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太陽が山の陰に隠れようとする頃、ようやくゲイルたちはサーシャの村に到着した。
村は太い丸太で作った柵で囲われ、門の内側の両脇には見張り櫓が一棟建てられていた。
門には村の若い男が二人立っており、それぞれの手に武器を握り締めている。農具を改造したようなそれは、あまりに貧弱で頼りなく、ほとんど気休めといった感が拭えなかった。
門の前に立っていた大柄な青年がサーシャの姿を認めると、笑顔で手を振ってきた。だがすぐに、彼女の後ろを歩いているゲイルとサムに気づいて表情を引き締める。
青年はサーシャに駆け寄ると、まるで悪党から助け出すように手を引いてゲイルたちから離した。
「ちょっとグレン、何するのよ。痛いじゃない」
「それよりどこに行ってたんだ? あまり心配させるなよ」
「別にあんたに心配して欲しくないわよ。ちょっとおじいちゃんのために、森に薬草を採りに行ってただけ」
「森ってお前、あの森は怪物が出るから危ないって散々言われてるだろ」
「だって、おじいちゃんの病気に効く薬草は、あの森にしか生えてないんだもの……」
叱られてしゅんとするサーシャ。グレンと呼ばれた男は、仕方ないなという顔をする。
「で、誰なんだあいつら?」
明らかに警戒した顔で、グレンはゲイルとサムを見やる。一歩前に出、サーシャを自分の後ろに隠すと同時に、手に持った武器を構えた。
「何モンだ、てめえら?」
グレンの持つ棍棒には、あちこちでたらめに釘が打ち込まれている。こんな物、怪物相手にどこまで通用するかはわからないが、少なくとも普通の人間に対しては充分な凶器だ。それを筋骨隆々のグレンが持つと、それだけで威圧感は抜群だった。
だがゲイルは釘バットを構えて啖呵を切っているグレンの姿を見ても、恐怖を感じているように見えない。それどころか薄ら笑いすら浮かべていた。その余裕がグレンの神経を逆なでする。
「なに笑ってんだよ。殺すぞ?」
「いやなに、子供がおもちゃで遊んでる姿が微笑ましくてつい」
「テメふざけてんのか? いっぺん死んどくかコラ」
「できもしない事を言うなって、ママに教わらなかったか?」
「野郎……」
一触即発の空気が漂う中へ、サーシャが割って入った。グレンの袖を引っ張ると、耳打ちをする。
「ちょっとお、あたしの命の恩人に喧嘩吹っかけないでよね」
「なに……」とグレンの顔に動揺が走る。
「あたしが森で怪物に襲われた時、彼らが助けてくれたの。だから警戒しないで。そりゃ見た目はメチャクチャ怪しいけど、悪人じゃないわ」
グレンは乱暴に腕を引いて、服の袖を持つサーシャの手を払う。「チッ」と舌打ちを残すと、面白くなさそうに地面に唾を吐いて去って行った。
「何だあいつは? お前のコレか?」
サーシャに向けて、親指を立てるゲイル。
「やめてよ、ただの幼馴染。あいつはグレン。村長の孫で、この村の自警団のリーダーなの」
「ガキ大将がそのまんま大きくなりました、って感じだな」
そうね、とサーシャはくすくす笑った。
「さ、それより家に行きましょ。お腹が空いてるんでしょ?」
「おう、そうだ。すっかり忘れてた」
「なにそれ? あんたって本当に変な人ね」
「そうか? 初めて言われたぜ。それよりさあ――」
「なに?」
「俺、ハラ減って死にそうなんだけど」
「やっぱあんた馬鹿だわ……」
がっくりと肩を落としつつ、サーシャはゲイルたちを伴って家路についた。
がつがつぼりぼりはぐはぐばりがりぱりんぽりんぺきっもきっ。
平凡な食卓に、似つかわしくない異音が流れる。ゲイルが食事をしている音だ。両手にものを掴み、それを交互に同時に口に入れる。飢えた獣よりも貪欲に、噛むのも煩わしく飲み込む。一緒に食事をしているサーシャたちは、卓上に空になった皿が次々と積み上げられていくのを呆然と眺めていた。
「見てて気持ちいいくらいの食べっぷりね。まだ足りないでしょ? もっと作ってくるわ」
「あ、あたしも手伝うわ、母さん……」
サーシャの母――リネアが立ち上がると、娘がそれに続いて台所に向かう。こうしている間にも、皿が次々と空になっていく。ゲイルの食欲はとどまるところを知らず、放っておけば朝まで食べ続けるのではないかと思われた。
「ときにお若いの……ゲイルさんと仰ったかな? サーシャを助けてくれたそうで、何とお礼を言ったらよいか」
上座に座っている老人――ゴードがゲイルに深々と頭を下げる。すっかり白くなった頭髪が、ぱさりと卓に垂れた。
「ふぁ? 何か言ったか、じいさん?」
「いやいや。それより、鳥の骨は残したほうが良いと思うんじゃが」
「そうなのか?」
そう言いながら、ゲイルは鳥の腿肉を骨ごとばりばり食べる。野生の熊のような豪快な食べっぷりを、ゴードは目を細めて楽しそうに見ていた。
「ところでじいさん、あんた医者なんだって? 医者が病気になってりゃ世話ねえぜ」
