「POOL」〜上水〜
■まえがき
ここから【夏のホラー2025】となります。
■本文
暑さ高まる夏の盛りに学校も市営もプールが閉鎖、市内全域で水道水の飲用が禁止され、公園や学校など公営設備の蛇口ハンドルも外された。
突然の事にも何処の機関からの規制なのか、調査中としか報道されず、当の市民は何が起きたか判らないまま。。
トイレやシャワーには使えるが、水を飲めず食事にも使えない日々が始まると直ぐ、水を買い求めて駆け込む長蛇の列で道には車が並び動かず、あっという間に市内のスーパーから水のペットボトルは消えてしまった。
そして五日目、遂には市内全域の水道水に栓をされ、七日目の今日になってようやく給水車を小学校の校庭に配備し、飲用のペットボトルと風呂トイレ用水の配給が始まった。
唐突な事態に市や県の対応も後手後手で、普段は温厚そうに見えた大人達の苛つく態度がやたらと目に付く。
町は喧騒の広がりに暑さが加わり、喉の渇きに溜め息ばかりが吐き出され、苛つきを見せない大人が僕たちを諭して情を制す。
「他人を羨み貪り悉くす貧素な鬼を餓鬼って云うの。こうやって皆が困ってる時にこの世を徘徊するから、情や良心の欠片を今に出せば略奪心を生んで餓鬼に狙われるよ。だから情に流されず踏み留めるのが正解の時もあるの。餓鬼は特に純粋無垢な優しそうな子供を狙うから、君みたいな子は特に気を付けないと!」
そう話す普段は怖い目つきのスナックのおばちゃんが、狡賢い腐った大人の餓鬼を近付けさせまいと、“創”り笑顔で子供に近付く大人に虚勢を張ってくれてもいる。
けれど守備を掻い潜って近づいて来る餓鬼は、自分の中では笑顔で優しい大人を演じているつもりなのか、普段から他人の悪い噂をばら撒く輩と同じで、嘘を吐く事に熟れているなと判った。
それが子供を騙そうと付け狙う餓鬼と気付けたのは、スナックのおばちゃんから話を聞いたお陰だけど、多分何も知らずに声をかけられても目の奥に潜むドス黒い何かには勘付けたと思う。
姉と僕は午前の仕事を休んだ母親と一緒に、朝から小学校の校庭で配水に九十九折で並ぶ中、隣の列に居る大人が校庭で遊んでいた子供に声をかけていた。
「ちょっと手伝ってくれないか? おじさん怪我しててさあ……」
手伝うの言葉に助け合いを浮かべ、利もなく素直な心で手を貸す子供を利用する大人が居る事を、こうした災害時に思い知らされるのは、”欲“も悪くも心に痛手を負うもので、悪い大人を知る勉強となった事だろう僕より年上の小学生の姿がそこにはあった。
手伝いに声かけした小学生と一緒に並び、家族と称して貰える水の計量を増やす為の嘘に加担させる小狡い手。
後にそれが嘘と気付けば、手伝った小学生は自身の手が嘘で汚れたと理解し悲しみを背負う。
純粋な良心を利用し悪に染め、ありがとうを言って鼻で嗤うニヤけた大人の餓鬼は、怪我はどうした! と言いたくなる程の大手を振って足早に車へ乗り込み出て行った。
また、校舎脇で突然やたらと咳き込み苦しそうな素振りを見せたおばさんは、心配そうに見つめる子供から水の入ったリッター・パックを渡され受け取りそのまま消え去る。
学校で先生に教わる道徳心を悉く裏切る大人の愚行が目に余り、漏れ聴こえる溜め息で町の空気は腹の底から吐き出された嫌な臭気に満たされて行くようで、体温よりも熱い空気は黄ばんでいるようにも見えてしまう。
だけど後ろの姉が着ている日除けパーカーは、光沢のある白で反射が眩しく、後光かよ! って程に辺りが浄化されているようにも思え、僕は背中の暑さに天を仰いで溜め息を吐いた。
ふと、天を見上げる目の右横で何かが動いた気がして、誰も居ない花壇の方へと視線を向ける。
木陰もなく日当たり良好な校庭に水たまりがあり、直ぐにそれが逃げ水だと理解したけど、水たまりに人の顔が浮かび重なるそれは晒し首みたいで、瞬間的にゾゾッとした寒気が走った。
僕がビクッと肩を上げて震えたのを背後に並ぶ姉は見逃さず、トイレと思ったのか短く問う。
「どしたん?」
「え、いやアレ!」
暑さで会話も少なに指を向けると、姉は直ぐに答えに行き着き一言告げる。
「ああ、奥見なよ」
花壇の先は校舎裏に繋がり、裏門側の舗装された所を一時的に駐車場としていて、晒し首はその駐車場に居る大人の見た目と一致した。
けど……
「ん?」
「何?」
面倒臭そうに問う姉へ、僕が理解しきれていない疑問をぶつける。
「アレって逃げ水? 蜃気楼?」
「……蜃気楼。」
何だか姉の確定的な逃げの物言いが気にはなるものの、妙な納得感に黙り込むと、後ろの大人が僕達の会話を聴いていたのか知識をひけらかそうと会話に混ざって来た。
「あれは蜃気楼で当ってるよ。確か、富山の方で観られる現象に同じようなのがあってさ!」
