「悪魔の棲む黒い家」前編
夏休みを目前に控えたプールが恋しい授業中、社会の時間に右隣の席でコソコソと何かを書いているのが目に入る。
根岸 文香、オカルト好きの女子で通称オカメ、人形みたいにストンと落ちる肩までの髪に人の心を見透かすような冷たい目、風に乗って香る甘い匂いにクラっとする。
だけどオカメは男子の敵。
少し前にも女子と掃除の何かでモメた時、力押しで攻勢だった体のデカいオニヤンに向け、このオカメは涼しい顔で呪いをかけてきた。
“パンツに汚いシミが着く呪い”
恐ろしい呪いで、皆あれ以来オニヤンに近付かなくなった。
何故って、オニヤンが「そんなもん出来るかバーカ!」と、女子の前でズボンを下ろしたんだけど、まさかの尻にウン筋が……
隣の席に居るコイツがどんな呪いを仕掛けたのかは判らない。けどオカメが何かをする度、気になって仕方がない。
「何? 言ったら落とすよ」
“文”香のクセに言葉が足らな過ぎて意味が解んねえ!
先生に言うなってのは分かるけど、落とすって何だよ? ぶつとか殺すとかなら分かるけど……いや、分かりたくはない。
でも落とすって何?
何を?
まさか、僕が何処かに落とされるのか?
――KIINKOONKAANKOOONN――
「カメ、アンタん家の近くに黒い家ある?」
カメ、僕の名前が悟だからと仙人の想像から来た一部で言われる仇名だ。
何だかスケベに思われそうで嫌な気もしてたけど、コイツが隣の席に居る今、悟りを開くの意味を違えてオカルトに想像されていたなら今頃僕がオカメと呼ばれていたかもしれない。
そう思えばスケベのカメなんて苦にもならない。
そうさ、僕だってパフパフはしたい。
ん? 違う、そうじゃない。
いや、黒い家って何?
そういや前にホラー映画の欄にあった気もするけど、あれは古い邦画モノだったような……
「カメ、聞いてんの?」
「あ、いや、まだ観てないけど、姉ちゃんがClickしてたから、その内……」
近い、凄い顔が近いんだけど……
「何で佳余様の話になってんのよ」
そうだ、オカメは姉のファンだった。てか甘っ! 何だこの匂い、ぶどうジュースみたいな……て、口の中に見えてるそれって?
コイツ、隠れてグミ食ってたのかよ!
『あーーーっ! カメとオカメがキスしてるーっ!!』
くっ、最悪だ。
マスゴミ丘口に見られたら最後、学校中に知れ渡る。
てか、イメージからか全く違うように思えてたけど、よくよく考えたらオカメとカメってほぼ同じじゃん。むしろ何で女子の方に“お”が付いているのかって考えると少しズルい気もする。
何て言うか、これじゃ僕が尻に敷かれてるみたいじゃんか!
「なるほど、そういう……」
ん? オカメのやつ机に手を突っ込んで何をガサゴソと、まさか呪いか?
『うわー! オカメがまた呪う気だ! 逃げろーーっ!!』
え?
いや、呪いって逃げれば済むものなの? 僕の席は隣だから逃げようがないけど丘口、次のチャイムで教室に戻って来たら終わりじゃないの?
で、オカメは何をブツクサ言ってるんだ?
「……そっか、カメと付き合うフリすれば佳余様の家に上がれる……鈍臭いカメなら適当に扱えば何とでもなるし、うん、良いかも。これを機に付き合った事にして……」
いや、扱う処か駄々漏れてるんだけど。女子って相手を好きじゃなくても付き合えるもんなの?
そういや女子の観てる漫画とか、ドロドロした恋愛モノが多いもんな。姉は漫画も読んでないけど……
あ、でも姉の生態を他の人に見られたら大変だ!
「……カメの本名って何だっけ? 佳余様の弟だから佳余様のカにメ、召使い? 妾の子? あ、眼鏡か……」
フリだとしても、ここまで興味も気持ちも無い恋人なんて絶対イヤだ!
僕は断固拒否する!
