65.メンタルケア
朝、部屋の扉の下に手紙が置かれているのに気付く。その手紙には憲兵隊舎に来るように書かれていた。差出人は……
「ネルアリアかよ……」
何か嫌な予感しかしないが、手紙には俺にしか出来ない事を頼みたいと書かれていた。
俺にしか出来ない事って何だ?
まあ今日は特に用事もないし、支度を整えて憲兵隊舎に行くことにした。
◇◇
憲兵隊舎へ着くと、隊舎の側に豪華な馬車が横付けされていた。
あのお貴族様は町の何処にいるのかバレバレだな。
中へ入るとすぐに奥へと通され、ネルアリアが現れた。
「来たか。ラドウィン」
「そっちが呼んだんだろ?」
「そうじゃがな」
「で、俺は何を頼まれるの?」
「うむ。こっちじゃ」
ネルアリアに連れられて憲兵隊舎の奥へと進む。ネルアリアに憲兵全員がお辞儀するところを見ると、ネルアリアは憲兵隊舎に通い慣れているみたいだな。
そして連れて行かれたのは小さな会議室。殺風景な部屋の真ん中に十人ほどが座れるテーブルと椅子が並んでいる。
誰もいないここで話をするのか、と思ったら……
「用とはコイツの事じゃ」
「コイツ? え?」
ネルアリアが顎で示した先には何もない壁……と思ったら一脚の椅子に項垂れるように腰掛ける憲兵が一人。
その存在に全く気付いてなかった俺は思わず声を上げた。
「リューラ!?」
「…………!!」
見るからにやつれて生気のない顔。
いつもの快活なリューラとは思えないぐらい顔色も悪い。視線もどこか虚ろだ。
だが、俺に気付いた視線の焦点が徐々に動いていく。
「ラ、ラドウィンさん!!」
「ちょ、リューラ!?」
椅子から立ち上がったリューラが勢い良く俺に抱きついてきた。慌てて引き剥がそうとしたが、その体が小刻みに震えているのに気付いて手が止まった。
「うわーーん!! ラドウィンさーーん……」
俺の胸に顔を埋めて、リューラが子供のように泣き出した。
俺とネルアリアが目を合わせ、お互いに苦笑いを浮かべる。
俺に頼みたい事ってこれだったのね。
ダイラーがあんな事になって落ち込んでいるリューラのメンタルケアか。
そこへ一人の憲兵がネルアリアを呼びに来た。憲兵は泣きじゃくるリューラを見て一瞬怯んだが、状況を察したらしく何も言わず俺に会釈だけする。
あなたに託しました、みたいな対応されてもな。
「ラドウィン。少し席を外すぞ。その小娘を頼むぞ」
「え? おい、頼むって……」
ネルアリアと憲兵が出ていき、部屋には俺とリューラの二人きりになった。
とりあえずリューラをなだめないと……。
「リューラ。大丈夫かい? とりあえず落ち着きなさい」
「う……ぅ……ラドウィンさぁん……」
全力で泣いたリューラがぐちゃぐちゃの顔を上げた。
うーん……困った。少し前にもミザネアに泣きつかれたけど、今回はその時とはちょっと状況が違うからな。
少し落ち着いたリューラをもう一度椅子に座らせて、目線を合わせるように身を屈めた。涙を拭きながらしょぼくれた目を向けるリューラ。
「リューラ。聞こえているか?」
「はい……聞こえてますよ」
「ダイラーの事はショックだったと思うけど……」
「はい……分かってます。自分でもこのままじゃいけないって……」
また目を伏せるリューラ。信頼していた人間が悪に手を染めていたという現実に気持ちの整理が追いついていないんだろうな。特にダイラーは彼女にとって上司であり、彼女の正義感を象徴するような存在だったろうからな。
正直こんな時、どうやって相手を励ましたらいいかなんて俺には分からない。
落ち込んでいる時の対応策は人それぞれだろうから、俺の対応策がリューラに当てはまるか分からないけど……。
俺が昔からやっている方法でやってみるか。
「リューラ。ちょっと出掛けるよ」
「え!? でも……」
リューラを無理やり椅子から立たせて、手を引いて部屋から出ると、ネルアリアと憲兵の姿があった。
「ちょっと彼女を借りて行くよ」
「ふむ。頼んだぞ」
「え!? え? ラドウィンさん、私、勤務中……」
同僚の憲兵が俺に向かって敬礼する。
今のリューラじゃ何の役にも立たないからよろしくお願いします! と言っているようだった。
憲兵隊舎を出た俺とリューラはそのまま町外れまでやって来た。ここまでくれば周りに人通りは全くない。
何の説明もしていないのに大人しく俺の後ろに付いてきたリューラ。