誰かも知らない町の大人が、学校の敷地内で当たり前に話しかけて来ても、近くに居る先生だって気にもしない。
言ってしまえばコレも火事場泥棒と変わらない。なんて考えが暑さで流れる頭の汗から脳裏に滲む。
てか、それ以前に僕が問いかけているのはソコじゃない。
「そうじゃなくて、あの晒し首は蜃気楼の上位か下位かだよ!」
「ああっ!」
知ったかな大人は上位と下位を理解出来ずに黙り固まるも、理科の予習をしていた僕に富山湾のそれをネットで観ながら教えてくれた姉は、二つの現象を理解している。
熱い空気層と冷たい空気層が重なり、空気層の熱いと冷たいがぶつかる所にレンズ的な層が出来ると、レンズ効果で屈折して視えるのが蜃気楼。
逃げ水も原理は同じ下位蜃気楼、熱せられた地面によって空気に温度差が出来て、空気層に薄いレンズ的な歪みが生じて水たまりに視えるだけの空間誤認。
像が浮かんで見える晒し首のそれは富山湾や琵琶湖で観られる上位蜃気楼の特性、熱い空気層に海水で冷やされた空気層が重なり空気層に厚いレンズ的な歪みが生じて像が浮かんで見える現象だ。
けれど遠くに居る駐車場の人の顔を近くに見せる蜃気楼となれば、レンズ的な空気層が分厚くなる高い温度差が生じた超レアな蜃気楼なのかもしれない。
けど、蜃気楼なら像はレンズ的に上下反転されて視える筈。
なのに、あの晒し首は……
「空間の歪み……」
姉もあの晒し首が逃げ水の上にある事から、上位蜃気楼の下に逃げ水の下位蜃気楼がある状態の説明がつかず、別の視点から探り始めたようだ。
あの辺りの地面に空気よりも冷たい何かがあるのは確かだけど、地面や空気層に熱いと冷たいが両方同時に発生している状態って、何だか当然のように怪奇現象としか思えなくなって来た。
「違う、発生地点が違うのかも!」
だけど姉は何かしら見当をつけたみたい。
故意か無意識かは判らないけど、姉が僕に説明しようと屈んだら、姉のお尻が知ったかの大人に当たったらしく、右手でこそこそ答えを探してたスマホを落としかけて、慌てて隠して気不味さに顔を背けた姿が、何かダサい。
「あの花壇の脇に水飲み場があるでしょ。多分水道の配管が校庭のあの辺りに通ってるんじゃない?」
姉の説く解は、校庭の下に配される水道管が地中を冷やし、並ぶ列と同じように九十九折に配された管の在る所と無い所で地表面に温度差が出来て、簡易的な上位蜃気楼と逃げ水の下位蜃気楼がほぼ隣り合う形で同時発生したという見立てだろう。
瞬間的には頷けた、けど……
「でも、今水道止まってるんでしょ?」
「あ、確かに。そっかあ……」
と、姉が答えの間違いに次の解を探す素振りを見せると、後ろで知ったかの大人が鼻で笑い、振り向きざまにど偉いメンチを切った姉。
夏の始まり、コンビニでヤンキーの睨みを跳ね除け退けた姉の力を、僕は今理解した。
「あぁぁ……」
あれは水神様の力ではなく、姉の眼力だ!
知ったかの大人は姉から目を逸らして後ろを向くも、後ろの人からも冷たい視線を向けられ肩を丸くし小さく謝り、暫くして列を離れて後ろへ行った。
「ったく!」
知ったかの大人は去ったが謎は残ったまま、姉は新たな解を探して周囲を見回す。
「あ、キヨッ! 私の代わりにココ並んどいて!」
日向を歩くキヨ兄を呼び付け、有無をも言わさず列を飛び出し、裏門側の一時駐車場へと走らず歩かず競歩並みの速さで向かう姉。
「え、ぃゃ、オレ日陰で休もうかと……」
とか言いつつも律儀に並ぶキヨ兄に、ウチの母親は謝りながら愚痴を溢す。
「ゴメンね清志郎君、うちのバカ娘が。こんな陽の当たる場所に並ばせて、整理券配布して番号で呼べばみんな日陰で休んでられるのに、給水車も日向だし中の水もお湯になってそうよね」
「ああ、確かに……」
それが役所対応への愚痴とも気付かず納得するキヨ兄、人の良さが滲み出ていて、先の餓鬼の話が姉の事のようにも思えてしまう。
校庭が広がる左側の向こうにはプールがあり、右側に見える裏門側の一時駐車場は、ここから見えていない所は校舎の影になっている。
何処に給水車を置くべきかなんて、子供の僕でも分かる話だ。
けど、子供には解らない話が大人の事情。馬鹿な大人の事情は人の心も思考も殺してしまうらしい。
「君も大人になったら解るようになるさ」
とか言われる度に、大人になんかなりたく無いなと思うけど、僕もそんな馬鹿な大人になるのかなあ。
てか、前に並ぶおばちゃんがウチの母親の愚痴を聞いて意気投合し、話は変わってスーパーの安売り情報を交換し出すと、前の前のおばちゃんも混ざって既にポイント付与率の話に変わりつつある。
こっちの大人の事情は中々に現実的だ。
■あとがき
ゆっくり更新となりますが、気長にお付き合いいただければ幸いです。