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悲しみの卵  作者: 朔良
第一章 あきさめ
6/32

あこがれ

 

 秋雨の言葉は本当だった。

 所詮、本気で彼を拒むことなど、私にできるはずがないのだ。

 彼に欲情した挙句、部屋まで連れ帰った浅ましい私に。

 秋雨の繊細な指に、私は我を忘れて乱れ、涙すら浮かべて熱い吐息を繰り返した。

 ついには、自分から彼を求め、彼にしがみつく。

 所々、エアポケットに飲み込まれたように記憶が途切れているが、まるで、天国と地獄の間をフリーフォールで往復しているようだった。

 

 花火の飛び散る瞬間を抜けて、彼の腕の中でため息をつく。

 その時はとても酔っぱらいだとは思えないかった秋雨も、さすがにぐったりとして目を閉じてうつぶせになっている。

 

 しばらくして、私は彼の腕から抜け出すと、ブラウスを羽織って窓に近寄った。

 空気を入れ換えないと……。

 まだ部屋中に強烈なアルコール臭が残っている。

 カーテンは引いたまま窓だけを細く開ける。

 それでも新鮮な空気が一気に流れ込んで来るのがはっきりとわかった。

 

「ふぅ」

 

 軽く息を吐く。

 ちらりとみると、秋雨は目を閉じたままだ。

 眠ってしまったみたい。

 

「まあ……、あれだけね」

 

 小さく呟く。

 秋雨のしなやかで機能的な身体や繊細な指先を思い出すと体が疼くようで、私は頬をかすかに赤らめた。

 頭を振ってそれを追い払い、寝室に毛布を取りに行く。

 秋雨。

 このまま眠ってたら、風邪を引いてしまう。

 

 あと、着替えて部屋を片付けてから……。

 

 することを数えながら、秋雨に毛布をかける。

 冷たい手が、私の手首をつかんだ。

 

「……起きてたの?」

 

 彼は眠そうな半眼で私を見ると、

 

「……一緒に、寝よー」

「でも」

「まーきこさーん」

 

 まだ酔いが残ってるらしい。

 いつも皮肉ばかりなのに珍しくちょっと甘えるような口調。

 底が見えないほど深い寂寥をたたえたこの瞳に、私は弱い。

 手首を引っ張られる。

 

「……」

 

 まあいいか。

 

 部屋の明かりを消すと、片付けを諦めて、私は彼の隣にもぐり込んだ。

 ほどなく聞こえてくる秋雨の寝息。

 思いがけず穏やかなそれを聞きながら、私も深い眠りに落ちていった。

 

05

 二日目の朝もベッド以外の場所でむかえた。

 

 秋雨の動く気配で目が覚める。

 いつの間に彼が起きたのか、ちっとも気づかなかった。

 しかも、いつもの習慣で腕時計で時間を確かめると、起床時間より一時間も早い。

 私は妙に和やかな気持ちで、ぼんやりと彼の横顔を眺めた。

 

「ずっと……憧れてたの」

 

 起きぬけのがらがら声。

 でも、構わず続ける。

 

「家に帰ってきたら、部屋に明かりがついてて……。誰かが私の帰りを待っててくれること」

 

 秋雨は、ふうんと鼻を鳴らし

 

「じゃ、昨日はがっかりしたろ」

 

 そんなこといってるわけじゃないのに。

 素面になったらこの態度だ。

 

「……どうして、明かりをつけなかったの?」

「面倒だったから」

 

 なんて、彼らしい答え。

 あきれる気にもならない。

 

「俺……」

 

 秋雨は、半身を起こして、寝乱れた髪をうっとうしそうにかきあげると、

 

「出てくから」

「えっ、なんで?」

「いーかげん、イヤになったろ?」

「そんなことないわ。……いて、いいのよ?」

「まーきこちゃん」

 

 歌うように秋雨。

 目を細め、唇の端をちょっと上げて、

 

「俺ね、もう二日もタバコが切れてて死にそうなの。タバコと酒買ってくるってんなら、いてやってもいいぜぇ?」

「……」

 

 私は、ぶすっとして唇を噛んだ。

 なんて、言い草?

