‐HEARTとCLOVER‐
目が覚めた時、シュリがいた場所はいつのも自室ではなかった。
それなのに寝ていたのは前と変わらないふかふかのダブルベッドだった。
シュリが上半身を起こすと酷い頭痛が走った。
「…っ………。」
シュリは少し時間が経ち頭痛が治まってきた所で改めて周りを見渡した。
ベッドだけは前と変わらず、その他はまったく違った。
部屋一面真っ白な壁。その真ん中には桃色のカスミソウが一輪だけ咲いていた。
この花は男がシュリに自分が一番好きな花だと教えたものだった。
男はシュリに名前さえ残してくれなかった。その時、そっとドアが開いた。
中に入って来たのは歳が同じくらいの少年だった。
「……目、冷めたんだ。具合は…大丈夫?」
その少年はぶっきらぼうに言葉をかけた。
「大丈夫です。」
そう返すと窓を開けた少年はシュリに近づいた。
「はずすから腕、出して。」
シュリは言われてやっと点滴をうたれていたことに気付いた。
「ありがとうございます。」
「いいよ。」
少年は慣れた手つきでシュリの腕の点滴針をとって腕をまたベッドの中にそっと戻してくれた。
「そういえば、名前は?」
「シュリ。」
「俺はアリス。で、シュリ、お前は1年間ずっとこのベッドで眠りっぱなしだった。今日で丁度1年だ
よ。お前がここに来てから。」
それを聞いてシュリは目を見開いた。
でも驚いているシュリを置いて、アリスと言う少年はドクターを呼んでくると言って出て行ってしまっ
た。
シュリは天井を見ながら呆然としている事しか出来なかった。
数分後、アリスは一人のドクターらしい人を連れてきた。
ドクターは診察終え問題ない事がわかると病院に帰っていった。
再び部屋の中にはシュリとアリスだけになった。
アリスは何も話すこともなくただ窓の外を見ていた。
部屋の中には長い沈黙が流れる。
何も聞かない少年は自分の事を知っているのだろうかとシュリは思った。
「その花…。カスミソウの花言葉…お前は知ってる?」
突然アリスは独り言のようにつぶやいた。
「いえ、わかりません。」
男は、きっとその内わかるからといって花言葉を教えてくれなかった。
シュリが自分で調べると言った時も許してはくれなかった。
「…切なる願い。」
「え…。」
「桃色のカスミソウの意味。“切なる願い”って意味なんだよ。」
それを聞いてシュリの胸にグッと突き刺さるものがあった。
『愛してるよ、シュリ。』
男が少女を呼ぶ時の優しい声。
最後に言ってくれた愛してると言う言葉。
思い出してしまった。
目を閉じて寝ている間は何も感じる事がなく真っ暗だったのに、どうせ愛しい男に会えないのなら、その
まま眠ってしまいたかった。
そう思うだけでシュリの瞳には大粒の涙が溢れだす。
「ッ………会いたい…よ…。」
涙が止まらなかった。
一度思いだした記憶は目を閉じてでも新鮮に浮かんでくる。
アリスはシュリに近づくと優しく頭を撫でてた。
「泣きなよ。それで、気が済むなら気が済むまで泣いたらいいよ。俺がいるから。」
「…っく……。」
アリスが優しい人で良かったと思った。言葉に甘えてシュリは声を殺すこともなく泣いた。
しばらく経つと大分落ち着くことができた。
それに気付いたのかアリスはそっぽを向いて口を開いた。
「俺、腹減ったから飯持ってくるけど、お前は何か食べる?ってか食べれる?」
久しぶりに凄く泣いたからか、今まで寝ていたからかわからないけど、アリスの一言に返事したのは声で
はなくてシュリのお腹の虫だった。
「あ…あの。今のは…。」
慌てて顔を伏せたシュリのあたまをポンポンとした。
笑われてるのかと思いそっと顔をあげて目に入ったのはとても優しく大人びた笑みだった。
「少し待ってて、すぐ持ってくるし。」
「ありがとうございます。」
歳があまり変わらないように見えるのに彼の行動は落ち着いていてまるで大人のように思える。
シュリはアリスが戻ってくるまで彼が居た窓側にいることにした。
外は暗くなりかけていてあちらこちらに転々と明るい電気がつき始めていた。
