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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
17/56

7cm/s

 楽座が言うように、確かに俺の中でも左目と千早の存在は消失している。

正確には、アドレス帳に登録していた連絡先や過去にやり取りしたメール、着発信履歴、借りていた本まで――二人のありとあらゆる存在が雲散霧消(うさんむしょう)していた。

さらには、あれだけ左目と仲の良かった母親が彼女のことを覚えていなかったのだ。

以前自室に招いた際に面識のある千早のことも覚えがないようだった。

年増のせいで思い出せないとか、単純に忘れたとか、そういうことではなく。

それはまるで、記憶を喪失したような。

二人の記憶だけが、すっぽりと抜け落ちているような、そんな風に見受けられた。

記憶というのは至極曖昧で、二種に分類される内の『短期的記憶』に刻まれた場合忘却することは簡単だと言う。

それでも人が過去の記憶を維持できるのは『想起』と『忘却』を繰り返しているかららしい。

けれどこの場合、『想起』云々(うんぬん)、それ自体がなかったことにされているのだ。

最早そこには、『想起』も『忘却』もない。

 左目と千早。

二人の記憶を保持しているのは現状、俺と楽座だけということになるのだろう。

母親以外の他を当たったところで、きっと二人の記憶を維持している人はいないだろう。

なぜなら。

俺と楽座の共通点――特殊性、荒唐無稽、二匹の猫。

それがなぜと問うなら。

これはきっと、『彼女』の仕業なのだから。





        ◆




『なぁ、お前。どうしてお前と楽座には二人の記憶があるのだと思う?』

 まず、逸早く確認すべきことがある。

絵空事で冗談のようなこの状況において、冷静に対応すべきことがある。

全く我ながら思うが、平常を装っているとは言え思考を続ける自分が末恐ろしい。

 猫との邂逅(かいこう)から現実離れした『現実』を体験したが、いざこうして理解不能な謎の現象に巻き込まれると、改めてそれを体感する。

そして自分の麻痺した感覚にも実感する。

現実離れなのは猫だけでなく自分もそうなのだと、実感が湧く。

 ともかく。

およそ把握していないことが多々あるが、現状を理解するためにもまず千早と左目の家に行く必要があった。

家でなくとも、まず二人に直接会う必要があったのだ。

まぁ、この時間帯――本来なら学校で授業を受けているはずの昼過ぎに訪問したところで会えるはずはないだろう。

けれど二人の何が消えたのかを明確にするために、関係性のある人や場所を訪ねなくてはならなかった。

 まずは千早の家に向かう。

その道中である。

「それは俺と楽座が君みたいな猫と一緒にいるからじゃないのか?と言うか、そもそも君か或いは、楽座の白猫の仕業じゃないのか」

『私は何もしていないよ』

 彼女は言う。

楽座に(なら)って、頭の上に彼女を置くスタイルである。

他から見れば酷く滑稽だろうが、見えないなら構わない。

ほとんど重さは感じなかった。

『何もしていないというなら嘘になるが――まぁ概ねお前がそんなことを考えているのだろうと思って一つ訂正してあげよう』

「……訂正?」

『お前の考えを正してあげようと言うことだよ』

 猫は鳴く。

彼女は鳴く。

『さっき私は過去が失われた、と言ったがあれは強ち間違いではない。けれど、正しいとも言えない。けれど、お前の知る過去が失われたと言えば案外正解に近いのかもしれない』

「…………」

『お前の知る過去――左目と峰の過去。つまり二人の過去が消失したのではなく、お前の知る過去と二人の過去が変化したということだよ』

 過去が変化した……。

変化した過去……。

 彼女は沈黙する俺を気にせず続ける。

『お前と楽座は二人の存在があたかも消えたように考えているが、そうではない。そうだな、お前と楽座が保持している過去を置き去りに、二人を取り巻く過去が変化したとでも言えば分かり易いかもしれない』

「分かり難いわ!」

 と、思わず突っ込みを入れてしまった。

突然何を言い出すんだこの猫は。

 いつものように朝起きれば、玄関先で出迎えた楽座に驚かされて、話を聞いてみれば(幾らか脱線したものの)左目と千早が消えたとか言い出して、自分の目で確認もできて、そして今度は過去がどうとか――何だよ、これ。

冗談も大概にして欲しい。

ふざけるのも大概にして欲しい。

なんて。

そう思ったところで状況は変わらず。

紛れも無く、現実である。

『彼女』と出遭った日から、遠く離れてしまった現実である。

いや、夢を見たその日から――。

「要するに、過去が変わったせいで本来の記憶を持っている俺と楽座と周りに差異があるってことか?」

『そうだな、いや――分かり易く変化した、と表現しただけで実際は変化していない。とは言っても結果的に変化したのだが、それを言うなら変貌した、とした方が正しいな』

「……変貌、か」

 まぁ確かにそれはこの状況において、概ね的を射ている表現だ。

過程を経た変化ではないのだ。

一日にして。

昨日まで普通に接していた二人との関係性が一瞬に絶えたことは、まさしく変貌だ。

『けれど、別に過去が本当に変貌したわけじゃないよ。お前が持っている記憶が本来のそれなのだから。嘘偽りのない本来の記憶がお前のそれなのだから』

「結果的に変貌した?」

『そう――言うなれば、過去が崩壊したのだよ。過去が破壊された――』





        ◆





 千早の家はおよそ徒歩十分程度の距離に位置するのだが、こうして彼女と会話をしていたせいか到着するのに予想以上の時間を費やしてしまった。

しかし、そこで見たものは。

彼の家を目の前に、数人の女子生徒がたむろしている光景だった。

遠目からでも分かる。

はっきりと認識できる――三人の女子生徒が一人を囲んで恫喝(どうかつ)していた。

虐めの現場だった。



 そして、はっきりと認識できたことがもう一つ。

その内の一人が峰 千早だったということ。

しかしどうやら彼は『被害者』側ではなく、『加害者』側のようだった。




 まるで男子と思えない制服の着こなし方はさながら女子で、そのものだった。



 『過去は崩壊した――過去は破壊された』

彼女の言葉を思い出す。

ストラップの付いていない携帯がポケットの中で激しく振動した。



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