少女の異(4)
給食を食べ終わると、僕は一週間の成果を書き記したメモを握りしめて職員室の前にある公衆電話へ向かった。
教室を出るときにカズキに見られていた気がしたけど、まさかバレてはいないだろう。
カズキの家に電話すると、1コールでソウタさんが出た。まさかずっと電話の前で待っていたのだろうか……?
「あの、ユウですけど」
「どうだった?」
いきなり、少し興奮した様子で聞いてくるので、僕はメモしておいた『佐藤友香に関するウワサ』と『佐藤友香に関する聞き込み結果』を読んで伝えた。
ソウタさんは時折うなったり相槌をうったりしながら真剣に聞いているようだった。
「ユウ君は探偵の才能があるよ。それにしてもどれも気になる情報だけど、特に気になることがいくつかあるね」
全部を聞き終えてから、ソウタさんは言った。
「僕もいくつか気になることがありました」
「やっぱり? 佐藤友香が成長していないっていうウワサと、K市総合病院に入っていくのを見たっていう情報だよね」
「え?」ソウタさんが答えたのは、僕が考えていたのとは違うことだった。
「じゃあユウ君が気になったのって?」
「佐藤友香の周りで人間が消えたのはこれがはじめてじゃないってウワサです……」
だってこれから佐藤友香を尾行する僕も、同じように消されてしまうかもしれないんだ。僕はソウタさんにちょっと怒った。
「ごめんごめん。でもそれはきっと、ただの噂だよ。だってもし彼女の周りでほかにも行方不明者がいたっていうのなら、警察やマスコミが取り上げてもっと大きな事件になっているはずだよ」
「そんなものですかね……」
僕はイマイチ納得できなかった。
公になっていないだけで、佐藤友香の周りでは何人もの人間がひっそりと消えているような気さえしていた。
「それはそうと、僕のほうもネットで当たってみて少し面白い情報を見つけたんだよ」
「面白い情報、ですか?」
僕は公衆電話に100円玉を放り込み、聞いた。このお金は後でソウタさんに返してもらうことになっている。
「それが、神隠していうのは、必ず誰も見ていない状況の中で起こっているんだ。誰かの目の前で忽然と人間が消えたっていう事例は調べた限りひとつもない。もちろん佐藤友香が消えたときも、テレビクルーが消えたときも目撃者はいない」
「つまり……」
「神隠しなんてないんじゃないかと、僕は思うんだ」
予想外の言葉だった。じゃあ僕はなんのために一生懸命、情報を集めているんだ。ソウタさんはさらに続けて、
「つまり原因の分からない家出、失踪、突然の事故や、説明のつかない事件、そういったものに無理やり説明をつけようとした昔の人が、まとめて『神隠し』と名づけただけで、原因はそれぞれ違うんじゃないかと思うんだ。今回の事件も不思議ではあるけど、きっと何らかの形で現実的な説明をつけられるんじゃないかと思う。もちろん異空間自体を否定する気はないんだけど」
「今回の事件は異空間と関係ないってことですか?」
僕はホッとするような、残念なような複雑な気持ちだった。
「それは分からない。神隠しと違う形で、何らかの異空間が関わっているかもしれないし。次は佐藤友香の尾行をしてもらう予定になっていたと思うけど、無理はしないでね。何かあったら、カズキのことは気にせずすぐに連絡するんだよ」
「分かりました」
僕はそう返事をすると、受話器を置いて教室へ戻った。
放課後、僕は早速、佐藤友香の尾行をはじめようと電車に乗ってD女子中学校へ向かった。異空間に興味を持ちはじめて、いろんな意味で行動範囲が広がった気がする。
D女子中学校の前に着くと、ちょうど帰宅部らしい生徒たちがぞろぞろと校門から出てくるところだった。
ニュースに何度か出ていたので佐藤友香の顔は知っていた。僕は姉が出てくるのを待つ弟になりきって、校門の前で佐藤友香が出てくるのをじっと待った。
そのまま十分ほど待つけど、佐藤友香が出てくる気配はなかった。
もう帰ったのかな? 帰宅部だと思っていたけど、実は何か部活に入っていた?