でも、その光景を見ていて改めて自分は知らない場所にいるのだと気付いた。
ふとドアが開く音がして振り返ると大盛りの膳を持ったアリスとその後ろにもう一人立っている事に気付
いた。
「お前、ベッド入ってなくていいの?」
「大丈夫です。あの、その後ろの人は?」
黒い髪のアリスと対照的な白い髪で翡翠色の目をした背の高い男の人。
その人はスマートな笑みを浮かべるとシュリの前に立った。
「はじめまして、僕はハイド。目が覚めたみたいで良かった。これ、君のご飯。君さえ良ければ今日は皆
ここで食べる事にしたんだけどどうかな?」
「皆って、私とアリス君とハイドさんの他にもいるんですか?」
頭に?を浮かべてハイドさんを見るとすでにアリスはシュリのベットに座って食べ始めていた。
シュリはアリスとハイドさんを交互に見てどうすればいいのか戸惑う。
「ほら、アリスこの子困ってる。今日くらいちゃんとご飯一緒に食べたっていいだろ?」
「俺は、こいつと食べるっては言ったけどハイドさん達と食べるなんて言ってない。シュリ、お前も持っ
てきた飯冷めるから食べたら?」
ハイドは苦笑しながら溜息をついて「じゃあ明日にしよう」とシュリとアリスに告げると部屋から出て行った。
それから少しの沈黙が流る。
沈黙の中でアリスは山盛りにのったご飯を黙々と食べている。
聞きたいことは沢山あったが今は自分自身も折角持って来てくれたご飯を食べる事にした。
ところが途中でアリスの食べている膳に人参だけが残っている事が気付いた。
見て見ぬ振りをしなくてはいけない所なのだろうがどうしても、一つの皿にこんもりとのったニンジンにどうしても目がいってしまう。
少し目線をあげるとバッチリと目があってしまった。
「………。」
「………。ん、何?別に俺、人参が嫌いな訳じゃないから…。でも、お前がどうしても食べたいって言う
ならこれ…あげてもいいよ。」
真っ直ぐに差し出した人参の山を片手に持ちながら口を押さえるアリスを見て嘘をついてるのはまるわかりだった。
やはり先程まで大人思えた男は今まるで幼稚園生のようにもみえる。
それがとても新鮮で口がにけけてしまうのを抑えながら「ありがとうございます。」と言って人参の山を受け取ったのだった。
アリスは一つ一つ人参を順調に口に含む私を凄い人相で見ていた。
それを気にせずお皿に乗った山もりのニンジンを食べ終え、他の料理も食べ終えると食器を持ってアリスが出ていこうとしていたのでそれについて行こうとした。
「俺一人で運ぶからいいよ。あぁ、でも部屋とか教えといたほうがいいか…お前、ついてくる?」
「行きます!」
パッと立ってアリスの後ろをとぼとぼとついて歩く。
自分の部屋を開けてシュリの視界に入ったのは階段だった。
階段を下り目の前には広いリビングが目に入った。
そのリビングには沢山の写真や大きなテレビ、黒いソファと白いソファがあった。
「シュリはそこ座ってて。」
アリスは黒いソファを指差した。
シュリは言われた通りに黒いソファに座り器用に食器を洗うアリスの姿を見ていた。
手際が良くて洗ってる時の瞳にかかる長いまつげがとても綺麗に見える。
「シュリ?」
いつの間にか食器を洗い終えてたらしいアリスはシュリの顔を覗き込んだ。
「はっ、はい!?なんですか?」
アリスは少し呆れたような顔をして軽くため息をついた。
「あれ、お前何歳?」
「18歳。」
やはりそうかと納得した顔で頷いて見せて、黒いソファに座るシュリの隣に座った。
その手には二つのマグカップを持っていた。
「だから、敬語なんて使わなくていい。あと、これホットココア。」
「はい…じゃなくて、うん。ありがとう。」
少し口を緩めて少しだけ歯を見せるアリスの微笑みは本当に大人のような笑みだった。
そしてアリスは黒いカラーボックスから数枚の紙を持ってきてソファの前の透明なテーブルに並べた。
「じゃあ、まずここの説明ね。ここは今のところ俺とお前を混ぜて5人で共有するシェアハウス。この紙見て、1階はその五人で共有する部屋、リビング、キッチン、ダイニング、バスルーム、洗面所が主。2階は俺とお前の部屋と空き部屋が一つ。その上3階は他の3人の部屋。」
