村の異(5)
館の外は明かりひとつなく暗かったけど、満天の星が輝いていて足元も見えないほどではなかった。
外へ出るなと言っていた執事に見つからないよう、足音を殺して外へ出て、僕らは悲鳴の上がった場所を探すことにした。
ひょっとすると、そこにおばさんたちがいるのかもしれないんだ。
村にはぼろぼろになった家が点々と建っていて、僕らはそれをひとつずつ確かめていくことにした。
「ゆっくり……音を出さないようにな」
小声でそう言うカズキに向かって頷いてみせ、僕は最初の藁葺き屋根の家の裏側の壁に貼りついた。白壁は僕の背中が触れるだけでぱらぱらと崩れ落ちた。
この中でおじさんやおばさんが悲惨な目にあっているかもしれない、そう考えると怖くてたまらなかったけど、横にカズキがいると思うと不思議と勇気が出てきた。
裏口から身を乗り出すようにして、ガラスが割れた窓から中を覗き込む。
中は台所のようだった。がらんとして、人の気配は感じられない。
何年も使っていないように見える、汚れた食器が溜まりあちこちに錆の浮いた台所、床はたんすや割れたガラスの破片が散乱して足の踏み場もないような状態だった。ここに人が住んでいるとは、さすがに考えられない。
「誰もいないみたいだな」
カズキも同じことを思ったのだろう。窓から中を覗きながら、少し安心した声色で言う。
その横顔を見た僕は、全身に鳥肌が立つのを感じた。
カズキはまるでこの状況を楽しんでいるかのように、笑っているように見えたんだ。
「つ、次の家を見てみようよ」
僕は慌ててカズキを促すと、隣の家へと向かった。この村に何がいるにせよ、早く探さないと、マナブたちだけじゃなく、僕らにも危険が及ぶかもしれない。
二軒目三軒目を同じように見るけど、人が住んでいる気配は全く感じられなかった。
僕らは少し離れた場所にある、村の中では比較的大きな家へ向かう。
これだけの不気味で異様な状況でも、不思議なもので、時間が経つにつれて僕は少しずつ平常心を取り戻していた。
ひょっとすると、僕らが聞いた悲鳴は何かの聞き間違いで、屋敷に戻ればおじさんやマナブが心配して僕らを待ってるんじゃないか、そんな気さえした。
「この村にはほんとに、危険な何かがいるのかな?」
僕は慰めの言葉を期待していたけど、カズキの返事は容赦がなかった。
「間違いなく、ここには何か危険なものがいる」
「どうして分かるのさ?」
自分の考えが否定されてしまったみたいで、僕の声はかなり大きいものになっていた。
「大きな声を出すなって、何がいるか分からないんだぞ!」
「……ごめん」僕は深呼吸する。
「ウワサがあるんだ」
「ウワサって、何の?」
聞きたくなかったけど、思わず聞いてしまっていた。蒸し暑いわけではないのに、さっきから背中に嫌な汗が浮かんでは流れ落ちていった。
「この村に関して、いくつもウワサがあるんだ。特に多いのが、この村で麻薬や武器を作って、テロ組織や暴力団へ運んでいるっていうやつだ。あのナンバープレートのない凹んだ車を見ただろ? 僕らが迷い込んだのは、きっとそんな村なんだ。きっとここには誰かが隠れていて、彼らは武器を持ってる可能性もある」
「でも僕たちは、屋敷でもてなされたんだよ。この村に何か危険なものが住んでいるのに、屋敷だけは安全っていうのもおかしいよ」
「それは、俺にも分からないけど……」
そう言って、カズキは茶髪にした髪をがりがりとかいて、考えるしぐさをした。
その表情は、さっきと見たものと同じ、まるで今の状況を楽しんでいるみたいだった。それはまるで、僕が知っているカズキじゃないみたいだった。
精神的に追い詰められ、僕もピリピリしていたんだろう。ついに我慢できなくなって、僕は厳しい声を出してしまった。
