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 ぼんやりとした視界の先に、淡く光る天井が見える。天井全体が有機ELで光り、下着一枚のゲイルを照らしている。

 横たえた体は手足や胴体、首にいたるまで拘束されていた。頭もぼうっとして働かない。かろうじて動く目だけを使って、ゲイルは辺りを見回した。

 白い天井。白い壁。窓も扉も見えない、ただ白い部屋。そうだ、ここはキャサリンの研究室に似ている。彼女はステロタイプな人間で、研究室は白で統一しているのだ。

 しばらく体をよじったりしていると、首の拘束に少し余裕ができた。だが頭を少し持ち上げるだけで、拘束具が首を締める。苦労して首を巡らせると、やはりここが彼女の研究室だという事が判った。

 顎を精一杯上げて後ろを見ると、心電図や数台の医療機器が並んでいるのが見えた。心電図のモニター画面では、緑の線が波を描いている。他の機械から伸びたコードが、ゲイルの体のあちこちに繋がっていた。

 さらに首を巡らすと、自分の足の向こうに人影があった。いや、それは人ではなく、物言わぬ巨大な機械であった。

 人の体を模して作られた作業機械は、沈黙とともに起立している。電源が入っていないのか、それとも待機モードに入っているのか。ゲイルと同じように無数のコードに繋がれた巨人は、主が声をかけるのを待っている忠実な犬のように、ただじっとしていた。

 頭が痛い。頭の中に、ぽっかりと何かが欠けた空洞がある。欠けたものが何かは判らないが、確実に何かが欠けている事だけは実感できる。脳ミソがまるで、穴だらけのチーズのようだ。しかもその穴に、まったくそぐわない別の何かを挿入されている。繋がらない記憶。覚えのない知識。いったいいつ、どこで自分はこんな経験をしたのか。だが確かに情報として自分の脳にある。とんでもない違和感に気分が悪くなる。

 ゲイルが目を覚ますのを見計らったように、どかどかと大勢の人間が室内に入って来た。無いと思っていたが、どうやら扉は機械類の先にあったようだ。あっと言う間にゲイルは白衣を着た集団に囲まれた。

 声を上げようとするが、声が上手く出ない。掠れた声で誰だ何だと叫ぼうが、白衣を着た者たちは無言でモニターの数値を記録したり、操作盤コンソールをいじったりしている。

 また扉が開いて誰かが入ってくる。今度は白衣ではない。宇宙連邦治安維持局ピースメイカーの制服を着た男が部屋に入って来ると、白衣を着た連中に緊張が走った。

 白衣の一人が、制服の男に敬礼をする。白衣の男は、相手が明らかに自分より年下なのにも関わらず、恐縮した態度で接していた。

 「ダラズ係長、被験者が目を覚ましました」

 「異常は?」

 「ありません。肉体ボディは今のところ順調です。ただ……」

 「ただ、何だ?」

 「脳に若干の後遺症が残ります。具体的には、変則的な記憶の欠如や性格の変化が出る可能性が高いかと……」

 このまま作業を続けますかという問いに、ダラズはほんの僅かだけ考える姿勢を見せた。だがすぐに瑣末な問題だという結論に至る。

 「作業を続けろ。記憶の混乱フィードバックに注意し、脳神経シナプスを形成、接続。人格や精神に障害が起こったら直ちに対処。問題があるなら全て消去して、再インストールしてもいい。ボディは壊れても構わんが、データの保存を最優先しろ」

 「りょ、了解しました……」

 白衣の男はダラズに再び敬礼をすると、他の者たちに向けて指示を出す。部下たちは黙々と作業に取り掛かった。

 「さて……」

 ダラズが神経質そうに、片手の小指で眼鏡の位置を直す。ゲイルに近づきしげしげと彼の姿を眺めると、口の端を歪めてほくそ笑んだ。

 「いい格好だな、ゲイル。気分はどうだ?」

 ゲイルの気分は最悪に決まっている。だがそれ以前に、どうして自分が実験動物のような扱いを受けているのか見当がつかない。

 「恋人を利用して連邦学術院アカデミーからデータを盗み出し《ハッキング》、それを自分のものにするとは。なんて悪い奴なんだお前は」

 ダラズの言葉は、ゲイルをますます混乱させる。まったく身に覚えのない話に、頭が痛みを増した。

 連邦学術院は、この世のありとあらゆる技術や知識を研究するための機関である。宇宙の英知を集めたこの機関には、様々な研究者が集まる。ゲイルの恋人、キャサリンもその一人だ。

 そして連邦学術院には、もう一つの役割がある。それは、個人や組織で所有するには、あまりにも危険な技術や知識を封印する事だ。機関の機密には、惑星はおろか宇宙そのものを破壊しかねない危険な技術テクノロジーが数多く存在する。

 「俺が……キャサリンを利用しただと?」

 「そうだ。お前は研究員の彼女を使って、連邦学術院の機密を盗み出したんだ。これは極刑を免れない大罪だぞ」

 「そ、そんな……」

 自分が処刑される。しかもそれが身に覚えのない罪によって。あまりにも理不尽な現実に、ゲイルは目の前が真っ暗になる。ダラズはゲイルの絶望した表情に、満足げに笑った。

 「だが運が良かったな。お前も知っての通り、我々宇宙連邦治安維持局は、そういった技術や知識を持つ者を取り締まる機関だ。お前は今や、個人で持つにはあまりにも強大な力を有している。言い換えれば、お前はその辺の兵器よりも危険な存在なんだよ」

