旧校舎の異(9)
それからの一週間は本当にいろんなことが起こった。
いろんなことが起こりすぎて僕も混乱しているので、起こったことを整理しながら本当に必要なことだけかいつまんで説明しようと思う。
まずカズキとユキコさんの命に別状はなかった。
もちろん二人は軽症だったわけじゃない。カズキは右手の薬指を失い、ユキコさんは肩や背中に小さな痕が残る可能性のある傷ができてしまった。ユキコさんに関しては精神的なショックも大きく、数日は面会もさせてもらえなかった。
それでもようやく面会ができるようになると、ユキコさんに関しては塞ぎこんでいる様子もなく、お見舞いに行った僕やキョウコさんの前で元気そうに振る舞っていた。逆に心配なのがカズキで、ずいぶんと落ち込んでいるみたいだった。
ユキコさんは意識を失っていた間の、怪我をしたときの記憶がなかったので、僕とキョウコさんはいくつかの嘘をついた。だけどカズキがユキコさんを傷つけようとしたことまでは隠すわけにもいかず、ほとんどありのままを話すと、ユキコさんは寂しそうな顔をするだけで何も言わなかった。
警察や両親には、カズキがやろうとしていたことを含めて、旧校舎で起こったことをそのまま説明した。
実のところ、僕はたとえユキコさんを騙してでも警察に嘘を言って、カズキの罪を軽くしようと主張していた。だけど、ありのままを話してほしいとカズキは譲らなかった。キョウコさんも相変わらず淡々とした調子でそれに賛同した。
その日、各地で超自然的な現象――集団で霊を見たという証言や死んだはずの猫が帰ってきたという証言まであった――が多発したせいだろう。僕らの証言は、警察関係者に驚くほどすんなりと受け入れられた。
ただ、その超自然現象の原因こそがあの旧校舎であることには半信半疑のようだった。ひょっとすると子どもの妄想とか集団幻覚といった形で処理されているのかもしれない。
警察の取調べの中で保護者がいないことが発覚したカズキは、隣の市にある問題児が集められるという噂のある児童養護施設に入れられることになった。小学校もそちらの学校へ転校することが決まった。
カズキはすぐにその決定を受け入れ、退院するなり早々に引越しの準備を終わらせ、荷物は施設に送ってしまったというので、僕が納得できないとわがままを言う余地すらなかった。
カズキにしてはいやに素直だと感じたけど、きっとそれがユキコさんや他のたくさんの人たちに迷惑をかけてしまった彼の反省の表れなんだろう。僕らはいつまでも人に迷惑をかけながら好き勝手に生きていくことはできないんだ。
それが皆既月食のあった夜から一週間の間に起こった、だいたいの出来事のあらましだった。
そしてあれから八日が経ち、僕は施設へと移り住むカズキを見送るために最寄の駅までやって来ていた。
暖かい日が続いたと思うと昨晩から急に冷え込みが激しくなり、細かい雪の降る中、カズキと僕はホームに並んでやってくる特急列車を待っていた。
駅前で落ち合ってからというもの、カズキはほとんど何も話さなかった。僕も彼に言いたいことはいくつもあるはずなのに、彼と忍び込んだいくつもの異空間のことが頭の中で再生されるばかりで、口から出るのは「寒いね」とか「雪だね」とかどうでもいいことばかりだった。
そんな中、カズキが重々しい口調で口を開いたのは電車が来るまでもう五分といったときだった。恥ずかしながら、その時点で僕の目には涙が溜まりはじめていた。
「こんなときじゃないと言えないけどさ、俺はユウと出会って、異空間を探す目的が変わってたんだ」
ずっと口数の少なかったカズキが前を向いたまま急に言うので、僕はその横顔をじっと見つめてしまった。
「カズキ……目的って、どういう?」
「最初は異空間に何が隠れているか、誰がどんな目的でそこに異空間を作っているのか、それを探すのだけが目的だったんだ。自分でも趣味が悪いとは思うけど、人の隠していることや秘密を覗くことが楽しみになっていた。だけどユウと一緒に異空間を探検するようになってからは、友達と異空間を冒険するっていうのが一番の楽しみになってたんだ。友達なんてほとんどいなかったから、ユウには心から感謝してる」
「感謝するのは僕のほうだよ。僕もカズキと同じで、いや僕は最初からそうだった。カズキといるのが楽しかったから、本当に怖かったけど僕はカズキと異空間を探検したんだ。確かに異空間に興味はあったけど、カズキがいたから僕は異空間に惹かれていったんだ」
「ありがとう……でも」そう言って、カズキは僕のほうに顔を向けた。その目には僕と同じように大粒の涙が浮かんでいた。「これで終わりにしよう」
僕はすぐにでもカズキの口を塞いでしまいたかった。絶対にその言葉を聞きたくなかったけど、僕には彼の言葉を止める権利なんてなかった。
「俺たちはこれで解散だ。俺は関係ない他人を巻き込んでしまったし、自分がどれほど危険なことをしていたか、今回の件で良く分かった。兄貴ももうどこの異空間を探しても見つからないし、そんなことは兄貴も望んじゃいないだろう」
彼の顔は強い決意に満ちていた。僕はリーダーの決定を受け入れ、力強く頷いた。キョウコさんもきっと反対するようなことはしないだろう。
「カズキがそう決めたのなら、僕は従うだけだよ。これまで本当に楽しかったよ、ありがとう」
「俺のほうこそ、ユウのおかげで楽しかった。ありがとな」
僕らはきつく握手をして、照れくさくなって同時に白い息を噴きだした。
『まもなく列車が到着します。危ないですので、黄色い線の内側までお下がりください』
アナウンスが流れると、すぐにカズキが乗る電車が向こうからやってきた。
隣の県に引っ越すだけで、会おうと思えばすぐに会えるんだ。僕は自分に、必死にそう言い聞かせるんだけど、あふれ出す涙は止まらなかった。カズキと会えたとしても、もう今までみたいに一緒に異空間に入り込んで無茶なことをすることはできない、それがたまらなく辛く、悲しかったんだ。
「おいおい、そんなに泣くなよ。そのうち手紙書くし、携帯買ったら番号も教えるからさ。っていっても持たせてくれるか分かんねーけど」
「うん……うん……」
僕は手で顔をおおったまま俯き、ほとんどカズキの言葉に頷くことしかできなかった。
そうしているうちに目の前に停まった電車のドアは開き、カズキは荷物を抱えて乗り込んでいった。
僕らの目の前で電車のドアが閉まり、カズキは笑顔で、ちょっとそこまで出かけるだけみたいに、僕に小さく薬指のない手を振るのだった。
「カズキ、またね!」
僕が叫ぶと、カズキは腕で目の辺りをゴシゴシとこすって大きく頷いた。
ゆっくりと電車が動き出し、すぐにカズキの姿は見えなくなってしまった。
僕は電車が見えなくなってからも、しばらくそこから動くことができずに、周りの人から変な目で見られながらも突っ立ったまま鼻をすすり続けた。
次第に風が冷たくなり、僕は薄くつもった雪を舞い上げる北風の吹く道を、暖かい我が家に向けて歩きはじめた。
こうして僕は普通の小学4年生に戻ったのだった。どこにでもいる、平凡な小学4年生に。