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 「う、ん……」

 サーシャは小さく呻くと、ゆっくりと目を開けた。

 木の枝が風にそよぎ、木漏れ日が顔に注ぐ。太陽の光が目に入り、思わずぎゅっと目をつむる。

 自分はどうしてこんなところに寝ていたのだろう。目を閉じたまま、事の顛末を思い返してみる。背中に感じる草の感触が、妙に心地良かった。

 こうして草むらに寝転んでいると、木陰で昼寝をしていただけのように思える。時折吹く風が肌を優しく撫で、赤い前髪を揺らした。昼寝にはもってこいの日だったが、果たしてそのために自分は森にまでやって来たのだろうか。

 まどろみの中で混乱した頭を整理していると、木々のざわめきに混じって聞き慣れない声が聞こえてきた。

 「それより腹が減ったな。何か食い物持ってないか?」

 「もう全部食べたのですか?」

 「育ち盛りだからな。あれっぽっちじゃ足りねえよ」

 「これ以上育つわけないでしょう……。食料といいさっきの戦闘といい、少しは計画性というものを身につけてくださいよ」

 「ったく口うるせえな。お前は俺の女房か?」

 「そういう問題ではありません」

 「あれ? この会話、前にしたっけ?」

 「気のせいですよ。それより、その手に持っているものは?」

 「これか? さっきそこで拾った」

 「それはあの少女の所持品でしょ。勝手に触ると怒られますよ?」

 「バスケットと言えば、中身は食い物に決まってる。助けてやった謝礼代わりに、ちょっとくらいつまんでも罰は当たらないだろ」

 バスケットという単語を聞いて、サーシャの目が大きく開かれる。そういえば、自分はバスケットを持っていたはずだ。そしてあれには、大事なものが入っているのだ。

 慌てて起き上がる。声のした方向へ顔を向けると、奇妙な二人組みが座り込み、バスケットの中を覗き込んでいた。

 「なんだこりゃ。草しか入ってねえぞ……」

 「あてが外れて残念でしたね」

 「まあ意外と美味いのかもしれないし、とりあえず食ってみるか」

 「そこで躊躇なく食べる、という選択肢を選ぶ神経は尊敬に値しますよ」

 「あまり褒めるなよ。照れるぜ」

 「褒めてませんよ。せめて火を通して食べないと、消化に悪いですよ」

 「サラダだって生で食うだろ。それに火なんか通したらビタミンが破壊されちまう」

 サーシャが愕然としている間に、男がバスケットの中から草をひと束掴み、ゆっくりと口に運ぼうとした。サーシャは慌てて駆け出す。

 「だ、ダメ。待って!」

 「おや、気がついたようですね」

 「なんか凄い形相でこっちに走ってくるぞ?」

 必死で走るサーシャに向けて、男が笑顔で手を振る。その手には、彼女が命がけで森に採りに来た薬草が握られていた。

 「おい貧乳、これ食っていいか?」

 「誰が貧乳よっ!」

 「がっ……!」

 見ず知らずの男に自分が最も気にしている事を言われ、反射的に体が動いた。座り込んでいる男の顔に、サーシャの低い飛び蹴りが炸裂する。男は見事な後ろ回りで地面を転がって行き、木にぶち当たってようやく止まった。

 「あ……」と大きな鎧を着たもう一人が、木の根元でひっくり返っている男を見て呆然とする。

 サーシャは落ちたバスケットを拾い上げると、散らばった薬草をせっせと中に詰め込んだ。

 「あの、お嬢さん……?」

 「何よ、何か文句ある?」

 背後から恐る恐る声をかける鎧を、サーシャはぎろりと睨む。普段なら、自分の倍くらいある身の丈の鎧男に向かってこんな啖呵は切らないのだが、先の一言で完全にスイッチが入ってしまい恐怖も何も感じなかった。それ以前に、こんな巨大な鎧を着た大男が存在するわけがないという疑問すら湧かなかった。

 「いえいえ滅相もない。それよりも、相棒の失礼をお詫びします。あれは昔から粗忽な男で、私も普段から手を焼いて困っていたのです。今回の事は、彼にとって良い教訓になるでしょう」

