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余りある夏夜の佳き追憶  作者: 静夏夜
2025夏『水』
14/18

「POOL」〜漏水〜


▼プール閉鎖から四日目の昼。



「ワカラン!」


 諦めの悪い姉が諦めを断言する声に誘われ、開き置かれるノートパソコンの画面を覗き見たけど、これを開く意味も意図も判らない石碑の写真と解説文が載るブログ記事


 この石碑が何処の何かも判らなければ、姉が何に対して解らないを言っているのかも分からない。



 昨日は貯水湖から帰宅して直ぐ、姉はシャワーで濡れた髪をそのままに、地図に印した位置をノートパソコンで航空写真に照らして確認しつつ、真剣な眼差しでエミリさんの情報や水道施設や天候やを調べていたのは記憶にある。


 けどその記憶も途中まで、僕は帰路が暑さのピークに重なり完全にバテてしまい、姉より先に冷水シャワーを浴びてベッドで横になり、隣で姉がノートパソコンで調べるのを眺めてたけど、夕食を前にいつの間にか眠ってた。


 だって行きと同じ片道一時間程とはいえ、電動も無い自転車であの丘を登り下りした後だ、疲れるに決まってる。



 ただ、姉に『ご飯出来たよ』と起こされるまでの五時間程の間に、姉から妙な質問をされた気がするんだけど、それが夢か現実かが判らない。


 姉に訊けばいいんだろうけど、その質問が妙な内容で訊くのを少し躊躇(タメラ)ってる。


「悟は、あのバス停に居た子の事、いい子だと思う?」


 いい子って、どう捉えて応えればいいんだよ。


 良い子なのか好い子なのか、イイって聞く側の感覚次第でどうとでも捉えられるし、訊いて応えて気があるみたいに思われても困るんだけど!


 だから僕は今も何かモヤッとしてる。



 そんな僕の気持ちなんか知る筈もない姉は、ベッドに寝転んだけど地図のコピーを持ってて、今も謎解きに邁進(マイシン)中だ。


「これ、何の石碑?」


「最初に訊いたお爺さんが言ってた史跡、貯水湖になる前に起きた事件の慰霊碑だって」


 そういえば、姉が調子良く『後で行ってみます』とか何とか言ってたような気がしないでもない。


 行ってないけど……


 で、姉が何についてワカランのかもワカラン僕は、とりあえずブログの解説文を読んでみたけど、石碑の置かれた理由が連続殺人事件の被害者を弔うものだと解り驚いた。



 熊爪川(クマツメガワ)は農業用水としての需要に、この辺りで南北に広がる田畑へと流す分水工が丘の東西に幾つかあったようで、貯水湖は構想段階からその主要な分水工を基点に建造されたらしい。


 石碑は、貯水湖になる前の今から七十年程前に熊爪川(クマツメガワ)で起きた凄惨な事件の被害者を弔うもので、熊爪川(クマツメガワ)と共に貯水湖の底に埋まる事となった事件を忘れぬ為にと置かれた物だ。




月陰(ツキカゲ)(ドウ)のカマキリ】



 月陰村(ツキカゲムラ)には熊爪川(クマツメガワ)の南岸丘に洞窟があり、戦時中は防空壕としても使われていたが、戦後その洞窟の中に潜み暮らしていた何者かが村の娘を鎌で切りつけ惨殺し、夜毎に熊爪川(クマツメガワ)へ亡骸を投げ捨てていたと云う。


 犯人の姿を見た者は居ないが、洞窟内には自決用にと戦時中に配された銃や手榴弾などが壕の何処かに残されているとの噂で、迂闊に洞窟内へ足を踏み入れるのは危険との判断に至り、自警(自治警察)は洞窟の入口を見張るのみとなっていた。


 しかし、犯人は自警の見張りをすり抜け一週間の内に三人もの娘を鎌で切りつけ殺害し、熊爪川(クマツメガワ)の下流に亡骸が浮かんだ事で捜査は迷走。


 自警は防空壕に他の抜け穴が掘られている可能性を考え、当時の憲兵や領主に意見を求めた。


 すると、殺された娘が月陰村(ツキカゲムラ)の南部に住む領主の娘ばかりと判り、北部の領主が熊爪川(クマツメガワ)の分水にケチを付けていた事から田畑を持つ北部の領主が疑われ始める。



 南北領主の争いに収束を謀ろうと、自警は鎌を使って娘を切りつけている事から犯人は耕作人の可能性が高いとし、領主を護る為にと護衛を着けた事で記事にもなり、ラヂオ等でも報じられた。


