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 見ているだけで辛くなるサムの悲しそうな背中に、サーシャは思わず隣に立つゲイルの袖を掴んだ。何か言って欲しくて袖を引っ張るが、ゲイルは何も言わず、ただ腕を組んで見ている。まるで興味がないと言わんばかりの態度に、袖を掴んだ手から力が抜け垂れ下がった。

 胸が裂けそうな痛みに耐え切れず、下げた手を胸の前で組む。胸の奥が軋む音が、手を伝って聞こえそうな中、隣で奇妙な音が聞こえた。

 ばりばりという音のするほうへと目を向けると、ゲイルが憤怒の形相で歯を食いしばっている。サーシャが聞いたのは、彼が怒りを噛み殺す音だったのだ。

 「野郎……何てコトしやがる……」

 「ゲイル…………」

 腕を組み、歯がすべて折れそうなほど歯を食いしばるゲイルに、サーシャは驚いて声を失った。村人たちに罵倒されても、まったく動じないように見えた彼が、組んだ腕に指がめり込み、ともすれば血が噴き出しそうな激しい怒りを必死に抑えている。

 サーシャはこれまで、ゲイルは血も涙もない冷血漢だとばかり思っていた。だが自分の事を悪く言われるより、小さな子供が傷つけられた事に怒りを覚えている。今にもグレンに飛びかかりそうな自分を必死で抑えている姿は、とても冷たい人間には見えない。

 本当は彼も感情を露にし、涙を流したり怒りを誰かにぶつけたいのかもしれない。けれどそれをしないのは、何か深い考えがあるからか。地震の時の冷酷な態度と、今の熱い血潮をひた隠しにしている姿。そのどちらが本当の彼なのか、サーシャには見分けがつかなくなった。

 怒りを堪えるゲイルと、悲しみに暮れるサム。二人の姿を見て、サーシャはいたたまれなくなった。人を信じ、裏切られ、厚意を憎悪で返された彼らの心が、どれだけ傷ついたのかは想像できない。きっと今の二人には何を言っても慰めにはならないだろう。

 では、いったい自分に何ができるのか。そもそも自分が森にさえ入らなければ、怪物に襲われさえしなければこんな事にはならなかったはずだ。そうすればきっと、今頃彼らは目的に向かって旅をし続けていただろう。責任の一端は自分にあるという思いが、サーシャの胸をさらに締めつける。

 同時に、痛みの強さだけ怒りが湧いてきた。二人をこの村に連れてきてしまった原因が自分だとしたら、二人をこんなに苦しめている原因は何だろう。

 考えるまでもない。今目の前で楽しそうに笑っている下衆野郎だ。こいつは村長の孫という以外は、何の取り得も知恵もないただの筋肉馬鹿だ。小さい頃、よくケンカで泣かせてたらムキになって鍛えたらしく、体だけは強くなった。だが頭の中はあの頃のまんまだ。どうせお山の大将の地位が危なくなったので、ゲイルたちに逆恨みをしたのだろう。

 そんな事で。

 そんなくだらない事のために。

 歯を食いしばり、サーシャは駆け出した。サムの隣を通り過ぎ、一直線に目標に迫る。

 「グーーレーーン!」

 グレンはサーシャに名を呼ばれ、愉悦から冷める。見れば、彼女が自分の名を呼びながら、こちらに走ってくるではないか。きっと今頃になって間違いに気づいたのだろう。恐ろしい怪物の近くにいるのが怖くなって、もっとも頼れる自分にすがりに来たのだ――そうグレンは想像し、サーシャを抱きとめようと両手を広げる。

 「おお、サーシャ……」

 「この馬鹿っ!」

 恍惚とした表情のグレンの股間に、サーシャは全力で蹴りを入れた。幸せの絶頂にいたグレンの顔が見る見る苦痛に歪み、脂汗が滝のように流れる。少女の容赦も手加減も微塵もない一撃に、ゲイルを始めその場に居た男たちは全員同時に自分の股間を押さえて「あ……」と苦悶の声を上げる。

 「なんて事やらかしてくれてんのよ!」

 サーシャは、白目をむいて倒れているグレンの前で、仁王立ちになって叫ぶ。

 「あんた自警団のリーダーでしょ! 村と村人を守るのが仕事でしょ!? それがなんでみんなの不安を煽るようなこと言ってんのよ! まったく、あんたはいつもいつも考えが足りないんだから!」