 そう言うと大鎧は、よくやったとばかりに親指を立てる。見た目を裏切る紳士的な態度に、サーシャはすっかり毒気を抜かれてしまい、煮えたぎった頭がすうっと冷めていく。

 「そ、そう……、それならいいわ……」

 冷静になってみれば、恐らく彼らが蟻頭から自分を助けてくれたのだろう。命の恩人に蹴りを入れてしまったと今さらながら気づいても、済んでしまった事はどうしようもない。サーシャは謝るのと礼を言うタイミングを一度に失ってしまった。

 「時にお嬢さん――」

 「サーシャ」

 「え?」

 「あたしの名前。サーシャでいいわ」

 「了解しました、サーシャ。私の事はサムとお呼びください」

 それと――とサムは木の下でまだ伸びている男を見て、

 「あちらの不躾で無作法で無礼な男がゲイル。私の相棒です」

 と紹介した。

                 ◆

 なだらかな平地を、サーシャはゲイルとサムを連れて西に歩いていた。彼女の案内で森を北に抜け、街道まで出てきたのである。

 ちらりとサーシャは後ろを盗み見る。背後では、ゲイルが不貞腐れたように手を頭の後ろで組んでぶつくさと歩いている。蟻頭にぺしゃんこにされたように見えたが、ぴんぴんしている。きっとあれは自分の見間違いだったのだろうと、サーシャは納得しておいた。

 ゲイルは見れば見るほど奇妙な男だった。薄い茶色の髪はぼさぼさで、目つきがやたら悪い。歳は自分よりも少し上だろうか。体格は細身だが痩せっぽちではなく、筋肉質で締まった印象を与える。

 何より目を引くのはその服装だった。体にぴったりとした、首から下は爪先から手の指まで繋がった服。ゲイルの体に合わせてあつらえて、動きやすさだけを追求したようなデザインだ。だがその素材が何なのかは、見ただけではまったく判らない。もしかしたら町ではこういう服が流行っているのかもしれないが、サーシャの趣味ではなかった。

 ゲイルの服にはあちこちに焼け焦げたような跡があり、火事場泥棒をしてきた直後の盗賊をイメージさせる。恐らく十人がゲイルを見たら、八人は自分と同じ感想を持つだろう。

 最後尾を黙々と歩くサムも、奇妙という点ではゲイルを上回っていた。

 まず何より大きい。村で一番大きな男でさえ、彼に比べたら大人と子供だ。ゲイルだって小柄ではないが、サムの中にすっぽり納まってもまだ余裕があるだろう。いったい鎧の中にどんな人が入っているのか気になるところだが、見ないほうが良いという気がしないでもない。

 鎧のデザインも奇抜だった。田舎育ちなのでこれまで数えるほどしか見た事ないが、城の兵隊や騎士のものとはまるで違う。だが彼の物腰や口調は、ゲイルと違って上品だ。もしかしたらどこか名家の騎士なのだろうか。それにどちらかと言うと、サムの鎧は戦うための実用品ではなく、装飾や儀礼用のものに見える。だとしたら、サムが主人でゲイルが従者だろうとサーシャは勝手に設定を決めた。

 だが冷静になって二人を観察すると、なんと胡散臭い連中だろう。命を助けてもらった負い目からつい家に招待してしまったが、早まった事をしたのかもしれない。そうサーシャは後悔したが、もう後には引けなかった。

 「おい、まだ着かないのかよ?」

 後ろからゲイルが訊ねてくる。少し歩くたびに同じ質問をするので、サーシャは小さな子供の母親になったような気分だった。

 「うるさいわね、もうちょっとだから黙って歩きなさいよ」

 「さっきからそればっかじゃねえか。俺、ハラ減って死にそうなんだけど」

 「お腹が空いたくらいで死にはしないわよ」

 「いや死ぬよ。餓死だよ餓死」

 「ああもう、男のくせにグダグダ文句ばかり。少しはサムを見習いなさいよ!」

 「俺はあいつと違ってデリケートなの。歩けば疲れるし、動けば腹が減るんだよ」

 何を当たり前の事を言っているのだろう、とサーシャは思った。軽装のゲイルがそんなに疲れているなら、サムはどうなる。あんなに大きくて重そうな鎧を着ているのだから、疲労はゲイルとは比べ物にならないはずだ。それでもサムは文句一つ言わない。ゲイルはサムを少しは見習うべきだ。特に彼の紳士的な態度を。

