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ジークレイはまるで悟りを開いた僧侶のように、澄み切った眼でサムを見る。だがその視線はサムの中のゲイルを直接射抜いているようだ。厚い装甲を通り越して突き刺さる視線に、ゲイルは思わず喉を鳴らす。
「貴様はそれでいいのか?」
「どういう意味だよ?」
「連邦学術院が宇宙連邦治安維持局を使って危険な科学技術を集めているのも、口では宇宙の安全と平和のためとかぬかしておるが、どこまで本当なのか怪しいものだ。いや、本当はただ研究したいだけなのかもしれん。そして他の誰にも使われたくないから隠しているだけなのだろう。案外貴様ら自身も、その薄汚い思惑のためだけに作られたのかもなしれんな。そんな奴らの狗となって働いて、お前はそれでいいのかと訊いている」
一つの疑問は晴れた。だがジークレイの中に、また新たな疑問が生まれていた。その気になれば今すぐにでも宇宙連邦治安維持局どころか連邦宇宙軍ですら蹴散らせる力を持ちながら、諾々と彼らの言いなりになってこき使われているゲイルとサム。彼らにはどういう意図があって、今こうして自分の前に立ちはだかっているのだろう。恐らく何らかの制約を受けているのは間違いない。だとしても、何か目的があって、あえて従っているふりをしているのではないだろうか。
ジークレイの目には、ゲイルとサムがただ鎖で繋がれているだけの狗には到底見えなかった。絶対に何か、それもただ事ならぬ事情があって、二人が宇宙連邦治安維持局特務捜査官として働いているのだという確信があった。機械人形の中にいるゲイルの表情は見えないが、それでもジークレイの学者としての嗅覚は、沈黙の中に窺えるわずかな葛藤や苦悩を逃さず嗅ぎ取っている。
「フ……」とサムの中でゲイルが小さく笑う。ともすれば噴き出すバーニアの炎の音に消されそうな、小さな笑声。だが惑星エネルギーによって増幅されたジークレイの五感はその息遣いまではっきりと聞き取っていた。やはり何かある――それを知りたいと重すぎて動かない身を乗り出そうとした時。
「んなこたぁとっくの昔に知ってるよ」
「な……」
ゲイルはすでに気づいていたのだ。自分たちが宇宙連邦治安維持局――ひいてはダラズの仕組んだ策略によってこの数奇な運命に巻き込まれた事を。だがそれでも、それを知ってなお二人は運命に身を委ねているというのか。
「そんな事はどうでもいい。俺たちは目的のために、あえて従っているふりをしているだけだ。連邦学術院や宇宙連邦治安維持局の思惑なんて、知ったこっちゃねえぜ」
「その目的とは何だ? 自分たちの肉体と精神をいいようにいじくられ、それすらどうでもいいという理由とは何ぞ?」
「お前が知る必要はない」
「ぐお……」
最も知りたかった質問を軽く一蹴されて呻くジークレイ。肉の塊のような体になっても、知的好奇心は未だ旺盛のようだ。
「それに危険な科学技術や科学者を狩るこの仕事も、俺たちにとっちゃ好都合なんだよ。何しろその技術を奪い、作った奴を消していけば、いずれ俺たちの敵になるものはなくなるからな」
「そ、それでは貴様らっ――!」
「お前の作った内燃機関はすでに俺の中にある。つまり、お前はもう用済みって事だ」
「なにぃ……」
サムは二本指を額に当てて軽く前に振ると、これ以上もう話す事はないとばかりにバーニアを噴かしてジークレイに突撃した。
有無を言わさぬフル加速で、狙うはもちろん剥き出しのジークレイの顔面。言うまでもなく短期決戦。一撃必殺を狙ってサムは飛ぶ。
「小癪な真似を。だがこれならどうかな?」
弱点を曝け出しているのは自覚していたのか、ジークレイはすかさず顔面を肉塊の中に埋没させた。あと少しというところで的が引っ込み、ゲイルたちは肩透かしを食らってそのまま一度通り過ぎる。
「クソ、やっぱり気づいていやがったか」
「気づかないほうがどうかしていますよ」
舌打ちとともに、虚空へと向けて伸びるパイプを大きく旋回する。再びジークレイに向かおうとするゲイルたちに、反撃とばかりの触手の槍が無数に伸びてきた。だが無重力の中を自由に飛び回るゲイルたちにとって、触手はもう脅威でも何でもない。向かい来る触手たちはことごとくサムの超振動ブレードでなます斬りにされていった。
「なら無理矢理引きずり出します!」
「頭を潰せば、俺たちの勝ちだ!」
サムは両腕を上に突き出し、二本のブレードを平行に構える。万歳をした状態のまま体を回転させ、一本のドリルとなってジークレイに体当たりを仕掛けた。
