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黒猫センチメートル。  作者: 三番茶屋
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1cm/h

 どうやら夢だったらしい。

夢と言えば僕の場合、誰かに虐められたり、誰かに復讐したり、誰かに八つ当たりしたり、そんな悪夢しか見ない。

けれどこの日はどうしてか、そんな嫌な夢ではなく。

不思議にも普段と比べ、比較的安眠できたと思う。

奇妙な夢ではあったけれど。

しかしどこか絶妙に心をくすぐるような、そんなものだった。

自分の暗い部分に光を照らすような、そんなものだった、と思う。

 とは言っても、所詮夢だ。

非現実こそ夢だ。

いや、夢こそ非現実的なのかもしれない。

人の夢が儚いと言われるように、それもまた叶うことのない現実なのだろう。

夢と、夢。

夢の無い僕でもたまには気分の良い夢でも見るんだな。

なんて。

少々自虐気味に心の中で呟いてみた。

 時計が示す時刻を見て。

あぁ、と嘆息する。

あぁ、とうな垂れる。

悪夢を見なかった代償か、はたまた良い夢を見れたおかげか、いずれにせよ僕はこの日遅刻することになったらしい。

急いで登校したところで間に合うはずが無い。

誰がどう見ても遅刻だ。

紛れもなく、遅刻である。

ただの寝坊、である。

しかしこの遅刻によって、僕の人生は多少の変貌を遂げ、少々の希望を持たせるものになるのだった。

何の望みも夢もない僕にとって、『それ』は今まで経験したことのない人生最大の転機だったに違いない。

 だから僕はこう思うことにする。

良い夢を見れたおかげで、遅刻した、と。

 そう言えば、と。

どうせ遅刻だから、と焼いたトーストを咀嚼しながら思い出す。

忘れていたことが一つだけ。

この日の遅刻は今週に入って二回目だったということを。

二回目の遅刻が意味するのは――。

 やはり、悪い夢を見なかったせいで、遅刻したらしい。

「………」

 トーストを(くわ)えたまま、外に飛び出す。

「いってきます」とは言わなかった。




        ◆




 結論から言えば、この遅刻により僕は指定された場所に向かうことができなかった。

本来の約束の時間とは程遠い登校になったせいで、すでに『彼ら』はその場所にはいなかった。

そこでまた僕は嘆息するわけだけれど、どうしてかいつものように憂鬱になることはなかった。

気鬱と言ってもいい。

 これが僕の日常だ。

虐めを受けることは日常茶飯事で、朝飯前のことだ。

小中高と長い期間に渡ってそれを受けてきた僕にとって、『彼ら』の無茶な呼び出しは日常に組み込まれた一つの作業に過ぎなかった。

今日もまた、同じようにそうであって。

明日もまた、同じようにそうなのだろう。

そんな風に嘲笑って、そんな風に希望を捨てた。

自虐して、ネガティブになって、それを受け入れて肯定して。

 そうなのだ。 

 これが慣れ親しんだ僕の世界で、日常なのだ。

いつの間にか、自虐することに慣れ、マイナス思考にも慣れた。

『彼ら』の感に触らないように上手く距離を測るコツも覚えた。

そうすればいつしか嘘を吐くことが上手くなっていた。

嘘が上手くなると、余計に他人を信じることができなくなった。

そして、薄っ平な言葉を使う僕はさらに他人から拒絶された。

最後はいつも独りだ。

昼食も独り。休み時間も独り。

登下校中も独り。家に帰っても独り。

自室に篭って独り。おやすみ、を言うこともなく独り。

おはよう、を言うこともなくまた独り。

いってきます、ただいま、も言うこともなく唯独り。

僕の生きる世界の登場人物は僕と『彼ら』だけで、それ以外はエキストラでなければ、観客でもなかった。

そして主人公は僕ではなく、『彼ら』だったのだ。

 こんな。

こんな歪んだ日常を生んだのは。

こんな歪な世界は作り上げたのは。

『僕がいけないから』だ。

そう思っていた――。

 けれど、『彼ら』の命令に背いた結果、再度呼び出しを受け、校庭の隅で囲まれていた僕を助け出した左目翁と立屋千尋の二人は僕の世界に登場し、主役をいとも簡単に掻っ攫(かさら)った挙句、すんなりとそれを僕に譲ったのだった。

 こんな僕を友人として見てくれた二人に。

こんな僕の世界を作り変えてくれた二人に。

僕は何一つ返せていない。

 それでも最終的に、たまには遅刻も良いものだと思ったのだ。

後日、僕の書いた原稿用紙一枚の反省文を読み上げられた朝礼中に――「今週も期待してる」と左目さんから届いたメールを見た後、本気で悩んだことは誰にも言うまい。





       

 僕はそんな夢を見たおかげで遅刻し、『彼ら』のおかげで二人と出会えたのだ。

心底二人のことを信じることができた。

だから僕は。

だからこそ僕は――。

せめてもの恩返し、ではなく。

信頼できる友人の証として。

千尋くんと左目さんに僕の秘密を話そうと思う。

生憎、面白い話ではないけれど。

いや、もしかすれば『彼ら』にとっては絶好の(さかな)かも知れないが。


 

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