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                 ◆

 いつもと同じように、サーシャは夜明けとともに目を覚ました。

 窓の外は、昇り来る朝日が眩しい。空には雲一つなく、今日も良い天気になりそうだ。天気が良いと、無性に洗濯がしたくなる。だがシーツは昨日洗ったし、続けて洗濯できるほどサーシャは衣装持ちではない。

 さてどうしたものか、と思案しながら大量の朝食を調理していると、この家に来てまだ一度も服を洗濯していない人物の顔が思い浮かんだ。


 扉にかけた手を一旦止めて、サーシャは覚悟を決める。これから何を見ても驚かないという覚悟だ。だが彼女が何度覚悟を決めても、それを打ち砕くほどの惨状が納屋の中に待っている。ご近所では、朝のサーシャの悲鳴が一番鳥の代わりになっていると評判だ。そんな汚名を返上するために、今日は一際覚悟を固める。

 「……よし」

 気を引き締めて勢いよく扉を開けると、朝陽が納屋に射し込んで埃をきらきらと輝かせる。覚悟が僅かも揺るがぬうちに、サーシャは納屋の中に踏み込んだ。

 「いつまで寝てるの? さっさと起き――」

 ここ数日繰り返してきた台詞が止まる。これまでは、いつもここでゲイルの奇妙な寝姿に驚いて悲鳴を上げていたのだ。

 だが今日は違う。扉から届く光の中で、ゲイルのぴったりと揃った両足が見える。まともだ。驚くほどまとなくらい、ゲイルはうつ伏せに寝ていた。

 「なんだ……普通に寝てる時もあるんじゃない……」

 ほっと胸を撫で下ろす。これまで猟奇殺人事件の死体のような寝相のゲイルを見るたびに、サーシャは心臓が止まるような思いをしてきたのだ。しかし今日は違う。普通に寝ているのなら、何を恐れる必要があろうか。サーシャは余裕をもってゲイルに近づいた。

 扉から少し離れた壁側に、ゲイルは気をつけをした状態で横たわっている。ゆっくりと近づくと、暗くて見えなかったゲイルの尻から上が露になる。

 朝日の影響が目に残っているせいなのか、何だかゲイルの服が緑がかっているような気がする。そして首から上を見た瞬間、サーシャは息を飲んだ。

 「ひやあああああああああああああっ!」

 すっかり気を抜いていたサーシャは、やはり今日も悲鳴を上げた。うつ伏せに寝ていると思い込んでいたが、ゲイルの顔は天井を向いていた。首が百八十度後ろに回った状態で、白目を剥いて寝ている。しかも丘に上がった魚のようにぱくぱくと唇が開閉しているので、まるで死してなお憎悪の言葉を吐き出すゾンビのようだ。

 「おはようございます、サーシャ」

 そして今日も、いつものように尻餅をついているサーシャに向けて、心なしか緑色なサムが爽やかな朝の挨拶をするのであった。


 ゲイルは眠たそうに目をこすりながらも、皿を山のように積み上げている。寝起きというより、まだ半分寝ているようだ。何度見ても圧倒される食欲だ。細身の体のどこに、これほど大量の食料が入っているのだろう。それ以前に、これだけ食べてるのにどうして太らないんだろう。なんだかずるいとサーシャは思った。。

 行き場のない怒りをぐっと堪える。それよりもやらなければならない事があった。

 「ねえ、ゲイル」

 「んあ? デザートか?」

 「ないわよ、そんなもの。そうじゃなくて!」

 サーシャは、大きなあくびをしているゲイルをじろりと睨む。

 「何だよ?」

 「何よその服? あんたいつの間にこんなに汚したの?」

 さも汚いものを触るように、サーシャはゲイルの服を指の先でつまむ。出会った頃にあちこちあった焼け焦げが見えなくなるほど、何か得たいの知れない緑の汁で染められていた。