 「ほら、あそこに火山が見えるでしょ。あの山の近くだから、もう少し辛抱して歩きなさい」

 サーシャが南を指差すと、山頂から黒い煙をくゆらせている火山があった。山の周辺だけ煙の影響なのか、暗雲が立ち込めてやけに暗い。麓は荒れ地と化しており、目に見えるのは岩と赤茶けた土ばかり。山へ続く道も荒涼として、近づくにつれて草木がまばらになって殺伐としていく。ついさっきまで生命力溢れる森を歩いていただけに、あまりの殺風景さに薄ら寒くなってくる。

 「ではあの火山を越えて行くのですか?」

 「次は山越えかよ……」

 「ううん、あの山には近づいちゃいけないの。だから遠回りだけど、迂回して村に向かうわ」

 「近づいてはいけないとは、どういう事ですか?」

 「あの山はね、この辺りの守り神なの。神様が住んでる神聖な山だから、誰も近づいちゃいけないってずっと言われてたわ。もっとも、火山だったのは大昔の話だったみたいだけどね」

 「しかし、今あの山は火山活動をしているように見えますが」

 「十年前、あたしがまだ小さかった頃、急に活動を再開したの。噴火こそしなかったけど、大きな地震があってみんなが大騒ぎしてたのを覚えてるわ。神様の怒りだとか祟りだとか言ってね」

 「神様ねえ……。胡散臭い話だ」

 「けど、あの地震があってからなの。麓や森に怪物が出没しだしたのが。だからますます誰も近寄らないようになったわ」

 「怪物はあの一匹だけではないのですか?」

 「あんなに大きいのは珍しいけど、うじゃうじゃ居るわよ」

 「危険な土地ですね。軍隊などが討伐してくれないのですか?」

 ゲイルの言葉に、サーシャの表情が曇る。辛い過去を思い出して、唇をきゅっと噛んだ。

 「何度も軍隊が出陣したわ。けど相手が悪すぎ。全部こてんぱんにやられて逃げ帰ったわ」

 「そりゃここの軍隊ごときじゃ、あの化け物に手も足もでねえだろうよ」

 ゲイルがからから笑っていると、サーシャは「その中にあたしの父さんも居たの」と、は小さな声で言った。その途端ゲイルの笑いが止まる。

 「す、すまん……」

 「いいのよ、本当の事だし。けど偉い人は名誉とか誇りだとかのほうが大事で、あたしたち平民の命なんて何とも思ってないんだわ。あんな怪物に勝てるわけないのにね」

 俯くサーシャに、ゲイルとサムは言葉を失う。かける言葉が見つからないという感じだ。サーシャも何も言って欲しくなかった。気休めや慰めをかけられたところで、彼女の父が帰って来るわけではないのだから。

 「あたしの村は森にも山にも近いから、よく怪物の討伐に巻き込まれたわ。男の人は連れて行かれて、女の人は無理矢理働かされた。けど王様ももう懲りたみたいね。もう随分前から兵隊も徴兵も来なくなったわ」

 「恐らく、国がそれだけ疲弊しているのでしょう」

 「フン。馬鹿が政治をやると、ろくな事になりゃしねえ。だが政治をやってる奴に限って馬鹿だから始末に負えねえな」

 そうね、とサーシャは小さく微笑んだ。だがその笑みは諦めと悲しみを含んでいて、どこか寂しそうだった。

 「ところでよお――」

 「なあに?」

 「俺、ハラ減って死にそうなんだけど、その草食っていいか?」

 「だ~か~ら、これは大事な薬草なの。村に帰ったらご馳走してあげるって、さっき言ったじゃない!」

 「そうだっけ?」

 「馬鹿じゃないの? あんた馬鹿じゃないの?」

 「お前、二回言ったな。この貧乳貧乳貧乳!」

 「バーカバーカバーカバーカ!」

 子供のように口ゲンカする二人を、サムは黙って見守る。つと顔を上げると、火山が目に入った。黒い雲がかかった火山は、静かに火口から煙を昇らせ、そこには神よりも悪魔が住んでいるように見えた。

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