 グレンから返事はない。代わりに口から泡が出てきた。これはかなり危険な状態かもしれない。それでも構わずにサーシャは熱弁を振るう。

 「二人は何も悪いことしてないじゃない。それをよってたかって石を投げたりするなんて、人として恥ずかしいわ。それともみんな、二人に助けてもらった恩を忘れちゃったの?」

 「た、たしかにこいつらは村を守ってくれた。だがなサーシャ、俺たちに隠し事をしていたのも確かなんだ。何か疚しいことがあるからとは思わないのか?」

 集団の中から一人の男性が声を上げると、他のみんなもそうだそうだと相槌を打つ。

 「だったらどうして二人に直接理由を訊かないのよ。大勢で押しかけたりしないで、もっと穏便に済ませられる方法を考えなかったの? そもそも小さな子供をあんな目にあわせるような奴の言う事なんて、よくもまあ信じられるわね!」

 「し、仕方がなかったんだよ……」

 サーシャが青筋を立ててどやしつけると男性は気圧され、言い訳するような言葉も尻すぼみになる。他の連中も俯いたり、前の人の背中に隠れたりしている。

 「何が仕方ないのよ! 自分たちが助かるためなら、何をやってもいいと思ってるの? 人としての誇りや尊厳ってものはないの?」

 「うるさい、お前に何がわかる!」

 それまで大人しかった男性が、突然感情を爆発させたように反論した。

 「俺たちだってな、やりたくてやったんじゃないんだ。家族を、村を守るために仕方なくやったんだ!」

 集団からも、男性に同意するように「そうだそうだ」「仕方なかったんだ」と声がする。その悲痛な声に、サーシャはこれ以上彼らを責める事ができなくなった。

 「怖いんだよ……怪物が……」

 最後に男性は、噛み締めた歯の間から絞り出すような声を出した。男性の悔しくて辛そうな顔に、サーシャはようやく思い知った。男性たちの世代はかつて徴兵に遭い、怪物討伐に狩り出された世代なのだ。

 彼らは実際に怪物と戦った経験があるから――怪物への恐怖がその身に、その心に染みついているから――怖くて仕方がないのだ。

 命からがら生き延びて、ようやく得た今の平和な生活は、何が何でも手放したくない。そんな切実な思いが彼らを動かしていた。それに気づいてしまったサーシャに、何が言えるだろう。徴兵で父親を失ったとはいえ、サーシャは後の平和な時代しか知らない。戦わなかった者が、戦ってきた者を責められるわけがない。彼らの行いを、彼女が裁けるはずがない。

 お前に何がわかる。仕方なかったんだ――言葉の重みが、サーシャの心にずしりとのしかかる。

 彼らの怪物を恐れる気持ちは責める事はできない。だが人としての心を失った彼らの蛮行は、責めずにはいられなかった。

 「あたしだってねえ…………」

 「え……?」

 「あたしだって怪物は怖いわよっ! この間森で怪物に襲われた時は、そりゃあもう死ぬほど怖かったわよ! 二人が助けてくれなかったら、今こうしてあたしは生きていなかった。だから二人には感謝してもしきれないくらいよ。そりゃあちょっと馬鹿で無神経で不潔で大飯食らいだけど、そんなこと関係ない。あたしは二人の事を信じてる。だって、彼らはあたしだけじゃなく、この村も救ってくれたんだもの。一度ならず二度も救ってくれた人を、あたしは絶対疑わないし疑いたくなんかない! だから彼らの無実はあたしが保証するわ。文句があるなら順番にかかってきなさいよ!」

 サーシャは息継ぎもせず一気に喋りきった。息を乱す彼女の姿に、村人たちは圧倒され呆然としている。

 「さあ、どうするの? あたしと、そこでのびてる馬鹿野郎のどっちを信じるの?」

 サーシャが腕をまくって一歩前へ踏み出すと、村人たちは彼女の迫力に圧されて二歩下がる。

 仁王立ちするサーシャの前で、村人たちの会議が始まった。ようやく意見がまとまり、一人の男性が代表で発表する。

 「……まずは二人の話を聞いてみよう。信用するかどうかは、その後だ」

 随分消極的な意見だ。しかし話し合いをしようという気になってくれたのは大躍進だろう。とにかく今はお互い話し合って、誤解を解くのが最優先だ。

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