 「どうしたらこんなに緑に染まるの? 草むらに一日中寝転がってたって、こんなにならないわよ?」

 「気にするな。そのうち綺麗になる」

 「なるわけないでしょ! そもそもあんたたち、ここに来てから一度も着替えてないじゃない」

 「だって着替えなんか持ってねえもん」

 ゲイルは寝ぼけたように言う。そうだ。そもそも出会った時から、ゲイルたちは手ぶらだったのだ。荷物も何もないのだから、着替えを持っているはずがない。ずっと着の身着のままで旅をしてきたのだろうか。それ以前に手ぶらで旅をする事ができるのか。

 「じゃあ、今までずっと同じ服を着ていたの?」

 ああ、とゲイルはさも当たり前だという顔をした。

 「うわ、不潔……。最低……」

 汚いものを見る目でサーシャが言うと、ゲイルはふふんと小馬鹿にするような笑みを漏らす。

 「この田舎者め。いいか、この服にはナノマシンが組み込まれていて、汚れようが破れようが自動的に元に戻る優れものなんだ」

 「え、なに? 何言ってるかさっぱりわかんない」

 サーシャが顎に指を当てて首をかしげると、ゲイルは面倒臭そうに頭をかく。

 「つまり、着替えたり洗う必要がないんだよ」

 「へ~そうなんだ。凄いね~」

 感嘆して拍手するサーシャに、ゲイルは満足そうに「どうだ解かったか」と胸を反らす。

 「じゃ、さっさと脱いで」

 「お前、人の話聞いてたか?」

 「聞いてたわよ、あんたの寝言を。だいたいそんな便利な服があったら、この世の服屋さんはみんな廃業よ。子供みたいなこと言ってないで、いいからそれ脱ぎなさい!」

 サーシャは問答無用とばかりに、追いはぎも泣いて帰る速度でゲイルに襲いかかる。

 「嘘じゃねえよ。お、ちょっと、待て。引っ張るな」

 「こうなったら実力行使よ。あれ……これどうやったら脱げるのよ?」

 「馬鹿、やめろ……あ……」

 「あ、なんかこりこりしてる。これかな?」

 「ちが……それは俺の乳首だ!」

 ゲイルの体をあちこちまさぐるが、どこを探してもボタンはおろか、縫い目も繋ぎ目も見つからない。おまけに服が体にぴったりと密着しているので、まるでゲイルの体を直接触っているようだ。だが手に伝わる感触は、サーシャがこれまで触ったどの生地とも違う。例えるなら、もの凄く細い鋼線を編んだような、しなやかで硬い奇妙な手触りだった。

 サーシャがゲイルの服を脱がせようと悪戦苦闘していると、台所で洗い物をしていたリネアが、騒ぎを聞きつけてひょっこりと顔を出した。暴漢のようにゲイルの服を剥ぎ取ろうとしていた娘と母の目が合う。

