夕日に溶けた一つの影
二十一話
教室に戻ってくるとどっと疲れがやってきた。ぶつけた肩や手に目をやる。怪我はしていないがダメージは喰らっているので表面上なにもないが筋肉はガチガチだ。
周りを見回すと後ろの席では机に突っ伏している人や前方では伸びて動かない人もいた。そりゃあんなハードな訓練、初めて受けたら動けないよなぁ。
うんうん、と頷いているとドアを開けて先生が入ってきた。
手には名簿を持ち、ポケットから飴玉を取り出して口に放り込んでから話し出す。
「みんなお疲れ様、どうだった?初の訓練は」
クラスのみんなは口々に「疲れたー」「早く帰らせてくださーい」と疲労を訴える。俺もさすがに疲れたので少し寝たいかも。食べるのは寝たあとだな……と目をこすりながら考えていると先生は手に持った名簿を開く。
「うちのクラスは……うん、及第点だな。記憶の泡沫を取り逃したやつはいないみたいだ」
あ、そういえばそっか。今回は記憶の泡沫を取れないと補習なんだっけ。どうやら俺たちは免れたみたいだ。
教室にほっと安堵の息が広がる。ようやく肩の力が抜けた気分だ。
「ま、向こうのクラスは一人いるみたいだが……。うちのかわいい生徒たちは優秀でよかったよ」
ふふん、かわいい生徒は今回さらに追加で課題をクリアしているのです……!先生を上目遣いで褒めて褒めて!と期待の眼差しで見つめていると頭を撫でてくれた。
「阿賀と菊水、五式、ルベリクス、ルゼインは課題もクリアしているから点数アップだな。この調子で前期のテストまで頑張れよー」
え……テスト、あるんですか……?クラスにどんよりとした空気が流れたのが肌に伝わってくる。先生は俺の頬を少しつまむとひしゃげた顔を見て笑って離れていく。
「まあ、まだ先の話だ。のんびり焦らずしっかり学べばなんてことはないさ」
教壇で話す先生は手をひらひらと動かして俺たちをあやす。太陽はいつの間にか沈みつつある。教室がオレンジ色に塗り替えられていくのを視界の端で捉えていると、パンッと手を叩く音がした。
「はい、今日は解散!明日は休みだからゆっくり体を休めてこい」
そう言いながら先生は後ろの黒板に次の週の授業予定を書き込む。来週は……朝は同じ時間から。魔法史の授業があるみたいだ。持ち物をメモに書いて机に置くと、ちょうど挨拶のタイミングだった。起立して先生に挨拶をする。頭を下げた時、ふと今日の訓練でのことを思い出した。そういえばあの記憶の泡沫の……誰のだったんだろう?他の人は誰かの記憶を見たんだろうか、裕也はなにも見てないっぽいけど……。考えていると、クラスのみんなはもう帰り始めている。
「「刀真!」」
「おー、守道と羽知瑠か。二人とももう帰りか?」
「うん、けっこう疲れちゃったから」
「あー俺も腹減って力出ねえわ……飯食いたいし帰ろうぜ」
後ろから二人に話しかけられて振り向く。二人の誘いには乗りたいが、先ほどの疑問が頭に妙に引っかかった俺は先にその疑問を解決することにした。
「ごめん!先帰ってて!ちょっと先生に聞きたいことあるから後から帰るわ」
二人にそう告げて手を振る。
「あんま遅くなんなよー」「道迷わないように気をつけてね」と優しく言葉をかけて二人は一緒に帰ったいった。
ううっなんて優しい友達でしょう……!
早く用事を済ませて帰ろうと心に決めて先生を探す。黒板の文字を魔法で消した先生が扉から出ていこうとしていたので慌てて呼び止める。
「先生ー!ちょっと質問があります!」
手を上げて駆け寄ると先生は立ち止まってくれた。
「ん?どうした?なにかあったか?」
要点を掻い摘んで今日の訓練の話を先生にする。先生は頷きながら聞いていたが、記憶の泡沫のところで首を傾げた。
「うーん?そんな話聞いたことないけどな……記憶の泡沫の記憶は【経験】のことであって、【体験】ではないはずだ。誰かの習得した経験値を少し引き継げるだけで体験したことを見る、なんて作りにはなっていないとは教えられたんだが……」
「なるほど……?」
となると俺のあれは一体……?二人で首を傾げる。しばらく先生は一緒に考えてくれたが結論は出なかった。
黒板の前で話していたが、他の生徒はみな帰ったらしく辺りは静寂に包まれていた。
「まあ、俺もそんなに長くここで勤めてるわけじゃないからな……他の先生にも聞いてみるよ。今日のところは帰って休みな」
「はーい、先生お疲れ様でした」
「ん、気をつけて帰れよ」
廊下に出ていった先生を見送って扉を閉める。俺もそろそろ帰らなきゃ。
「よかったね訓練、上手くいって」
…………俺以外誰もいないはずの教室に声が響く。夕日に照らされていたカーテンは今は窓が閉められて揺れていない。背後からした声は嫌に聞き覚えがある声で――――
振り向くと、机に寄りかかって黒板を眺める俺がいた。




