村の異(2)
キャンプ当日は、まず午前中のうちに出発して、行きがけにある牧場に寄って、夕方にキャンプ場に着く予定になっていた。
朝からいい天気で僕の胸は弾んだけど、一つだけ心配なこともあった。それは茶髪の少年――カズキ君のことだった。
彼は今まで仲良くしてあげなかった僕たちを恨んでるんじゃないかと、昨日は夜も眠れないくらいだった。
けれど、車が出発してすぐに僕の不安は消し飛んだ。
「ユウ君はどんなマンガが好きなの」
「僕はやっぱり『ONE PIECE』かな。カズキ君は?」
「『ONE PIECE』もいいけど、俺は『HUNTER×HUNTER』のほうが好きかな」
「えー、あのマンガってグロいし絵が雑じゃん」
「そこがいいんだって」
と、こんな具合に共通の趣味を見つけてすぐに打ち解けてしまった。
話をはじめてすぐに、僕は彼が不良だなんて根も葉もないウワサだと確信した。皆はきっとカズキが髪を茶色に染めていて、少しぶっきらぼうだからからそんなふうにウワサするだけなんだ。
リュウジと、口ひげを生やしたワイルドなマナブのお父さんも気が合うようだった。
昼御飯を食べて、牧場を出るまで和気あいあいとした雰囲気が続いた。
僕らはリュウジとおじさんとの漫才みたいなやりとりに、何度もお腹を抱えて笑い転げた。
マナブのお母さんはウチの母さんより若くて、すごくきれいだった。マナブが友達と遊ぶのが珍しいのか、何度も「またこの子と遊んであげてね」と言って、リュウジが「もちろんですよ」と返すと本当にうれしそうにしていた。
僕らの乗る車は高速を走り、一度パーキングで休憩してからキャンプ場最寄りのインターチェンジで高速をおりた。ゴールデンウィークだから車は多かったけど、そのほとんどは反対方向へ向かっているようだった。
車の中でカズキはたまに妙に真剣な表情をしていて、僕はなんとなく彼の様子が気になった。
「大丈夫? 気分悪いの?」
僕は聞くけど、彼はそのたびにハッとしたように「大丈夫大丈夫」と手を振って笑っていた。
やがて、夕方近くになっておじさんの運転するワゴンは山道に入った。舗装はされているものの、車の通りのほとんどない道だった。
穴場というのは本当みたいで、山道を奥に進んでいっても、公道にも関わらず一台の車ともすれ違わなかった。
さらに車は、地図を持つおばさんが指差したわき道のような道に入った。
左手が斜面になっていてふもとの景色が見渡せたけど、空家のような家がまばらにあるだけだった。やがて左手側にも木が茂りだし、急に辺りが暗くなった気がした。
「これだけ対向車がないと、道を間違えてるんじゃないかと不安になるな」
「もう、怖いこと言わないでよ」
おじさんの冗談におばさんが笑って答える。さらにはリュウジが、「僕が運転変わりましょうか?」なんて冗談を重ねていた。
そんな雰囲気も、同じような、木々に囲まれた景色を一時間半も見続けた頃には、重苦しいものに変わっていた。
「あなた、本当に道合ってるのよね?」
「うーん、そろそろ着いてもいいんだけどな。ここまでずっと一本道だったし……」
マナブの両親は少しピリピリした様子で、さらに最悪なことにマナブは車に酔ったらしく、さっきから顔を真っ青にしていた。
日が落ちだし、外の景色はさらに薄暗く変わりはじめた。おじさんはハイビームにしてライトを点けた。
左右にはガードレールすらなく、ほとんど地面は砂利道だった。たまに車が激しく震動し、そのたびにマナブが小さくえずいていた。僕は彼の背中を擦ってあげた。
「なんか、ちょっとおかしくないかな?」
カズキの言葉に誰も答えないのは、皆が同じようにおかしいと思ってるからだろう。
五時にはキャンプ場に着いているはずが、もう六時を過ぎてしまっていた。辺りは暗く、聞いたことのないような鳥の鳴き声が聞こえていた。
「あなた、引き返しましょうよ」
おばさんの声は甲高く、切羽詰まっている感じが伝わってきた。
きっと本気で怖がっているんだろう。それは僕も同じだった。
周囲の暗さが僕らをいっそう不安な気持ちにさせた。あのリュウジさえ、真剣な表情で無言になっている。
ただカズキだけが、その中で比較的、普段通りの表情をしているように見えた。
「み、道が狭くてUターンができないんだ。もう少し広い道に出るまで、走るしかないよ」
その言葉を聞いて、僕の体はぶるぶるっと震えた。
このまま進んでも、これ以上広い道に出ることなんて有り得ない気がしたんだ。
二度と元の世界に戻れないんじゃないか、大げさかもしれないけど、そんな風に考えたのはきっと僕だけじゃないと思う。
外はすぐに真っ暗になった。薄い霧が出て、さらに視界は悪くなった。
暗闇の中、明かりといえばワゴンのヘッドライトと、サイドミラーに小さく写る光だけで……。
「く、車だ!」
後方に車のライトを見つけた僕は思わずそう叫んでいた。声に驚いたのか、おばさんが小さく悲鳴をあげた。
「本当だ、でもどうしてこんな道に?」
さすがは大人の男性で、こんな状況でもおじさんは落ち着いているように見えた。マナブ本人はというとさっきから持ってきていた毛布にくるまって震えている。顔面は悲惨なくらいに蒼白だ。
「車が近づいてきてるよ!」
リュウジが言うので振り向くと、後ろの車はスピードをあげて、危うくぶつかりそうな距離まで近づいていた。
車を間近で車を見て、僕は息をのんだ。その車のナンバープレートははがされ、何度もぶつけたように、車体の前方は大きく歪んでいた。
ライトがまぶしくて、乗っている人間の姿まではこちらから見えなかった。
「なんなの、なんなのよコレ!」
「お、俺に分かるかよッ」
おじさんはアクセルを踏み込んで車のスピードを上げた。
ちょっとした操作ミスで木に突っ込んでしまいそうで、僕は前の座席にしがみついてぎゅっと目を閉じた。
やがて激しいブレーキの音がしたかと思うと、車がまた急加速するのを感じる。そのたびに、僕は前の座席に頭をぶつけたり、ガラスに肩をぶつけたりしていた。
「追いつかれちゃうよ!」
「あなた……前、前!」
「分かってる、少し黙ってろよ!!」
そんな怒声が響き、僕は本当に恐ろしくなってがたがたと震えていた。いつ車が何かにぶつかるかと思うと怖くて、今にも心臓が破裂しそうだった。
どのくらいの時間そうしていただろうか。
激しい振動が次第に収まっていったから薄く目を開けると、遠くに、ぼんやりと小さな灯りが見えた。
放心したように、誰も口を開かなかった。
こわごわ後ろを振り返ると、いつの間にか車は見えなくなっていた。
「助かった……?」ぽつりと、マナブかリュウジかがそう言った。
ワゴンはその『村』の入り口で停まると、ゆっくりとエンジンを停止させた。