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悲しみの卵  作者: 朔良
第一章 あきさめ
3/32

冷たい唇   ※R12

そんなに露骨じゃありませんがR15でお願いします。

 もう。なにやってるのかしら!

 この後に及んで、生活のパターンを乱されたくないというのは、我儘というものだろうか。

 でも、そうだ。私は日常を乱されることが一番嫌いだ。

 最後に眼鏡をかけると、私は苦々しい気分で部屋に戻った。

 

 洗面所の頼りない光が、ぼんやりと部屋を照らす。

 物の形くらいは見て取れるが、まだ暗闇に目が慣れていない、油断すれば躓いてしまいそうだ。

 せめて、カーテンが開いていれば。

 そう思ったが、それも無理だということにすぐ気がついた。

 光は星のそれも月のそれも今日は望めない。

 雨音はまだ聞こえている。

 私は、どこにいるかしれない秋雨(しゅうう)に、

 

「ねぇ、どうしたのよ? 明かりをつけて」

 

 不機嫌すれすれの口調で頼んだ。

 

「いやだね、俺のこと笑った罰だ」

 

 相変わらずの憎まれ口。

 

「ふざけないでったら」

「……おいでよ、蒔子さん。電気消して、こっちに来いよ」

「秋雨」

「はやく」

「……」

 

 電気を消す。

 辺りを覆う完全な闇。

 声の位置は寝室あたりだと見当をつけて、私はそちらに歩き出した。

 よく見知っているはずの私のお城までが、暗闇の中では他人の澄まし顔で主をバカにする。

 まるで、現実の世界から足を踏み外した気分だ。

 

 おずおずと足を出す私の神経を逆なでする含み笑い。

 

「秋雨っ」

 

 人で遊ばないでっ。 

 言った途端、冷たい手に強く引き寄せられた。

 秋雨だ。

 しなやかな身体に抱きしめられて、動悸が激しくなる。

 

「ドキドキしちゃってんの。蒔子さんカワイイ」

「バカにしてっ」

 

 彼の肩に両手を当て力を込めて押し、腕から逃れようとする。

 

「怒んなよ」

「離しなさい!」

 

 精一杯の虚勢。

 しかし、力では彼に敵わない。

 秋雨は、左腕でしっかり私を抱きしめ、右手を伸ばして私の眼鏡を取った。

 

「やめなさいってば」

「なんで? 眼鏡しないほうがキレイだ」

 

 うそつき。

 私なんて、十人並みにも及ばない顔つきだ。

 おまけに、女らしい柔らかさに欠けた、ギスギスした身体付き。

 秋雨みたいに綺麗な男が、私のことをちらりとでもキレイなんて思うはずがない。

 魅力を感じるはずがない。

 とんでもない女ったらしだ。

 

 …それでも、私は抵抗を止めた。

 闇に馴染んだ目が、ようやく彼の輪郭を捕らえたからだ。

 ぞっとするほど艶やかな瞳と合ってしまったからだ。

 

「……」

 

 抵抗を忘れて、じっと、秋雨を見つめる。

 彼も、私を見る。

 

「……さみしいんだろ、ほんとは」

 

 思いがけない優しい声。

 

「どうしてそう思うの?」

 

 くちづける寸前まで秋雨に顔を近づけて、ささやくように聞く。

 

「……俺の知ってる観葉植物が好きな女が、そうだったか……」

 

 最後まで言わせず、私は秋雨にくちづけた。

 冷たい唇。

 唇が離れると同時に、秋雨は私をもう一度仰向かせた。

 

「へたくそ。……教えてやるよ、俺がね」

 

 耳元にささやく声だけで、背筋に電気が走る。

 秋雨のくちづけは、強引で、丁寧で……この上もなく悩ましかった。

 身体の奥に燻る欲望に火をつけるように。

 思わず、背伸びして、両手で彼の頭を掻き抱く。

 すぐに身体を支えていられなくなった。

 腰から砕ける私の痩せた身体を、秋雨はそのままカーペットの上に横たえた。

 そして、もう一度キス。

 耳に、唇に、首筋に、あらゆるところに、彼の跡を刻み込むように。

 冷たい唇がふれたところから、さざ波のように快感が沸き起こり、私を狂わせる。

 秋雨のしなやかな指が、私の正気を簡単に砕く。

 荒々しい若さだけではなく、女を熟知した男の老練な手管によってもたらされる、今まで知らなかった感覚。

 初めてのそれよりもはるかに印象深くて魅惑的な一夜を、熱い波に飲み込まれるようにして、彼に翻弄されるままに、私は過ごした……。



03

 ふっと目が覚めた。

 起床時間が近くなるとイヤでも目が覚める。

 長年のOL生活で染みついた習性だ。

 

