噂と影と余韻
黒瀬迅が倒れた瞬間から、会場の熱狂は止まらなかった。
だが、その熱を遮断するように、生徒会室の空気は冷え切っていた。
長机に並ぶ役員たち。
中央に座る生徒会長・神威蓮司は、瞼を閉じたまま腕を組んでいる。
副会長・天城緋彩は端末に結果を淡々と打ち込み、表情は変わらない。
そして――会計、黒瀬征士。
彼の眼差しは鋭く、氷のように冷たい。
弟が舞台に倒れ伏した光景を、瞼の裏に焼き付けながら、歯を食いしばっていた。
「……迅が負けたか」
短く吐き捨てる。
怒号でも、悲嘆でもなく。
ただ事実を突き付けるように。
「だが――」
その声には怒気が混じっていた。
「奴を野放しにしてはならない。
“真凰”……ゼロ判定の仮面を被った化け物。
俺が正しかったと、これで証明された」
緋彩が無感情に頷く。
「会長。警戒レベルを引き上げますか?」
神威蓮司は瞼を開き、無機質な双眸で彼らを見渡した。
「――まだだ。
面白い駒が現れた。それだけのこと」
声は冷ややかだが、その奥底に微かな興味が覗いた。
翌日。
学園の空気は、明らかに変わっていた。
「おい聞いたか? 昨日の序列戦」
「Eランクが黒瀬を倒したってやつだろ?」
「信じられねえ……。真凰って名乗ったらしいぞ」
廊下を歩けば、そこかしこからその噂が耳に入る。
食堂でも、中庭でも、授業中ですらひそひそ声が飛び交う。
俺――日向悠真は、居心地の悪さを覚えながら教室の席に腰を下ろした。
(……やっぱ広まるよな。あんな派手な勝ち方したんだ。
ゼロ判定からの逆転劇。そりゃ噂になる)
けれど、その視線の矛先が「俺の隣」にいると思うと、胃が痛くなる。
「真凰ってどんな奴なんだ?」
「悠真と一緒にいるあの……」
ちらちらと俺を見る目。
俺は思わず俯いた。
(俺は……何なんだろうな)
隣に座る“王”は、いつもと変わらぬ無表情。
昨日の圧勝も、歓声も、まるでどうでもいいかのように筆を走らせている。
一方の俺は、心臓がずっと落ち着かない。
昨日の光景が頭から離れない。
黒瀬迅の影の猛攻。
それを真正面から受け止め、二つの技だけで粉砕した姿。
観客が凍りつき、次の瞬間歓声に変わるあの瞬間。
(あんなの見せられたら……)
恐怖と、憧れと、そして羨望がない交ぜになって、胸が痛む。
でも。
(あいつは言ったんだ。俺を“相棒”と呼ぶ可能性があるって)
だから、立ち止まるわけにはいかない。
放課後。
俺と真凰が校舎を出ると、背後から囁き声が聞こえた。
「……あれが真凰か」
「黒瀬を倒した新入生だ」
見知らぬ上級生たちがこちらを遠巻きに見ている。
中には敵意をむき出しにする者もいた。
(……もう、後戻りはできないんだ)
そう悟った瞬間、背筋がぞくりと震えた。
真凰は立ち止まり、振り返らずに言う。
「悠真」
「な、なんだよ」
「退屈はしなくなるぞ。
王の隣を歩くのだからな」
その言葉に、俺はかすかに笑った。
「上等だよ。……相棒だからな」
同じ頃、生徒会室では征士が一人、拳を握り締めていた。
「……真凰。
弟を倒した報いは、必ず受けてもらう」
その瞳に宿るのは、憎悪か、それとも執念か。
黒瀬家の名を背負った男の影が、静かに蠢き始めていた。
◆キャラクター紹介(第24話)
【黒瀬 征士】
生徒会会計。弟・迅の敗北を冷徹に受け止め、主人公への敵意を強める。
【神威 蓮司】
生徒会長。興味を抱きつつ、すぐには動かず観察を続ける。
【主人公(真凰)】
相変わらず揺るがぬ態度。悠真を軽く導くような一言を放つ。
【日向 悠真】
学園に広まる噂の渦中で苦悩するが、「相棒」として隣に立つ覚悟を固めていく。