13
◆
ゲイルとサムが大岩から村を救ったという話は、瞬く間に広がった。何しろ現場には村の男衆がほとんどいたのだ。彼ら全員が証人だと言っても過言ではない。その日の晩には、二人は村の有名人になっていた。
事件の翌日から、村人たちのゲイルたちへの態度ががらりと変わった。何しろ村を救った英雄である。彼らは進んで二人に声をかけ、礼とばかりに畑で採れた野菜や果物をくれた。家畜を丸々一頭くれる気前の良い人もいた。村長も改めて二人を訪ね、礼を言いに来た。ただし、彼は手ぶらだった。
天気のいい昼下がり。ゲイルは丘の斜面で寝転がっていた。村を歩く人々からは死角になっていて、絶好の隠れ場所だ。
視線の先には林が広がっていた。林の中からは、斧が木を打つ音がする。村の建築資材は、この林が賄っているのだろう。斧の音が複数重なり、調子はずれのリズムを刻んでいる。
「あ~あ、有名人なんてなるもんじゃねえな」
口に咥えた草きれを揺らしながら、ゲイルは独りごちる。
何かと構いたがる村民から逃れるために丘まで来たが、初夏の陽射しが強いわ木を切る音がうるさいわで昼寝もできない。おまけに丘のあちこちに岩の成れの果てが転がっていて、寝転んだら背中や尻がごつごつする。せっかくの草のベッドが台無しだ。自分がやった事だが腹が立つ。
ゲイルの頭の先には、ついこの間まで大岩が鎮座していた。今では柵の残骸もすっかり撤去され、剥き出しになった土だけが、かつてここに大岩があった事を物語っている。だがこの跡もいつかは周りと同じように草に隠れ、人々の記憶からも消えてしまうだろう。
岩を破壊してから三日経った。あの日以来、掌を返したように村人が親切になり、その恩恵として食事が豪華になった。心なしか、サーシャの態度も前より若干優しくなったような気がしないでもない。相変わらず貧乳と呼べば手や足が出るが、それ以外では以前とは比べ物にならないくらい好待遇だ。
「フン、気にいらねえ」
「何が気にいらないのですか?」
ゲイルの顔に影がさす。目を開けると、サムの巨体が陽射しを遮っていた。
「えらくご機嫌ななめですね。何かあったのですか?」
サムは両肩に大量の木材を担いでいた。地震で倒壊や破損した家屋を修繕するためのものだろう。荷馬車でも一度で運びきれるかどうかの量を、一人で運んでいる。まさに馬車馬の如き働きをしている相棒の姿を見て、ゲイルは唇を歪めた。
「ずいぶん熱心に働いているな。お前は村一番の働き者か?」
「ゲイルこそそんな所でサボっていると、後でサーシャに叱られますよ」
「フン、知ったこっちゃねえよ」
ゲイルは両足を高く振り上げ、下ろす反動を利用して立ち上がる。尻を手で払うと、小石や砂がぱらぱらと落ちた。
「どうせキャサリンのスキャンが終わったらこの村からおさらばするんだ。誰に何と思われようが、関係ないね」
もとよりこの惑星の住人と関わるつもりなどなかったのだ。それがたまたま用心棒になったり、村を岩から救ったりと予定外の事が重なっただけだ。だがそれもあとしばらくで終わる。仕事が片付けば、この星から去るのだ。
「その事ですがゲイル――」
「あんたたち、こんな所にいたのか」
サムの言葉が遮られる。二人に声をかけたのは、地震の時にグレンを呼びに来た若者――ルイスだった。今も走ってきたのか、全身に汗をかき息を切らせている。どうやら彼の担当は、足を使った伝令のようだ。
「この暑いのに走りこみか?」
「そんなわけないだろ。いや、そんな事よりも話があるんだ。二人とも、悪いがちょっと来てくれ」
ルイスは急いたようにゲイルとサムを促す。彼は二人の返事も聞かずに、こっちだとばかりに先に早足で歩き出した。仕方なく二人はそれに続く。
二人が着いたのは、村の入り口だった。門の向こうでは自警団の若者が二人、門番として立っている。だが二人はゲイルたちが最初に見た時に比べると、明らかに緊張感が欠けており、ルイスたちが来てもおしゃべりに夢中になっている。
「おい、しっかり見張れ。怪物が現れたらどうするつもりだ!」
ルイスが注意すると、二人は驚いて後ろを振り向く。だが注意してきたのがルイスだと判ると、再び談笑を始めた。
「完全に気がゆるんでやがるな」
「あれでは門番の意味がありませんね」
ゲイルとサムの辛辣な言葉に、ルイスは申し訳なさそうに「どうもすいません」と謝る。
「あんたたちが来てから、みんな危機感がどっかに飛んでしまったんですよ。安心しきってるっていうか、頼りきってしまっているんです」