 身体中が、ギシギシいっている。

 結局昨夜は、寝室のベッドから布団だけを引っ張り下ろして、そのままカーペットの上で寝てしまったのだ。

 浅い快楽の名残りがまどろみに変わる前に、ピンクの花柄の布団を引き寄せたのは、私のような気がするが、よくは覚えていない。

 カーテンに遮られ、暗い朝の光はうっすらとしか部屋の中には届かない。

 霞む目を凝らす。

 腕時計の針は午前七時を指している。

 見事なまでにいつもの起床時間だ。

 

 ……秋雨は、まだ眠っている。

 深い寝息に合わせて胸の辺りがゆっくりと起伏するのを、私は、寝起きの気怠さに包まれたまま、うっとりと眺めた。

 暗闇の中であれほど私を乱した相手と同じ男とはとても思えない、あどけない寝顔。

 綺麗な、綺麗な秋雨。

 私が拾った、昨日は私のものだった男。

 

 秋雨を起こさないように静かに身を起こす。

 そのまま上着を肩にかけて、浴室に向かった。

 ついでに、洗濯機に入れたまますっかり忘れていて、しわくちゃになってしまった彼の服を、皺をのばして乾燥機に放り込む。

 

 思考をクリアにする熱めのシャワーで、身体中に残る彼の感触を丁寧に洗い流していく。

 さすがというべきか、キスマークがひとつもないのにほっとする。

 見えるところに残ってたら隠すのが大変だ。

 そのくせ、少しそれが残念な気がした。

 彼と過ごした夜の証拠が、どこにも残されていないのが。

 

 できるだけ静かにシャワーを浴びたつもりだったのに、戻ると秋雨はもう起きていた。

 薄暗い部屋の中、腰まで布団をかけて、ベッドに寄りかかっている。

 所在なさそうに投げ出した両腕。

 眉根を寄せ、斜めに宙を睨む横顔に刻まれているのは、ひどく厭世的な表情だ。

 この世の中のすべてを嫌悪しているような。

 そして、昏い瞳に浮かぶのは……。

 あれは、なんと言えばいいのだろう。

 孤独よりも悲しみ……? そんな色。

 

 それを見た途端、私の鼓動がひとつ深くなる。

 

 寝室のドアを閉める音が、思ったより大きく響き、秋雨ははっとして顔を上げた。

 前髪をかきあげて、にやりと笑う。

 

「おはよ、蒔子さん。昨日はどうだった?」

 

 うるさいわねっ! 朝っぱらから、そんなこと言えるはずないでしょっ!

 口を開いたと思えばこれだ。

 私は、秋雨を軽くにらんだ。

 

 秋雨は、片膝を立て、その上で両の手のひらを遊ばせながら、

 

「蒔子さん、感じやすいんだもん、楽しかったよ、俺は」

 

 にやにやしてうそぶく。

 私は、それを無視して手早く着替えを始めた。

 急がなくては会社に遅れてしまう。

 ローボードの上の鏡とにらめっこしながら、髪を梳き、いつも通りにかっちりと結ぶ。

 

「でも、もうちっと、お肉増やしたほうがいいかもね。したら、抱き心地よくなるんじゃねーの?」

「秋雨っ」

「なあに? 蒔子さん」

 

 自分の笑みの威力を十分心得ている笑顔。

 わかっているのに、睨んだ先の艶やかな微笑みに負けてしまう。

 力が抜けた私は、

 

「もっと、遅く起きると思ってた」

 

 代わりに違うことを言う。

 

「激しかったから?」

「うるさいっ!」

 

 私は、手に持っていたブラシを投げつけた。

 秋雨は 私の仏頂面など気にもかけず、

 

「ほんと、からかいがいがあるよ、蒔子さん」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑った。

 

「そういやさ、蒔子さん、寝るときも腕時計してんの?」

「えっ。……ええ」

 

 突然の問いに、私は自分の左手首にちらりと視線を向けた。


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