 「危険な存在……俺が?」

 「そうだ。お前の体には、連邦学術院に封印されていた数々の禁忌が詰め込まれている。よってお前の身柄は今後、我々に管理される事になる」

 殺されるよりはマシだろうと、ダラズは何の慰めにもならない事を言う。宇宙連邦治安維持局に管理されるという事は、人間としてではなく一つの兵器として管理されるのと同じだ。

 「俺が……兵器……」

 「そうだ。お前は我々が求めていた兵器だ。連邦学術院は、我々がいくら連邦宇宙軍ユニオンを牽制するために武力が必要だと要請しても、一度封印したテクノロジーは決して表に出さなかった。だが遂にその力を手にする事ができた。それがお前だ。お前は我々宇宙連邦治安維持局の――いや、私のものだ。私の手足となって働け」

 ぎりぎりとゲイルが歯を軋ませる。ダラズの自分勝手な物言いに、怒りが込み上げてくる。何が私のものだ。何が私の手足だ。自分は物でも兵器でもない。人間だ。

 「ああ、そうだ。一つ礼を言っておこう。お前を検挙する事で、私の手柄が一つ増える。これで昇進は間違いなしだ」

 歯茎から血を滲ませるほど強く噛み締め、獣のようにゲイルは唸る。これほどまでに侮辱されたのは生まれて初めてだ。だが獣の如く繋がれた体は、彼の怒りがダラズに及ぶのを妨害していた。何より、硬化テクタイトで作られた戒めは、人の力で破れるものではない。

 「どうした、悔しいのか? ならば一つ良いニュースをやろう。お前の恋人……キャサリンとか言ったか」

 恋人の名を聞き、ゲイルの目に理性が戻る。自分の事で失念していたが、ここは彼女の研究室なのだ。なのに姿が見えない事に、どうして気づかなかったのだろう。

 「彼女も本来は極刑だったのだが、お前に騙され利用されたという事で、情状酌量となった」

 「それじゃあ、彼女は……」

 助かるのか、という言葉は声にならなかった。彼女が極刑を免れたというだけで、ゲイルは安堵のあまり声を失っていた。

 「ただし、彼女は精神を電脳に移植後、我々が管理する。肉体は冷凍保存だ」

 ゲイルは息を飲む。それではただ殺されていないだけで、死んだも同然ではないか。

 「どうして……どうしてそんな事を……?」

 嗚咽のような問いかけに、男は冷ややかな声で答える。

 「人質だよ。お前を私に従わせるためのな」

 たったそれだけのために。たったそれだけのために彼女の肉体から魂を抜き取り、あまつさえ肉体を氷漬けにしたのか。

 「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 ゲイルは怒りで目の前が真っ赤に染まり、喉が裂けんばかりに叫ぶ。びりびりと壁を振動させる咆哮に、周りで作業をしていた白衣の男たちが動揺する。

 怒りに身を任せてゲイルは暴れる。枷が肉に食い込むのを無視し、我を忘れて暴れる。だが硬化テクタイト製の枷は、たとえ重機を使おうともびくともしない代物なのだ。

 が――。

 びし、とゲイルの両腕を拘束していた枷にヒビが入る。次に両足、腰、首の枷にも次々と亀裂が入った。

 「殺してやるっ!」

 呪詛のような気合とともに、遂にゲイルを繋いでいた枷が砕け散った。背筋の力だけで天井まで飛び上がったゲイルは、身を翻して両足で天井を蹴る。

 有機ELの天井に大穴が開く。天井を蹴った勢いで、ゲイルはダラズに向かって飛んだ。

 「死ねえっ!」

 必殺の念を込め、ゲイルは男に拳を振るう。硬化テクタイトをも引きちぎる筋力で振るわれた拳は、ダラズを原型留めぬ肉塊に変えようと襲いかかる。

 「ぐあ……っ!」

 突如、ゲイルの頭に激痛が走る。脳に直接溶けた鉄を流し込まれたような痛みにバランスを崩し、ダラズの側に転げ落ちた。

 「あ……頭が、割れる……」

 床で頭を抱えて悶絶するゲイルの顔を、ダラズが踏みつける。

 「阿呆かお前は? 銃にだって安全装置があるだろ。お前のような凶悪なケダモノを、何の躾もせずに野放しにするとでも思ったか?」

 ダラズは何度も足を捻り、ゲイルの顔を靴底で踏みにじる。

 「お前がおいたをしないように、頭の中を少々いじらせてもらった。宇宙連邦治安維持局――いや、この私に邪な考えを抱くだけで、脳に激痛が走るようにな」

 顔を踏む男の足よりも、脳を直接襲う激痛にゲイルは悶える。いかに強靭な肉体であろうと、脳を焼き焦がす内部からの苦痛には抗いようがない。

 「あの女を生かすも殺すも、すべて私の気分一つだ。恋人が大事なら、大人しく私に従い手足となれ。そしてもっと私を出世させろ」

 痛みが増し、気が遠くなる。薄れゆく意識の中で、ゲイルは恋人の名を呟く。だがその声は、ダラズの笑い声によってかき消された。

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