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どうやら夢だったらしいと、いつもの自室で、いつものベットの上で、『黒い彼女』に顔を踏みつけられながら目を覚ました。
また何か良からぬ夢を見たようだった。
はっきりと情景を思い出せはしないものの、この手の奇妙な夢を見る度に思うのが、きっと黒猫の――彼女の仕業なのだろうということだ。
そう考えてみれば、きっと楽座も同様に奇妙な夢を体験しているのだろう。
お互いに黒と白の荒唐無稽な存在を抱えている身だ。
同類と言えばそうなのだろうし、同属と言ってもそうなのだろう。
或いは、同族か。
荒唐無稽と言えば。
都市伝説、街談巷説、怪談と言えば。
世にも奇妙な『二匹』の少女の存在だが、それ以上に――未来を変える云々を平気で言ってのけることの方がより荒唐無稽だ。
まぁそれにしても、楽座の言葉を借りて言えば『荒唐無稽な存在が語る荒唐無稽な話』というのは何だかんだ信憑性があるのかもしれなかった。
いや、信憑性ではなく、信用性。
嘘か真か、一週回ってそんな疑惑を払拭するには十分な存在が彼女らである。
そんな彼女と幾らか短くない日を過ごして未だに把握しかねることは、目的が不明だということだった。
一体何のために。誰のために。
訊けば、お前のためだと、梃子でも動かない芯の通った返答を繰り返すだけなのだが、その真意を明確に捉えることはできなかった。
それでもいいだろう。
きっと俺が未来を変えようと何かを望めば、それは叶うのだろう。
理由なんて、別に謎のままで構わない。
割り切れば、不明瞭なままで構わない。
曖昧な物事全てに理由をつけるほど俺の精神は子供染みてはいないのだから。
全てを明るみにしなくとも――いや、しない方がきっと人生楽しいはずだろう。
なんて。
知ったかぶりも甚だしいけれど。
そしてこの日、週末最後の登校である金曜日。
またしても予約しておいた目覚ましより早く起床してしまったことを後悔しつつ、身支度を済ませ、玄関の扉を開けたその時。
平日の登校時刻にも関わらず、清楚な私服で身を包んだ楽座怜那を発見した。
と言うより、待ち人来たれりと、俺の方を見て不敵に笑って見せたのだった。
表情には似合わず、不恰好にも頭の上に白猫を乗せていた。
◆
「話があるの」
と、唐突に切り出した楽座に連れて来られたのは以前、事故で死んだ黒猫を埋葬した公園である。
公営の巨大な公園である。
平日の、しかもこんな時間に来たのは初めてだったが、周囲を見渡す限りそれほど夕刻とは変わり映えしない様子だった。
散歩する老人や家族、横に並ぶカップルや青年。
一つ違うとすれば、出勤途中であろうスーツ姿の集団が行き交っていた。
そんな。
見慣れた光景を呆然と眺めて。
「こうして隣同士で座ると、恋人みたい」
何を思ってか、楽座が小声で言った。
学校をサボらせておいて、まず始めに言うべきことがあるだろうと、出掛かった言葉を飲み込んで嘆息する。
ため息を一つ、二つ。
しかし楽座はそれを察したのか、うな垂れた俺の肩に力強く活を入れて。
「大丈夫、今日の授業、あなたなら欠席しても何も心配いらないから。体育もないし」
「……いや、そういうことじゃなくて」
「あぁ、出席が気になるんだったら、それについても安心していいよ。左目さんにあなたの分の代返頼んであるから」
「……それなら安心――って、意味ねぇよ!!」
「残念ながら、私の代返は断られたんだけれど」
「いや、同性なら意味があるってことじゃないから」
全く、何しに来たのか。
どんな企みがあって、わざわざ学校ではなく直接的に接触してきたのか。
企み――。
そうだ、勿論楽座の言う通り、授業を一日サボるくらい何の痛手にもならないが、彼女が私服だということは予め計画されていた犯行(?)ではないか。
私服。
私服、私服。
私服、私服、私服。
私服、私服、私服、私服、私服、私服。
私服、私服、私服、私服、私服、私服、私服、私服、私服。
「…………」
ふふっ、と笑って見せた楽座は、胸元の開いたシャツの襟の部分を摘まんで、艶かしい視線を送る。
どくどく、と高鳴る鼓動で徐々に引き寄せられていくような感覚だった。
生唾が音を鳴らして。
ごくり――
ごくり、と。
「左目さんと付き合ってないの?」
「ないよ、有り得ない」
「そう、なら――キスしてみる?」
生唾が音を鳴らす。
しかし再び鳴らしたのは、楽座の方だった。
ごくり、と。
気の迷いか、或いは一時的なそれか、この時俺は楽座に活殺自在と言って良いくらいに心酔していた。
我ながら恥ずかしい。
可愛いという外見だけでこうも虜にされるとは。
まぁ千早ならば、彼女に対抗できるかもしれない。
いや、対抗されても困るが。
『あぁぁ、ああぁぁっ!!』
あと少しで、という所で喚き声を上げたのは黒猫だった。
それを聞いて我に返る。
ふっ、と。
まるで本当に楽座に魅了されていたかのように、自我を取り戻す。
危ねぇ……。
付き合ってもないのに一線を越すところだった。
『……タイヤキ落とした』
「…………」
『少年、嫉妬だよ』
『うるさい』
黒猫と白猫が取っ組み合いの喧嘩を始めたのを見てため息を吐いた。
はぁ、はぁと二回。
楽座もそうだが、この二匹の猫もたちが悪いことに自己中心性が酷いというか、利己的というか。
それに関して言えば、左目も負けず劣らずだ。
まともなのは千早くらいかもしれない。
一限目の授業が始まったであろう時間だ。
きっと左目が俺の代返を――。
あれ……。
ちょっと待て……。
左目が俺の代返をするということは、今日の欠席を予め楽座は左目に報告していたということか。
そして、楽座の欠席も左目に伝わっている。
そして何より――。
楽座が俺の変わりに左目にそれを伝えたということは、つまり。
つまり……。
「大丈夫、嘘だから。と言うか、嘘とかそんなのもう関係ないから」
楽座は言った。
「左目さんに伝えたってのは本当だけど、そんなのもう意味ないから」
楽座は言った。
「大体、左目さんとあなたはもう何も関係のない間柄だから」
楽座は言った。
「もう、あなたの左目さんとの関係はすでに破綻している」
楽座はそんなことを続けて言ったのだった。




