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旧校舎の異(5)

「それは件ね」

「くだん……ですか?」聞きなれない言葉に、僕は眉を寄せた。


 旧校舎での一件から数時間が経つけど、僕はあそこで何が起きたのか、いまだに全く理解できていなかった。

 ただ、何かあの旧校舎で良くないことが起こり、それが今もなお継続している。僕はそう確信していた。

 家に帰り着いた後、藁にもすがる思いで電話をかけたのはキョウコさんだった。

 何らかのきっかけでキョウコさんに危険が及ぶのを防ぐため、カズキや旧校舎のことは伏せ、人間の顔と牛の体を持つ生き物に心当たりがあるか聞くと、そんな返答が返ってきたのだった。


「件っていうのは霊というよりも妖怪に分類される架空の生き物で、頭が人間、体が牛のナリをしているのが特徴よ。そして、死ぬ前に必ず当たる災いの予言を残すとされているわ。生まれてすぐに予言を残して死ぬという言い伝えもあれば、生まれる時期については明言されていない場合もある」

「必ず当たる災いの予言……」


 僕はあの生き物、件が最後に言っていた言葉を思い出した。

『宇宙は混沌に包まれる』、僕の耳にそんな言葉がありありとよみがえった。

 そういえば、件は僕が猿ぐつわを取った途端に話しはじめたはずだ。それを思い出した瞬間、僕の頭にひとつの仮説が思い浮かんだ。

 ひょっとすると、カズキは件に予言をさせないために、わざわざ猿ぐつわを噛ませていたんじゃないだろうか。例えば自分に関係のない予言をすることを恐れたり、自分が望む予言を残さないんじゃないかと疑っていたとすればなおさら……。


「その件がどうかしたの?」


 電話口で押し黙っていたのを不審に思ったのか、キョウコさんは問い詰めるような口調で聞いてきた。


「い、いえ、カズキがちょっとそんな話をしていたので」僕はとっさに誤魔化した。僕とカズキの不仲はまだキョウコさんは知らないはずだ。

「なに、最近はカズキとそんなモノを探して遊んでいるの? やめときなさい、件なんて実在するかも分からないもの、きっとツチノコを探したほうが早く見つかるわよ」

「う、うん。僕もカズキにそう言うんだけど……」

「件は社会に異変が起こるときに、その前触れとして現われるとされているわ。もし本気で件を見つけたいのなら、数百年に一度のチャンスをモノにしないと無理でしょうね、件が実在するならの話だけど


 僕はキョウコさんの幅広い知識に感心したが、すぐにそんな場合じゃないことに思い至った。

 キョウコさんは件が現れるのは社会に異変が起きる前触れとして現れると言ったんだ。それなら件が現れた今、これからどんな恐ろしいことが起こっても不思議じゃないんじゃないか、僕はそんな嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 それから僕とキョウコさんはしばらく関係ない話をした。不安を覆い隠すように、珍しく僕が一方的に話し続けたので、ひょっとするとキョウコさんは少し変に思ったかもしれない。

 それでも、結局キョウコさんにはカズキのことと旧校舎のことは隠したままになってしまった。 

 もし本当に困ったことがあっても、同じ小学校なんだからいつでも会いにいける。それに僕は、まだカズキとの関係が完全に壊れてしまったと信じたくなかった。

 件の予言は少し怖いけど、宇宙が混沌に包まれるなんていっても、すぐに何かがあるわけじゃないはずだ。

 僕はそう自分に言い聞かせ、キョウコさんにお礼を言うと電話を切った。


 次の日、僕がいつものように登校すると、なんとなくキョウコさんの教室を覗いた。キョウコさんの姿はなく、仕方なく帰りにまた覗くとまたもキョウコさんの姿は見当たらなかった。

 クラスメイトに聞いてみると、理由は知らないけど今日は休んでいるということだった。

 次の日も、またその次の日もキョウコさんは学校を休んだ。

 それはカズキも同じだった。先生が僕にカズキが休んでいる理由を知らないか聞いてきたけど、僕はぶんぶんと首を横に振ることしかできなかった。旧校舎を覗いてみても、もうそこに誰かが出入りしている気配は無かった。

 激しい胸騒ぎがした。

 自分が取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと考え、日に日に焦りは強まっていった。 

 でもその焦りと裏腹に、僕は今自分が何をすべきなのかサッパリ分からなかったんだ。

 なぜなら、僕には今、自分の周りで何が起こっているのかが少しも分からないんだ。こんなことは初めてで、僕は自分の無力さに本気で腹が立った。

 放課後に一人で些細な心当たりを探ってみたけど、どこにも手がかりはなかった。キョウコさんの家は知らないし、電話をしてもいつも留守電になっていた。

 キョウコさんはどこに行ったのか、カズキはどこに消えたのか。そして猿ぐつわを噛ませてまで件を飼っていたカズキの目的は何なのか……。

 そんなことをぐるぐると考えるうちに、僕は段々と無気力になっていった。


(そうさ、どうして僕があんな自分勝手で、残酷なことをするカズキなんかのために、悩んだり苦しんだりしなきゃいけないんだ? あんなヤツ、僕には何の関係もないじゃないか)