「ねえ眼鏡君、口開けて……」
眼鏡君て、掛けてもないのにそんな名前の筈ないだろ、少しは考えろよ……
て、思わず開けちった。
てか、甘っ! あ、ぶどう味。
くそ、指の感触が唇に残ってるじゃんか……
「これで眼鏡君も私と運命共同体だね」
いや、それを言うなら共犯者だ。ヤバい、これもオカメが姉に会う為の作戦だと解ってるのに……
「で、断る方法が解らず今日に至ると……」
「いや、本当に家に来るなんて思わないじゃん!」
親に夏休みの宿題を一緒にすると言って来たらしいが、部屋に来てからずっと姉に質問攻めだったオカメが帰るからと家まで送って帰宅し、ようやく事の説明を姉にした所だ。
僕も姉もグッタリと疲れてしまい、ベッドに寝ながらの会話にオカメの持って来た駄菓子を口にする。
何せオカメは残る夏休みを毎日来る気満々の勢いで、菓子折り処か二週間分はあろうかという程の駄菓子の袋詰めを三パックも持参して来た。
けれど部屋で僕がそれを食べようとすると手を叩かれ「これは佳余様の物!」と、神聖視から来る貢ぎ物のような話に姉の私情と妙な一致を見せていた。
「あの娘、帰りがけに『また明日!』って言ってたよね……」
「うん。送ってる途中も姉ちゃんと明日何するかを考えてるのか、独りでニヤケてたよ……」
「マジか……」
オカメは昼を過ぎた二時に来て、日暮れ前の五時までの三時間を延々と質問に妙な空気で付き合わされる、それが明日もと思うだけでゾッとする。
「あ、そう言えば悟が訊かれた『黒い家』って何の事だったの?」
「ああ、何かオカメの親が近所で聞いた噂らしいんだけど……」
最近建った黒い家に住む子供が友達同士の会話に親の自慢をし、隣近所の住人を制裁していて自分もその手伝いをしていると言い出した。
『お父さんは偉いから悪者を罰してやってるんだ!』
等と自分も撃ってやっただの何だのを言う中に、妙な兵器話を言っていた事から当人には聴かれぬようにと密やかなる噂が立つ。
事実そのアラフォーだろう父親は、毎日を庭で何か弄っては駐車場の車に入り確認すると家に入るを繰り返すだけの異様な行動に、カルト特有の目をしている事からも怪しまれる話だったが、周囲には仕事をしてると言い張っているらしい。
そんな噂を耳にしたオカメは習い事で隣町に住む友達との会話に、他の町でも同じ噂のある黒い家が在る事を知り、探してみると町に黒い家が増えている事に気付き……
「何か怪しいカルト的な宗教団体じゃないか? て、それで僕にも心当たりがないか訊いてきたみたい」
姉に話した事を一瞬にして後悔した僕は、水を得た魚の如くに起き上がっては机に向かう姉の姿にハッとして、焦りに息を吸い込み嗚呼と叫び声を上げていた。
机に置かれた古いノートパソコンは、変にスマホを与えるよりも自宅の回線に繋げたパソコンなら覗いたページもログとして残り、如何わしいアプリも容易にインストール出来ない普通と違うOSで、ネットを観るか何かを作るかしか出来ない。
家を留守にする共働き夫婦の両親が編み出した、子供へ渡せるネットツールらしい。
妙な所でヲタク気質でケチな母がニヤけた顔で置いて行った代物だが、姉の凄い所にそのリナ何とかOSの操作方法をネットで調べて使い熟し始めている今、姉が机に向かった理由など言うまでもなく起ち上げる前にと必死で諭す。
「姉ちゃんごめん、今の嘘! 嘘だから!」
「悟、航空写真じゃ壁の色まで判らないからさあ、明日は家の近所から廻ろ!」
遅かった……
パソコンでマップを開くでもなく、中古で買ったコウリンMAPを手に、捜索範囲を決めている。
「マジか……」
かくして、”オカメから逃れる為に“ オカメの残した夏休みの宿題が始まったのだが、とりあえずに噂の詳細を訊こうと電話してみると、オカメは既に街の黒い家をチェックしていたようだ。
『え、佳余様が?』
続きも聞かず電話の向こうで顔を赤らめ悶えているのだろうオカメの様子が手に取るようでアホらしくもなる。
「いや、ごめん無理ならいいや」
『誰が無理なんて言ったの! 在るわよ! ただ、佳余様に見られるなら清書してからにしないと失礼じゃない! 明日持って行くからカメ、佳余様に失礼の無いように伝えさないよ!』
なんで僕が姉に礼儀を尽くさなきゃいけないんだよ。とは思うけど、姉もあれだけ面倒臭がっておいて『文香ちゃんに失礼の無いようにね』とか言われ、正直女子の言う失礼が解らない。
「はいはい。ちなみにオカメは何処まで調べたの?」
『そうだカメ、佳余様の前で私の事オカメって呼ぶのやめてよね! 今日から私の事は文香さんて呼んで!』
何で急に……
「て、オカメだって僕の事カメって呼んでんじゃん!」
『何? 嫌なの? じゃあカメの名前を言いなさいよ!』
いや、本当に知らないのかよ。
どんだけ僕に興味無いんだ?
「悟だけど」
『じゃあ、さを取ってトル君ね』
「何で取るんだよ!」
『男はレディの前では一歩引くものなの!』
意味が解らない。
いや知ってはいるけど、一歩引くってそういう意味じゃないだろ!
何で名前から引いちゃってんだよ!
「て、そうじゃなくてオカメは何処まで調べたんだよ」
『・・・・・・』
「ん? 本当は調べてないのか?」
『調べてるわよ! カメが文香さんて呼ばないからでしょ!』
「いや、オカメもカメって……」
『チッ!……ウチから街の東に在る大学の先まで。だよ、トル君!』
うわぁ〜、凄い当て付けがましい。
これって僕も言えって事か?
