9
◆
太陽が高くなり、陽射しが強さを増す。初夏の田畑を撫でる風は、青々とした臭いをふんだんに孕んでおり、鼻腔いっぱいに広がる草の臭いは、森で感じたそれよりも乾いていて心地良い。
三人が風に吹かれてあぜ道を歩いていると、畑で作業をしている人々が見えた。
人々は額に汗を滲ませながらも、実に楽しそうな顔で働いていた。見回りや訓練が終わったのか、男たちの姿も見受けられる。サーシャは作業をしている人に逐一声をかけて回り、先の地震でケガをしていないか、ケガをした人はいないか訊ねて回った。
そのうち年配のご婦人たちに囲まれ、今度はサーシャが質問される側になった。ご婦人たちがちらちらとゲイルたちを盗み見るたびに、サーシャは真っ赤になって両手を振っていた。
「彼女は善い子ですね。ご近所の人気者といった感じでしょうか?」
「フン、ただのお調子者だろ。あの凶暴さは看板娘ってガラじゃねえぞ」
ゲイルはサーシャに蹴られた尻をさする。素人とは思えない綺麗なフォームで入った中段蹴りは、的確にゲイルの尾てい骨にヒットしていた。ダメージの軽減される尻肉を狙わないところに、天性の素質を感じる。
「それはゲイルが彼女の嫌がる事を言うからでしょう。身体的特徴を侮辱されれば、誰だって怒りますよ」
「けどよお……」
反論しようとしたゲイルに、誰かが「おい」と声をかけた。
声の主を見ると、グレンが数人の若い男たちを連れて前に立っていた。総数五人。その全員が手にそれぞれ武器を持っていた。どうやら見回りの帰りのようだ。
グレンは愛用の釘バットを肩に担ぎ、いかにも威嚇するような顔で立っている。その後ろに立つ他の連中は、サムの巨体見るのが初めてなのか、驚きを隠せていなかった。
「うちのじじいから話は聞いたぜ。あんたら、この村の用心棒になったんだって?」
「耳が早いな。ま、そういう事なんで、ガキは大人しく家の手伝いでもしてろ」
「何だとテメエ!」
「よせ。手を出すな」
ゲイルの挑発に腹を立てた若者を、グレンが片手を出して抑える。
「今日は挨拶だけだがいいか、よおく覚えておけ。この村は俺たちの村だ。俺たちが守る。よそ者のあんたらはすっこんでな」
行くぞ、と他の連中に声をかけ、グレンは踵を返した。他の若者たちは、大将があっさり引き上げた事に不満顔だったが、すぐに彼の後を追った。
「何だありゃ? チンピラと大差ないな」
「若さゆえでしょう。温かく見守ってあげましょう」
「俺はあいつらの保護者か? 冗談じゃない。ガキのお守りなんてまっぴらご免だ」
ゲイルが肩をすくめていると、グレンが引き返して来た。何となくばつが悪そうな顔をしている。
「どうした。道に迷ったのか?」
「ンなわけあるか! 言い忘れた事があったんだよ」
そう言うとグレンは、咳払いを一つ挟む。言い難そうに目をきょろきょろさせたり、口をむにむに動かしたりと明らかに挙動不審だ。
「おい、用があるならさっさと言えよ」
「うっせえ。えっと……お前、その……昨日はサーシャの家に泊まったんだよな……?」
「それがどうした?」
「お前……サーシャに何もしてねえだろうな?」
「……はあ?」
「サーシャに手ぇ出したら、ぶっ殺すからな」
恥ずかしさを堪え精一杯強がる姿に、ゲイルは思わず吹き出した。
「ぶわっはっはっは。お前、あいつの事が好きなのか?」
「わ、笑うな! それより、何もしてねえだろうな!」
「するか! あんな貧乳、俺の趣味じゃねえよ。それに俺たちは納屋に寝泊りしてるから、余計な心配すんな」
「そうか……。ならいいんだ」
「しかし、ぶふっ……お前がねえ。あいつを……」
全身の筋肉を隆起させて赤面しているグレンの姿に、ゲイルは再び笑いが込み上げる。
「あんな奴のどこがいいのか俺にはまったくもって解からないが、お前もいい趣味してるぜ」
「うるさい! とにかく話はそれだけだ。あと、この事はサーシャには絶対言うなよ」
「へえへえ。解かったから、とっとと帰って釘バットの手入れでもしてろ」
手をひらひらと振るゲイルに、グレンは何か言いたそうな素振りを見せるが、結局「チッ」と舌打ちを残して仲間の所に戻った。
「見てて微笑ましいほど青春してますね」
「だがあいつも苦労するぜ。なんたって惚れた相手があいつだからな」
「そうでしょうか? 彼女の器量なら彼を尻に敷いて上手く扱うでしょう」
「〝胸の薄い女は幸も薄い〟って言うだろ」
「……その妄言は誰が言ったんですか?」
「俺だっ」
ゲイルは得意げに親指で自分を指差す。サムが呆れるのを通り越してフリーズしていると、ようやくご婦人方から解放されたサーシャが戻ってきた。
「やれやれ……お待たせ。ねえ、グレンと何を話してたの?」
「いや、大した話じゃない。それよりぼちぼち帰ろうぜ」
「腹が減ったって言いたいんでしょ? もう、あんたってワンパターンなのよ」
「いいものはいつまでも変わらないんだよ」
「馬鹿は死ななきゃ治らない、とも言うわね」
ゲイルとサーシャが額を突きつけあって睨み合っていると、突然サムが二人の頭を抑え込んだ。
「皆さん、伏せてください!」
直後、轟音とともに大地が波打った。人々は、いとも簡単に地面に投げ出される。
地震はさっきとは比べ物にならないほど強く、長く続いた。その間人々は悲鳴や叫び声を上げながら、ただ地面にしがみつく事しかできなかった。