僕がそんなことを考えて不安になっていると、急にそれまで続いていた校門から出てきていた人の流れが途切れた。
「……?」
不思議に思って、隠れていた電柱から身を乗り出すと――来た! そして同時に、僕は急に人の流れが途切れた理由を理解した。
佐藤友香の周りの人間が、意識的に彼女に近づくのを避けているんだ。彼女は人ごみの中にできた空洞を、ひとり孤独に歩いていた。
佐藤友香はいわゆる不良のように見えた。
肩に届かない髪は薄く脱色されていて、耳には小さな青いピアスが光っている。制服のスカートは短く、化粧もしているけど、まだあどけない感じがするのは二年間成長が止まっていたからだろうか。
少し痩せていて肌が黒く、目も大きくて可愛いらしい顔立ちだけど、キョウコさんのほうが綺麗だと僕は思った。
通学路らしい通りを歩き、佐藤友香は駅の方向へ歩いていった。その間、誰も彼女のそばに近づかない。皆、自分が消されてしまうかもしれないと恐れているのかもしれない。
佐藤友香の数メートル後ろに出来た人だかりにまぎれて、僕は彼女のあとを追った。
「マジ怖いよね~、気に入らないからってまさか消しちゃうなんて~」誰かがそんなことを言うのが聞こえてきた。
電車に乗り、僕もよく知った駅で降りた。
彼女のことを知らない人が増えたせいか、彼女の周りの空洞は次第になくなっていった。
それでも佐藤友香が僕の歩きなれた町を歩いてくれたおかげで、僕は彼女を見失うこともなかった。少しずつ胸のうちの恐怖心も薄れていった。
彼女の後ろについて歩くうちから妙な気はしていたけど、やがて彼女が入っていった建物を見て僕は絶句した。
その建物は何度も見たことが――いや足を踏み入れたことのある、カズキとソウタさんが暮らすアパートだった。
僕が驚きで足を止めていると、佐藤友香は三階建てのクリーム色のアパートの階段をのぼっていってしまったようだった。
僕は彼女を追って慌てて走り出した。
階段を駆け上がり……二階にはいない。さらに階段を駆け上がると……階段の一番上に佐藤友香が立っていた。
彼女は僕を見下ろすようにして、
「あなたが私を探ってる子? 意外と小さいのね」と言った。
「ぼ、僕は……」
佐藤友香は混乱し、しどろもどろになる僕に上空から声を投げた。
「いいの、分かってるから。それより上がってきたら? そこにいたらパンツ見えちゃうでしょ」
確かにその通りだった。
僕は彼女のオレンジの下着が見えない位置まで階段をのぼった。
「こ、ここに住んでるんですか?」
何か聞かないとマズイ気がして、僕は彼女を見上げながら言った。言ってから、自分の口がからからに渇いていることに気づいた。
「ここは私が前に住んでいたアパートで、今はお父さんがひとりで住んでるわ。今日は用事があって寄っただけ。それより、そんなことが聞きたくてついてきたの?」
聞き込みをしていたことからあとをつけたことまで、全部バレてるらしかった。僕は覚悟を決めた。
「あなたは本当に神隠しにあったんですか? 式無常とテレビクルーを消したのも、あなたなんですか?」
「半分あたりだけど、半分はずれ」
「え? それはどういう……」
「私が神隠しにあったっていうのは本当だけど、私があいつらを消したわけじゃないわ。彼らも私と同じように、勝手に神隠しにあっただけよ」
彼女の言葉を聞くうちに、今のこの状況がとても恐ろしいものに思えてきた。周りには誰もいない。今ここで、彼女の言うように僕が『勝手に』神隠しにあわないとも言い切れないんだ――。
「もし真実を知りたいのなら、明日の晩にK市総合病院の304号室に来るといいわ。ボクにその勇気があればだけど」
彼女はそう言い残すと、僕に背を向け、鍵を開けて三階の部屋に入っていった。
そこはカズキとソウタさんが住んでいる部屋の、たった二つ隣の部屋だった。
自分の恐怖心と、それから好奇心を天秤にかけて、僕は、僕は……。