44.要注意人物
立ち上がったグリハンの頭から、ぶっかけられた果実酒が滴る。今にも掴みかかりそうな凶悪な眼をミザネアに向けるが、ミザネアは全く退かずに座ったままグリハンを見上げ睨む。
「おい……ミザネア。ちょっと表に出ろや」
「ええ、いいわよ。その汚い口にしこたま泥を詰め込んであげるわ」
カチンッ!
マズい!
グリハンの手がミザネアの首元に伸ばそうとした瞬間、俺も腰を浮かせてグリハンの反対の腕を掴んだ。
「何ごとですか?」
良く通る女性の声。
少し離れた場所から声を上げたのは腕組みをしたギルド長、セレス女史だった。
その声に気付いたグリハンが動きを止め、伸ばした腕をスッと引っ込めた。
「グリハン=バングリム。帰って来て早々に揉め事ですか?」
バツが悪そうにミザネアを睨んで、グリハンがセレス女史に視線を戻した。
「揉め事じゃないっすよ。ちょっとじゃれてただけっすよ、ギルド長」
卑屈な笑みを浮かべながらそう応えるグリハン。
その言い訳はだいぶ苦しいと思うが、手を出したのはミザネアが先だ。グリハンはまだ手を出そうとしただけだ。
首を傾けたセレス女史が鋭い視線をグリハンに向けたまま、ミザネアに尋ねる。
「と、彼は言っていますが本当ですか? ミザネアさん」
一拍の間を置いて、椅子に腰掛けたままミザネアがセレス女史の方に顔を向ける。
「ええ。久々に再会したものですから……。ちょっとはしゃぎ過ぎましたね。すみません」
こちらも笑顔で応えるが、俺には分かる。ミザネアの目は全然笑ってない。
ふぅ、とわざとらしく大きなため息をついたセレス女史がグリハンに続ける。
「グリハンさん。貴方はこれ以上問題を起こすとどうなるか、以前にお伝えしましたよね?」
「もちろん。肝に銘じてますよ、ギルド長」
「では紛らわしい事も控えてください」
「紛らわしいって……。ああ……へいへい。分かりましたよ……で、いつまで掴んでんだよ!」
グリハンの腕を掴んだままだった俺の手を、グリハンが振り払う。そして俺を一瞥すると、顔を寄せてくる。
「次やったらぶち殺すぞ、テメェ」
俺にだけ聞こえる小声でしっかりとした脅し。相手を刺激しないよう、俺はグリハンから目を逸らした。
こういう輩は目を合わせただけでも噛み付いてくるからね。おじさんは努めて空気になろうとする。
グリハンは踵を返し、ミザネアやセレス女史の方は見ずに、その場から立ち去っていった。
やれやれ……ギラギラした若者の冒険者は珍しくないとはいえ、ああいうのはちょっといただけないね。
グリハンの後ろ姿を見送ったセレス女史が俺達の方に近付いてくる。
「ミザネアさん。大丈夫ですか?」
「ええ、すいません。ギルド長。お騒がせしてしまって……」
「いえ。で……」
セレス女史がチラリとコチラを向いて、すぐにミザネアの方に視線を戻す。
俺の心配は? 何も心配してくれなかったら、さすがのおじさんでも軽くショック受けちゃうよ?
そんな嘆きは露知らず、セレス女史はミザネアに続ける。
「グリハン=バングリム……しばらく町を離れていて、平和になったと思ったのに戻ってきて、早速ですか……」
「相変わらず……ですね」
「あのグリハンって、そんなに問題児なのか?」
ミザネアとセレス女史の視線が同時に俺の方に向いた。
「そうですね。ラドウィンさんが知らないのも無理ないですね。あのグリハンという冒険者はこの二、三年ほど問題ばかり起こしてるんですよ」
この後聞いた二人の話では、あのグリハンという奴は、頻繁に他の冒険者と揉め事を起こす奴らしい。
冒険者同士の揉め事はそれほど珍しい事でもない。が、奴の場合はその数が異常だという。
冒険者同士の揉め事の大半は、同じパーティー内での報酬の分配や、クエストなどの活動方針の不一致などだが、グリハンの場合は女。
とにかく女グセが悪いらしい。人の女、別のパーティーの女……ありとあらゆる女に手を出し、その結果揉める。
ギルドにいる女性冒険者のほとんどは奴に声をかけられた事がある、という噂があるぐらい見境がないらしい。
だが、それだけならギルドも、グリハンの事をそれほど問題視しない。冒険者にはそのぐらいやんちゃな奴も珍しくないからだ。
ギルドが奴に目を光らせているのは、別の理由だった。
神妙な表情のセレス女史が言葉を続ける。
「去年は二人。その前の年は三人でしたね……」
「え? 何の人数?」
「グリハンと喧嘩した後、命を落とした冒険者の数です」
「え? 奴が殺したの?」
「いえ。そうではありません。皆、クエスト中の事故で亡くなってはいるんですが……」
「タイミングが良過ぎるのよ、ラドさん。皆グリハンと揉めて、一週間以内に死んでるの」
「じゃあ、奴が……?」
「でも何の証拠もありません。全てクエスト中の事故として処理されています」
「けど、タイミングが良過ぎてアイツがやったんじゃないかって、噂になったのよね」
「ミザネアさん。今は構いませんが滅多な事は言わないでください」
「すいません……」
セレス女史に咎められて、肩を竦めるミザネア。
だからグリハンがここに現れた時に周りの奴らは関わろうとしなかったのか。皆、見て見ぬ振りしてたもんな。
そんな噂のある奴だったら、誰も首を突っ込みたくないのは当然だ。
でもそんな奴相手に喧嘩を売ろうとするミザネアって……肝座ってるな。
「その噂以外でも彼の周りでは揉め事が絶えません。私からのアドバイスとしては近付かない事をおすすめしています」
「そうですね。出来るだけ関わらないようにします。ありがとうございます。ギルド長」
「いえ。ラドウィンさんも、よろしいですか?」
「ええ。俺は平和主義者ですから。何かあったらすぐに……謝ります」
「謝って済む相手なら良いのですが……。まあ気を付けてくださいね」
セレス女史はそう言い残すと、俺達の前から立ち去って行った。
セレス女史が見えなくなると、ミザネアが俺に申し訳なさそうに謝ってくる。
「ごめんね、ラドさん。なんか……ラドさんの事、ヒドく言われてつい頭に血が昇っちゃって……」
「いや、俺はいいけど大丈夫かい? 前から奴には言い寄られていたんだろ?」
「まあ……そうなんだけどね。その内にまた別の女に目がいくと思うから」
「そんな感じか」
「ええ。私はアイツの視界に入らなければ安全だから。それよりラドさんが……」
「俺?」
「うん。アイツに目をつけられたんじゃないかって……」
「ま、それは大丈夫だろ。こんなおじさんの事、すぐ忘れるさ」
「だといいんだけど……」
自分の事より俺の事を心配してくれるとは……。嬉しくて泣けてきちゃうよ。けど……。
「ミザネア。俺の事で怒ってくれるのは嬉しいけど、変な奴相手に喧嘩とかするもんじゃないよ」
「あ……うん。気を付ける……」
ミザネアが申し訳なさそうに答えながら、目を伏せる。
せっかく二人で楽しく食事をしていたのが台無しだ。改めて飲み直す為に、給仕を呼び止める。
「もう一杯、飲むだろ?」
「うん」
ミザネアが嬉しそうな笑顔で答えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
お察しの通り、ミザネアは意外と気が短めです。