ブレードの先端が肉塊の表面に触れる。その先にはさっき沈んでいったジークレイの顔面――恐らく弱点があるはずだ。
だがブレードの刃は壮絶な火花を上げるだけで、一ミリも突き刺さりはしない。サムはさらに回転を上げるが、金属をひっかく音と火花が激しくなるだけで効果はまったく無い。
先に白旗を上げたのは、サムのブレードのほうだった。秒間一万回の振動に耐える超鋼の刃が、きんと高い音を立てて折れた。
「何と……これは……」
ブレードを失い、行き場のない振動がサムの体を弾き飛ばす。すぐさまブレードの振動をカットし、バーニアで姿勢制御を行う。折れたブレードの刃は、まだその身に超振動をまとったまま飛んで行き、室内の壁に易々と突き刺さった勢いのまま飲み込まれていった。
「見た目はぶよぶよのくせに、やたら硬いじゃねえか」
「どうやら刃の当たる部分だけ組織の構成を変えたようですね。あれだけの図体で、意外と器用な事をします」
「何にせよ、これじゃあ奴の体内に入って顔面をぶん殴れねえぞ」
困りましたねえ、とサムが他人事のように呟く。いくら殴ってもすぐに再生し、中身を攻撃しようにも斬ろうが突こうが硬くてびくともしない。救いなのはジークレイの触手攻撃もこちらに通用しないのだが、そうなるともう睨み合いしかできない。だがこうしている間にも、ジークレイは景気良く星からエネルギーを吸い上げており、このままだと本当に星が涸れ果ててしまう。そうなると時間に追われている分、ゲイルたちのほうが不利だ。
「サム、ちょいと提案があるんだが」
「こんな時に何ですか……?」
緊張感のない声でゲイルが提案という言葉を使うと、否応無く不安がよぎる。今度は何をどこに投げるのか、という先読みまでしてしまうサムであった。
「内燃氣環のエネルギーでお前の表面にシールドを張って、奴の内部に突入できないか?」
予想に反してまともな提案である。しかし悲しいかなそのアイデアはすでにサムが心中で没を出したものだった。
無尽蔵に湧き出る内燃氣環のエネルギーを流用して、サムの表面にシールドを張ることはできる。そうすればあらゆる物を溶解し、自身のエネルギーに変えてしまうジークレイの体内に突入しても何とか耐えられるだろう。
けれどそれは、自らの手でジークレイに内燃氣環のエネルギーを提供している事と同じなのだ。貪欲にエネルギーを吸収する肉の塊に、さらに高出力かつ大量のエネルギーを供給したら、ジークレイの体がどういう変化をするか予想もつかない。
「それは…………」
見す見す敵に塩を送り、しかも結果が予測不能な作戦は、さすがにサムもおいそれと了承する事はできなかった。
「できるのかできないのかはっきりしろ!」
「う……」
ゲイルに詰問され、サムは呻く。
「シールドを張る事は可能です。ですがあまりにも不確定要素が多く危険です。とても推奨できるものではありません」
「あいつにこれ以上エサをやるのは危険だって事は解かってる。だがここで手をこまねいているだけじゃ、事態は何も変わらねえ。むしろ時間が経つほど悪くなる一方だ。それともお前には他に何か名案があるのか?」
「……………………」
「一か八か賭けてみようじゃねえか」
「賭けるにしても、何か勝算があるのですか?」
「勝算? んなものあるか。だいたい博打ってのは一か八か、のるかそるかだから面白いんじゃねえか」
この期に及んでまだ状況を楽しんでいる相棒に、サムはもう溜め息も出ない。これも精神を高揚させ、内燃氣環を効率よく稼動させる機能の副作用だろうか。
いや、いつだってゲイルの調子はこんなものだ。無駄にテンションが高く、無謀な賭けに進んでのりたがる根っからの熱血馬鹿。いくら宇宙連邦治安維持局やダラズに肉体や精神をいじられようと、彼の魂に刻まれたリズムは決して変わらない。人の手などで、魂までは変えられないのだ。
そしてその魂は、半分といえど確実にサムの中で息づいている。つまりは同じ人間。ゲイルはサムであり、サムはゲイルだ。同じ人間が同じ状況に身を置いたなら、とる行動はやはり同じ。ならばこの状況でゲイルが賭けにのるのなら、サムがのらないはずがない。
「たしかに、分が悪い賭けほど面白いものはありませんよね」
「だろ? お前もそう思うよな」
ゲイルが笑う気配がする。いたずら小僧のような貌をしているのは、見なくてもわかる。何故ならサムにも表情があるのなら、ゲイルと同じ貌をしているからだ。