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旧校舎の異(8)

 もつれ合うようにして音楽室に駆け込むと、僕らは急いで目に付いた机を扉の前に移動させ、扉を塞いで教室の真ん中に座り込んだ。

 図工室から出るときにユキコさん――今は明らかに別のものみたいだったけど――に喰いつかれて、カズキの服は裂け肩から血がにじみ出ていた。

 それでも、カズキは足がすくんで動けなかった僕をここまで支えて走ってくれたのだった。

 僕は改めてカズキのことを見直した。確かにカズキにも未熟なところはあるかもしれないけど、カズキはいつだって尊敬すべき僕らのリーダーだったんだ。


「ありがとう。カズキがいなかったら今ごろ、僕はどうなっていたか分からないよ」


 これは今のことだけじゃなかった。大げさかもしれないけど、平凡だった僕の人生において、カズキとの出会いというものはそれほど大きな意味のあることだったんだ。

 当然、カズキはこの言葉をユキコさんから逃げるときに支えてくれたことのお礼だと受け取ったみたいだった。


「よせって、照れるじゃんか。それに、この状況を作り出したのも全部俺の責任だ。俺が何とかしないといけない。まず今は、あいつをどうするか……」


 カズキが言いかけたところで、外からユキコさんの叫び声が聞こえた。


「あぁぁげぇぇぇぇろぉぉぉぉぉぉぉッ!」


 低く内臓に響くような声だった。音楽室からはまだ少し距離はあるようだけど、こちらに近づいてきているのは確かのようだ。


「開けろって言ってるのよ。あの世とこの世とを繋ぐ扉を開けろって。そうすれば彼も、完全な姿でこちらへやってくることができる――と思い込んでいる」


 険しい顔をしたキョウコさんが説明した。

 暗くてあまり見えないけど、キョウコさんは膝の辺りを気にする素振りを見せていた。逃げるときに転ぶかして、擦りむいてしまったのかもしれない。


「言いづらいけど、あれはきっとソウタさんでしょうね。もうソウタさんと呼んでいいのか分からないけど」


 キョウコさんの言葉を聞き終える前に、カズキは思い切り拳で床を叩いた。


「チクショウ! 俺のわがままがこんなことになるなんて」

「……とにかく皆既月食が終わるまで隠れているしかないわ」


 隣の教室だろうか、扉が激しく開かれる音がして僕らは身を震わせた。きっと僕らのことを探しているんだ……。


「隠れるって言ったってもう隣まで来てるわよ!?」


 小声で、ユウカさんがヒステリックな叫び声をあげた。

 のっそりとした足音が音楽室のほうへ近づいてきて、自分の腕にびっしりと鳥肌が立っていくのが分かった。

 彼女がこの部屋にやってきたらと、僕は最悪の想像をしないではいられなかった。カズキの肩の肉を喰いちぎったように、ひょっとしたら僕らのことも……。

 そんな中、聞こえてきたのはキョウコさんの自信に満ちた声だった。


「もう大丈夫、十分に目が慣れたから」


 そう言うと、キョウコさんはこれまで出会ったときは常に持ち歩いていた赤い傘を持ち上げ、その柄を引き抜いて取り外してしまった。

 僕らは恐怖と期待が入り混じった視線をキョウコさんに向けた。いや、正直なところ、僕はどういうわけかその瞬間には自分は助かるんだと確信していた。カズキと同じように、僕はキョウコさんに対しても圧倒的な信頼感を寄せていた、その彼女が大丈夫と言ったのだから。

 柄のほうを下にして傘を斜めに傾けると、柄があった部分から白い粉のようなものが落ちてきた。

 キョウコさんはその粉を床に撒くと、器用に魔方陣のようなものを描き始めた。


「これは憑き物落しだった私の祖母の骨を粉にしたもの。祖母の遺伝のせいか、小さい頃から悪いものを引き寄せやすかった私は、母から魔よけとしてこの骨を持たされていたの。常に手放さないようにきつく言い含められてね」

「それで骨を入れていた傘を、いつも手放さずに持っていたんですね」

「そんなところ……さぁ描けたわ。無駄話は後よ、早くこの中に入って」


 完成した魔方陣は半径一メートルほどの大きさのもので、四人で入るには十分な大きさがあった。


「魔方陣を壊さないようにね、この中にいる限り絶対に安全だから」


 僕らが中に入った瞬間に、激しい音を立てて扉が開かれた。ユキコさん――のように見えるソウタさん――が音楽室の中に入ってきたのだった。

 彼は前かがみになって、まるで獣のように荒く、白くなった息を吐き、ほとんど白目になった瞳で周囲を見回した。

 魔方陣のおかげか僕らのことは視界に入っていないようだったけど、微かな息遣いすら悟られてしまいそうで僕は両手で口を押さえじっと息を殺した。

 ソウタさんはぶつぶつと何事かを呟きながら、魔方陣のあるほう、僕らが立っている方向に近づいてきた。

 すぐに、その言葉が僕の耳にまで届いた。


「……ァ……カ…ズ……カズ…………キ…」


 僕の視界の隅で、カズキがはっと息を呑むのが見えた。


「あ、兄貴……」


 とっさにカズキがソウタさんのほうに身を乗り出し、魔方陣を踏み潰そうとするのを、僕は彼の腰にしがみついて必死に止めた。


「ダメだよカズキ、この魔方陣から出ちゃダメだ!」


 僕の叫び声も、すでにカズキには届いていないようだった。キョウコさんとユウカさんもカズキを魔方陣の中に引き戻そうとするけど、カズキは物凄い力でソウタさんがいるほうへ身を乗り出していった。


