遊園地の異(4)
翌日、学校に着くとすぐにカズキが話しかけてきた。
「なぁ、昨日はラビットランドに行けなかったけど、そのかわり新しいウワサを仕入れたんだよ。電話でも少し言ったと思うけど……」
どうも彼の中では、もうラビットランドの一件は終わってしまっているらしかった。
「ごめん。ちょっと今、他のウワサのことは考えられない」僕はキッパリとそう答えた。
「お、おう、そうなのか。……やっぱり昨日、何かあったのか?」
カズキにだけは言うべきだと分かっていたけど、僕は首を横に振った。
仲間のキョウコさんを信用していないと、カズキに思われるのがイヤだったし、あの少年――僕はほとんどヨシヒコ君だと確信している――も、誰にも言ってほしくないんじゃないかと思った。
ヨシヒコ君は、きっと僕にだから自分の正直な気持ちを打ち明けてくれたと考えるのは、僕の考えすぎなのだろうか。
「ごめん、カズキ……」
僕が下を向いて言うと、カズキは「そうか、何かあったら隠さずに言えよな」とだけ言って僕の席から離れていった。
その日は学校が終わるまでずっと、僕の元気が戻ることはなかった。カズキが僕に対して怒ってないかも気になったけど、それよりも気に掛かるのがヨシヒコ君のことだった。
帰りの会が終わるとダッシュで家に帰り、僕は『準備』をはじめた。もう心は決まっていた。
今夜もう一度、ラビッドランドへヨシヒコ君に会いに行こう。
どうしてあんな場所でひとり泣いているのか、遠足の日、彼に何があったのか、聞き出せなくたっていい。ただ少しの時間でも彼と一緒にいてあげる。それが彼のためにできる唯一のことだと思った。
僕は家族と夕飯を食べて、早めにお風呂に入ると、ラビットランドの閉園時間を過ぎるまで部屋でじっと待った。
閉園時間を過ぎると僕は窓を開けて、二階にある自分の部屋から飛び降りた。
倉庫から古い布団を出して、あらかじめ重ねて窓の下に置いておいたのだった。
昨日遅く帰って怒られたばかりだったし、帰りが何時になるか分からない以上、こっそり抜け出すのが一番だと思った。
布団の横に用意していた靴をはいて、僕はラビットランドに向けてまた自転車をこいだ。
ふと思い立って僕はコンビニに立ち寄ると、一番安い打ち上げ花火と100円ライターを買った。
改めて考えると一緒に遊ぶっていうのがどういうことなのかイマイチ分からなかったし、何でもいいから道具があったほうがいいと思った。
国道沿いにずっと自転車をこいでいき、ラビットランドに着く頃には額に汗が浮かんでいた。
がらんとした入園口の前に自転車を置くと、僕は歩いて、さらに人気のない裏の空間へと回った。
怖くないと言えば嘘になる。でも小学校に入学したばかりの自分を思い出すと、どうしても、彼にまた会うべきだと感じるのだった。
昨日と同じように、少年――ヨシヒコ君がそこにいた。彼は昨日と同じようにうずくまって泣いていたけど、
彼は僕を見つけると、ひどく驚いた顔をした。
「どうして……!?」
僕は二メートル以上はある柵を、足をかける場所を探しながらなんとか乗り越えた。
ため池に落ちないよう注意して地面におりると、膝を抱えた少年の前に立った。
「君と遊びに来たんだよ」
僕が照れたように言うと、彼ははじめて僕に困ったような笑顔を見せた。
「何して遊ぼうか?」
僕はそう言って、自転車に買ってきた花火を忘れてしまったことに気づいた。
彼はしばらく、思案げな顔をしていたけど、
「かくれんぼは?」と言った。
僕はいろんな意味で驚いた。こんなに素直に僕を受け入れてくれるとは、さすがに思っていなかった。
「こんなに広いのに!? 見つける前に朝になっちゃうよ」言ってから、僕は笑う。
単純なもので、もう恐怖心はきれいに消えていてしまっていた。
「じゃあ鬼ごっこは?」
「うん、そうしよう!」
僕が答えた瞬間に、彼は「タッチ!」と、僕の腕を触って逃げていってしまった。
「ずるいぞ!」
僕は噴き出して、彼を追いかけて走りはじめた。
僕らはゲラゲラと笑いながらメリーゴーラウンドをぐるぐると走り回った。ラビットハウスに忍び込んで、それからジェットコースターの横に設置された非常用の通路をそろそろと歩いた。
特別な時間だった。楽しくてたまらなかった。まるで夢の中にいるみたいな感じがした。