 いてやっても、いい。だなんて。

 

「どーする? 蒔子さん次第だ」

 

 小憎らしいにやにや笑いを睨つける。

 

「……会社帰りに?」

「いーや。今じゃねーとダメ」

 

 腹は立ったが、私は結局、ため息をついて起き上がった。

 どうしても秋雨は勝てない。

 

 …私は、彼を失いたくなかった。

 一晩だけなら、諦めもついたかもしれない。

 でも、二晩をともに過ごした今、再びひとりに戻るのが怖かった。

 愛や恋の甘ったるい感情ではない。

 ただ、彼に魅かれていた。

 足りない何かを枯渇するように。

 

 ……失いたくない私と、なんのこだわりも持ってない秋雨。

 最初から、勝負の帰結は見えてるのだ。

 しゃくだがしょうがない。

 昨日のような強がりは言えない。

 

「マルボロとワイルドターキーね」

 

 憮然として買い物に出かける私に、秋雨は上機嫌でひらひらと手を振った。

 最寄りのコンビニで用を済ました。

 こんな早朝から営業してるのは、ここくらいだもの。

 ついでに食べ物も見繕う。

 昨日は夕食抜きだったから、さすがにお腹が空いてる。

 きっと彼も食べてないだろうし。

 一緒に朝食っていうのもいいわよね。

 冷蔵庫にあるもので作ってもいいが、なんとなく煩わしかった。

 秋雨の不精がうつったのかも知れない。

 

「ただいま」

 

 と声をかけ、ついでに玄関に放り出したままだった荷物も持って、部屋に入る。

 

 秋雨は、昨日と同じように、壁に寄りかかって座っていた。

 帰ってきても、微動だにしない。

 カーテンを開け、朝一番の光を部屋の中に入れる。

 秋雨は、やっと顔を上げて、眩しそうに目を細めた。

 仏頂面で思いっきり眉をしかめる。

 

「眩しいから、やめろよ」

 

 ふうん、朝日が嫌いなんて変わってる。

 逆らわず、私はカーテンを閉め、代わりに電気をつけた。

 テーブルの酒瓶を除け、

 

「どうぞ」

 

 買ってきた荷物を置く。

 

「……ね、お腹空かない?」

「いらね」

 

 ビニール袋をがさごそと探りながら。

 

「俺は、これだけで充分」

 

 煙草と酒瓶だけを取る。

 

「ダメ! お酒だけじゃ身体に悪いって言ってるでしょ?」

 

 私は、袋の中身を、テーブルにどさっとぶちまけた。

 オニギリやサンドイッチ、缶ジュースにお茶が転がる。

 

「あんたは私が拾ったんだから。ここにいる間は言うことを聞いて!」

 

 言い切ったものの、ムキになって思わず余計なことまで口にしてしまった私は、不安になって、強気な言葉とは裏腹に伺うように彼を見た。

 

「蒔子さん、おっかねー」

 

 面白そうに笑って秋雨。

 

「ムキになるようなことじゃねーだろ?」

「……」

「わかったよ、食べりゃいいんでしょ」

 

 秋雨は肩をすくめてパンを手に取った。

 

「うん」

 

 こくりと頷く。

 秋雨の言う通り、こんなことでムキになるなんて、子どもじみている。

 でも、そうせずにはいられなかった。

 ひとつくらい、私の言うことを聞いてくれたって、いいじゃないか。

 一緒に朝食。という言葉の持つイメージには程遠いが、サンドイッチとミルクで簡単な朝食をすませる。

 いつもの通りに身仕度をすると、

 

「……着替えとか買ってきたから、よかったら使って」

 

 秋雨はあさってを向いたまま煙草をふかすばかりで、なにも答えない。

 

「じゃあ……いってきます」

 

 部屋に心を残したまま私は会社に向かった。

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