22
あれから二日。サーシャはリネアとゴードに何も話せないまま、時間だけが過ぎてしまっていた。
村人たちを納得させた時のように、家族にも同じ事が言えると思っていた。だがいざ話そうとすると、サーシャの心に言いようのない違和感がよぎる。何かが引っかかり、二人に自分がゲイルとサムに同行すると言えなかった。
一緒に行く事を後悔などしていない。ゲイルとサムを信用しているし、二人に同行する事に迷いはない。むしろ自分にしかできない、自分がやらなければならない事だと自負している。
だが心のどこかで自分に嘘をついていると感じたから、家族に話す事ができないのだ。
「はあ…………」
思わず溜め息が出る。出発は明日なのだ。今日中に話をしておかないと、最悪の場合、家出少女よろしく置き手紙を残して出発するなんていう事になってしまう。
それこそ最悪の方法だ。そんな事をしたら、どれだけ家族が心配することか。下手をすると、心労で祖父が倒れる危険性もある。ただでさえ病床にある老体に、これ以上鞭を打つのはさすがにまずい。
いっそ自分の代わりに、サムに説得してもらおうかとも考えた。彼なら二人の信頼も厚いし、何より口が達者だ。理論的かつ誠意をもって二人を説得してくれるに違いない。
けどそれでは意味がない。やはりこういう事は、自分の口から言うべきだろう。だけど何が自分の中で引っかかっているのか、まったく見当がつかない状態では説得しようにも説得力がない。特にリネアは母親だけあって、嘘は通用しない。たとえわずかでもごまかそうとしたり、嘘をつこうとしたら即座に見破るだろう。
とにかく何とかしないと。
解決の糸口も掴めないままだが、ここでこうして悩んでいても始まらない。明日の今頃には出発しているのだ。
サーシャは今日中に絶対何とかしないと、と心に決めながら朝食を作るために部屋を出た。
「とうとう明日出発ね。一週間って早いわあ」
寂しくなるわね、というリネアの言葉に、ゴードも黙って頷く。
最後の晩餐となった食卓では、しんみりとしたリネアとゴードをよそに、ゲイルは相変わらずの食欲を見せつけていた。
ゲイルとサムが怪物退治に向かう事は、ゴードやリネアの耳にも入っているが、村人たちの情報規制によりサーシャが同行する事は知らされていなかった。
「本当に、行くおつもりですか?」
自分たちの身を案じるゴードの低い声に、皿に伸ばしかけたゲイルの手が止まる。サーシャはゲイルが余計な事を言わないかどきりとして、下げようと重ねていた皿の山をかちゃりと鳴らした。
「死にに行くつもりは毛頭ねえよ。それに、怪物退治はついでだ」
ゲイルの声には、まるで気負ったものがない。本当に怪物の事などついでの仕事みたいだ。ゴードのはあ、と拍子抜けしたような返事と同時に、サーシャもはあ、と息をつく。まさかここで「お前の孫も連れて行くけどな」なんて暴露された日には、これまでどう切り出そうかと悩んでいたのが、すべて水の泡になってしまうではないか。
危ない危ない、とサーシャがゲイルをじろりと睨むが、当人は何も気づかずに新たに到着した料理に手をつけている。
「ふう、ごっそさん」
「あら、もういいの? まだまだたくさんあるわよ」
追加を作りに台所へ向かおうと腰を上げたリネアが、拍子抜けしたような声を出す。
「いや、明日に備えて今日はもう寝るわ。残りは明日の弁当にでも詰めてくれ」
いつもに比べるとかなりあっさりと食事を終え、ゲイルは席を立った。
「はいはい。じゃあ明日はたくさんお弁当作るから、道中でお腹が空いたら食べてね」
「頼んだぜ。じゃあおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
背中越しに手を振って挨拶をすると、ゲイルは家の外に出た。リネアは皿を片付け始め、ゴードは食後のお茶をすすっている。
きっとゲイルはサーシャに家族と話をさせるために、早めに食事を切り上げたのだろう。無神経だと思っていたが、意外なところもあるものだとサーシャは少し感心する。
せっかくゲイルが気を利かせてくれたのだ。この機会を逃すわけにはいかない。このままずるずると引き延ばせるほど、時間は残されていないのだ。
「ねえ……お母さん」
「ん? なあに?」
後片付けをしているリネアに、サーシャは意を決したように話しかける。緊張して唇が乾き、言葉が上手く出てこない。
「どうしたの?」
「あのね……あたし、あたしね……」
「あの二人と一緒に行きたいのね?」
「えっ、お母さん、どうしてそれを……?」
言おうとしていた事を先に言われ、サーシャは驚いて目を丸くした。だがリネアは不思議な事は何もないというふうな顔で、娘の顔を見る。
「あなたの事なら、お母さん何でもお見通しよ。おじいちゃんだってそう」
サーシャが祖父のほうを振り返ると、ゴードは黙って頷いた。いつもと同じ柔和な顔だが、細めた目の奥には怜悧な光を秘めている。
「あの夜以来、お前の様子がいつもと違っていたからな。何か悩んでいるのだろうというのは、すぐにわかった。昔からすぐ顔に出るたちだからのう、お前は」
「あなたのそういう所は、あの人にそっくりね……」
気づいた素振りなどまったく見せずに、二人は待っていてくれたのだ。黙って出て行く事はしないと信じて、サーシャが自分から話してくれる事を。
「お母さん……、おじいちゃん……」
二人に信頼されている事と、二人の信頼を裏切る事をしなくて良かったという安堵が、サーシャの目頭を熱くする。
「それで、あなたはどうして二人について行きたいの?」
それは、とサーシャは一度口をつぐむ。言葉を探すというより、深く暗い穴の中に手を入れて、本当に掴みたいものを探すみたいに自分の心の中を探る。だが穴の中は様々なものに溢れ、どれが本当に欲しいものかわからない。
「最初は命を助けてもらった恩返しとか、二人を村に連れてきちゃった責任感とか、そういう義務みたいなものだって思ってた。けど――」
「けど、違ったの?」
リネアは優しく問いかけるが、娘は小さく首を振る。
「わからないの。確かに義務感みたいなのはあるけれど、それが本当じゃないような気もする。義務として割り切りたい、でもそうしたくないって気持ち。こんなの、どう言えばいいかわからないよ」
答えが見つからず、サーシャは頭を抱える。
「いいのよ、無理に言葉にしなくても」
泣き出しそうな顔で俯く愛娘を、リネアはそっと抱きしめた。
「人の気持ちっていうのは、とても複雑なの。それを無理に言葉や形にすると、本当に大事な伝えたい事が壊れてしまう時があるわ。だからそういう時は無理をせずに、ただ思った通りに、自分の心がそうしなさいと命じるままになさい。そうすればきっと、あなたの気持ちがそのまま相手に伝わるわ」
母の柔らかいぬくもりに包まれていると、サーシャの中で固く凝り固まったしこりのようなものがふわりとほどけていく。そして綻びのようにほどけたものの中に、自分が本当に探していたものが見つかったような気がした。
「お母さん…………」
「大切なのは、あなたが自分で決めること。あなたが本当にそうしたいのなら、お母さんたちは反対しないわ」
「ありがとう……」
サーシャは母の背に手を回し、強く抱きしめた。リネアも娘を抱く腕に力が入る。お互いにしっかりと抱き合った母娘を、ゴードは目を細めて見ていた。