目の前に置かれた家の設計図は手書きながらも綺麗にわかりやすく書かれている。
他の紙がそれに重なった。次にアリスはシェアハウスでのルールを説明し始めた。
「この家でのルール。ここの家の住人のシュリ以外はHEART、SPADE、DIAGRAM、CLOVERの現在の王の息子4人でありJACKという職についている。JACKは町の監察方として町の様子を報告する事が仕事。ここいいるのはHEARTの女王の息子である俺、アリスとさっき会ったCLOVERの王の息子がハイド、後は、今はいないけどSPADEの王の息子ユウ…とDIAGRAMの息子アラタの4人。明日には顔合わせられると思う。たまに、親からの収集があったり、舞踏会があったりするがその時はおって連絡するようにする。家事は日替わり制。洗濯物一緒は嫌だろうから自分でやること。風呂は使わないから好きに使っていい。出かけるときは何時に誰と何処に行くのかをそこのホワイトボードに書くこと。以上。」
少し長かったがわかりやすい説明にシュリはホッとしてホットミルクに口をつけた。
温かい安心感が心と体に沁みわたる。
それからホットミルク飲み終わったら場所確認に行くという言葉に頷いてぬるくなったホットミルクを喉に流し込んだ。
「まずはここがリビング、自由に使っていいよ。そして隣がダイニング、キッチン……。そしてこっちの廊下…こっちが洗面所、隣が風呂…で、風呂の使い方なんだけど………。」
アリスが突然足を止めその背中にシュリはぶつかった。
それとほぼ同時に風呂場の扉が開いた。
そして中から出てきたのは下着を一枚だけはいて上半身裸の見覚えのある男だった。
「アリス…。シュリちゃん…。お願い怒らないで、ね。アリスっ。」
「ハイドさん……。」
汚いものを見るような目でアリスはハイドを凝視している。
そしてそれは全てを否定するような目で燃えたぎるような紅蓮の瞳はまるで拒絶しているようだった。
「早く、服着てくださいよ…。てか、女が同じ家に住んでるのにそんなことするって無神経だと思うんですけど。」
不機嫌そうにハイドを睨む。
「ごめん。」
ハイドは目線を逸らして足早に去っていった。
それでもアリスはハイドの消えた後もその場に立ち止まっていた。
「……アリス?」
気になって顔を覗き込んでみると紅蓮の瞳に生きた輝きは失せていた。
それからその瞳とゆっくりと重なった。
「あぁ…、ごめん。風呂の使い方はハイドさんに教えてもらって。俺、今日は部屋に戻る。」
背を向けて歩き始めたアリスに曖昧な返事を返すことしかできなかった。
そして先ほど部屋に戻ってしまったハイドを探すためリビングにおかれた家の図が書かれた紙を見に向かった。
「えっと…ハイドさんの部屋は3階の一番奥…。」
地図を見て確認するとその通りに足を進める。
先ほどのアリスの表情が脳裏に浮かんで足が重い。
(…どうしてあれだけであんな表情したんだろう。)
いくら足が重いといっても目的地には着いてしまう。
ハイドの部屋の前に着くと部屋に”ハイド”と書かれた表札替わりのボードがかかっていた。
「あの…ハイドさん、シュリです。」
声をかけると足音が近付いてきて部屋の扉が開いた。
「どうかした?」
服を着てくれているハイドにホッとすると同時に先ほどのこともあり、どんな顔をして会えばいいかわからない気がした。
「アリスがお風呂の浴槽の使い方はハイドさんに教えてもらえって。」
一瞬ハイドの眉が動いて、それからあまりにも不自然な笑みを浮かべた。
「その前に、シュリちゃんに聞いて欲しい事があるんだ…。」
不安そうな顔を見せたハイドに先ほどのことを本当に悔んでいる事がわかったシュリは「はい」と返事をしハイドの部屋に足を踏み入れた。
出会った時の印象から明るい部屋を想像していたシュリだったが、思う以上にモノクロのツートンカラー
にところどころ彼の緑色が挿してある部屋を見て意外に思った。
「適当に座って、あ!シュリちゃんはコーヒーと紅茶どっちが好き?」
”シュリはコーヒーと紅茶どっちが好き?”
