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SF(少し不思議)とご了承いただければ幸いです。
鬱蒼とした森の中に、不自然な獣道がある。
踏み折られた草や、へし折られた木々が作る道が延々とまっすぐに伸びている。それはまるで、巨大な何かがただまっすぐ進みたいというだけで、草木の存在などに歯牙にもかけず進んだという感じだった。
大人二人が両手を伸ばしてやっと抱えられほどの木が、右や左に折られている。さらに太い樹木は、幹が折れる前に根が耐え切れずに根元から倒れている。
つまりこの獣道を作った何かは、木々をまるで草をかき分けるような容易さでなぎ払って行ったのだ。
どのようなものが通れば、こんな獣道ができるのだろう。どれだけ巨大で、そして強力なら、こんなにも無造作に森の中に道を作れるのだろう。
地面には、何かとてつもない重量のものを引きずった跡が続いていた。
◆
めきめきと音を立てて、木が倒れる。
幹に手を添え、軽く横に払うだけで木が倒れる。
ゲイルは、黙々と森林を開拓していく相棒――サムの広い背中をぼんやりと眺めていた。
三メートルの巨体を全身くまなく金属板で包んだサムの、直線的な凹凸のある背中は、ところどころ銀色の塗装が剥がれていた。ゲイルは、次は別の色にサムを塗ってみようかと考えるが他の色を塗ってもしっくりこない気がした。何よりこの無骨で実直な、脳味噌まで金属でできている相棒が、赤や黄色などの派手な色に染まっている姿はとても想像できなかった。
結局ゲイルはサムのカラーチェンジを諦め、塗装の剥がれた箇所を線で繋いで絵を描く作業を脳内で始めた。
この森に入ってから何時間、ゲイルはサムの後ろを歩いているだろうか。サムがせっせと道を作ってくれるおかげで、彼は森を平地のように何の苦労もなく歩くことができる。照りつける陽射しは強いが木陰に入れば涼しいし、森特有の湿度の高さも気にならない。これなら宇宙戦闘服の体温調節機能を切って、電池を節約できる。どう考えてもこの近辺に充電ができるような設備はないので、これはありがたいことだ。
だったら最初から歩きにくい森に入らず街道や平地を歩けばいいのだが、そもそもサムがどうしてこんな無益な森林伐採をしているかというと、ゲイルが原因であった。
「おい見ろよ。森だぜ森、むしろ森林? あれ? 森と森林ってどっちが強いんだ? いや、そんな事はどうでもいい。こうなったらフィトンチッドとマイナスイオンを過剰吸引して、疲れた心と体を強制リフレッシュするしかねえ!」
森を見るや否や、ゲイルは意味不明な事を喚きながら意気揚々と中に入っていった。だが一時間ほどで「飽きた」だの「疲れた、腹減った」だの言い出して歩くのを放棄したのだ。
サムが来た道を戻ろうと提案すると、同じ道を歩くのをゲイルは嫌がった。
ではこのまま進むしかないと言うと、今度は歩きにくいから嫌だと首を振る。
ならおぶろうかと提案すると、恥ずかしいからやめろと拒否をする。
地面に座り込み、不貞腐れるゲイル。子供のように駄々をこねる相棒に、サムの機械仕掛けの脳にノイズが走る。だがそのノイズはあまりにも日常的な出来事なので、サムにとってはエラーでも何でもない。相棒のわがままに対応するのは、彼にとってもはやプログラムされたルーチンワークと同じ事になっていた。
子育てに慣れた母親と同じ感覚とでも言うのだろうか。サムはいつものように、ゲイルに問いかける。何が気に入らないのか。どうすればお気に召すのか。
ゲイルはあれこれと不平を並べ立てたが、簡潔にまとめると「木が邪魔で歩きにくい」という傍若無人なものだった。
サムはゲイルをなだめすかして先を急ごうと促すが、彼は頑とし動かず、挙句の果てには「道がないなら作ればいいじゃないか」などと、是正ない子供か頭の悪い貴族のような事を言い出した。サムが無益な環境破壊だと諭したが、一向に聞き入れない。一度駄々をこねたらテコでも動かないだろう。
そしてサムはこのままでは任務に支障が出ると判断し、わがままな相棒のために仕方なく実行に移した。手で草木を払い、足で土を平らに踏み固める。一トンもの体重で踏み固めれた地面は、舗装されたように歩きやすく、どんどん視界が開けていく森の姿に、ゲイルの機嫌はようやく直ったかに見えた。
だがそれも長く続かず、今ゲイルの興味はサムの背中の塗装が剥げた部分に注がれているのであった。
振り返る事も手を休める事もなく、サムがゲイルに問いかける。
「ゲイル、気がついていますか?」
「はあ?」
いきなり声をかけられたので、ゲイルは意味が解からず素っ頓狂な声を上げた。
「気づいたかって、何にだよ?」
「我々がこの森に入ってから、まだ一匹も生物を目撃していません」