「なんでそんな顔してるのさ? おばさんだけじゃない、僕らも危険かもしれないんだよ」
「俺、どんな顔してた?」
「……楽しそうだった」
僕の怒りを察したのか、カズキは取り繕うように答える。
「別に楽しくはないよ。俺だって死にたくないし、マナブやおばさんたちだって心配だ。でも、俺はやっぱり好きなんだ」
「好きって何がさ?」
「異空間だよ」そう言って、カズキはぼりぼりと茶髪の頭をかく。
「異空間?」
「信じてもらえるか分からないけど、ハッキリと言うよ。この世界にはいたるところに、『異空間』が存在しているんだ。異空間っていうのはつまり、常識的に考えてそこにあるはずのない、常軌を逸した場所ってことだ」
「例えばこの村もそうなの?」
「この村に何があるかはまだ分からないけど、きっとそうだ。『俺ら』はそういう空間に惹きつけられるんだ。こうしてキャンプについてきたのも、ウワサの集中している場所に近いキャンプ場に、手がかりがあるかもしれないと思ったからさ」
「そんな……」
ショックだった。せっかく友達になれたと思ったのに、彼は異空間なんていう、全然別の方向を向いていたんだ。
でも、今はそのことでカズキを責めている場合じゃなかった。
「とにかく、この話は後でじっくりだよ」
僕らはようやく四軒目の家にたどり着いた。今までと同じように、裏口に張り付いて中を覗き込もうとすると、
「ひゃぁぁぁっぁぁぁぁぁあぁぁぁッ!」
突然、家の中から、何かとてつもなく恐ろしいものでも目にしたような叫び声が響き、僕は目を見開いて驚いた。その叫び声はおそらく、マナブのものだった。
「マナブ……マナブ!!」
マナブに何か大変なことがあったんだ。僕は大声でマナブを呼び、窓から中を覗こうとする。だけど窓は黒いシールのようなもので塞がれ、そこから中を見ることはできなかった。
「おい、待てッ!」
カズキの声も聞かずに、僕は表口へと走った。一刻も早く、マナブを助けなくちゃいけない。表口の扉は開いていた。僕は後先考えずに思い切り戸を引くと、
そこには裸の老婆が立ち、生気のない目でこちらをじっと見下ろしていた。
「ひ……ッ!」
とっさのことで、声が出なかった。全身が総毛立ち、心臓をわしづかみにされたような恐怖を感じた。
八十過ぎにも見える老婆は僕と同じくらいの身長しかなく、肋骨が浮き上がるほどがりがりに痩せていたけど、お腹だけは妊婦のように妙に出張っているのだった。
その枯れ木のような右手には、べっとりと血の付いた包丁を持っていた。
ぴちゃり、ぴちゃりと包丁の血が滴り落ちる玄関には……マナブの両親と思われる、二人の体が横たわっていた。
二人の死体――その姿を見る限り、二人がまだ生きているとは到底考えられなかった――の顔は、繰り返し切り裂かれたのか、変形して見る影もなかった。
顔中から肉が、白っぽい脂が、どちらのものとも分からない目玉が飛び出し、僕の足のすぐそばに転がっていた。よく見ると体にもあちこちに深い傷がつけられ、玄関は二人の血によって真っ赤な水たまりを作っていた。
「う、うわぁぁあああぁッ!」
自分のものとはとても思えないような悲鳴を上げて、僕はその場に尻もちをついた。
その頭のすれすれの場所を、老婆が斜めに振り下ろした大振りの包丁がぶぅんと風を切って通り過ぎていった。その包丁は老婆が振ったとは思えないほどの速度があり、前髪の毛先が自分の腕にはらりと落ちてしまった。
危なかった、偶然床に倒れていなかったら今ごろは……。僕はゾッと背筋が冷たくなるのを感じた。だが、まだ安心できる状況じゃない。
老婆は倒れた僕を見ると、皺だらけの顔でにぃと笑った。この世のものとは思えない、まるで鬼が浮かべるような笑みだった。
老婆はもう一度包丁を振り上げる。その口からは、だらりと長く涎がたれていた。
もう……ダメだッ!