「えっ…。」
シュリの脳裏に一瞬誰かの声が過った。
慌ててハイドを見ると「ん?」と首を傾げてこっちを見ていた。
(気の所為だよね…。)
シュリは自分にそう言い聞かせて紅茶を頼むと傍にあった椅子に座った。
「アリス…怒ってた?」
冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出し真っ白のカップに注ぎながらハイドは口を開いた。
シュリからは後ろ姿しか見えなかったが、声から酷く落胆している事はわかった。
「わからないです…。でも、とても…辛そうな顔をしていました。」
シュリは正直に思ったことを言った。
それから力が入っていない笑いが聞こえた。
「そうだよ…。油断してたな俺も、本当何してるんだろう…。」
飲み物が入ったコップを二つ持ってハイドは一つをシュリに渡し、ベットの上に腰かけた。
「シュリちゃんは俺みたいな間違いしちゃ駄目だよ。アリスは歳は一番下だけど誰よりも大人だよ。辛く
ても辛いなんて言わないし、弱音も吐かない。それでも絶対、あの事は辛かったはずなんだ。」
一言一言を慎重にハイドは言った。
「あの事って?」
首をかしげたシュリにハイドは頷いて口を開いた。
「アリスの母親、現HEARTの女王は好きな男をつくってその男と交際したいが為にアリスの父親が罪を犯したと嘘を流し、無罪な父親を死罪にしたんだ。そして葬式の日、女王は仕事があると行って葬式に出なかった。そして、葬式が終わって母親の様子を見に行ったんだ。アリスは母親はきっと寂しがってるって、泣いてるからって…。そしたら、あの母親は何してたと思う?」
信じられないような出来事を話すハイドの言葉。
でも、真剣な眼差しに偽りはない事がわかった。
「好きだって言ってた男と寝てたんだ。」
シュリは口を覆った。
そんなことはあるだろうか。
「それから、アリスは裸とか無理。吐き気するって言ってた。」
先ほどのアリスの表情に納得できた。
そして、知らぬまにシュリの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
なにもしていないのに殺されたアリスの父親はどういう気持ちだったのだろう。
母親を信じていたアリスはどう思ったんだろう。
そう思うと涙が止まらない。
「泣かせて、ごめんね。シュリちゃん…。でも、君に知っててもらいたくて…。アリス、自分から君の面倒は俺が見る…って言ってたんだ。それ聞いて僕も、後の二人もすごく驚いてた。」
初めて聞いたことにシュリは瞬きをした。
シュリはふとハイドを見ると遠くの方を見ながらも優しい笑みを浮かべていた。
「でも…すごく嬉しかった。」
シュリにはハイドが本当に自分の事のように喜んでいるように見えた。
それだけアリスの事が好きなんだということもわかった。
「…って俺、すごく恥ずかしいこと言ってるよね。」
両手で頬を覆うハイドさんの瞳を正面から見てシュリは言った。
「恥ずかしがる事なんてないです。誰かの為にそんなに優しく笑えるって素敵な事だと思います。」
真剣に話すシュリの顔を見てハイドは眉をひそめながらも微笑んだ。
それにつられてシュリも微笑みを返す。
それから少しだけ和やかな話をして、シュリは目的だった浴槽の使い方を教えてもらった。
バスルームからまっすぐ戻ってきてシュリの部屋の前でハイドは言った。
「じゃあ、明日の夕方はシュリちゃんのウェルカムパーティをやるね。今日は他の二人はそれぞれの城に泊まることになったらしかったし…。明日、学校終わってからまっすぐ来るって。俺は明日は、午前中城に行かなきゃなんくて、暇なのアリスしかいないんだよね…。絶対一人で行ってくれる訳ないし…。」
