「命を翔ける七日間」〜結末〜
……Day5
白い猫が命を懸けて何かを託したのだろう尾に針を持つ玉虫色の蝉についてを姉に問うと、意外な応えが返ってきた。
「ラーの目?」
「そ、雌ライオンの頭を持つ破壊の女神セクメトとか猫の神バステトみたいな」
今日までの事を聞きまとめた姉が考え解いた玉虫色の蝉とは、エジプト神話で太陽神ラーが自身の右目を破壊神セクメトに変えたように”人を罰するモノ“ではないかと言う。
太陽神であるラーの目としてセクメトやバステトが人を罰する神であったように、白い猫の目として玉虫色の蝉は人を罰する役割に命を受けたとの考えだ。
「で、悟に渡されたのは、ホルスの目に相当するモノ」
「ホルスの目は何するの?」
「持ち主の体や精神に無類の保護を与える再生の象徴って書いてあるから多分、御守的な感じ?」
何でそこは適当なんだよ。とは思うも妙にしっくり来る説明で、姉も知らないモノに答えを求め、昨夜何かに気付いてノートパソコンに食い付いたまま、僕が寝た後も調べていた。
あの玉虫色の蝉が白い猫の目として人を罰するのなら、次に罰せられるのは、猫を轢いた茂松親子に思えてならないが、罰するのをやめさせる術も知らないし、罰するのをやめさせる事が正しいのかも解らない。
解らない事だらけで悩む僕を見て姉は言う。
「悟は優しいね。悟がされた事を考えれば罰せられて当然だと思うけど、お姉ちゃんは悟のそういうトコ好きだよ」
言われてみれば僕は何で助けようと思っていたのか解らない。けど、あのギリギリガリガリ鳴り響く蝉の羽音は怒ってるんだろうけど何でか哀しみを感じて、もういいよ。と言って上げたくなる。
多分それが轢かれた白い猫の哀しみそのものに思えて来るからだけど、少しそれとは違う何かがあるように思えて考えるものの……
昼を過ぎた頃、やはり気になり姉と茂松の家へと向かっていた。特に何が出来るでもしようとも思わないが、妙な胸騒ぎに確認だけはと、母に頼まれた買い物序でに少し遠回りだけどあの通りへと。
大通りの手前を曲がりあの道に入ると心がざわつく感じが強くなり、もう四日も経っているのにあの日聴いた猫の断末魔の叫びが頭に響き、蝉の羽音が迫り来るようだ。
「悟?」
姉の声が聴こえると、蝉の羽音の記憶がとても小さく頭の中で響いていただけなんだと理解出来、深く息をしてみるとたちまち消えた。
「大丈夫」
認めたくはないけど恐かったんだと思う。あの日見てしまった小さな命の果てる様が、けれど同時に許せない気持ちがあの蝉と同じように思えて、悪い事をした人を罰して……
「悟? それ、大丈夫じゃないでしょ」
違う。僕が認めたくないのは恐れなんかじゃない。今ハッキリと解った。いや、思い出したんだ。
「姉ちゃん、あの蝉……」
「蝉が何?」
口にしていいものか、特にこの場所で話すのは気が引けて来る。何故なら、あの鳥糞害爺さんは蝉に纏わり付かれて覆い尽くされていたけど息をしていなかった。
蝉が飛び立った時に皆も蝉が出て行く窓の方を向いていたけど、僕は一度だけ見たんだ。
纏わり付いていた蝉が鳥糞害爺さんの胸の辺りまで飛び去ったのに……
「中身は空っぽだったんだよ」
「蝉の中身?」
つまりアレって、蝉が鳥糞害爺さんを、食べたって事だ。
「何が空っぽなの? まさか私? 心無いっての? こんな心配してんのに」
「え、いや、違う。あの蝉、人を喰らうんだよ!」
全部を説明したいけど上手く言葉が浮かばない。姉が僕の拙い言葉から意を汲み取ろうと思考を巡らせてくれている。
「蝉に覆われた爺さんは喰われてたんだ。多分刑事も……」
「なるほど、それを見た悟が恐くなってパニクりそうになるのを、脳が危険を察知して一時的に記憶を削除した。それが何か分からずもやもや悩んでいたものが、ここに来て思い出してしまったと!」
何でか楽しそうに推理する姉に少し不満を持ちつつも、見事に当ててくれる姉が頼もしくもある。
けれど、復活した記憶から言える事に、もう茂松に逃げる道は無いように思えた瞬間。
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
何処からともなく集まり来る蝉の大群に、空が覆い尽くされ闇を呼ぶ。
「ヤバい! 茂松が殺される」
「何処だっけ?」
「あの黒い家!」
数十メートル先に黒い家の端っこだけが見えたと同時に、道路に出て来た小さな園児程の子供と遊ぶ大人の姿は、坊主頭に眼鏡……
「今出て来たアイツ、猫轢いた茂松の父親だ!」
「これだけ飛んでたら、あっという間に食べられちゃうかもね」
何でそんな呑気に眺めてんのさ。とは言え何も出来ないけど。
――GIRIGARIGIRI――
て、え?