「お前がバキバキ木をへし折ってるから、ビビって隠れているだけじゃねーのか?」
「確かにその可能性はあります。けれどこれだけ木を倒して、鳥の一羽も羽ばたかないのはいささか不自然ではないでしょうか?」
言われてみれば確かにそうだ。普通森の中でこれだけ木を倒せば、鳥たちが喚きながら飛び立って逃げるだろう。小動物が怯えて隠れているのは当然だとしても、大型の獣がこの広大な森で一匹も発見できないのは明らかに不自然だ。
それにサムは、闇雲に木を倒していたわけではない。進行方向に複数のスキャンをかけ、小動物や鳥が隠れていないか、巣がないかと吟味した木だけを倒していたのだ。もちろん木を倒す方向も計算している。
「妙だな……。まさか俺たちのせいで、みんな逃げ出したんじゃねえだろうな?」
「いいえ、そうではありません」
「どういう事だ?」
「この森にはすでに、我々よりも厄介なモノが存在しているようです」
サムが巨木をなぎ倒すと、視界が一気に開けた。
二人は、森を抜けたと見間違う場所に出た。
だがすぐにそれは違うと理解できたのは、目の前の光景が自分たちの背後と同じだったからだ。
へし折られた木々。踏み折られた草に固められた地面。サムがゲイルのために作った道と、同じ景色が広がっていた。
違う点があるとすれば、それは木々がでたらめな方向に倒れていることだ。例えるなら、邪魔だから無造作に払ったとでもいう感じだ。中には圧倒的な質量で押し潰されたような形跡もある。
この道の創造主は、ただ自分が進みたい方向に木があったから倒したのだろう。まるで草をかき分ける感覚で。
道は森の南から北上し、西に向けて折れ曲がっている。西に方向転換する角の部分に、二人が東から来た道がぶつかったのだ。
「おいおい、この森にはお前のオヤジが住んでるのか?」
ゲイルがサムの前に出て、森の中にぽっかりと開いたトンネルの中に立つ。道の幅は、サムが作った道の倍以上あった。
「倒れている木の断面がまだ新しいですね。鉢合わせしなくて幸運でした」
「だな。こんな小山のようなバケモンの相手なんて、頼まれたってしたくねえぜ」
ゲイルは倒れた樹木をぺちぺちと叩きながら軽口を叩くが、いつものキレがなかった。木には恐竜が引っ掻いたような爪跡が四本走っており、幹の太さはサムの胴体よりもさらに二周りは太い。
「まだこの近くにいるようですね。遭遇すると面倒なので、もう少し時間をおいてから――」
「どうした?」
言葉を途中で止めたサムに、ゲイルが声をかける。だがすぐに彼が自分には感知できない何かを察知していると判断し、様子を窺う。ゲイルには何も聞こえなかったが、サムの聴覚はゲイルとはできが違うのだ。
「ゲイル、悲鳴です」
「何だ……そんな事かよ。それで?」
あっさりとゲイルは聞き流し、少しの間沈黙が流れる。その間サムはじっとゲイルを見ていた。
「な、何だよその目は……?」
「いえ、助けに行かないのかな、と」
またサムの悪い癖が始まった、とゲイルは思った。いつもの事ながら、相棒の人の良さにはほとほと呆れる。どうしてこのむくつけき金属の塊は、やたらと余計なお節介をしたがるのだろうか。自分たちには、余計な事に首を突っ込んでいる暇などないというのに。
「どうせ原住民のガキだろ? ほっとけほっとけ」
小指で耳をほじりながらゲイルは言う。だがサムもなかなか強情で、一歩も引かなかった。
「どうして貴方は、いつもそう薄情なのです。少しは困っている人を助けようとは思わないのですか?」
「思わないね。知ってるか? 情けは人の為ならずと言って、無闇に手助けをすると、そいつのためにならないんだよ」
「それは誤った解釈のほうです。正しくは、人に情けをかけると、結局は自分を助ける事に繋がるという意味です。貴方こそ、因果応報という言葉を知っていますか?」
「し、知ってるよ、銀河万丈くらい……」
「まったく全然違います。耳と脳は大丈夫ですか?」
「うるせえっ! 御託ばっか並べやがって。ちょっと辞書が丸々頭に入ってるからって、調子に乗るんじゃねえぞ!」
間違いを指摘されて逆ギレするゲイルに、サムはさらに追い討ちをかける。
「ははあ、さては怖いんですね? そうならそうと、素直に言ったらどうですか? いいですよ、怖いなら無理に助けに行かなくても」
「何だとこの野郎。上等だ、行ってやろうじゃねえか! 悲鳴がしたのはどっちだ!?」
「三時の方向です。距離は――」
「こっちか!」
サムが言い終わるよりも早く、ゲイルは竜巻が通った後のような森のトンネルを疾走していた。
「まったく、いつもながら手のかかる……」
すでに見えなくなったゲイルの背中に向けて、サムが小さく声を漏らす。鉄仮面のような顔から表情は読み取れないが、どことなく微笑しているように見えた。