「POOL」〜貯水〜
▼プール閉鎖から四日目の夕夜。
緑の光を纏う男はスコップを地面に突き刺し戦意を残すも、食いしばる歯を解き訝しげに姉と石黒さんの二人を凝視したまま、僕と同じで何が起きたか理解しきれていないようだ。
同じと思えば脅威も薄らぎ少し落ち着いたのか、僕は姉と石黒さんの話を整理しようと息を吸い込み頭を回す。
だけど眼前で言い争う二人の話は僕の理解を超えるものばかりで、絡まる糸は解ける事なく頭は混乱したまま整理も出来ず。
「神なら何故に子供を殺す!」
黒魔術に関しては全く解らないけど、石黒さんの問いは、エミリさんの死が死刑執行人の犯行だと言っているのは分かる。
だからこそ、姉の言う『死刑執行人は熊泪湖の守り人』って話を疑うのも当然に思えた。
けど、その死刑執行人ってのは、石黒さんが何かを翳して倒そうとしていた、あの緑の光を纏う男の事だ。
守り人ってのが姉と同じような神様の仕いの事なら、なんで死刑執行人がなっているのか僕にも理解が出来ない。
「貴女は勘違いをしてる。今あのモノは守り人であって、刑の執行は出来ない。だから今だけ私が代わりになるの!」
いや、姉の話はもう何が何だか分からな過ぎて、何から訊けば良いのかも判らないし、頭に?を浮かべて首を更に傾げる石黒さんには同情の余地もありそうだ。
白装束と黒装束、水神様の仕いと黒魔術の使い手、何だかよく分かんないけど僕の予想からとんでもなくかけ離れた所で言い合う二人に全てを持って行かれた感じがする。
さっきまで推理の期待に浮かれていた自分が情けなくも思えて、妙に冷静さを取り戻して来たけど、この状況って大丈夫なのか?
「彼女についてが虚偽と知るなら、解らない? 貴女の言う死刑執行人はエミリさんを殺してない。刑の執行に必要な罪が無いのに殺す事は出来ないの!」
「なら、何故ここに死刑執行人が居続ける!」
てか、何て言うか、今まで女子のファッションとかあんまり気にして見て無かったけど……
姉ちゃんと石黒さんの対比凄くね?
いや、よく見たら二人共ファッションジャージのパンツにロング丈の日除けパーカー羽織ってるけど、これ色が違うだけで、ほぼ同じ服じゃん!
言い争ってるのに見た目お揃で仲良さそうだし、恐怖の気が剃られたせいか、見栄が原因で起きた女子の口喧嘩みたいに思えて来た。
「あのモノは過去の事件に執行を目してる。けれど罪を犯した者は鳥葬風葬にされる事無く呪法を用いて他の者に罪が移された。それで裁きの刻印に時のズレが生じたの」
「過去の事件? それって……」
「そお、あのモノが立つ石碑に書かれた月陰洞のカマキリ。あのモノは守り人として理に縛られる事を受け入れ、その時を待っていた。だから私が……」
「一時的に守り人に成り代わって、死刑執行人の理を解き放つ……」
何だか解らないまま二人の話が纏まったみたいだけど、除け者感が半端ないな。
何だろう、この既視感……
つい最近もあったような気がしないでもないし、何かその時よりも孤独に感じる……
あ、キヨ兄が居ないからか!
「でも、死刑執行人は復讐の任があるのに、それだとエミリの復讐にはならない!」
「貴女もエミリさんも復讐に手を染める必要は無いの!」
あれ、まだ終わってなかったみたいだ。
姉のワケワカラン話のせいで諦めかけていたけど、何となく僕にも解って来た気がする。
あの死刑執行人は昔の事件に対する何かでここに居続ける事を目して守り人になった。
石黒さんはエミリさんの事件を追って行き着きいたのがここで、死刑執行人がエミリさんを殺したと思ってる。
それで姉は守り人を交代して……
「姉ちゃん、交代して何する気?」
不意に僕が話に割って入ったからか、二人共が僕に対して鋭い目付きで振り向いた。
けど、話の邪魔をするなとばかりの姉とは違い……
「え、何でカメ?」
今更気付いたとでも言うのか驚いた顔をする石黒さんは、ここに居るのが僕とは思っていなかったようで、自身の素性を見せたからか明らかに焦ってる。
「マジか……」
存在感の低さに気付かされ、少し萎えてる僕の視界には、黒魔術の事を今更隠そうとオロオロする石黒さんと、その背後で指を僕に向け笑う姉。
ふと、石黒さんが思い出したように指を上げ、姉に振り向き一言訊ねる。
「え、て事は、恐ろしカヨ……さん?」
「どうも、悟の姉です」
日も暮れる湖畔の散策道には陰が拡がり始め、互いの顔を認知出来るギリギリの時間だったようだ。
まだ少し明るい空を見上げた僕は、次の瞬間二人を視認するのに慣れを必要とした事に焦りを感じた。
昨日感じた陰の存在に脅えているのかも判らないけど、不穏な何かが近付いて来るように思えて警戒心を周囲に向ける。
