最弱の標的
凰嶺学園に入学してから幾日かが過ぎた。
形式的な授業が始まり、教室に並ぶ机も少しずつ日常の色を帯び始めていた。
だが、空気はけっして穏やかではない。
ここは異能者を育成する檻。
生き残るには序列戦に勝ち、派閥に取り込まれるか、自ら群れを作るしかない。
そのどちらからも弾かれた者は、弱者として淘汰される。
(虫ケラどもは実に律儀よな。
己が弱さを群れで隠し、他を餌にして牙を研ぐ。
そうして一段でも高みに登ろうと必死になる……)
窓際の席に腰かけた我は、授業中にも関わらず周囲を観察していた。
隣では、すでに我の席を“勝手に”定位置と決め込んだ臆病者――日向 悠真が、
ノートを取るふりをして所在なさげにしている。
もとより我には、奴が何を考えているかなど興味はない。
だがその日の朝、違和を覚えた。
「……ほう?」
悠真の顔。
頬に小さな青黒い痣が浮かんでいる。
さらに袖口から覗く手首にも赤みがあった。
昨日まではなかったものだ。
「おい」
声をかけると、彼はびくりと肩を跳ねさせた。
「な、なに?」
「その顔……何があった」
「えっ、あ……これ? えっと……転んだ。
そう、階段でコケたんだよ、はは……」
不自然な笑み。視線は逸れ、言葉は淀む。
嘘にまみれた態度。
(……くだらぬ。誰に殴られたかは明白だ)
だが我は追及をやめた。
虫が己の傷を隠すというなら、それもよい。
口にしないなら、我が眼で確かめるまで。
その日の放課後。
悠真は「先に帰る」と短く告げ、教室を飛び出していった。
普段より落ち着きなく鞄を抱える背中が、むしろ答えを叫んでいるようであった。
我は無言で席を立ち、距離を取ってその後を追う。
廊下を進み、校舎裏の人気のない庭へ――
耳に届いたのは、押し殺された呻きと、嘲る笑い声だった。
「ほら、昨日より声が小さいぞ? もっと鳴けよ、最弱!」
「DランクのくせにEの隣でいい気になってんじゃねえぞ!」
「疾風会に逆らうとどうなるか、身体で覚えとけや!」
悠真は壁際に押しつけられ、数人の上級生に囲まれていた。
殴られるたびに身体が跳ねる。
足を払われ、膝をついたところに蹴りが飛ぶ。
呻き声を必死に噛み殺し、彼は――叫ばない。
(……耐えている、か)
涙をこらえ、唇を噛み切る。
助けを求めることすら許されぬこの檻で、彼は必死に“耐える”という選択をしていた。
だが、それは。
「――つまらんな」
思わず声が洩れた。
我は陰に身を潜めながら、冷たく観察を続けた。
疾風会の連中は数で囲み、笑いながら拳を叩き込む。
標的は我ではなく、隣に座るただの凡人。
その事実が胸の奥で静かな熱を膨らませていく。
(王を愚弄するにも程がある。
我を狙う度胸すらなく、我が隣にいた凡人を選んだか……)
冷ややかな炎が、腹の底でじわりと燃え広がる。
悠真は壁に押しつけられたまま、うめき声を洩らした。
その瞳には恐怖と悔しさが混ざり、しかしなお叫ばぬ意地があった。
その姿に、我の心はさらにかき乱される。
(虫ケラにしては悪くない。
だが……だからこそ、許せぬ)
「よし、今日はこのくらいにしとくか」
「明日も楽しみにしてるぜ、最弱!」
上級生どもは勝ち誇った笑みを浮かべ、悠真を地に転がしたまま立ち去っていった。
その姿が角を曲がって消えるのを見届け、我は闇から一歩踏み出す。
倒れ伏した悠真が、小さく呻きながら身を起こす。
ボロボロになりながら、それでも必死に地面を掴んで立ち上がろうとしていた。
「……貴様」
我の声に彼は振り返り、目を見開いた。
「な、なんで……」
「黙れ。答えるな」
悠真は息を呑み、言葉を飲み込む。
我はただ静かに、その姿を見据えていた。
胸の奥に溜まっていた澱が、冷たい怒りとなって形を変えていく。
(次は我が狩る番だ)
そう決意を刻み、我は踵を返した。
静かなる怒りを燃やし、明日への舞台へ歩みを進める。
◆キャラクター紹介(第6話)
【日向 悠真】
ランク:D
異能:振動感知
立ち位置:Eランクの隣に居ることで疾風会に目をつけられ、暴行を受ける。
隠そうとするが、主人公に見抜かれる。
【派閥《疾風会》】
学園下層を支配する小派閥。
弱者狩りを常とし、今回は悠真を“見せしめ”として痛めつける。
主人公の怒りを買ったことで、次回ついに報いを受ける。