遊園地の異(2)
日曜日の朝、僕はラビットランドへ向かって歩きながら、早くも来たことを後悔していた。
「あの病院見えるでしょ。あそこの前の院長って暴力団にバラバラにされて殺されたのよね。それからというもの、夜になると手術室から『繋げてくれ、繋げて……』って声がするんだって。今度夜中に忍び込んでみましょうよ。あっちの廃ホテルは、私も実際見たんだけど自殺した女性の霊が……」
こんな調子で、キョウコさんはさっきからずっと、僕に怖い話を聞かせては僕が怖がるのを見て喜んでいるのだった。
カズキは来ていない。
待ち合わせ場所に着くと、キョウコさんの携帯電話に急に「今日は行けない」と電話があったのだ。
なんでもソウタさんが虫歯で悶絶していて、それでも昼間は外に出たくないと言いはるのでホームセンターで道具を揃えて歯を抜いてあげるのだそうだ。
引きこもりの兄を持つと大変なんだな、僕はそう思ったものだ。
それよりも、今は僕とキョウコさんのことだった。
僕は『霊能さん』の機嫌を損ねないよう怯えながら、同時に緊張もしていた。
キョウコさんはあんな性格だし、今日も黒ずくめの変な格好だ。でも顔は結構可愛いいし、何より僕は女の子と二人で遊ぶのは初めてのことだったのだ。
「いい天気ですね」
僕は話を変えようとして言うけど、キョウコさんに変な顔をされた。
空を見ると曇っていた。そういえばキョウコさんは今日も例の赤い傘を持ってきていた。
僕は諦めて、ラビットランドに着くまで我慢してキョウコさんの怖い話を聞いたいた。ラビットランドに到着する頃には僕の背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。
僕らは入園すると、交代でミスターラビットと、そしてミセスラビットと写真を撮った。
先を歩くキョウコさんについて、ようやく異空間を探すのかと心の準備をしていると、キョウコさんはムッツリとした顔のままで長い行列に並んだ。
「ここ、ジェットコースターの行列なんですけど……」
「だから何?」
「だから何って……僕こういうの苦手で」
「こういうのは慣れよ。乗らないからいつまでも怖いままなのよ。心霊もジェットコースターも同じ」
何を言っても無駄な気がしたので、僕は諦めてキョウコさんの後ろに立った。
「分かりましたよ。でも異空間は探さなくていいんですか? ヨシヒコ君に何があったかも分からないのに」
「この遊園地に異空間はないわよ」
「へ?」あまりに驚いて、僕は素っ頓狂な声を出した。
「ラビットランドに霊はいないの。知ってるでしょ、私がそういうこと分かるの。だからってすぐ帰るのももったいないでしょう?」
「そりゃ、そうですけど……」
「ユウはマジメすぎるのよ」
かわいいけど、とてもわがままで……僕にお姉ちゃんはいたらひょっとするとこんな感じだったかもしれない。
結局、僕は我慢して何度も種類の違うジェットコースターに乗った。正直死ぬかと思った。
それから観覧車に乗って、ゴーカートに乗って、昼ご飯を食べて、最前列でパレードも見た。
一度も笑わないけど、よく見るとキョウコさんも楽しんでいるようだった。僕はひたすら緊張して、何をしゃべったかほとんどは覚えていなかった。
「ちょっと休憩しましょうか。トイレに行ってくるから待ってて」
周りの人が減り始めた頃、キョウコさんが言うので僕は頷いた。
ラビットランドの敷地内の一番外れ、アトラクションがなく、比較的人の少ない場所だった。
天気はなんとかもちそうだった。霊は出なかったけどキョウコさんの機嫌もいいみたいで、僕はホッとし、少しずつだけど緊張も解けはじめていた。
しばらくそこで待っていると、突然、
「……ぼ……」
本当に小さな、誰かの声のようなものが聞こえてきた。僕は辺りを見回すけど、僕の周りには誰もいなかった。
「……ぼ…よ」
まただ。同じくらい小さな声だったけど、今度はどっちから聞こえたかハッキリした。
トイレの横にはごみ箱と、ミスターラピッドの形に剪定された木が立っていて、その間を抜ければトイレの裏側に出る。
昼でも薄暗く、誰も見向きもしない場所から、その声は聞こえてきたみたいだった。
「誰か、いるの? キョウコさん?」
声をかけるけど反応はない。僕は急に寒気を感じてぶるっと体を震わせた。
ごみ箱と木立の間を抜けて、引き寄せられるようにその空間に出た。とっさに、見てはいけないものを見てしまった気がした。
ラビットランドの敷地には人工的に作られた川が流れていて、水を使ったアトラクションもいくつかあった。
そこは川の終着点だった。流れてきた川の水が同じく人工的に作られたため池に溜まり、そこから下水に流れていくようだ。
流れが悪くなっているのか、学校のプールほどもない小さな池に溜まった水は濁り、たくさんの落ち葉やゴミが浮いていた。
外面を整えるためにため池を模していても、そこは上手く客に隠された空間、大型遊園地のエアポケットのようだった。
僕が注意深く周りを見回していると、また、声が聞こえた。今度はハッキリと。
「ぼくと……あそぼ」
男の子の声……いや、女の子のものかもしれない。とにかく、僕と同い年くらいの子の声だった。
もう一度、注意深くその辺りを見渡すけど、やっぱり誰もいないみたいだった。じゃあ、声はどこから……?
「ねぇ……あそぼ…」
急に恐ろしさがこみ上げてきて、真冬のように膝が震えだした。ここから逃げなきゃ、そう思うけど足に力が入らなかった。
「あそんで…くれないの?」
僕の耳元でささやき声が聞こえ、あまりの恐怖に気を失いそうになった。
「だ、誰なのさ……!?」
さらに自分の後ろに誰かが立っている気配を感じ、じわじわっと僕の目に涙が浮かんだ。
やがてその誰かは、
「あんたこんな場所で何してるの?」と言った。キョウコさんの声だった。
「キョウコさん……」
僕はようやく自由になった足で振り向いて、今ここで起こったことを早口で説明した。
キョウコさんはしばらく濁ったため池に目を向けていたけど、くるりと僕を振り返ると、
「何度も言うけど、この遊園地に霊はいないわ。もちろんここにも。確かに気味の悪い場所ではあるけど」と言った。
「そんな……」
信じられなかった。今聞いた声が、ハッキリと耳に残っていたんだ。
「ゴミも落ちてるし、なんて汚いところかしら。スタッフに文句を言ってあげようかしら」
トイレとため池の間には二メートルくらいの幅があって、そこにはいくつかの未開封の駄菓子が落ちていた。
僕が妙に思ってそれを拾ったところで、
「早く来なさい。まだ乗ってないアトラクションがあるんだから」背中に声をかけられた。
「う、うん……」
僕がその空間から出ようとすると、また、背中からぼそぼそとした声が聞こえた気がした。
「あ……ん…で…」
僕は怖くなって、慌ててキョウコさんを追いかけると、キョウコさんの真っ黒な服を握った。
「伸びちゃうでしょ」
キョウコさんはすぐに僕の手を振り払ったけど、僕が青い顔でしばらく黙り込んでいたら手を取ってくれた。
それから僕らは何事もなかったみたいに、別のアトラクションに乗って遊んだ。
単純なもので、僕もそこで聞いた声のことは夕方にはすっかり忘れてしまっていた。
「一件落着ね、霊は出なかったけど今回は特別に許してあげるわ」
僕はそう言って去っていくキョウコさんの背中を見てホッとしながらも、得体の知れない不安をいつまでもぬぐい去れないでいた。