何か、電話の無言て、凄い圧だな……
「そっか、ありがとう、文香さん。それじゃ!」
電話で話すのってこんなに面倒臭いのか、スマホを持ち歩くとか大人って大変だな。
この時の僕はスマホで電話を使う事が殆ど無いなんて知らなかった。
他人の家に電話をかける事も珍しい世の中で、オカ……文香さんが姉にと置いて行った電話番号にかけただけなのに、何だか凄く疲れて部屋に戻りベッドで横になったら眠ってしまった。
二時間程で目を覚まし、両親の帰宅に夕飯までの時間を使い、ネットで黒い家を調べてみるもホラー小説と映画、それとS県に実在するヤバい家しか出て来ない。
黒い家を建てる事に触れ検索するも、太平洋側の平地にある住宅街においては冬場も然程の寒さはなく、建屋は主に夏場の遮熱性を考えるのが昨今の通例で、日本の風土によろしくない家だと判る。
太陽熱を吸収する黒は輻射熱を生み、住環境にある事自体が嫌われる。江戸の頃なら木材や屋根に用いる瓦が黒くとも水をかければ直ぐ様熱を下げたが、昨今の建材は外気に輻射熱を放つも屋内に熱を出さなければ良しともされるが、それは詰まる話……
黒い家の周り近所が被害を被るという事に他ならない。
黒い家のメリットを検索しても、威圧感を与える高級感というチンピラや古い野球選手が好む金のネックレスやベンツのような外観的な話のみで、夏場の輻射熱や劣化速度に近隣に対する威圧感に、鳥の糞が目立つというデメリットしか生まない風水的にも最悪な黒い家。
そんな占い師からも建築業界からも吐き捨てられる話ばかりで問題しか生まない家を態々建てようと考える者達の素性についてなど、ネットに書かれている筈も無い。
「言われてみれば不自然だよね」
姉の言いたい事も調べた今は理解も出来る。
そもそもメリットと言えるのかも微妙なチンピラ的な見た目の好みだけで、デメリットばかりで近所迷惑になると知るそれを態々建てる理由を考えれば、むしろ近所への嫌がらせに近く、まさしくチンピラ的思考の持ち主が棲む家だ。
そお考えた途端、猫を轢いた茂松の家も黒い家だった事から、あの通りの地上げの噂が頭に過ぎる。
「姉ちゃん、黒い家が地上げに使われてるとかは?」
問いが悪かったのか考える姉の姿に申し訳なくも思えて来るが。
「それ、いい線行ってるかも!」
翌朝通勤に向かう両親を笑顔で送り出した姉だが、そのドアを閉めて僕を見る目は好奇心に満ちていた。
「悟、九時になったらキヨが来るから準備して!」
「え、キヨ兄と一緒に周るの?」
いや、来るというより手伝わせる気で呼びつけたのだろう事は訊かずとも理解出来る、けど……
「いや、半分やらせようかと思って」
やっぱり、家に来たキヨ兄にコピーした地図を渡してドアを閉める気だ。
住宅街を飛ばす車や、近所同士の挨拶にも煩わしさを隠しきれないストレスの籠もる声が重なり合う何とも言えない通勤時間は、子供を見れば夏休みを想起し舌打ちする大人達が過ぎて行く。
そうした時間は家の中で静かに過ごすのが出来る子供の流儀だと家野君が言っていた。
そんな時間に騒ぐ子供の声が聴こえれば、それはアホか道を外れし悪童だとも……
――PINPOOONN!――
「ごめーん、ちょっと早く着いちゃった!」
キヨ兄……
――KATYA――
「お疲れ様、はいコレ!」
「何これ?」
「この地図の所に行って黒い家が在ったらこの赤ペンで塗りつぶして来て」
事態が飲み込めず固まるキヨ兄に、僕は冷えたペットボトルのスポーツドリンクを渡して笑顔を向けるしか出来なかった。
「マジか……」
「学校の近くだけだから大丈夫! 私達の半分だからさ!」
ん?
ちょっと待って。
達って、僕もその量を走らされるの?
何か、自転車用意してるし。
「マジか……」
「ちょっとキヨ、悟に変な言葉教えないでよ!」
「え、オレ?」
違う、僕も普段から言ってるし、姉も散々言ってるような。
「もうほら! 早く行って!」
「えええぇぇ……」
キヨ兄が出てから数分して、やたらデカい水筒に氷をタップリ入れてジュースを別に自転車のカゴに入れ、ラムネ菓子をポッケに走り出す。
住宅街の道を網の目に沿って走り、黒い家を見付けては停まりコピーした地図に赤く塗るを繰り返す。
前を走る姉の白い服からの照り返しがキツく、前を見るのも眩しくなる頃、太陽が真上にあって疲れにダレて上を向くのも憚れる。
僕の様子に休憩を入れ、小さな公園でジュースを飲んでは氷を喰む中、姉が地図を見て何かに気付く。
「何かこれ、微妙に規則性が有るような無いような……」
後編へ……