 その記事の見出しこそが“月陰(ツキカゲ)(ドウ)のカマキリ”なのだ。


 だが報じられた事で注目を浴び、物珍しさに野次馬も現れるが、村を闊歩する着任した護衛を見た村の内外の者から、護衛のそれが元の特高警察出の者ばかりである事が判明し、月陰村(ツキカゲムラ)だけではなく近隣の村や町にも妙な噂が流れ始めた。


 そんな最中に国政議員が発した文言が記事やラヂオを駆け巡り、水源を持つ日本各地の村々に波紋を拡げ、良からぬ噂に拍車をかける。



『都市部の発展における生活用水確保は急務であり、水瓶の必要に貯水湖の造成を検討し、現状用地確保に勤しんでいる次第だ』



 水瓶の用地となれば村は湖の底に埋まる事となり、それは詰まる話に、村にとって死の宣告でもある。


 熊爪川(クマツメガワ)もまた、貯水湖の水源用地確保に適して都市部の方へと流れ込み、月陰村(ツキカゲムラ)辺りの河岸が丘間になる地形からして選定される可能性は高く、距離や方位関係に至る全ての要件を満たしていた。


 そこに特高警察出の者が関与する等と云う話が出れば当然、戦時下に特高警察が行っていた非道な捜査で不当な扱いを受けた日本人も多く、口にせずとも根深い闇を浮かべるのは当然の事。



『特高警察の出の者が月陰村(ツキカゲムラ)の領主を惨殺して用地確保に暗躍しているらしい』


 そんな噂に月陰村(ツキカゲムラ)に近付く者は居なくなり、米や野菜も売れず商売にも影響が出始めると村八分処ではなくなる。


 近隣の村に住む者達は月陰村(ツキカゲムラ)の者に特高警察の陰を見る、それゆえ激しく罵り追い出し一種の災いとして扱い近付かせない。


 けれど領主の護衛に着任した元特高警察は、月陰村(ツキカゲムラ)の村民が外でどう扱われようとも意に返さず、噂に聞く特高警察そのものと噂に真実味を持たせた。


 時に標的は領主の娘から長男へと変わり、鎌で惨殺された亡骸は道端に捨て置かれるようになり、月陰(ツキカゲ)(ドウ)のカマキリの犯行は速度を増して行く。


 月陰村(ツキカゲムラ)南部の領主の殆どが跡取りを失うと、北部の領主の息子も襲われ始め、時同じくして月陰村(ツキカゲムラ)が貯水湖用地と選定された時点で、被害者の数は三十二人となっていた。


 良からぬ事件と噂で売れぬ土地となっていた月陰村(ツキカゲムラ)では、用地買収にも済し崩しに二束三文での売払いとなるが、それでも村から逃げたい気持ちが上回り、田畑を捨てて別の田舎へと出て行った。


 程無くして国策として造成工事に着手し始めるが、一度は大々的に報じられた事件に解決が無い事から、元特高警察の関与を疑う声が大きくなると自警の立場も危うくなる。


 そこで熊爪川(クマツメガワ)の下流を堰き止め、その川の水をカマキリの潜む月陰(ツキカゲ)(ドウ)にと流し込む、水攻め作戦に出る事とした。


 洞窟入口に報道関係者を引き連れ高台から二日を見張り、その入口に水が攻め入る様を写真に撮らせる。



 翌々日の新聞ラヂオにて、【月陰(ツキカゲ)(ドウ)のカマキリ水攻めに死す!】等と報じられて幕を閉じたが、遺体の発見も無く犯人が誰かも判らぬまま。


 初期の娘が切られた事件と、領主の娘や息子が切られた事件は犯人が別との噂もあり、残された資料も竈門(カマド)の下に埋められてしまった。


 つまりは、この事件の真相は仄昏い湖底よりも下の闇の中なのである。




 ブログの解説文はここで締められている。


 姉の言うワカランを何となく理解した僕は、カマキリではなくエミリさんの事件を訊いてみる事にした。


 何故なら、姉がこのカマキリ事件の謎を解く必要は無く、単なる暇つぶしに思えたからで、そうであるならエミリさんの事件は既に解けている、という事だ。


「姉ちゃん、エミリさんを殺した犯人て、やっぱり樋口(ヒグチ)とか言う議員の息子?」


「ん、まあそうなんだけどね……」


 大学生が見ていた選挙ポスターの樋口議員には、副署長の兄弟が居る。


 息子が事件を起こしても、容易に隠蔽する事が可能な立場にある親族を持つだけに、エミリさんを殺して尚も捕まる事は無いのかもしれない。


 けど、そんなの許してたらエミリさんが浮かばれないし、学校でいじめのある口を噤む嫌なクラスの雰囲気みたいで、何か、何か……


 多分、こういうのを理不尽って言うんだろうけど、理解不能な姉の力でどうにか出来ないのかな?