 僕とカズキが知り合ったのは、たったの八ヶ月前のことだ。

 今思い返せば、この八ヶ月間はそれまでの人生が薄っぺらく思えるほど、本当にいろいろなことがあった。僕らは語りつくせないほど、いくつもの異空間に足を踏み入れてきた。

 最初に入り込んだのは狂気に彩られた村で、あそこでカズキは僕に異空間シンドロームについて話をしてくれた。

 村から一緒に脱出して、僕らは仲間になり、共に行動するようになった。

 心霊アパート、遊園地、廃病院、あの世とこの世の境の世界……。

 カズキが学校に来なくなって、僕は何度もそれらの冒険の一つ一つを思い出した。思い出して一人で笑って、ときには一人で怖がったりもした。

 思い返せば、カズキはいつだって僕の……いやそこにいる全員の安全を気遣ってくれていた。それどころか、その場にいない人にも被害が及ばないよう最新の注意を払っていた。カズキはリーダーで、誰に対しても分け隔てなく優しかった。

 カズキが何の目的もなく、小動物を殺してまで得体の知れない生き物を生かしておくだろうか。

 次第にそんなことを考え始めるうちに、僕は唐突閃いた。それは家族で夕飯を食べているときだった。

 ひょっとすると今回も、カズキは〈誰かのため〉に一見こんなムチャクチャに見えることをやっているんじゃないだろうか。

 数ヶ月前の神隠しの件だって、カズキはユウカさんを助けるためにユウカさんに催涙スプレーをかけたりしていたはずだ。

 じゃあその相手とは誰か? カズキがそこまでやると思わせる人間は、僕には一人しか思い浮かばなかった。

 温和な態度とは裏腹に、趣味で爆弾を作る変わり者の引きこもり。そしてカズキのたったひとりの肉親。ソウタさんだ。

 最初はカズキがソウタさんのために行動しているという自分の考えについて半信半疑だった。でも考えをまとめるうちに、そうとしか考えられないと思うようになっていた。

 じゃあ、あの件の予言はどういう意味なんだろう……。

 そこまで考えたところで、僕の思考を遮る声があった。


「お兄ちゃん、さっきから何をぼうっとしてるのさ」


 三つ下の弟のヒロキだった。食事を食べる手を止め、どこか心配そうに僕の顔を見上げている。


「え、何でもないよ」

「ひょっとして、怖いんでしょ?」


 悪戯っぽく言って、ヒロキが目を向けたのはテレビだった。

 テレビでは近頃めっきり数が少なくなった心霊番組が流れているところだった。

 式無常が行方不明になってから、急に知名度が上がった若い女性霊能力者が出ている番組で、その自称霊能力者は近頃あちこちで確認されるという怪奇現象について語っているところだった。


「一般的に、月食は凶事の前触れといわれています。次の皆既月食は十二月十日――ちょうどこの番組が公開される日になりますね――、近頃怪奇現象が頻発している原因として、十二月十日に何かが起こる前兆である可能性が高いでしょう」


 女性が喋った後にテレビがVTR画面へと変わり、近頃起きているという怪奇現象を再現したドラマが流れ始めた。


「怪奇現象? それに月……食?」

「お兄ちゃん、知らないんだ。今いろんなところで、普通じゃ考えられないようなことが起きてるらしいよ。それに今日の十一時過ぎに月が欠けるって、何日も前からテレビで言ってるじゃん。全くお兄ちゃんはニュースも観ないんだから」


 弟の声はもはや僕の耳に届いてはいなかった。


「月消ゆるとき、扉の前に生贄を捧げよ。黄泉の扉、再び開かれるだろう……」


 僕はぼそりとつぶやくと、ダッシュで残ったご飯を口にかき込んで立ち上がった。


「ごちそうさま!」


 玄関で靴を取って二階への階段を駆け上がり、部屋に入ると、すぐに靴を履いて窓から飛び降りる。ここのところ嫌な予感がしていたから、雨に濡れず、家族の目に付きにくい場所に数日前から古い布団を畳んで置いてあった。

 今が八時前だから、皆既月食まではあと三時間ほどしかない。

 外は初雪がちらついていた。

 僕は自転車にまたがると、必死にペダルをこぎだした。もし僕の予想が当たっているなら、キョウコさんが危ない!

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