札を取り出した千尋はそれを何の躊躇いもなく賽銭箱に突っ込んだ。
もったいない……。
もったいない!
と思ってしまうということは、千尋の言ってることは正しいのかも知れなかった。
如何せん、ロマンには欠けるが。
ロマンには欠けるが、それでも現実的なのが彼だ。
それが立屋千尋だ。
そんな彼のことが好きだ。
愛しくてたまらなかった。
無表情に手を合わせる彼を尻目にあたしは五円を入れる。
梃子でも動かず、五円を放り込んだ。
賽銭箱の中が空っぽなのか、底の方で木に当たる音がした。
「左目、本来こうしてお願い事をするんじゃないのって知ってるか?」
両手を合わせて、瞼を閉じた彼がそう言った。
まじまじと、表情を伺ってしまう。
まじまじと、顔を覗き込んでしまう。
どきっ、と鼓動が高鳴った。
「――そうなんだ」
神前でこうして会話するのはマナーが悪い、だろう。
わかってはいたが、それでも千尋は続ける。
口を開いているせいで、これを黙祷とは言い難い。
「来年はこうします、ああします、とか。そういうことを仏様に伝えるんだよ」
「へぇ、じゃぁお願い事を口に出したら叶わないっていうのは?」
「大体それ自体が間違ってるんだって。例えそうだとしても、人の願いなんて結構腹黒いものだからな。口で発するのと腹の中で考えていることとは全然違う」
「それも――そう謳っておけば、っていうやつ?」
「……そうかも」
暫しの沈黙。
寒さで手が悴んで、掌を合わせた感覚が次第に無くなっていった。
「あたしはお願い事したかったんだけどなぁ――」
「だからそういうのじゃないって」
「例えば、来年の目標をここで言ったとして、何か意味あるのかな?」
「神前で言うことに意味があるんだよ。ほら、神に誓うとかあるだろ」
「神様に誓って、それを実行するってこと?」
「そうそう、謂わば決意表明だよ」
決意表明。
来年の目標。
受験を控える高校生最後の年。
千尋と過ごす最後の高校生活。
あたしは――。
あたしの決意表明――。
「来年、あたしは千尋と付き合う」
と、そう口にした。
願い事を口にしたら叶わないのなら、決意表明なら構わないと思った。
あくまで、『付き合いたい』ではなく、『付き合う』だ。
「…………」
『左目』を開けて、横目に千尋の表情を伺った。
相変わらず、と言うか。
やはり、と言うか、無表情が続いていた。
聞こえなかったのだろうか、と思ったところで。
「……本音が漏れてるぞ」
「いいの、あたしは千尋のことが好き、本当に好き。毎日千尋のこと考えて毎日千尋と一緒にいたい」
だから――。
だから、付き合う――と。
「こんなにも千尋のことが好きなのに、好きでどうしようもないのに、千尋は振り向いてくれない」
「……素直だな」
「だから、付き合う」
あたしは千尋に告白をした。
思ったことを素直に言った。
これが彼の言う『素直』なのだろうか。
それが良いことなのか悪いことなのか、どちらとも言えない。
けれどこの場合、それはどうやら後者だったらしい。
「……そっか、ごめん。今は左目の気持ちに応えられない」
あたしは声を出さずに笑った。
千尋は笑わなかった。
別の神社からか、遠くの方で年明けを告げる除夜の鐘が響いた。
来年の決意は、年明け早々打ち砕かれたようだった。
その後、御神籤を引けば大吉だったけれど、何の意味もない大吉だった。
どうやら神様はいい加減らしい。
あたしはそれを結ばず、ポケットにそっとしまった。
因みに千尋は凶だった。
あたしを振った彼にどんな災難が訪れるのか、楽しみで仕方がなかった。
だからこそあたしは笑って。
微笑んで彼の言葉を受け止めた。
私の心境を表すかのような雨が突然降り出す。
◆
こんな過去もあった。
甘酸っぱい恋愛なのか、それともまた違う何かなのかはわからないけれど、去年末あたしは千尋に告白して案の定玉砕した。
脈があったとは勿論、感じてはいなかったから順当な結果だろう。
それでも諦めない。
彼の言う『神に誓って』――。