遊園地の異(6)
「それでさ、窓から飛び降りてラビットランドに行ったのはいいんだけど、帰りのことを考えてなかったんだよね。結局母さんを起こして家に入れてもらったけど、それから物凄く怒られちゃったよ」
「まったくユウらしいわね」
黒いスカートと黒いシャツ姿のキョウコさんはいつものムッツリとした表情のままそう言った。
ラビットランドでキョウコさんに助けられたあの日から、僕のキョウコさんに対する苦手意識はほとんどなくなっていた。
歯を抜いた箇所からバイキンが入って高熱を出したソウタさんの看病のためにカズキが来れず、また二人きりになったのも、どちらかと言えば嬉しかった。
僕らは雨の中、小山良彦君の住む団地に向かっていた。
キョウコさんがヨシヒコ君のおばさんに嘘をついて借りてきたという写真を返すためだった。
「でも、どうしてヨシヒコ君の写真なんて借りてきたんですか?」
僕が聞くとキョウコさんは真っ赤な傘をクルクルと回して、
「もちろん最初から写真を貰いに行ったんじゃないわ。妙なオヤジに怒鳴られてから、ヨシヒコ君が本当に行方不明なのかを調べるために、隣の部屋のオヤジの留守を見計らってヨシヒコ君の家を訪ねたの」
僕は感心した。同時に、彼女に誘ってもらえなくて少し寂しくも感じた。
「そしたらお母さんが出て、『ヨシヒコ君の友達だ』って言ったのにえらい剣幕で怒り出すから、手がかりになればと思って『学校の新聞で使うから写真を貸してくれ』って言ったの。私、写真を見たらその人が生きてるかとか、元気かとか、だいたい分かるから」
キョウコさんはさらりと怖いことを言う。
「それでヨシヒコ君は生きていて、あの異空間にいないって分かったんですね」
「そうね、それにラビットランドに霊的なものがいないことも分かっていたから。だからこそ、あそこであなたが何かに襲われるような声を出していたのには驚いたんだけど」
「すみません」思い出して僕は恥ずかしくなった。
「ただ、ヨシヒコ君があの異空間であなたと同じように何かを見て、それが学校に来なくなった理由になったのかは分からないままだけどね……」
いくつかの謎は残されたままだった。
そのままお互いに何も話さず歩き続け、僕らはヨシヒコ君の住む団地に入った。キョウコさんはチャイムを押した。
ドアが開いた。
ヨシヒコ君の家の隣の部屋から出てきたのは、この間、僕らのことを怒鳴りつけたオジサンだった。
オジサンは僕らを見つけると、何かを諦めたようにため息をついた。
「またお前らか……何度謝りに来ても無駄だ。それに、その家はもう空き部屋だ」
「え!? ヨシヒコ君はどこかに行っちゃったんですか?」僕は驚いた。
「お前ら、小学校で何も聞いてないのか?」
オジサンは知らないだろうけど、僕らとヨシヒコ君では通っている学校が違う。知らない、という意味で僕は首を振った。
「お前らはこうして何度か謝りに来てることだし、教えてやる。ヨシヒコは転校したよ」
「転校ですか?」
「ああ。ヨシヒコは俺の孫で、昔から困ったことがあれば何でも相談してくれた。でも遠足でナントカっていう遊園地から帰ったきり、何かに怯えるようにふさぎ込んで、学校にも行かなくなった。理由を聞いても話してくれなかった」
きっとラビットランドで誰にも遊んでもらえず、ヨシヒコ君もトイレの裏で少年たちのことを見たんだ。自分と同じように、誰にも相手をされなかった孤独な少年たちを……。
それから彼は?
「でも俺がしつこく聞いたら、ヨシヒコも話してくれたよ。学校で友達から無視される。このままだと『彼ら』と同じようになるから、できることなら転校してやり直したいんだ。僕にも友達が欲しい、ってな」
「彼ら……ですか」
「誰のことかは分からないけど、いじめられてるって自分から言えるなんてあいつは勇気があると思ったよ。のけ者にされるのが怖くてヨシヒコと遊ばないお前たちと違ってな」
そこまで聞いて、僕の頭でようやくすべての点が繋がった。
ラビットランドでヨシヒコ君は『彼ら』と遭遇し、僕と同じようにそれが霊だと思い――具体的にどんな想像をしたか分からないけど――、このままだと自分も彼らの取り込まれてしまうと思った。
もちろん、そんなことがなくても、友達に無視されることをずっと苦にしていただろう。
だから、最後に自分ができることとしてあの場所に駄菓子を供えて、転校したいと、友達がほしいとおじいさんに相談した……。
単純なことだった。ただ僕らが噂や妄想に翻弄されていただけで。
「クラスの連中が謝りに来ていたことは、俺がヨシヒコに伝えておくから」
それだけ言い残して、オジサンは部屋に引っ込んでいった。
僕らは雨の中、とぼとぼと家路を歩いた。
途中、キョウコさんは今まで見た中で一番怖かった霊の話をして、僕があまりに怖がるものだからコンビニに寄ってソフトクリームをおごってくれた。
僕が無言でソフトクリームを舐めているとキョウコさんは、
「それにしても、ヨシヒコ君は大丈夫かしら」と言った。
「何がですか?」
「新しい学校に馴染めるかってことよ」
「大丈夫ですよ。ヨシヒコ君は優しいですから」僕は自信を持って答えた。
それでも、僕の言葉を聞いたキョウコさんはゆっくりと首をふった。
「世の中は優しい奴に不利なようにできてるのよ。それに気づかずに、最後には自ら命を絶ってしまった子も知ってる。ユウも6年生になれば分かるわ」
僕は何も言い返すことができなかった。自分のことを優しいと思っているわけじゃないけど、僕もいじめられた経験があるから。
別れ際、キョウコさんは僕の背中をバンバンと叩くと、真っ黒な髪を揺らして颯爽と去っていった。
僕はその背中が見えなくなるまでキョウコさんのことを見送った。いつの間にか雨はやみ、雲のすき間から夕日がのぞいていた。
こうして、とある遊園地のウワサに端を発した騒動――といっても僕が一人で騒いでただけだけど――は終わったのだった。