そう思い、ぎゅっと目を閉じる瞬間、横から飛び出してきた人影が老婆の腰に思い切り組み付いた。
「俺が押さえてるから、マナブがいないか中を探せ、早く!!」
カズキは暴れまわる老婆の腰を掴まえたまま、こちらを向いて叫んだ。
老婆はカズキを包丁で切りつけようともがくけど、腕も押さえつけられ、カズキとの距離もほとんどないため刃先はカズキまで届かないようだった。
「わ、分かった。すぐ助けに戻るから!」
何が何だか分からないまま、僕はおじさんとおばさんの体を飛び越えるようにして家の中に飛び込んだ。
恐怖で頭がおかしくなりそうになりながら、暗闇の中をほとんど手探りの状態でマナブを探した。表で老婆とやり合っている、そこまで体が大きいとはいえないカズキのことが心配だったけど、今は信じるより他に道はない。
部屋はどこも荒れ果てていて、やっぱり人の住んでいるような気配はなかった。ただ、部屋のあちこちに古い血のような赤黒いしみが広がっていて、それを見つけるたびに僕は不安で胸が締め付けられるようになった。
どの部屋にもマナブの姿はなく、一番奥にあった台所で途方にくれかけていたところで、僕の耳はくぐもった声を聞いた。
僕はとっさに声のほうへ走った。
「マナブ!!」
マナブは手足を縛られ、猿ぐつわをされて水を抜いた汚い浴槽に監禁されていた。浴槽の底には赤茶色の水が数ミリ溜まっていた。
怪我をした様子はなかったけど、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになり、傍目にも異常なほど、その体はがたがたと震えていた。
手足を縛った紐をほどき、マナブを横から支えながら家の外に出る。マナブはほとんど意識を失いかけていて、両親の変わり果てた姿を見てもほとんど反応を示さないほどだった。
外へ出ると、カズキが老婆の持った包丁を払い落とし、地面に引き倒したところだった。
「逃げろ、あの館まで全力で走れ!」
僕らを見つけたカズキが叫んだ。
老婆が倒れたまま苦しそうに呻いているにも関わらず、どうしてそこまで焦るのか、すぐに合点がいった。
さっき僕らが見て回ったはずの二軒目や三軒目の家から、同じように衣服を着ていない人間が飛び出してきていていたのだった。
彼らは年齢や性別こそ差があるが、一様に痩せ細って、そのくせぼっこりとお腹だけ出て、皆その手には木を乱暴に削ったようなこん棒や、鉈、くわのようなものを手にしていた。
僕とカズキは気を失いかけているマナブを両側から支えるようにして、とにかく館を目指して走った。
僕らと彼らの差は百メートルもない。
「ぐぇぇぇぇぇおぉぉぉヴぉえぇぇえぇッ!!」
後方から奇妙な叫び声のようなものが聞こえてくる。何度も転びそうになりながら、僕は振り返らずに必死で走り続けた。
館のドアに着いたときには、彼らとの差は十メートルもなかった。
恐怖すらマヒした極限の状況の中、僕らは館に駆け込むと、鍵を掛け、さらに自分たちの体で扉を押さえつけた。
どん、どん、どん、どん、としばらく激しい衝撃とともに扉が揺れ、生きる心地がしなかった。
僕とカズキはがたがたと震えながら、だらだらと涙を流しながら、ぎゅっと目を閉じてただ一心に扉を押さえ続けた。
開くな……開くな……!!
そのまま無限にも思える時間が流れた。
やがてその音もやみ、いつからかドアの外からは人の気配もなくなっていた。
「行った、のか……?」
カズキの声はからからに渇ききっていた。刃先がかすめたのか、良く見るとこめかみの辺りから血が流れていた。
マナブは放心したように、床に座り込んで壁の一点を見つめていた。
「たぶん……ね」
そう答えて、全力でドアを押さえ続けたせいでぷるぷると震える手を放そうとしたところで、
「あなたたちは外に出てしまったんですね」
不意に後ろから声が聞こえてきて、僕は飛び上がって驚いた。
振り返ると、そこに立っていたのはこの館の執事のだった。執事を見た瞬間、カズキは興奮した様子で彼に掴みかかった。
「あぁ出たさ……そしておじさんとおばさんが殺されているのを見つけた。お前、あの裸の奴らのこと知ってるんだな。何で最初から言わなかった。あいつらは何なんだよ!」
「カズキ、やめなって」
カズキが執事の襟を乱暴に揺するのを僕は止めようとするけど、当の執事のおじさんは動じることなく言った。
「説明するしかないでしょう……。ついてきてください」
暗い廊下を、執事は僕らに背を向け、足音も立てずに歩き出した。
僕とカズキはまた、マナブを両側から支えるようにしてそのあとを追った。この執事を信じていいか分からなかったけど、今の僕らには、他に方法は残されていなかった。