35.出立の朝
ボルゾアと飲んだ翌朝、宿の扉をノックする音で目が覚める。まだ早朝と呼べる時間だ。誰だ、こんな時間に起こしに来るのは……。
重い体を立たせて、何とか扉まで歩く。
返事をすると、ノックしていたのはこの宿の従業員だった。
「ラドウィンさん? 朝早くからすみません。ギルドから緊急の呼び出しなんです」
「緊急? 何かあったんですか?」
「詳細は分かりませんが、ギルド長からすぐにギルドまで来るようにと……」
ギルド長……セレス女史が?
こんな朝から一体何なんだ。といってもこちらはそのギルドから格安で宿を提供してもらっている身だ。滅多にない緊急の呼び出しぐらいには応えておかないと。
もし嫌われたりしたら、大変だからな。
「分かりました。支度したらすぐに行きますので」
「すみません。よろしくお願いします」
従業員にそう答えると、彼はすぐに立ち去ったようだ。
すぐにギルドへ行く支度を整え始めた。
そういえばルキュア副団長の御前試合はもう終わっているはずだ。結果はどうだったんだろうか?
王室御前試合は一般には非公開で、王都で行われるって言ってたもんな。御前試合の結果はイオアトス支部に行ったら誰か教えてくれるかな?
まあ騎兵師団の団長は確実に代わるんだから、ルキュアが団長になったんだったら自然と俺の耳にも入ってくるだろう。
支度を整えた俺は宿の一階へと下りていく。宿のカウンター横に背の高い女性が立っていた。その女性が俺の姿を認める。
「ラドウィンさん」
「……え!? ルキュア……さん?」
平服姿のルキュアが俺に向かって軽く頭を下げる。ちょうど御前試合の結果とか色々気になっていた所だけど……タイミングが悪い。
何せ、セレス女史からの緊急の呼び出しだ。もし俺が何かやらかしてた上での呼び出しだったら、とにかく急がないといけない。
「すみません。ルキュアさん。ちょっと急いでおりまして……」
「あ……それなら大丈夫ですよ」
「すみません。じゃあ失礼します」
そう言って行こうとすると、ルキュアに腕を掴まれて止められた。
「いや……俺、急いでるんですが?」
「すみません。言葉が足りませんでした。その緊急の呼び出しはありません。大丈夫です」
「え!?」
「その緊急の呼び出しは私です……から」
「ルキュアさんが?」
わけが分からない。さっき宿の人はギルド長からの呼び出しと言ってたぞ? 宿の人がルキュアに頼まれて嘘をついたのか?
居心地が悪そうに目を伏せるルキュア。ルキュアが呼び出したのに何故、こんなに居心地が悪そうなんだ?
ルキュアがチラリとカウンターの方に目を向ける。カウンター奥から一人の女性が出てくる。ギルド長のセレス女史だ。
なるほど……この二人は仲が良いらしいからな。ルキュアがセレス女史にお願いして、俺の宿を教えてもらってここに来たというわけか。
何故、何の用でここに居るのか、までは分からないが。
その疑問を感じ取ったのか、セレス女史が眼鏡に手をかけながら、
「ルキュアさんがどうしてもラドウィンさんにお話があるという事なので、私がお連れ致しました。ルキュアさんのお話を聞いてあげてもらえますか?」
「は、はあ……」
普通に呼べばいいのに、何でわざわざ緊急の呼び出しとか使ったんだよ! まあ、俺が何かやらかしたというわけではなさそうなので、いいとするか。
そういえば前も強化魔法の稽古をつけて欲しいってお願いされた時もこんな流れだったよな。
セレス女史がカウンターの奥へ立ち去っていった。
ルキュアがすくっと背筋を伸ばし、真顔になった。切れ長の瞳で真っ直ぐに俺を見つめる。
「ラドウィンさん……このたび、私ルキュア=オールレブはログロンド王国騎兵師団の団長を拝命することになりました。拝命に当たり、貴方のご助力に感謝の言葉を伝えに来た次第です。本当にありがとうございました」
「いや、俺なんて大した事はしてませんよ? わざわざそれを伝えに来てくれたんですか?」
「貴方のお陰で御前試合では良いアピールが出来たのです。本当に貴方のお陰です」
「いやいや、普段のルキュアさんの鍛錬と努力が認められたんです。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ルキュアが深々と頭を下げる。本当に俺なんぞにわざわざ礼を言う必要なんてないのに。強化魔法が強いだけで団長に指名される事なんて絶対にあり得ないのだから。
頭を上げたルキュアに聞いてみる。
「これでベンゼルとの競走はルキュアさんの勝ちですか?」
「まあ、そうですね。向こうはどう思っているか分かりませんが、私の勝ち……ですね」
ルキュアがいたずらっぽく笑った。初めて見たルキュアの心からの笑顔のような気がした。
と、そこで俺の中にまた疑問が生まれてきた。
何でルキュアはわざわざセレス女史を使ってまで宿まで俺にお礼を伝えに来たんだろう? 前みたいにギルドで待ってもいいし、セレス女史に言えば昼間や夕方にギルドに呼び出すという事も出来るはず。
どうしてこんな急いで朝早くからわざわざ宿まで来たのか?
再びルキュアの顔が真顔になる。
「騎兵師団団長の叙任にあたり、王都の騎兵師団本部に行くことになりました」
「栄転ですね。いつから王都に?」
「今日、これから発ちます。なのでラドウィンさんには最後のご挨拶に……ギリギリになって申し訳ございません」
そう言ってルキュアは頭を下げた。
そういう事だったか。おそらく御前試合の後、団長になることが決まり、色々と準備で忙しかったのだろう。慌てて言葉を返す。
「いえいえ、大丈夫です。わざわざ来ていただいてありがとうございます」
「それでは……私はこれで。突然の訪問で申し訳ありませんでした」
ルキュアは慌ただしく立ち去ろうとする。宿を出た所で、何かを思い出したように立ち止まった。そして俺に振り返る。
「ラドウィンさん。もし王都へ立ち寄る機会がありましたら是非、騎兵師団の本部に立ち寄ってください。また鍛錬をお願いします」
「いや、さすがに団長様には鍛錬は無理です。本当に勘弁してください」
「そう言わずに。では立ち寄るだけでも構いませんので……どうですか?」
「そうですね。王都へ行く機会があれば考えておきます」
にこやかな笑顔で応えるルキュアが、振り返って朝の町へと消えていった。
俺の背後に迫る足音。その主が俺に静かに話しかける。
「突然の訪問、申し訳ありませんでした」
「本当ですよ。もう勘弁してくださいよ。でも……ありがとうございます」
俺の背後に現れたのはセレス女史。隣に並び、一緒にルキュアの後ろ姿を見送る。
こっちを見ないまま、セレス女史が話し出す。
「彼女、どうしてもラドウィンさんには自分の口から報告したかったそうです」
「そうですか。別にお礼なんかいいのに……ね?」
「へ?」
「え?」
セレス女史がキョトンとした顔で俺の顔を見上げた。
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