遊園地の異(5)
これからする話は全部、私の予想でしかないけど――。
そう前置きしてからキョウコさんは語り始めた。暗いトイレの裏の空間には、僕とキョウコさんしかいない。
「私たちがいるこの場所は、学校に一人の友達もいない子たちの逃げ場になっているのね。遠足に来たけど遊ぶ友達がいない、誰も相手をしてくれない、弁当を食べてくれない。そんな子たちが、一人でいる所を見られたくなくて隠れる場所、時間を潰す場所が、ここ」
そう言って、キョウコさんは辺りを見回した。決して清潔なところとはいえない場所だ。
「何度も言ったけど、ここに霊はいないわ。けど、どこかイヤな感じがしたのは、ここに彼らの感情が溜まっていたからよ。微かにだけど、今なら感じられる。信じられないようなことだけど、ここは彼らの感情の吹き溜まりになっていたの」
「感情の、吹き溜まり?」
「正確な表現の仕方は分からないけど、それに近いものよ。何人もの子たちの、『一人は寂しい』『一緒に遊んでほしい』『仲間外れは嫌だ』っていう強い負の感情がここに溜まっていたの。淀んだ水場は、何であれ、悪いものを寄せやすいわ」
「じゃあ僕が見た子供たちは……?」
「それは幻覚よ」
「幻覚!? そんな……僕は彼らに、池に引き込まれそうになったのに!」
「信じられないと思うけど、私にはあなたが池の中で、一人で暴れているようにしか見えなかったわ」
とても信じられなかった。僕の体にはまだ、彼らの重みがリアルに残っていたんだ。
「それ以外考えられないもの。だってユウがここで本当に何かを見ていたとして、こんなウチの弟が部活で使ってる金属バットで殴ったくらいで消えると思うの?」
絶句した。僕はしばらく、まともに物事を考えることすらできなかった。
ただ現実感が遠のいていって、自分が夢の中にいるような妙な感じがした。
「プラシーボ効果って知ってる?」
「プラ……シーボ?」
「簡単に言うと思い込みの力のことよ。オカルトっぽいけど、すでに科学的にも証明されているわ」
僕はまだ頭が混乱して、うまく説明を飲み込むことができなかった。
「例えば眠れないという認知症の高齢者に睡眠薬と言って、何の効果もないカプセルを与えて寝かせるなんていうことも医療の現場では行われているわ。睡眠薬と思い込むことによって、脳が眠れという信号を出すのね」
「そんな、まさか!?」
「思い込みの力はそれだけあなどれないってこと。ここに沈殿した感情を敏感に嗅ぎ取ったあなたの脳は、この場所に孤独な霊――あなたはヨシヒコ君と思った――が存在する思い込み、実際に作り出した。一度そう認識してしまったら、消し去るのは容易じゃないわ」
「でも、そんなことって……」
僕は、もうキョウコさんが言うことが真実だとほとんど理解していた。それでも、どうしても僕は認めることができなかった。
「幻覚ならなおのこと、彼らが僕を襲った……つまり僕が自分自身を襲わせた理由が分からないよ!」
「君自身の罪悪感がそうさせたのね。自分が彼らのために何もしてあげられないというユウの想いが、彼らを……あなたをそう動かしたの。信じがたいかもしれないけど、そうとしか考えられないから」
ひょっとすると、僕は脳のどこかでここに溜まった感情が一つじゃないことを感じ取っていたのかもしれない。だからこそ、あんな風に水の中から僕を襲う子どもたちが何人も現れたと考えれば――まだ完全には信じられないにせよ――とりあえず納得がいく。
「それにしても、慣れないものを持ったから肩が痛いわ」
そう言って、キョウコさんは弟のものだという金属バットを地面に投げ捨てた。
僕はただ悲しような、空しいような気持ちになって、潤んだ目でそんなキョウコさんのことを見つめていた。
その視線に気づくと、キョウコさんは優しく僕の肩に手を置いてくれた。その人がいつも僕に怖い話を聞かせていじわるをしていた人だなんて、僕には信じられなかった。
「あなたの気持ち、私にも分かるわ。彼らを可哀想に思う気持ちや、びっくりする気持ちがこんがらがって混乱してるのよね」
本当にその通りで、僕は何度も頷いた。
それだけじゃなくて、キョウコさんに自分の気持ちを理解してもらえたのが嬉しいという気持ちもあった。
僕は自分の目の端に涙が溜まり、胸が苦しくなっていくのを感じた。
嗚咽を漏らしそうになり、鼻水を必死にすすりながら、キョウコさんにどうしても聞いておきたいことがあった。
「ひょっとしてヨシヒコ君も……こ、ここで『彼ら』を……見たんでしょうか?」
キョウコさんは前に僕も見つけていた、落ちていた未開封の駄菓子を拾い上げると、
「彼もきっと優しくて、人の感情に特別に敏感で、ひょっとしたら彼なりに何かしてあげようとしたのかもね」
「はい、きっと……」
僕らが無言のままそこに立っていると、慌てた様子でカズキがやってきた。
カズキが園内で大声を出して僕らを呼んだので、誰かに気づかれる前に僕は急いでカズキをトイレの裏に呼んだ。
改めて聞いてみると、最初はコンビニからラビットランドへ向かう僕を、コンビニの前にいたカズキのお兄さん、ソウタさんが見つけたそうだ。
不審に思ったソウタさんが念のためカズキに連絡しなかったら、カズキがキョウコさんに連絡しなかったら、そう考えて僕はゾッとした。
キョウコさんが来なかったら、僕は今頃ひとりきりでため池に沈んでいたかもしれないのだ。僕はソウタさんとカズキに、そして誰よりキョウコさんに感謝した。
「いったいここで何があったんだ?」
ここが実は異空間だったと気づいているのだろう。ため池の辺りに興味津々といった様子で、カズキは言った。
僕とキョウコさんは示し合わせたように目を合わせて、
「特に何も」とだけ言って笑った。
「ちぇ、仲良さそうでいいよな」
それ以上、カズキも追求はしてこなかった。僕らの雰囲気から、すでににここに何もないということも勘づいているのかもしれない。
「あ~あ、こんなことならキョウコに連絡せずに俺がダッシュで来るんだったよ」
ぶつぶつと言いながら帰り支度をしていたカズキだったけど、ふと、何かを思い出したように足を止めた。
「そういえばこれ、ユウの自転車に乗ってたけど、何かに使う予定だったんじゃねーの?」
そう言ってカズキが取り出したのは花火と100円ライターだった。
僕はそれを受け取ると、少年が座り込んでいた所に置いて、火をつけた。キョウコさんは何も言わず僕のすることを見ていた。
花火は本当にショボくて、細かい火花を1メートルほど吐き出したと思ったらすぐに消えてしまった。
「もう終わりかよ」
でも僕には確かに、そこで火花を眺める子どもたちの顔が見えていた。霊でも、人間でもない、楽しそうな子どもたちの顔が。