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悲しみの卵  作者: 朔良
第二章 ひいらぎ
19/32

二通の手紙 2

 ※


 加藤蒔子様

 

 こんな手紙を君に残したら、また嫌われてしまうだろうか。

 ごめん、マキちゃん。……ごめん。

 君を傷つけて、手紙で謝ることしかできないことを許して欲しい。

 きっと僕は、小さい頃からすでに、生き方を間違っていたんだと思う。

 人を信じることが難しいと思うのも、……君に言われた通り、人に疎まれるのが嫌で自分の気持ちをごまかしてしまうのも、半分はそのせいだ。

 ……残りは、わかっていて自分を変えることができない僕のせいだけどね。

 こんなふうに逃げるのは卑怯だって君は言うかもしれない。でも、もう僕は疲れてしまったんだ。

 それに……僕が死ぬことで助かる人間がいるとすれば……。死を選ぶことは、僕の生きてきた中で唯一、偽善ではなく他人のためにできることじゃないだろうか。

 だから、ごめん。

 ……最後の最後まで君に甘えて申しわけないけれど、同封の手紙を、両親に渡して欲しい。

 自殺したことで彼らが呵責を感じるとは思えないけど、これが僕にできるすべてだから。

 最後まで勝手なことばかり言って、ごめん。

 でも、手紙を託す相手として、マキちゃんの顔しか思い出せなかった。これっきりだと思って、許して欲しい。


                             茅島柊


 ※

 

 長い長い時間をかけて静かに息を吐く。

 身体中の力が抜けた。

 

 ……甘い言葉が書いてあるわけではない。

 最後の最後まで気を使って謝ってばかりだ……でも。

 

 右手で、力の入らない左手を視線の先まで持ってくる。

 そのまま右手を左手の指先まで滑らせた。

 

 ……なぜ、柊の夢を見たか。

 答えは簡単だ。

 ベルトを緩め、腕時計を落とす。

 永く陽にさらしたことのないベルトの下の青白い皮膚、その中でもひときわ白い、醜くひきつれた一筋の傷。

 ずっと目を逸らし続けていたもの……初めて向かい合うその傷を凝視する。 

 ……時計を外したからだ。

 秋雨(しゅうう)に抱かれているときに弾けたと思ったあれは、柊の記憶を封印していた硬い殻だったのだ。

 

 会いたい、会いたい、会いたい。

 

 胸を熱く焦がす狂おしい想い。

 祈りにも似た激しさで、私はそれだけを願った。

 柊に会いたかった。

 もう一度だけでいいから。

 今なら、間違わないで自分の気持ちを伝えることが出来る気がした。

 そしたら。

 言うことができたら。

 きっと“幸せな夢”に殺されることもなくなる。

 柊に会いたい。

 叶えられぬ望みと知ってそれを願うことは暴力? それとも罪だろうか。

 でも、どうしても、もう一度会いたい。

 贖うことのできぬ罪に、地獄に堕ちてもいいから。

 ……夢でもいいから。

 夢でしか叶わぬ願いとわかっているから。

 柊。あなたに会いたい。

 あなたに愛してると伝えたいの。

 そして、あなたにとって私はなんだったのか……それを聞いてみたいの。

 いえ。違う。

『大好きよ、柊。あなたは私を好き?』

 そんな簡単な言葉でまっすぐに気持ちを確かめればよかったのよ。

 なのに間違ってしまった。

 醜い嫉妬で、くだらないプライドで、私はすべてを台無しにしてしまった。

 傍にいれば、自殺を止めることだって出来たかもしれないのに。

 どうしていつも私は…っ!!

 感情の奔流が、私の中で荒れ狂う。

 私は膝を抱え、身体をきつく抱きしめた。

 

「蒔子さん……」

 

 怠るそうな声が、私の中の熱を、瞬時に冷ました。

 

「……」

 

 いつの間に秋雨が寝室から出てきたのか、まったく気づかなかった。

 ゆっくりと顔を上げ、目の前に立つ彼を凝視する。

 その艶やかな眼差しで、嵐のような柊への想いが溶けて消えていく。

 

「なに、死にそうな顔してんの? タバコがねーんだけど」

「……秋雨」

 

 彼の冷たい手を取る。

 綺麗な指、そこには……。

 

「指輪……してるのね」

 

 外すことのできなかった腕時計、それが私の封印。

 そして、生涯消えることのないひきつれた傷、それが私にとっての呪縛。

 

 それなら、指輪は?

 小指で光る細い銀色のリング。

 それにあなたにとって御守り?

 ……それとも呪い?

 

「関係ねぇだろ…」

 

 秋雨は不機嫌に唸って、私の手を振り払った。

 

「……」

 

 彼に対して、何を問うことも私には許されていない。

 

「秋雨だったら、ピアスでも似合うかもね」

 

 乾いた笑いを浮かべる。

 

「俺はマゾじゃないし、身体傷つけてまで、自分を誇示したいなんて思わないね」

 

 それは強者の理論だ。

 強くて綺麗な秋雨だから言えることだ。

 

「……そう……ね、そうよね」

 

 そのあなたが、指輪を外さない理由は何?

 

 喉まで出かかった言葉を声にする代わりに、便箋をくしゃりと握りしめて手のひらに握り込み、私は立ち上がった。

 台所に置きっぱなしの買い物袋の中から、煙草を取り出して、秋雨に向かって放る。

 

「サンキュ」

 

 壁際に座り込んで煙草に火をつける彼の、テーブルを挟んだ向かいに座る。

 夢を見ることも、刃物を握ることも、秋雨を詰問することも許されない今、それが私にできる精一杯だった。

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