4話:樹海
「ザルじゃねえかセキュリティ。心配なるわ」
源光の街を門から出る。
光が視界を遮る街のなかは姿忍ばす三人にとって都合がよかった。門にかかっていた鍵はシルが風魔法で解いた。
その繊細なコントロールは幼少期からお世話になっている宿屋のオバアの部屋に、イタズラを仕掛けるために身につけたものだが、
「やっぱり、外にも見張りはいないんだね」
「アイバンパが光溢れるこの街に近づけないのは歴史が証明してるとしてもよ、猛獣もいんだよな?」
「そっちも光に弱い、もしくは」
猛獣も、アイバンパが生み出したのかもね、とマイニーはそっと門を閉めると「【ブック】」手に本を出した。
「どんなヤツだよそいつ、おしっこちびりそーになるわ」
「漏らすくらいなら出しちゃいなよ? どーせ黒い樹しかないんだしっ」
「バカ言ってないで行くわよ汚いわね」
二人の頭に分厚い本の角が落ちる。
「いたっ! ブックは反則じゃない⁉︎」
それは生まれつき魔力の少ないマイニーが効率よく魔法陣を使うために、祖母と一緒に制作した特別な魔導ギアだ。
祖母がどこからか入手してきた特殊な魔力の塊をもとに制作したと、マイニーはうっすらと記憶している。
そしてブックは普段はシルのソウルマジックでその魂に直接刻まれている。この世界に来てすぐに具現化は試していたが、ただでさえ石像の肉体。悪目立ちしないよう解除していたのだが。
「結界を出るってこわいもんだね」
「まったくだ」
「ここから油断は禁物よ」
源光の街の光と樹海の瘴気の境目で三人は足を止めると、街壁の向こうで光るドデカい風車を一度だけふり返ってから、暗闇に足を入れた。
*
「布だ」
樹海を門から直進した先に街があるはず――とおばあさんからマイニーが聞いていたものの、先の見えない樹海をどう進もうかと考えていたとき、小さな光魔法で周囲を照らしていたシルが赤い切れ端に気づいた。
ツタに結べるほどの長さもない、短い切れ端だ。
大樹の根のスキマに間隔狭く埋められていて、自然のものでないのは一目見れば分かった。それに、その布は汚れも少なく、まだ新しく見えた。最近樹海に入った人物⋯⋯三人には心当たりがある。
「『黒樹は研いだ斧でも傷ひとつつかない』っておばあちゃんが言ってたから。これを目印がわりに準備していたのね」
「光を持った人間と黒樹で制するアイバンパ。陣取り合戦してたわけだ」
「聞けば聞くほどぼくら世界の魔王みたいなヤツだね」
赤い布を追って歩くほどに不安が増す。時間の流れがやけに遅く感じる反面、この目印はいつ無くなるのか、と鼓動は速くなる。想定通りなら、この布をつけた人はいま――、
「あの石像⋯シルファンさんだ」
――石化されていることを、三人は知っているから。
「オッサンはここでアイバンパの目を見たのか」ヒョンがシルファンの目を見ながら言って、シルは足元に手を伸ばす。
「この剣⋯⋯シルファンさん、どうして武装していた剣を手放したんだろう? 服が石化するなら、剣も石化してないとおかしいよね?」
「アイバンパに気づいて ふところから強力な光の装置を出そうとしたんじゃないかしら」
マイニーはシルが持つ大剣からシルファンの頭についた光の装置を見たあと、手元に目を向けた。片方の手はローブの中に、もう片方は襟元を強くにぎっている。
「⋯⋯とっさに?んー」
「いるかわかんねえアイバンパより猛獣警戒するのでいっぱいだったんじゃねえか? オッサン戦闘経験ないだろうし」
「油断していたかはともかく、動揺したのは間違いないでしょうね」
石化したシルファンの顔には、驚きと悔しさがにじんでいるように見える。
「オッサンが街を出て三日。 おそらく久々の人間だ」
「うん⋯。 このあたりに潜伏していてもおかしくないよね」
「アイバンパの能力と真紅の瞳から私はアフロンティア世界の吸血人族を連想したの。
彼女たちが影を瞬間で移動するように、なんらかの魔法でこっちを伺いながらも遠く離れている可能性もあるわ」
「問題は樹海に侵入した人間を瞬時に察知する能力があるのか。偶然、別の目的があってここにいたのかか」
「一瞬で察知できるならもう来てるんじゃないかな。 だけど後者なら目的を果たして移動してる可能性もあるのかあ。
やっかいだなあ」
シルは頬をかく。
“オッサンイタクナーイの実”を入手するだけなら願ってもないことだが、メルルと約束した以上、アイバンパから隠れ続けるわけにもいかないから。
この世界の広さは知るすべもなかったが、人間とそう変わらない大きさの悪魔を見つけるとなると、骨が折れるのは間違いないだろう。(このカラダ、折れる骨なさそうだけど)
とはいえ、やはり近くにいる可能性は高いと三人は踏んでいる。
「ヴィジョンでオッサンの記憶を見たときの走り書きのメモ、覚えてるよな?」
【オッサンイタクナーイ――
ハンゲツ――
メイゲツ――
アイバンパ――】と書き殴られたもので、他の字はシルファンの影で見えずにいたが。
「うん。 ハンゲツ、メイゲツ、オッサンイタクナーイ、