ハイドは首をかしげて考えるような仕草を見せた。
その仕草はまるで声をかけてくれと言っているようだった。
「どうかしましたか?」
声をかけたシュリに待ってましたかというぐらいに顔を緩めシュリの両手を握った。
シュリはパチクリと瞬き2・3回をした。
「パーティをするにも冷蔵庫の中身空っぽなんだよね…。アリスは一人で買い物なんて絶対行ってくれないだろうし…。主役のシュリちゃんに行ってもらう訳にもいかないよね…。」
彼の話し方は思うようにシュリを動かしたいような言い方だった。
話にのってしまったらハイドの思う通りになるとわかっていても、シュリはこの辺の地理をわからないといけないと思いハイドに言った。
「わかりました。私、行きます。ただ、この辺の地理がわからないので地図をくれると有りがたいです。」
それを聞いてハイドはクスッと笑うと私の部屋の隣の部屋の扉に向かって口を開いた。
「…だって、アリス…聞いてるんでしょ?」
スッと扉が開くとそこにはアリスが先ほどの顔とは打って変わった普通の顔をして立っていた。
「そんな所で聞いてるなら出てくればよかったのに…。」
クスクスと笑うハイドを無視してアリスはシュリの横に立った。
「お前、今の時間まで何話してたの?」
「えと…。」
なんと言葉を返せばいいのか迷ったシュリはちらっとハイドを見た。
彼は思い切り首を横に振り、それから人差し指を自分の唇にあてた。
「…世間話!」
それからバッとアリスを見てとっさに思いついた嘘を答えた。
「世間話…。」
アリスは疑うような表情をする。
そこにハイドが間に入ってきてアリスの前に満面の笑みで立った。
「そうだよ、世間話っ!この前、いい雰囲気のカフェを見つけたから一緒に行こうとか、シュリちゃんはデート水族館派?遊園地派?とか…ね?」
「はい!そうです!!」
やがてアリスは「そ…。」と軽く言って呆れたような顔を見せた。
「なんでもいいけど、ハイドさんと長時間いるとロクな事起きないから注意しな。」
「う…うん?」
シュリはアリスが言った意味がわからなくて曖昧にしか返事を返せなかったが、返事をするとアリスは瞳を細めシュリの頭を撫でた。
「良い子だ…。」
その言葉がやけに恥ずかしく思えてシュリは俯いた。
「じゃあ、明日の9時には出かけるから。今日はもう寝な。ハイドさんもお休みなさい。」
今まで放置されていたハイドはアリスに声をかけられると目を輝かせていた。
「う、うん!アリス、シュリちゃんおやすみ。」
ハイドはシュリとアリスにあいさつをすると、ぶんぶんと手を振って部屋に戻っていった。
それからシュリとアリスもお互いに部屋に入り、シュリが目が覚めて初めての日が終わった。
「シュリ。」
耳元で聞き覚えのある声がした。
でも、寝ぼけていたシュリは目を開けてから目の前の人間を理解するのに時間がかかった。
「……アリス…?」
目を凝らして見ると、出かける準備が万端で目の前に立つアリスの姿があった。
「そうだよ。ってかもう時間9時過ぎたんだけど…。」
「へぇ…9時かぁ…って9時!?」
アリスの言葉に驚いてシュリは飛び起きた。
壁にかかった時計をみると時刻は9時を悠に超えている。
「なんで起こしてくれなかったの!?」
「いや、何回も起こしたから。でも、お前起きる気配ないし…。あとコレ、お前の着替えとか荷物。」
シュリはありがとうと荷物を受け取ると中から鏡とくしを探し出してとっさに髪をとかした。
「すぐ着替えるから玄関で待ってて。」
