63.とある姉弟の会話
この話は珍しく三人称でお送りします。
ラドウィンとミザネアが立ち去った後、静かになった広間でネルアリアはまだ食後の紅茶を飲んでいた。
その広間に一人の男が入って来る。
「姉上」
「うん? ヴァナ坊か。どうしたんじゃ? こんな時間に?」
「……坊は止め……まあ、いいでしょう。それより……」
ネルアリアにヴァナ坊と呼ばれた口髭を携えた壮年の男は、ネルアリアの向かい側の席に座った。
この男の名はヴァナオル。
ログロンド王国のフォーライア侯爵家の次男にして、王政議会の議員も務めている男である。
先ほどラドウィン達が話していた議会貴族の一人だ。
目尻に皺が何本も刻まれてはいるものの、その意思の強そうな眼差しと立ち振る舞いはまさしく由緒ある貴族のそれであった。
「姉上があの一族に連なる者を捕らえたという報を聞いて駆けつけました」
「ほう……耳が早いの。ガル坊の指示か?」
「まあ……そうです。兄上に詳細を確認するよう言われました」
ネルアリアはカップを置くと、小さく溜め息をついた。
「残念じゃが、捕らえた男は昏睡状態じゃ。この先目を覚ますかどうかは分からん」
「憲兵隊の隊長だと聞いておりますが……」
「そうじゃ。ダイラーという男じゃ」
「そうですか」
ヴァナオルは腕組みをして思案する。そしてネルアリアの表情を窺うように口を開く。
「そのダイラーという男からは何も得られなかったのですか?」
「いや、色々と収穫はあったぞ」
「どんな収穫が?」
「奴らはまだ遺物の場所はおろか、遺物が何かも分かっておらん」
ヴァナオルが小さく頷き、ネルアリアが続ける。
「遺物が装飾品だというところまでは分かっておるようじゃが、それが首飾りなのか指輪なのか、何なのかは知らんようじゃな」
「なるほど。それで盗賊団を使って手当たり次第に装飾品を盗んでいたわけですね」
「そうじゃな。最初は何を狙っているのか隠蔽する為かとも思ったが、どうやら本当に遺物が何なのか分かっておらんようじゃ」
「他には何か分かりましたか?」
「奴らは秘法の魔石を使っておる」
ヴァナオルが思わず身を乗り出した。
「秘法!? 遺物もないのに何故?」
「最後まで話を聞け! ヴァナ坊! 秘法といっても欠陥品じゃ。捕らえたダイラーはその魔石を使った反動で昏睡状態になったんじゃ。遺物なしで秘法を蘇らせて、魔石に閉じ込めたんじゃろ」
「それを何故ダイラーに?」
「恐らく最後の切り札とでも言って持たせたんじゃろ。反動があることまで伝えたかどうかは分からん」
舌打ちしたヴァナオルが表情を苦々しく歪ませる。
「そこまでして蘇らせたいか……」
「まったくじゃ……」
嘆息したネルアリアが再び紅茶のカップに手を伸ばす。その様子をじっと見ていたヴァナオルが口を開く。
「姉上。何か良い事でもあったのですか?」
ネルアリアが動きを止めて、驚いたように向かい側に座るヴァナオルに目を向ける。
「どうしてじゃ? 良い話など何もしておらんぞ?」
「なんとなくです」
フッと微笑んだネルアリアが紅茶に口をつける。
「なかなかの観察眼じゃな。くせ者揃いの議会で鍛えられておるだけあるの」
「いえ、たぶん姉弟だからだと思いますよ。何があったんですか?」
「お前には関係ない話じゃな」
「ずるいですよ。せっかく見破ったんですから少しくらい教えてくださいよ」
ヴァナオルは口髭が似合う、威厳ある男であるがその笑顔は柔和で人懐っこい。姉のネルアリアはやれやれといった感じで話し始める。
「お主には勝てんの。この人たらしが」
「この姉にしてこの弟あり、ですよ」
「誰に似たんだかの……そうじゃな。良い事とまでは言わんが、面白い男を見つけた」
「面白い男? 姉上が興味を持つ男性ですか」
「そうじゃ。その男は剣士でありながら身体強化魔法が使える」
「ほう……。ですがそういった者は確かに希少ですが……」
姉上の興味を引くほどとは……と言いかけたところで、ネルアリアの邪な笑顔に気付いた。
ああ、この姉がこの顔をする時は本当に興味のある物を見つけた時だ。楽しみで、楽しくて仕方がないといった時にする顔だと、ヴァナオルは直感で悟った。
「かなり強力な強化魔法じゃ。しかも自分以外にはかけることが出来んらしい」