「兄貴……俺はここだ。ここにいるんだ!」


 少しずつ魔方陣の外へ伸びていったカズキの手が、かすかに魔方陣を越えた。

 その指先の先にはソウタさんがいて、彼はその指先を見つけると、微塵のためらいもなく噛み付いた。


「がぁぁッ!」


 悲痛な声をあげてカズキが右腕を引くと、根元から無くなった薬指の切断面から血が噴きだした。


「きゃっ!」「うわあっ!」その光景を見た僕とユウカさんが同時に悲鳴を上げ、次いでそれをかき消すような、「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」というソウタさんの叫びが響いた。


「ど、どうしたんだよ……兄貴……?」


 左手で右手を押さえ、前かがみになって震えていたカズキが泣きそうな声を出した。

 それも無理はなかった。ソウタさんは小さな頭を振り回したかと思うと、そのまま何度も音楽室の壁に体当たりをしはじめたのだった。壁にぶつかるたびに古い教室がかすかに揺れた。

 完全に常軌を逸したその行為に、僕らはただ呆然と、それ見つめることしか出来なかった。


「カァァァァァァズゥゥゥゥッゥキィィィィィィィィィィィィッ!!」


 叫び声に空気が震動し、それが伝染するように再び全身に鳥肌が立っていった。

 ただ、今はこの場を絶対に動いてはいけない。それ以外の一切のことは何も考えられず、僕はその場で震えていることしかできなかった。

 どのくらいの時間が経っただろうか。五分か、十分か……ユキコさんは音楽室を出て行った。すぐに隣の教室の扉が開かれる音が聞こえてきた。


「行った……」


 無意識のうちに、僕の口からそんなつぶやきが漏れていた。

 ほっと息をつくと同時に、僕の頭にひとつの疑問が浮かんだ。

 カズキの指を喰いちぎったソウタさんは、どうして自分を傷つけるような真似をしたのだろうか。ひょっとすると彼の中にただカズキに会いたいと願う生者の部分と、生きる者を憎む死者の部分が共存し葛藤を起こしていたと考えるのは、僕の考えすぎなのだろうか。

 咆哮のような声や、遠くからカズキを呼ぶ声が響く中、僕らは互いを支えあうようにしてがたがたと震えながらただそこで辛抱強く待った。

 その間、キョウコさんだけが比較的落ち着いた様子で、自分の真っ黒な服を裂いてカズキの指を止血するなどの応急処置をしていた。

 やがて真っ暗な教室に、ほんの少しずつ明かりが差しはじめた。窓の向こうの空に、月が顔を出したのだった。


「皆既月食が終わったようね」

「あぁ、兄貴は、もう……」

「……」


 片手で止血した指を押さえ、まるで死人のように青白い顔をしたカズキがつぶやいた。そういえばずいぶん長い間聞こえていた気がするソウタさんの叫び声も、もう聞こえなくなっていた。

 旧校舎を覆っていた気味の悪い気配も、今ではすっかり消えてしまっている気がする。きっとすべてが夢だったように、ついに開かれることのなかった扉の向こうに消えてしまったんだ。


「手分けしてユキコさんを探しましょう」


 キョウコさんの言葉に頷き、僕らは恐る恐る音楽室を出るとユウカさんの姿を探した。

 階段の踊り場に倒れていたユウカさんは満身創痍といった様子だった。壁にひどくぶつけた肩の骨が外れ、顔や腕にいくつもの切り傷を作っていた。素人目に分からないだけで骨折している箇所もあるかもしれない。

 僕らはカズキの分と合わせて二台の救急車を呼んだ。

 後から知ったことだけど、この夜は各地で異常な現象が起きていたようで、遅れてやって来た救急車に二人は運ばれていった。

 去り際、カズキは無理やり作ったような笑みを浮かべて僕に軽く手を上げたみせた。僕も同じように、無理やり作った笑みを浮かべて手を上げた。僕の目には涙が溜まっていて、カズキがそれに気づいたかは分からなかった。

 残された僕ら三人は、後日警察から事情を聞かれることになり、その場で解散させられた。

 こうして、世界中を巻き込みかけた旧校舎の異は、皆既月食の終わりと同時に、終わりを告げたのだった。

 それは同時に、異空間シンドロームの終焉を意味していた。

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