彼はあまり運動が得意じゃないみたいで、僕は彼の走る速さに合わせて遊んだ。
僕がいくら疲れても、彼は全く疲れた様子を見せなかった。でもしばらく一緒に走り回るうちに、そんなことはどうでもよくなり、ちっとも気にならなくなっていった。
「こんなに遊んだのって、本当に久しぶりだよ」観覧車の下、彼は疲れ果てた僕の前で立ち止まると、本当に嬉しそうに言った。
「僕だってそうさ」
「違うよ、だって君には友達がいるもの」
「ヨシヒコ君にだって、友達はいるじゃないか」
「僕には、友達と呼べる人なんていない。いつだって、僕はひとりぼっちなんだ。ご飯の時も、体育の時も、休み時間だって……」
「僕がいるよ」
「え……?」
「学校は違うかもしれないけど、僕は、もう君の友達だよ」
息はあがっていたけど、恥ずかしくなって、僕はまた思い切り走りはじめた。
彼が何者で、どこの誰かなんていうことは関係なかった。
僕たち子どもが気にするのはいつだって、ただ『友達になれるかどうか』っていう、単純なことだけなんだから。
「だいぶ疲れたんじゃないの?」しばらく遊んだ後に、彼は笑顔で言った。
「ちょっと休憩しようか」膝に手をついて、肩で息をしながら僕は答えた。
先を歩く彼について、僕も息を整えてから歩き出した。
「やっぱりここが落ち着くんだ」
そうつぶやいて彼が座ったのは、例のトイレの裏の空間だった。少し抵抗があったけど、同じように僕も彼の隣に座った。
「どうしてこんなところが?」
言ってから、僕はしまったと思った。でも彼は気にする様子もなく、不思議なことを言うのだった。
「こんな場所にしか居場所がないんだよ。『僕ら』にはね」
「僕ら? 君は……いや君たちはいったい? 君はヨシヒコ君で、遠足の日にここで同級生から何かされたんじゃ……」
そう、僕は心の中で、彼が同級生からいじめらて自殺したヨシヒコ君の霊だと思い込んでいた。
小学校に入学してすぐにいじめにあった僕に、彼に同情する気持ちがあったのも事実だ。でも、ひょっとしてその考えは全て間違っていただろうのか。
すっと、彼は音もなく立ち上がり、座り込む僕の前に立った。
僕が混乱し、困ったように彼のことを見上げていると、彼は僕の手を取った。
彼の手には全く体温がなくて、僕は彼と接する中で、はじめて恐怖を感じて背筋が冷たくなっていくのを感じた。
「僕とまた遊んでくれるよね。僕が望めば、いつでも一緒にいてくれるよね」
「そ、それは、さ……」
僕は彼の、静かで、それでいて熱のこもった言葉にとっさに答えることができなかった。
正直に言って、さっきまでの楽しい気持ちは吹き飛んで、今すぐにでも逃げた方がいいような気がしていたんだ。
見上げると、座り込む僕のことを見下ろす彼の目は空洞のようにぽっかりと空いていた。
彼はその空洞でじいっと、ただ無表情に僕のことを見つめていたんだ。
「ひっ……!」
僕は小さな叫び声をあげ、彼の手を放そうとした。
でも彼は、僕の手を凄まじい力でにぎりしめていて、僕はその手を少しも動かすことができなかった。
「痛ッ、痛いよ!」
そんな叫びも、彼に届いている様子はなかった。彼はまるで一瞬にして、別人に変わってしまったみたいだった。
彼は僕の手を握ったまま、僕を引きずるようにして移動しはじめた。
思い切り足に力を入れて踏ん張るけど、無駄だった。まるで大人の男が全力で僕の手を引っ張っているみたいだった。
「……ぼ…よ」
彼が向かう先から、ぼそぼそとした声がした。その声はひとつ、ふたつと数を増やしていった。
「さみ……よ」
「どうし……ぼ…だけ」
「一人…いや……よ」
必死に抵抗しながら顔を上げると、ため池の中から何人もの無表情な子どもたちが這い上がっていた。
「ひっ、ひぃやぁぁぁぁっ!」
彼らは池からあがるとそのまま這いずって僕の腕や足にとりすがり、まるでため池に引き込もうとするみたいに、僕の体を引っ張りだした。
「きき、き、君たちは誰なの……どうしてこんなことするのさ!?」
僕はパニックになりながら涙声で叫んだ。
男の子や女の子、小学1年生から6年生くらいの子が十人前後いたけど、誰も僕の問いには答えなかった。
彼らに一切の表情はなく、ヨシヒコ君と同じように空洞のような目で僕を見つめるだけだった。