夏鳥や虫の鳴き声も木々の深さに陰が増し、草場の陰に潜む何かが忍び近付く足音までもを打ち消すようで不安が襲う。
雑踏の中から一つの音を探すように耳を澄ませば、耳に流れる血脈の音から自身の鼓動までもを増幅させる。
二人も何かに気付いてか、黙り周囲を見回し警戒し始め、皆が距離を近付けていた。
その刹那……
――KATI――
突然目の前が真っ白になると同時に、動揺からか痛みもないのに唸りを上げたが、光の発信元を腕で覆って薄目を向ける。
すると、何やら聞き覚えのあるおばさんの声が僕達に向け語りかけて来た。
「あなた達、こんな時間に何してるの! ここは危ないから早く帰りなさい!」
懐中電灯を足下に向けられ、薄っらとしか見えない顔にも近い記憶が重なった。
「あ、昨日の……」
謝るだけの状態から脱し意識を取り戻していたのか、僕達を心配する自我を見せたおばさんの姿に、少しの安堵とバツの悪さに僕は心苦しい顔で石黒さんの様子を見てしまう。
悪意を蝉に喰われ浄化されたとはいえ、エミリさんを死に追いやった張本人だ。
自我を取り戻したなら尚更に、今目の前に居るエミリさんの友人に対して、このおばさんは何を偉そうにとすら思えて来る。
石黒さんがこのおばさんのした事を知っているのかも気になるが、出来れば知らないで居て欲しいような、そうでないような。
知れば怒るのは当然で、かと言って知らずに居るのも何か違う。
怒れば当然、復讐心に石黒さんの心が蝕まれ、黒魔術で何かをすれば地獄へ堕ちる可能性もあるだろう。
姉が言ってた『復讐に手を染める必要はない』って言葉が今更に脳裏を駆け巡り、先には分からなかったその意味を裏付けるようにして理解が襲う。
僕も石黒さんが復讐に心を奪われるのを見たくはない!
けど僕も、エミリさんを死に追いやった代償は払ってもらいたいと、このおばさんに対して思ってしまう。
苦しい心を掴むように、僕は右手を胸に首から下げた袋を握るも出来ず、ただただ胸に押さえ付けていた。
「大丈夫」
そう言って僕の右手にそっと手を掛け、胸から離した手を握り繋いだ姉は気丈に接し、不適な笑顔で案を向ける。
「ちょうど良い」
何が? と思うその台詞こそが、様々な出来事に向けて込められた、姉の解決への導きを示唆する一言だったと理解するのは、石黒さんの心を救う為の手立てと理解した時だった。
けれど当然、皆も“何が?”を口にする。
「今から、おばさんが守り人になるの」
はあ? とバカにしたような皆の表情にも怒るでもなく笑うでもなく、真剣な眼差しを向ける姉の意気込みに飲まれるように、おばさんの顔から気付きが浮かぶ。
「分かりました。お任せします」
え? となる石黒さんを横目に、僕は昨日のおばさんを見ているだけに、それが謝罪の気持ちと直ぐに理解する事が出来た。
いや、謝罪の気持ちと言うより前に辞書で見付けた贖罪って言葉が、今のおばさんのそれには適当に思える。
おばさんの贖罪と知ってか、姉もその意気込みに応えるように笑みを向け、肯くと直ぐに行動へ移す。
「え、ちょっと!」
理解しきれていない石黒さんには、何が何だか分からないまま進む話が怖ろしくも思えているのか、僕の顔に同意を求めて見詰めて来る。
けどそれは、黒魔術を使って現れた石黒さんと姉の言い争いに不安を向けた、さっきまでの僕の顔と同じなのだろう事を判らせた。
「大丈夫だよ。姉ちゃんに任せて!」
その不安を知るからこそ、石黒さんの心に寄り添おうと僕も姉と同じように手を伸ばす。
繋がれた手は細くしっとりとしていて、冷たくもあり熱くもあるのは感情の揺れ幅に応じて握ったり振り上げたりしていたからに他ならない。
黒魔術なんか使うからには、暗くて深い心の底に押し込めるような冷たい感情しか無いように思えていたけど、人の心を感じる温かさの方が強く感じられた。
行動に移す為にと、姉は史跡広場の方へと掌を向けおばさんを促し、懐中電灯の明かりを頼りに歩み出す。
僕達には石碑の前でこちらを怪訝に睨み立つ緑の光を纏う男が視えているけど、おばさんは躊躇無く石碑の方へと向かう事からも、視えてはいないと判らせる。
アレすら視えないおばさんに、目前に迫る武骨な男がして来た守り人が務まるようには思えない。
「そこで止まって」
姉の一声に皆が止まるも、僕達には目前の男が視えている。
けれどよく見れば男の方も困惑気味で、僕達が並び立つそれを、目の前に停まったストリート・ビュー・カーを怪し見るような感じで、眉間にしわを寄せて覗き見る姿からは、時代の流れに翻弄される老人のそれを浮かべさせた。
「貴女にも手伝って欲しい事があるの」