 そんな思考が僕の口から出てしまいそうで、姉の力を間違った事に使わせたくない気持ちと相反するような思考が僕の中でせめぎ合う中。


「多分だけど、そのカマキリ事件の後半に起きた領主の娘や息子を襲った方の事件って、樋口議員の親が特高警察と創った偽装工作だと思うよ」



「……え?」


 姉の解く謎の話は意味が分からず、僕はゆっくりと頭の中で議員とカマキリ事件を繋ぎ合わせようとするものの、何処に樋口議員を入れればいいのかも判らない。


 そんな呆けた顔をする僕を笑って、姉は話の導入から説き始める。


「あの南丘斜面よりも西の方に樋口って家が数軒在るから、多分樋口(ヒグチ)の家系は元の領主だと思う。それで湖周辺で他にも名前が連なる所がないか探してみたら、湖の北側に古池(コイケ)って名前を幾つか見付けたの」



 元月陰村(ツキカゲムラ)の北部と南部の領主が残り住んでいたって事だろうけど、他にも領主は居ただろうし、それが何を()く話か判らず呆けた顔も(ホド)けない。


 不意に姉がノートパソコンで貯水湖の地図を開いて僕に向け、樋口と古池の名が連なる地区を指し示す。


 その土地は用地買収を免れたと言うよりも、如何にも最初から計画用地から外すよう組み込まれたかの如くで、明からさまに土地を残す計画区域として圏を外されていたと判る。



「そうか、用地買収されずに済む土地に住んでいたのは偶然じゃないんだ!」


「そお、詰まりは国の用地買収に加担したのが樋口家と古池家、村で起きた殺人事件を利用して、自分達に都合の良い殺人事件を創作したって事!」


 だとすれば、樋口は元も今も権力の傘の下に居るって話になる。


 逮捕される可能性は限りなく低いと知れば尚、僕の中で蠢く怒りが昨日の交差点で感じた身体の中を駆け巡る憎悪のようで、向ける先を求めて気持ち悪さが増すようだ。


「でもそれだと、本当のカマキリは捕まる事無く何処に行ったんだと思う?」



「……んん?」


 姉の問いに思考が向けられ、気持ち悪さが少し軽減する。


 言われてみれば、カマキリ事件の初期と後半で犯人が違うとすれば、後半の犯行が樋口と古池が特高警察と組んでした事なら、初期の犯人は何処に……



「初期の犯人こそが本来の“月陰(ツキカゲ)(ドウ)のカマキリ”で、殺された数人の娘も領主の娘じゃない。だとすれば何が目的で、南岸丘の洞窟に潜んでいるのに何処からともなく村に現れ娘を拐えるって、可笑しくない?」


 何を言わんとしているのかは判らないけど、姉はネットにある貯水湖が出来る前の古地図を開き、熊爪川(クマツメガワ)月陰村(ツキカゲムラ)の位置関係を僕に向け見せ問いかける。


 南岸丘の洞窟は、樋口家のある南西側に広がる田畑へと流す分水工の少し下流辺りに位置し、さも樋口家の領地を隔てる南岸丘の対面に開く穴のようにも見えて来る。


「これ、防空壕にもなってたんだよね……」


 そう、だとすれば壕の拡張に抜け穴を増やし、樋口家が領家から直接入れる入口を造っていても可笑しくはない。


 でも、カマキリ事件の最後は洞窟内に水攻めをしていた筈だ。


「カマキリ事件の幕引が、貯水湖の造成工事が着工してからって、何か引っ掛かんない?」


 そっか、先に洞窟内をセメントで固めていたなら、樋口家に水が噴き出る事もない。



「けど、そうだとすれば犯人って……」


「樋口家の誰か、もしくは……」



 そう言い残して黙り考える姉は、暫くして先と同じ台詞を吐き捨てる。



「ワカラン!」



 姉がワカラン何かを僕はようやく理解した。


 

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― 新着の感想 ―
謎を解く鍵として、佳余が着目した『月陰洞のカマキリ』の事件、恐ろしいだけでなく、どうやら当時の議員や利権、そして警察まで関わっていそうで、深い闇を感じますね。 洞窟に潜むカマキリ、その姿を見た者がい…
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