雑木林の中から適当な木の枝を拾ってリューラに投げ渡す。不思議そうな表情を浮かべて俺の顔を見返す。
「? な、何するんですか」
「稽古するよ、リューラ」
俺は木の枝を剣のようにして、リューラに向かって構えた。
リューラが目を大きく見開いて戸惑う。
「な、なんで稽古なんですか?」
「いいから、いいから。さっ! 打ち込んでおいで!」
「でも……」
「じゃあ、こっちからいくよ」
戸惑う彼女に牽制の一撃を放つ。それを払いのけたリューラが木の枝を構えた。
「ほら、どんどんいくよ!」
「え、え? わ、分かりましたっ! い、行きますよ」
「おう! ドンと来い!」
戸惑いながらもリューラが向かってくる。だがまだ躊躇いがあるのか、その剣撃は鈍い。
軽くいなしてリューラの足に一撃を入れる。
「痛っ!」
「ほら! 来ないとガンガン打ち込んでいくよ」
「む、むう……。知りませんよ! ラドウィンさん! 本気で行きますよ!」
「おう! 本気で打っておいで!」
そこからリューラの剣(木の枝)は見違えるように速くなった。が、それらもいなしてリューラの膝や小手に剣撃を打ち込む。
それでも下がらずリューラは打ち込んでくる。
落ち込んだ時やモヤモヤした時の対処法……俺の場合はとにかく体を動かす、だった。それはもう疲労で何も考えられなくなるくらい体を動かした。
走り込んだり、剣を振ったり動かし方は色々だったが、若い時はとにかく疲れ果てるぐらい体を動かしてイヤな事を忘れていた。
というわけで今、それをリューラに実践しているわけだが……合っているんだろうか?
だが彼女は狙い通り、一心不乱に俺に打ち込んでくる。暗かった表情はどんどん紅潮して汗が光り出す。そして歯を食いしばって必死に打ち込んでくる。
「ラドウィンさん!」
「? どうした?」
攻撃の手を緩めないままリューラが俺に話し掛けてくる。
「私、どうしたらいいんですか?」
突然の問い掛け。信頼していた上司に裏切られ、彼女の中の正義が揺らいでいるのか。
「君の使命は何だ?」
「わ、悪い人を捕まえる事です!」
「じゃあ、悪い人っていうのは誰だ?」
リューラが動きを止めた。肩で息をしながら真っ直ぐに俺を見つめる。不意に彼女がその視線を下に向けた。
「…………ダイラー隊長……」
絞り出すようにリューラが答える。
「ああ。今回、ダイラーは悪い事をした。けど悪いのはダイラーだけか?」
「…………」
リューラの視線が再び俺に向けられる。
「ダイラーの立場を利用してあんな凶行をさせた奴がいる! そいつは悪くないのか?」
「悪いです! 悪人です!」
「じゃあ君はその悪人をどうする?」
「捕まえます!」
「捕まえた後、どうする?」
「え? ……分かりません……」
「何故、ダイラーを利用したのか問い詰めるんだよ!」
「え!?」
「何故、ダイラー隊長に君や憲兵達を裏切るような事をさせたのか、君が明らかにするんだ!」
「そ、そう……か」
「そうだ! 落ち込んでいる暇なんて無い! 今君がするべき事は下を向く事じゃない。前を見て、ダイラーが道を踏み外した原因を作った奴らを捕まえることだよ!」
リューラの顔にみるみる生気が戻ってくる。いつもの真っ直ぐな瞳が戻ってきた。
「そうだ……そうだよ。何やってたの、私……。落ち込んでいる場合じゃないよ」
「リューラ、信頼していた人に裏切られたのはショックだったと思う。けど君にはやらなきゃいけない事がある、だろ?」
「はい!」
リューラにいつもの笑顔が戻った。
この娘には真っ直ぐな瞳と笑顔がよく似合う。
「ありがとうございます! ラドウィンさん! 心配かけてすみませんでした!」
リューラが深々とお辞儀する。
良かった。もうすっかり立ち直ったみたいだ。ネルアリアと憲兵隊に丸投げされた時はどうしようかと思ったけど、一番弟子を名乗って慕ってくれてる娘だしね。
さて……とりあえずリューラを憲兵隊舎に送り届けるか。
お辞儀のまま顔だけ上げたリューラが満面の笑みを見せる。うん、いい笑顔だ。
「じゃあ、ラドウィンさん! もういっちょ行きますよ!」
「え?」
リューラが笑顔のまま木の枝を振り上げてくる。
まだ稽古やんのぉ!? もういいじゃん!
このまま昼まで、二人ともヘトヘトになるまで突発稽古は続いてしまった……。
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