緊張感が欠けたのは、何も門番の二人だけではないだろう。村の住人全体がそんな感じなのだ。期日が限定されているとはいえ、いつ怪物が現れるかと戦戦兢兢していた日々から解放されたのだ。多少なりとも浮き足立つのは仕方のない事だろう。
「あまり我々を当てにされても困ります。何しろ、契約はあと四日しか残っていませんからね」
「解かってる。あんたちにも都合ってもんがあるだろうから、ずっと村に残ってくれって言うつもりはない。だが他のみんなは、心のどこかで勝手に期待してるんだ。それでみんな気がゆるんじまって……」
「人間というのは、自分に都合の良い結果を信じたがるものですからね」
「フン、人をあてにする根性が気にいらねえ」
ルイスはますます恐縮して俯いてしまった。村人の浮かれぶりを、まるで自分の事のように恥じているようだ。
「それで、話というのは何でしょう?」
ルイスははっと顔を上げると、「ちょっと待ってくれ」と言って見張り櫓へと走った。大声で櫓の上に声をかけると、頂上の見張り台から一人の少年が顔を出した。
「あ、ルイスさん」
まだあどけなさの残る少年は、ゲイルとサムの二人を見ると嬉しそうに笑った。
「二人が来てくれたぞ」
少年はわかったと手を振ると、櫓の梯子を慣れた様子でするすると下りてきた。
「この少年は?」
「こいつはボーエン。村で一番眼がいいから、いつも櫓で見張らせているんです」
ルイスが二人に紹介すると、ボーエン少年は村を救った英雄を間近で見た感動に、目をきらきら輝かせる。嬉しさのあまり大きく開け広げた口は、前の乳歯が二本抜けていた。
「さ、二人に話す事があるんだろ?」
ルイスが促すと、ボーエンは「あ、そうだった」と口元を引き締める。
「最近、怪物たちの様子がおかしいんだ」
「はあ?」とゲイルが怪訝な顔をする。
「だから、おかしいんだって!」
興奮しているのか緊張しているのか、少年の話は要領を得ない。本人も話が頭の中で整理できていないのか、上手く言葉にできないもどかしさで頭をかいたり地団太を踏んだりしている。
「すいません……何しろまだガキなもんで……」
余計な手間をとらせて申し訳ないとばかりに、ルイスが二人に頭を下げる。
「違うよ! そうじゃないって!」
思ったとおりに意思を伝えられない事が焦りや苛立ちを高め、ボーエンは癇癪を起こしたように暴れ喚きだした。両手で頭をかきむしると、短い栗毛がわさわさと乱れ、よく日に焼けた顔がみるみる赤みをおびていく。次第に涙目になり、泣き出す寸前までエキサイトしてしまっていた。
「時間の無駄だな。もう帰ろうぜ」と提案するゲイル。だがサムはそれを制して、少年の前に屈みこんだ。
「詳しく話していただけませんか、ボーエン」
小さく屈んだつもりでも、サムの巨体は少年には小山のように見えるだろう。だがそれよりも、自分の話を聞いてくれるという姿勢が、少年を笑顔に戻した。
「では落ち着いたところで、貴方が伝えたい事を話してください」
「えっと……ええっと……」
「焦らないで。ゆっくり考えてもいいんです。貴方は見た事、思った事を素直に話すだけでいいのですから」
少年は頷くと、サムの言ったとおりゆっくりと語りだした。
「やけにガキの扱いが上手いな。保父にでもなったらどうだ?」
「誰かさんのおかげで、子供を相手にするのは慣れてますので」
「どういう意味だよ……?」
「さて、どういう意味でしょうね」
ボーエン少年の話では、昨日から怪物たちが何かに引き寄せられるように移動をしていて、彼が確認しただけでも、森を数十頭の怪物が同じ方角へ向かって行ったそうだ。
「今日もたくさん見たよ。けど村に向かってくるのはいなかったから、誰かに言おうかどうか迷っちゃって……」
少年の声が尻すぼみになる。恐らく話したところで、誰も相手にしてくれないと思ったのだろう。それでも意を決してゲイルたちに相談してくれた。彼も村の事を案じているのだ。自警団の立派な一員と言えよう。
「よく話してくれましたね。大変貴重な情報です」
サムが大きな掌で頭を撫でると、ボーエンはえへへと嬉しそうに笑った。
「ですが、みんなを不安にさせないためにも、この事は秘密にしておいてください。怪物が村に近づいた時だけ、私たちにそっと教えてくだされば結構です」
「うん、わかったよ!」
力強く頷くと、少年はいそいそと櫓の上に登っていった。すっかりサムに懐いたようで、何かあればきっと真っ先に教えてくれるだろう。
「おいサム。ガキを手懐けるのはいいが、これのどこが貴重な情報だよ?」
「それは後ほど説明しますよ」
サムは村の外を眺めながら、含みを持たせた声で言った。