「それはまた特殊な……」
「そうじゃろう? 実際に見てみたがかなり身体能力が引き上げられておった。あれほどの効果の強化魔法は今まで見たことがないの」
ヴァナオルのネルアリアを見る目がスッと細くなる。
「姉上……まさかその男を姉上の懐に引き込むおつもりで?」
「まあ、候補の一人じゃな」
「まだ探しておられたのですか。姉上を護衛する者でしたら我々で用意致しますよ?」
「妾は自分で見つけた者しか信用出来ん」
きっぱりと断られたヴァナオルが肩を落とす。
議会貴族であり、由緒あるフォーライア侯爵家のこの令嬢は一人で出歩くことを好む。それはとても危険なことだと両親や弟達が何度言ってもネルアリアは全く聞こうしない。
それはネルアリア自身が高レベルの魔術師であるからである。便宜上、冒険者登録はしているが、全くクエストを受けたことがないのでランクはアイアンランクのままだが。
家族が何度も彼女に護衛をつけさせようとしたが、ネルアリアはことごとくそれを断ってきていた。
ヴァナオルは諦めたように嘆息する。
「変人の姉上に見初められたその男には同情しますよ」
「何を生意気な……。妾の眼鏡にかなったのじゃ。誇ってもよいはずじゃぞ?」
ネルアリアが微笑みながら身を反らした。彼女のドヤった時の癖だ。
同じようにヴァナオルを笑顔を浮かべながら、
「まあ、そうですね。ですが……本当に姉上の言った通りになるとは思いませんでしたよ」
「何がじゃ?」
「あの一族のことですよ。数百年前、旧王都と共に滅ぼされたあの一族……それを蘇らせようとしている輩がいる。その話を始めた時は姉上は本当におかしくなってしまったと思いました」
「妾が変なのは否定せんが姉弟とはいえ、ちと遠慮が無さすぎではないか?」
「実の弟だから言えるんですよ。こういうことは」
「ふん。本当に人たらしじゃの、お前は」
破顔しているヴァナオルに呆れたような笑みを見せるネルアリア。
再び真剣な表情に戻ったヴァナオルがネルアリアに尋ねる。
「で、姉上。これからはどのようになさるおつもりで?」
「ダイラーが繋がっていた盗賊団の連中も捕らえておる。望みは薄いが、そこから手繰るしかあるまい」
「そうですね。私の方でも引き続き、王国内の貴族に探りを入れていきますので」
「うむ。頼んだぞ」
「この事は私の方から兄上に報告しておきますので、ご安心ください」
「うむ。して、ガル坊は息災か?」
「ええ、元気ですよ。今回のこの一件で、騎兵師団と憲兵隊の体制には動きが出そうなので、兄上は忙しくなりそうですが」
「騎兵師団と憲兵隊の統合か……。ガル坊は推進派じゃったの」
「ええ、そうです。あの一族関連の件は隠蔽するでしょうが、現隊長が憲兵隊に手をかけたのは隠しようがないですからね。これを機に話が進むのは間違いないでしょう」
「なるほどの。さっさと進めてしまえば良かろうに……」
「色々と事情があるんですよ、各方面には」
「本当に政とは面倒じゃの。優秀な弟二人に任せて正解じゃな」
「戻ってくるならいつでも歓迎しますよ。何なら手助けもしますが?」
「妾は戻らん。ガル坊とお主がおれば問題ないじゃろ。妾は政には向かん」
キッパリと言い切るネルアリアにヴァナオルが再び諦めたように嘆息する。だが、姉のこの返答は彼にとってはいつもの当たり前のやり取りである。
「で、統合するまで憲兵隊はちゃんと機能するのか?」
「はい。もう既に騎兵師団から人を派遣する段取りが進んでおります。ガルゼルフ兄さんと新しい騎兵師団の団長ルキュアと新体制の草案作りに取り掛かっていると聞いています」
「団長叙任そうそうに大変じゃな、そのルキュアという者は」
「ええ。ですが、彼女は非常に優秀です。新体制への移行も問題なく進むでしょう」
「承知した。ではそちらの件はお主らに任せて、妾は引き続きあの一族の件を探ることにするかの」
「あまり無理なさらないでくださいよ。迂闊に動けば姉上自身の身に危険が及びますから……」
不敵に微笑んだネルアリアが、カップの紅茶を飲み干した。
ヴァナオルは言っても今更か、と肩を竦めるしかなかったのだった。
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