アリスはシュリの言葉を聞いて部屋から出ていった。
数分後シュリは、急ぎ足で玄関に向かった。
お気に入りの黄色のワンピースを着てアリスの傍に向かう。
アリスは玄関に背中をもたれて携帯をいじりながら立っていた。
「じゃ、行くよ。」
パチンと携帯をしめドアを開ける。
道路に出るとアリスはポケットから小さな紙をとりだした。
「最初は…っと、何これデパート行くしかないじゃん。」
小さくため息をつくアリスの背中をシュリは見つめた。
「…何つったってんの。置いてかれたいの。」
シュリがボーっとしている間にアリスは遠くであきれ顔をしていた。
「ごめん!」
シュリは駆け足でアリスのもとに向かった。
久しぶりに走っている所為か足が重い。
まさかと思ったことが案の定起きた。
「…っわ……。」
足元に落ちていた石につまずいて体が前に偏って倒れると感じたシュリは目を瞑った。
しかし、数秒立っても痛みはやってこなかった。
恐る恐る目を開けてみると倒れているだろう自分の体は支えられていた。
「…ったく、何やってんの。」
「……アリス。」
アリスはシュリの体を起こすと手を差し出した。
シュリには理解できずただその差し出された手を見つめていた。
「手、お前危ないから…。」
差し出された手の意味を理解したシュリは恥ずかしながらもその手をとった。
それからデパートに着くまでの数十分アリスはシュリに合わせて歩いていた。
デパートの中には沢山の人が混雑しあっている。
「すごい人だね…。」
「……。」
「……アリス…?」
アリスは沈黙してただ混雑している人だかりを見て唖然していた。
シュリの名前を呼んだ声も聞こえていないようだった。
「ねぇ…アリスっ。」
グッと顔を近づけてシュリはアリスの顔を覗き込んだ。
アリスはそれに気づくとハッとしてポケットから一枚の紙を取りだした。
「ボーっとしてた。ごめん。最初はクラッカーとか…雑貨系買おうか。」
「う…うん。」
一瞬強くつないだ手を握った。
それから雑貨用品が並ぶ2階へ向かう。
デパートは3階建てで1階は食品、2階は雑貨・洋服、3階は家具となっている。
その日の用事は、1階と2階だけで済むものばかりだった。
エレベータで2階にあがった二人の前に現れたのは一人のピエロだった。
そのピエロは風船を手に小さな子どもたちを相手している。
「ピエロさん、私ピンクの風船が欲しいなぁ…。」
「僕は青がいーっ!」
子供たちに囲まれるピエロは大変そうだが、とても楽しそうだ。
「ピエロさん、私に風船のお花作ってーっ。」
一人の女の子がピエロに言った。
ピエロはにっこりと微笑むと手際よく空気を入れ、ねじり始めた。
女の子に花を作り終えたピエロは喜んで母親のもとに向かう少女を見送ると再び他の子供の要望を聞いていた。
「ねぇねぇ、アリス……あれっ…。」
ピエロを見ている間にシュリの手にはつないでいたはずの手が無かった。
周りを見渡してもその姿は無い。
シュリは不安を押し切ろうとピエロに目をやった。
するとそのピエロもまたシュリを見ていた。
「え…。」
思わず言葉に詰まる。
そのピエロの笑っていなくても笑って見える化粧に何かを感じた。
「ピエロさんっ!」
ピエロは子供の声に気付くとシュリから目線を外した。
それから少しの間,シュリはピエロを見ていたが、先ほどより動きが硬かったように感じられた。
‐‐‐
もう二度と会えることはないと思った。
目があっていたような気がした。
記憶が残っていないあの少女は自分を見ていたのかと思うととても悲しくなった。
あの時は確かにお互いが通じていたのに...今は...遠い。
”シュリは何がいい?”