急に振られた石黒さんは驚いた顔を向けるも直ぐに察したようで、僕の手から離れると独り立ちしたかに気丈に応える。
「何をさせる気?」
真剣な眼差しに変わる石黒さんのそれは、魔術により地獄の扉をすら開ける危うさを知るからこそ、黒魔術に向き合う真摯な姿勢なのかもしれない。
「日付を超えるまで任を待つよう、このモノに伝えて」
少し考え下を向いた石黒さんだけど、顔に流れる長い髪を振り上げ鋭い眼光を姉へと向けた。
「この死刑執行人ブーローが属するゾロアスター教の言葉は私も知らない。けど、日付を超えるまで動けなくするなら、出来る!」
どうする? と言わんばかりの目を向けるそれは姉の応えを必要とはしていない。
姉が肯きを返すまでもなく準備にかかった石黒さんは、枝木で土の地面に何やら怪しい魔法陣のようなものを描き始め、習い事のバレエの服や何かが入っていそうな手提げバッグから様々な物を取り出して行く。
ロウソクを立て、ペットボトルに入ったやたらと鉄臭い何かを撒いては、鳥の足みたいな物やトカゲに似た何かを配置して行く姿は、見ていて少し気持ち悪い。
なにせその石黒さんの動きを追っては食い入るように見詰める男の顔を、僕が元筆を使い蝿や蚊の如くに振り払うのだから。
さっきまで恐れていたのは何だったのかと思う程に、男がチープな存在に思えて来る。
少し離れた所でおばさんを説き伏せるかに、姉が何かを伝えては、怯み頭を抱えるおばさんのそれは、神への恐れか事件に対する罪の心かは判らない。
儀式の段取りのように着々と準備が進められて行く中、男の興味が僕へと移り邪魔とされ、仕方なく史跡広場の湖岸の高台から夜空を返す湖面を観ていた。
少し窪地なのか東岸や西岸の人工物が一切視えず、湖畔の植林帯に囲まれる澄んだ空気は人造湖なのに自然を感じる妙な感覚にもなる。
けれど最高のレイクビューも、隣に居るのは厳つい強面の死刑執行人、何だか萎える。
全ての準備が整う頃には夏の星座が観えていたけど、紺青に変わったばかりの北西の宙の色から十九時を回った辺りだろうと予想していた。
「みんな準備は良い?」
既に石碑の前で立ち並ぶ皆の顔は、ロウソクの火と懐中電灯に照らされているがハッキリとまでは視えていない、けれど肯き程度は誰の目にも判る。
「では、水口鏡子さん、心の準備はよろしいですか?」
初めて聞く名に一瞬考えたけど、直ぐにそれがおばさんの名前と気付き視線を向けた。
「ええ、私に出来る事があるなら、お役に立てられるよう頑張ります」
中学生と小学生を前にして使う言葉ではないように思うけど、それがおばさんの贖罪の一つに思えば理解も出来てしまう。
「さっきも言ったけど、多分、目の前の存在に凄く驚くと思うけど、焦って逃げたりしないでよ。面倒臭い事になるから……」
そこが知りたい気もするけど、面倒事は無いにこしたことはない。
「水口さんは、目の前の相手と握手するだけで良いの、それで全てが解る……筈!」
何となくだけど姉の顔に薄っすら作為が見えた気がして、僕がいつも騙される時の嫌な感じのする姉の笑顔に近い何かを感じていた。
「悟、筆!」
僕に手を向け、元筆を受け取った姉はキッと張り詰めたような表情に変わり、石碑の立つ地へ腕を振り上げると石黒さんに向け合図を送る。
「ナイム、スブラヌクロームエンドロム」
――SUBURANUKUROUMU――
――ENDOROMU――
SFで観るバリアのような壁が四面体となって男を囲み閉じ込める。
男は暴れるでもなく素直に受け入れ、静かにその身を囲いに委ね、まるで待ち合わせに駅で待つ普通のおじさんの如くで、緊張感も無い。
一方で、姉に元筆を振り翳されたおばさんは、目の前に現れた男の姿に腰を抜かし気味で、姉に救いを求めるかに視線を向けるが、姉は有無をも言わさず手を伸ばせと顎で促す。
僕なら絶対伸ばさないけど、贖罪からかおばさんは嫌々ながらもバリアの中の男に向けて、手を差し伸べる。
その手に気付いた男は姉を凝視し口を開け、何かを察したような笑みを見せると確認するように再度姉を見詰めて、目を見開くと同時におばさんの手に向け手を伸ばす。
すると、男の纏う緑の光が溢れ出したようにおばさんの方へと流れ込み、男は苦しそうに上を向くと、おばさんもまた何かを喰らったように身体を震わせ苦しそうだ。
僕は思わず姉を見るが、姉は僕に気付いて尚もそれを制止するかに腕を横に出し、静かに状況を説き始める。
「今、あのモノが持つ守り人の記憶をおばさんの中に移してる。おばさんが全てを受け入れないとあのモノの理も離れないの」
この光が記憶とでも言うのか、流れ込む光の量は死刑執行人が守り人となってからの長きに渡る記憶の時間を物語っていた。