凄い力で手足を押さえつけられ、抵抗はほとんど無駄だった。足がため池についたと思うと、僕はすぐに胸の辺りまで引き込まれてしまった。
彼らは鉛のように重く、僕は指先で池のふちに生えた雑草を掴んで、必死に池から這い上がろうとした。
「ねぇ、あそぼ?」
「一人はいやなんだ」
「ぼくを、仲間はずれにしないでよ」
怨念のこもっているような、凄まじい力だった。雑草を握る手を、僕は今にも放してしまいそうだった。
「誰か……ゴフッ、ガフゥ、誰……ガッ、助けてっ!!」
顔が水面に沈み始めた僕の叫びは、誰もいない深夜のラビットランドにむなしく響いた……はずだった。
「言ったでしょ、ユウは真面目すぎるのよ。いいえ、この場合は優し……単純すぎるとでも言った方がいいかもね」
不意に僕の耳に届いたのは、聞き覚えのある声だった。
見上げると、そこにはいつものように黒ずくめの格好をした『霊能さん』、キョウコさんの姿があった。
どういうわけか、今日は真っ赤な傘の代わりに手には金属バットを持っていた。
どうして彼女がここにいるのか、僕にそんなことを気にする余裕はなかった。
「た、助けて、こいつらを追い払ってください!」
僕は必死に池から口を出して叫ぶけど、キョウコさんは焦ることもなく、
「こいつらって、どこにいるの?」と聞いてきた。
ふざけている場合じゃないことくらい分からないのか。こんな状況にも関わらず、僕は真剣に怒った。
「どこって……ブフッ、僕の体に……フッ、たくさんまとわりついてるじゃないですか!」
僕は視線で、キョウコさんに霊たちの位置を示した。そうする他ないくらいに、僕の体は彼らにおさえつけられてしまっていた。
「ふぅん……」
僕の言葉を聞いているのかいないのか、キョウコさんはどこか納得するように一人で何度か頷いた。
そして全く焦ることもなく、キョウコさんは落ち着いた様子でぽつぽつと話しはじめた。
「私が持っているこの金属バットなんだけどね、どんな霊も鎮める力のある、それはそれは高名なお坊さんがホームランを打……じゃなくて祈りを込めたバットよ」
淡々と言うと、キョウコさんは月明かりに照らされたバットを、僕に向かって……振り下ろした。
「うわっ!」
バットは僕の額をかすめて、僕にしがみついていた男の子に当たった。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」
そんな声をあげながら、男の子はまるで蒸発するように消えていった。
ぶぅん。ぶぅん。ぶぅん。ぶぅぅぅん。
キョウコさんがバットを振るうたび、僕にしがみついていた子たちは呪いの叫びを残して消えていき、最後にはヨシヒコ君しか残らなかった。
ヨシヒコ君はしつこく僕の右腕を掴んでいたけど、僕はキョウコさんの手を借りて何とか池から這い上がることができた。
「そろそろ全員いなくなったかしら?」
キョウコさんがあっけらかんと言うので僕は不機嫌さを隠さずに、
「まだヨシヒコ君が、僕の腕を握ってるじゃないですか」と大きな声を出してしまった。
キョウコさんは大きなため息をひとつ落とすと、ヨシヒコ君がしがみついている腕とは逆の、僕の左腕を指差してこう言ったんだ。
「ユウ、そこには何もいないんだよ」
「え?」
キョウコさんが指差すほうと反対側に立っていたヨシヒコ君は、さっきまでの行動が嘘のように、ただ僕の隣に立ち尽くしていた。
「でも、彼は実際ここに……」
何が起きているのか分からず、困惑して言う僕に、キョウコさんは一枚の写真を差し出した。
「これは?」
その写真はラピッドランドで撮られたどこかの小学校の集合写真のようだった。僕の知った顔は一つもない。
「写真に一番左端に写ってるのが誰か分かる?」
知らない人だった。野球帽を目深にかぶった大人しそうな子だ。他の全員が笑顔なのに、彼だけはムッツリと堅い表情をしていた。
「……知らない人ですけど」
「彼が小山良彦君よ。ユウの想像と違って彼はまだ生きているわ。この写真も直接、彼のお母さんから預かってきたものよ」
「そんな、じゃあこの子は!?」
僕は自分の隣を指差した。けどそこには、何かがさっきまでそこにいた気配すら残ってはいなかった。
さっきまでそこにいたはずのヨシヒコ君――いや、名前も知らない少年は幻のように消えていたんだ。