”私、子供じゃない…。”
”いいからっ、ね…。”
”じゃ…お花がいいなぁ。いつも小さい子達に作ってるの。”
目の前の少女が自分を見ていることがとても嬉しかった。
ピエロはいとも簡単に頼んだ花のバルーンアートを仕上げて見せた。
いつでも、にこにことした笑顔で。
”はい、出来たっ”
”…あ、ありがとう。”
照れた笑顔を向け自分が作った風船の花を受け取る少女を見てピエロは幸せな気持ちでいっぱいだった。
でも、現実はとても遠くてで残酷だ…。
「シュリ…」
声に出さないように口だけで目の前の少女の名前を呼んだ。
それだけで愛しさがこみ上げる。
どうか…思い出して…。
そう深く望んでしまう。
それがたとえ彼女を傷つけてしまうとしても…。
君が次に思い出したら、今度は絶対に傷つけないから…。
子供たちが家族の元に戻ったのを確認したピエロは姿を消した。
そこに一人の少女を残したまま。
‐‐‐
シュリは何もできずただ佇んでいた。
頼りになる一人の男が消えてしまったのだからしょうがない。
たくさんの人ごみから自分一人動いた所で男を見つけることは出来ないだろう。
だとすれば少女が出来ることははぐれたその場所でアリスを待つ事だった。
数十分たっても来ないアリスにシュリはとても不安になった。
右を見ても、左を見ても知っている人はいない。
シュリは孤独を感じ、また一人にされるのではないかと怖くなった。
なんとなく近くにあったベンチに腰掛けて携帯を開く。
そこには着信ありの文字、そしてその着信はシュリの番号を知らないはずのアリスからだった。
「アリスからだぁ…。」
不思議に思ったけど、それよりも嬉しくて泣きそうになっていた。
~♪
再びシュリの携帯電話にアリスから電話がかかってきた。
「アリス…?」
「シュリ!?お前、今何処居るの。ってか、なんで今まで出なかった。」
携帯電話を耳にかざした時に一番に聞こえたのは必死なアリスの声だった。
「ご、ごめん…。携帯鳴ってたの気付かなくて…。」
アリスに言葉を返したシュリの声は蚊の鳴く声のようだった。
電話越しに小さくため息が聞こえた。
「今から行くから、絶対動かないでね。わかった?」
そう言い放つとアリスは携帯電話を切ってしまった。
また一人で沢山の人が流れを見つめる。
でも、シュリの視線は急にある一か所で止まった。
前から一直線に走ってこちらに向かってくる一人の少年。
その少年の服装はシュリが待っていた人のものであったが、その少年は頭に馬のかぶり物をかぶっていた。
「アリス…!?」
その少年は人ごみをかき分けてどんどんとシュリに近づいてくる。
シュリの前に立つと馬のかぶりものをかぶった少年は両手を伸ばしてシュリを包み込んだ。
「携帯…ちゃんと見てないと意味ないよ、ばか…。心配した。」
アリスの温もりがとても安心できたが、聞こえてきた声に二人で硬直した。
「お母さん、お馬さんと女の人がラブラブしてる。」
「本当ね…可愛い。」
アリスはガバッとかぶっていた馬を脱いで紙袋の中にしまうとシュリの手をしっかりつないでエスカレーターを降りた。
「最悪…ってかこれかぶってたのすっかり忘れてたし…。」
「視界悪くなかったの?お馬さんかぶってる時。」
シュリの言葉にアリスはバツが悪そうに目線を逸らした。
どんな表情をしているのか気になったシュリはちらりとアリスの顔に目を向けた。
彼は少し顔を赤らめあからさまに不機嫌そうな顔をしている。
始めた見た顔に思わずクスッと笑った。
笑い声に気付いたアリスはさらに不機嫌になって明後日の方向を向いた。
そんなアリスを見てにやけているうちに長いエスカレーターを降りた。
「アリスっ。次何買うの?」
いつまでも不機嫌なままでいられるのも困ると思いシュリは話題を降った。
「...食べ物。」
「じゃぁ、今度は私が買ってくるからアリスはそこの喫茶店で待ってて。」
シュリはアリスからメモを受け取ると足早に食品売り場へ向かった。
急いで追いかけようとするも、人だかりのせいであっという間にシュリの姿は見えなくなってしまった。
仕方なく指定されたデパートの向かい側にある小さな喫茶店に入り、適当に空いている席を見つけるためあたりを見わたす。
ある一か所に見覚えのある一人の男がいて、アリスは言葉を失くした。
くすんだ緑色の髪の毛、顔の片側だけを覆う仮面...世界で一番憎い男そのものだった。
その男は少しするとアリスに気付いたらしく視点を合わせ見つめ口を開いた。
「こんにちは、アリス。今日一緒に歩いてた女の子は彼女?」
思っても見なかった事を聞かれてアリスはピクっと眉を動かした。
「JOKERに教える必要はない。アイツにだけは手を出させない。」