それに、アイバンパ。
マイニーが聞いた限りおばあちゃんでも知らないみたいだったけど、関連性はあるよねきっと」
「“オッサンイタクナーイの実”の効能は腰痛⋯。 それはおばあちゃんも聞いたことがあるって言ってたわ。 あとのふたつの意味と、アイバンパの関係が不透明だったけれど」
「メルクさんだね」
「ええ。『シルビアはお義父さんに⋯⋯もう時間がないんだぞ』、ね」
「おう。オッサンの娘が病気って仮定すりゃあ、‘“メイゲツ”だか“ハンケツ”、もしくは“実”を合わせた三つを集めりゃそれを治癒するだけのチカラがある」
「ハンゲツよ」「ハンケツは尻拭きの刑とする!」マイニーとシルが同時に言った。ヒョンは気にせず続ける。
「となりゃあ、この世界の人間をエサにしてきたアイバンパが、腹をすかせてその幻の実を狙ってる可能性は低くないと思うぜ?」
「アイバンパがそれを探してるときに、シルファンさんを見つけた可能性だ」
「察知できないとすれば、そしてアイバンパが実の在処をおおまかにでも知っているとすれば、だけどね」
マイニーの言葉に、「⋯⋯⋯⋯⋯近くにいるのかな、いまのうちにおしっこ出してくる!」っとシルが大樹の陰に隠れた。
「オレも出しといたほーがいーかもしんねぇ。つーかあいつよく光置いてひとりで行けるな」
「⋯⋯男は気楽でいいわね」
ふんっ、と鼻を鳴らしたマイニーがシルファンの石像を見た。
「よっと!」それと同時、ヒョンが石像の足元にカザグルマをさした。
「それ、大事なものじゃなかったの?」
「おう。 アイバンパが近くにいるとなりゃあ、持ち歩くわけにもいかねえだろ?
どーせ帰りにオッサンの石像も持って帰ってやんなきゃいけねーし、ちょっくらここに預ける」
そう、とマイニーが優しく微笑むと同時、「このカラダ石像だから出なかった⋯」シルが身震いしながら帰ってきてぽつり。
「シルファンさん⋯⋯。 ⋯⋯このままにはしておけないよね」
「だな」「そうね」
石像の足元で、カザグルマが、カラカラと小さく回る。
「シルファンさん⋯⋯。 おそなえみたいになっちゃったね」
「⋯⋯だな」「⋯⋯そうね」
――大樹の陰から大きな影がヒョンを襲ったのはそのときだ。
「「ヒョンッ!」」
影が大樹の隙間を走る。
シルの記憶にある虎のような生き物だが、動きはそれほど速くない。ただ、毛並みは樹海に溶け込むほどに黒い――
「見失う!」シルが言い終わるよりもはやく、マイニーはブックを片手に走った。
「落ち着いて!」追走しながらシルは言う。
「ヒョンの纏っている音が消えてない!あの牙にそこまでの威力はないってことだ!ブックの魔力を使うのはまだ早いよマイニー!」
影に噛まれる寸前、シルの耳には音魔法で【音の装甲】を身に纏うヒョンの声が聞こえていたが、
「そんなこといったって! 見失ったらどうするのよッ!」
ぼくがやる、とシルは猛獣に向かって指先を伸ばした。
「【風魔法・足引っ掛け】」
猛獣の進行方向で、左右に生えた大樹から垂れる二本のツタの先端が、シルの風で地を這うようにして交差する。その中心にヒモのように凝縮した風が結びつくと、『――ッ』バランスを崩した猛獣が頭から大樹に突っ込んだ。
「「ヒョンッ!」」
「だいじょーぶだ⋯⋯いててて」
牙から離れたヒョンが地面に投げ出されたあと、後頭部をさすりながら立ち上がって、二人はほっと息を吐いたが、
「シル!」「任せて!」
横たわったまま咆哮を上げた猛獣が体勢を立て直すよりも速く、シルが風魔法で操作するツタが黒い毛並みに絡みついた。
「ブック――魔法陣展開・起動!【水球】!」
ぱららら、とめくれるページに手のひらを叩きつけるように乗せたマイニーが、猛獣の顔を水の塊で包む。そこにヒョンが指先を入れた。
「音魔法――【水 響 破】」
通常、空気中よりも水中の方が音の伝達速度は速く、減衰もしにくくある。これは三人が何度か使ったことのある連携攻撃で、水を振動させ、頭蓋骨に直接“共鳴振動”を叩き込むもの。
鼓膜があるのかさえわからないこの猛獣にはベストな手ではあった。問題は、この世界でその理屈が通じのかどうか、だったが。
「⋯⋯これで失神程度かよ」
「よかったー! 助かったらこっちのもんだよ!」
「魔力消費を考えても最善策だったわ」
黒虎が、ヨタヨタと動いて、気を失った。
「けどよ、まずいな。結構魔力使っちまったぞ、あと四発⋯いや三発か?たいした魔法使ってねえのに魔力の消費量も半端じゃないみたいだぜこっちわ!」
「ぜんっぜん回復しないしね! 魔法使いに毒だよこの世界!」
「ええ、それに」
かんっぜんっに道に迷った――と声をそろえる三人。
「そう離れてはねえはずだけどよ、こーも樹ばっかじゃ右も左もわからねえや」
「⋯⋯ヒョン、残った魔力でぼくに【音の装甲】かさねがけしとかない?」
「冗談言ってる暇すらないみたいよ」
マイニーがブックを構えたのは、猛獣が咆哮を上げていた方角から、豪炎が樹海を溶かすような爆発音が次々と聞こえたときだった。