何で?
ゆっくり茂松の背後から車が……
――GIRIGARIGIRI――
そのまま茂松を圧し潰して……
――GIRIGARIGIRI――
何か喚いてるみたいだけど、蝉の羽音で聴こえないよ。
――GIRIGARIGIRI――
あ、今運転席から出て来たの多分、玉虫色の蝉……
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
――GIRIGARIGIRI――
え、食べないで飛び去ってく。
「人を喰らっては、無いみたいだね」
「そうだろうけど……」
あ、運転席に居るのって、僕と同歳の茂松。
そうだアイツ、いちびって「オレは車を運転出来る」とかホラ吹いてたって深井君から聞いたけど、いちびって車弄って自分で自分の父親を……
「悟、通報して上げよ。それが私達に出来る事」
「うん、そうだね」
とはいえ僕も姉もスマホは持っていない。買い物先のスーパーで公衆電話からかけようかと考えていた折、抜け道に通りかかった車が僕達の後ろからクラクションを鳴らした。
――PAAAAAAAA!!――
曲がったばかりで状況が見えていないのか、僕達にではなく、前方で家の駐車場から尻から出して横を向いたままの茂松の車に向け、怒りに任せ何度も鳴らす。
バックするか否かに遠くから鳴らしていたが、クラクションの音に近所の人達が顔を出したのを見て、姉が「行こう」と言って道を戻り車の脇を抜け、敢えてナンバーとドライバーの顔を確認する素振りをして大通りへと向かった。
「あの車が通報するから大丈夫」
自分が轢いたと勘違いされては困るという心理が働く、とでも言うように。
スーパーで買い物をしていると救急車のサイレンが聴こえ、呼ばれた事を理解する。
帰り道を遠回りにあの道を通ると救急車の姿は既に無く、警察が鑑識官と現場検証を始めていたが、ドラマで見るようなものではなく、何か面倒事に巻き込まれたような顔をしている警官が声を漏らした。
「普段からガキに運転席を弄らせてたみてえだな。テメェの子供に親が轢かれるたあ、自業自得だな!」
あの猫と同じように臓物の混ざる血反吐を吐いていたのだろうか、車の下に流れた血を見ると、道に立つ警察官が姉と僕に見ないよう言って追い立てる。
猫の轢かれた道には雨に流され痕跡も失くなっていた。
――GIRIGARIGIRI――
不意に聴こえたあの蝉の羽音に、音のした方を向く。あの鳥糞害餌撒き家の庭からだ。
蝉の羽音が気になり庭の塀網に近付き中を覗くも、鬱蒼と茂る草木でよく見えない上、肥やし臭が漂って来る。
「悟っ! そこから離れて!」
声に振り向き、慄く姉の顔に危険を感じてハッとし下がるが、何があるのか解らず確認する。
「姉ちゃん、何見たの?」
そっと指さす先には庭の塀網から飛び出す程の草木の隙間に覗かせる土の地面、じっと観察していると蠢く何かが見えた。
数匹の虫、いや……
「うっ、これゴk……」
よくよく見れば小さい物から中程度まで土の上だけでなく、家の壁にも這いずり回っているのを見付けてしまい、背筋がゾッとし顔が引き攣ると同時に姉と顔を合わせて叫んで一気に走り出す。
――WAAAAAAA!!――
残念へ……