「お恥ずかしいお話です。しかしこの年になると、体のあちこちにガタがきて難儀しますなあ」
「年寄りなんだから、あんま無理すんなよ」
「それはどうもご親切に。ですが、わしは幸せ者です。こんな老いぼれのために、危険を冒して薬草を採りに行ってくれる孫がおるのだから」
ふ~ん、とゲイルは気のない返事をして、皿に残った最後の腿肉を頬張る。骨を噛み砕く音が、室内に響いた。
「こうして見ると、本当にただの置物みたいね」
家の前で直立したまま微動だにしないサムを見て、サーシャは独り言のように呟いた。
暗くなった外に、ぽつんと立つ巨大な鎧がひとつ。水晶のような瞳は、まっすぐ何かを見つめているようで、そのくせ何も映していないようにも見える。本当に置物か彫像のようだ。知らない人が見たら、魔除けか何かと思うに違いない。こんなちっぽけな家の前に立たせるよりは、村の入り口に立たせたほうがきっと似合うだろうし、ご利益もありそうだ。
「何か用ですか、サーシャ?」
金属を軋ませ、サムが振り向く。
「サム、本当に中に入らないの?」
「いえ、ここで結構です。私の体重では家の床が抜けてしまいますので」
「そう……。じゃあこれ、あなたの分」
そう言ってサーシャは、手に持っていた盆をサムに差し出す。盆の上には、大きな椀に盛られたシチューとパン、そして焼かれた肉の塊が乗っていた。
「足りなかったら遠慮なく言ってね。じゃんじゃん作るから」
「すみませんサーシャ」
サムが謝罪をすると、サーシャは慌てて首を横に振った。
「あ、いいのよ。別に文句を言ってるわけじゃないんだから。うちは女二人におじいちゃんだけでしょ? 大量の食事を作る事なんて滅多にないから、お母さん張り切っちゃって」
「いえ、そうではありません」
「え? どういう事?」
「私には食事が必要ないのです。ですからこれはゲイルに与えてください」
「食欲が無いってこと?」
「簡単に言えば、そういう事です」
「意外と小食なんだ。よくそこまで大きくなれたわね」
「私は生まれた時からこういう体なんですよ」
サムのまったく冗談っけのない声に、サーシャは吹き出した。盆が揺れ、椀のシチューが波打つ。
「ゲイルもそうだけど、あなたも変わった人ね」
「初めて言われましたよ」
「ふふっ、同じこと言ってる」
「相棒ですから」
「あんなのが相棒じゃ、あなたも苦労が絶えないわね」
「慣れていますので。けれどサーシャ、ゲイルを悪く思わないでください。彼は、その――」
言いよどむサムに、サーシャはどうしたのと訊ねる。
「彼が人や自分の言った事を忘れてしまうのは、理由があるのです」
「知ってるわ。馬鹿だからでしょ?」
「いえ、そういう意味では……」
「冗談よ。たしかにあいつは馬鹿で下品で子供みたいな奴だけど、あたしはああいう馬鹿って嫌いじゃないわ」
一人で納得してにこりと微笑むサーシャ。
そうですか、とサムは納得したのか説明するのを諦めたのか判らないが、そのまま黙ってしまった。
家の中から、サーシャを呼ぶリネアの声がした。料理の追加ができたのだが、盛り付ける皿が足りないから洗ってくれと頼んでいる。
「あたし行かなくっちゃ。本当に食べなくて平気?」
「問題ありません」
「そう……。じゃあ食欲が出たらいつでも言って。もっとも、材料が残ってたらの話だけど」
おどけたように笑うサーシャに、サムはお気遣いどうもと応えた。
「あ、それとね、サム」
「何でしょう?」
「まだ……お礼言ってなかったわよね。助けてくれて、ありがとう」
今さらという感が否めず、サーシャは少し恥ずかしくなる。けれど怪物に襲われたりゲイルとサムのような奇天烈な人物と出会ったせいで、そこまで頭が回らなかったのだ。
「貴方を助けたのはゲイルです。お礼なら彼に言ってあげてください」
「そう……。でも一応ね」
「そうですか。では一応、どういたしましてと言っておきましょう」
サムの律儀な返答が、妙におかしかった。これでよくあんなちゃらんぽらんな男と一緒にいられるものだと思う。
それじゃ、とサーシャが家に戻ろうとした時、家々の明かりに混じって小さな灯りがゆらゆらと動いているのが見えた。灯りはゆっくりとこちらに近づき、やがてそれは誰かが手に持った松明だと判る。
松明はひょこひょこと波打つように上下に揺れ、サーシャの家から漏れる明かりに照らされると、一人の杖をついた老人の姿が現れた。
「こんばんは、村長さん」
「はいこんばんは、サーシャ」
サーシャが挨拶をすると、老人はにっこりと笑った。深い皺がびっしりと刻まれた皮膚が、剥がれ落ちてしまいそうな笑みだ。頭は禿げ上がっているが、代わりに白い髭が豊かに生えており、背筋は曲がっているが杖を持つ手はしっかりとしている。
「村長さん、また腰が痛くなったの? お薬はまだ残ってると思ったけど――」
「違うんだサーシャ。今日は患者ではなく、村長として来たんだよ」
サーシャはちらりとサムのほうを見たが、サムの目は松明の光を反射させているだけだった。