 「あらあら、サーシャったら大胆ね。でもお母さん、そういう事はもっと暗くなってからのほうがいいと思うの」

 リネアはそう言ってにっこり微笑むと、何事もなかったように引っ込んだ。

 「あ、ちょ……っ、お母さん! 違うの。誤解よ。って言うか、それが母親の言う台詞なの?」

 慌ててゲイルから離れ、弁解するサーシャ。その隙を逃さず、ゲイルは「今だ!」と逃げ出した。

 「あ、コラ!」

 すぐさまサーシャはゲイルの後を追いかける。ばたばたと慌しい足音が過ぎると、リネアはくすりと笑って洗い物に戻った。


 庭でサムが水を蒔いていると、ゲイルが玄関から血相を変えて飛び出してきた。危うくぶつかりそうになるが、ゲイルが咄嗟に体を捻り、何とか衝突は回避できた。

 「ゲイル、朝から何を慌てているのですか?」

 「逃げろサム。この家には痴女がいるぞ!」

 「はあ?」

 ゲイルはたたらを踏んでいた体勢を立て直すと、一目散に走っていった。サムはわけが判らず呆然とその場に立ち尽くす。

 何かに追われるように走っていったゲイルの背中が、瞬く間に小さくなる。とても徹夜で怪物を相手に格闘したとは思えないほどの、見事なスプリントだった。

 「待ちなさいゲイル!」

 ゲイルの姿が見えなくなった直後、今度はサーシャが走ってきた。振り返ったサムは、彼女の鬼のような形相に思わずかける言葉を失う。

 「サム、ゲイルは……あの馬鹿はどっちに行ったの?」

 ゲイルがまた何か彼女を怒らせるような事をしたんだろうと、サムは瞬時に状況を理解する。理解するというよりも、もう飽きるほど見た状況だ。これは下手にごまかしたり、ゲイルを庇うような真似はしないほうが吉だろうと、彼の優れた頭脳は瞬時に判断した。

 「さっきあっちに走っていきましたよ」と、サムが指を指し示すが、ゲイルの姿はとっくに見えなくなっていた。

 「もう、逃げ足と食べるのだけは速いんだから」

 サーシャは悔しそうに地団太を踏む。力強く地面を蹴る足を止めると、彼女はゆっくりとサムに向き直った。

 「サム」

 「何でしょう?」

 じろじろと頭の先から爪先までサーシャに見られ、サムは思わずたじろぐ。

 「貴方もそうとう汚れてるわね。ちょうどいいわ。洗ってあげるからその鎧、脱いで」

 どうやら、全身に浴びた怪物の体液をそのままにしておいたのがまずかったようだ。だがすべての怪物を倒し終わった時にはすでに夜明けが迫っていたため、洗い落とす暇がなかったのだ。

 こんな説明をサーシャにできるわけがなく、サムはどう適当な理由をつけて断ろうかと思案する。しかし、ただでさえゲイルを取り逃がして気が立っているであろう彼女の機嫌を、これ以上損ねるのはまずい。なるべく当たり障りのない断り方をしなければ。

 「お心遣い感謝します。ですが寝泊りさせてもらっている上に、これ以上の迷惑はかけられませんよ」

 「あら、気を遣わなくていいのよ。それよりも、そんなに鎧が汚れていたら気持ち悪いでしょ?」

 「いえいえそれには及びません。旅慣れた身ですので、多少の汚れは気にしませんよ。どうぞ私の事など構わずに、貴方の仕事をしてください」

 やんわり拒否しようとしても、なぜかサーシャは食い下がってくる。ここまで執拗にされると、親切というよりむしろ怖い。

 「いいから遠慮しないで。サムが気にしなくても、あたしが気にするんだから」

 「ですが……ご婦人の前で裸になるのはちょっと……」

 「恥ずかしがらなくてもいいのよ。患者さんの清拭で、男の人の裸なんて見慣れてるんだから」

 「ああ、そうですか……」

 もうこれ以上ごまかすのは無理のようだ。あまり断り続けるのも不自然だが、彼女の要求にはとても応えられない。窮地に追いやられたサムの電子頭脳は、もっとも原始的かつ効率的な解答をはじき出した。

 つまり、逃げるが勝ちである。

 サムは、さも今思いついたかのように「あ~」と声を上げると、ぽんと手を叩いた。

 「そういえばゲイルにようじがあるのをおもいだしました」

 サムは言うや否や、サーシャに背を向けて駆け足を始める。大根役者も裸足で逃げ出す棒読みの上、動きもかなりぎこちない。突如始まったサムの奇妙な言動に、サーシャは度肝を抜かれて呆然となる。

 「ついでにみずあびでもしてきますそれではごきげんよう」

 終始棒読みでサーシャに手を振ると、サムは鎧ををがしゃがしゃ鳴らしながらゲイルの消えた方向に走っていった。

 意外に軽快な足取りでサムが去っていくと、ようやくサーシャは正気を取り戻した。

 「…………はっ。いない!」

 慌ててサーシャは当たりを見回すが、サムの姿はとっくになくなっていた。

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