「POOL」〜用水〜
「あ、カメ!」
僕のあだ名を呼ぶ声の主は、列から離れた所で校舎側を歩いて帰ろうとしていた、同じクラスのグリーンこと鬼頭“翠”さんだ。
大桃君と同じ漫画のファンで仲良くなって、僕達とも一緒に遊ぶ女子の一人。
「鬼頭さんも並んでたんだ?」
「うん、他にもウチのクラスの子何人か見たよ。」
「そうなんだ……」
水の入ったタンクを重そうに持つ鬼頭さんの母親は、今はパン屋の話で盛り上がるウチの母親の状況を理解してか、視線のみで会釈を交わし「先に行ってるね」と、僕と話す鬼頭翠さんを残して列後方にある正門の方へと向かって行く。
けれど、特にする話もなくポツンと佇む鬼頭さんの姿は、周囲の人には意味深な間柄にでも見えるのか、雰囲気に飲まれ何を勘違いしたのか後ろのキヨ兄が僕の背中を小突いて会話を促す。
「イテッ!」
いや、何の感情も無いのにお見合いしてるみたいで場の空気が気持ち悪い。
そもそも鬼頭さんと二人で話した事なんか一度も無いのに。
これ、どうすればいいんだよ。
「えっと……」
「あのね。青田君が……」
話そうとして急に周囲を気にした鬼頭さんに手招きをされ、歩み寄ると僕の耳元に顔を近付け小声で話し始める。
「例の噂“血染めのプール”の正体を青田君が見付けたんだって、お昼食べたら三時にみんなで市民プールに集合ね!」
顔を離すと鬼頭さんは嬉しそうに手を振り、僕の応えも聞かずお母さんを追いかけ走って行く。
「ちょ待っ……」
追いかけようとするも言葉が浮かばず見送る僕を、何だか周囲は僕がキスされたかの雰囲気で見ているのか、無意味にもてはやされてるみたいで凄く居心地が悪い。
「やるなあ、このシャイボーイ!」
「そんなんじゃないって!」
姉が居ないからか、兄貴面をするキヨ兄のからかいは少し苦手だ。
「ふうん……」
不意に背後の校庭側から漏れ聞こえた声は妙に威圧的で、僕は何となく振り返るのを躊躇した。
だって別に悪い事も疚しい事もしていないのに、その声の主は明らかに機嫌が悪いと判るんだ。
「あ、文香ちゃんだっけ?」
「根岸です。一度会っただけで下の名前で呼ばないで下さい」
「あ、はい。すいません……」
僕が振り返るのを躊躇したせいで怒りの矛先を向けられ、小学生の女子に怒られ謝る中学生のキヨ兄が少し気の毒にも思えて、僕は勇気を出して声をかけた。
「オカ……文香さんも居たんだ?」
「も。居たら悪い?」
なんだこれ、凄い嫌だ!
喧騒に染まる町の空気は子供にも感染するのか?
オカメの険悪さは不機嫌どころか最悪なレベルにまで達してて、着てる真紫のロング・シャツワンピースの背中には【喧嘩上等!!】とかの刺繍が入っていそうだ。
「それ、良い服だね」
嫌味と気付かれたのか、何も言わずにギロリと僕へ向けた視線は動じる事なく睨み続けていて、物凄く怖いんだけど、僕はどうすればいいのかも判らず焦る思考の渇きに喉を鳴らした。
「……ありがと。」
「えええええええええええぇぇぇ……」
なにそれ、照れたの隠すみたいに顔赤らめて、意味わかんないんだけど。
「じゃ、佳余様によろしくお伝えしといてよね!」
偉そにそっぽ向いて帰ってくし、背中に刺繍は無いけど沢山お花が描かれていて、まるでお花畑が歩いてるみたいだ。
マジで今の何なんだよ! て、振り返ったらキヨ兄が“にまあっとした顔”してて凄いウザいんだけど!
「何だよキヨ兄、その顔!」
「キヨの顔なんて普段からこんなもんでしょ」
降って湧いたように戻って来た姉の一言で蹴落とされたキヨ兄に、少しのざまあを心に浮かべ、笑みが溢れるのを堪えて前を向く僕。
「あ、悟今笑ったろ!」
「キヨ、笑われる内が華!」
キヨ兄が姉の言葉の意図を考え黙り込む中、僕は姉が口惜しげにガジガジ噛んでる棒の正体に気付き考えていた。
駐車場に向かった姉が何故にアイスの棒を手にしているのか、今の僕には晒し首の謎よりも姉が食べ終えたアイスの出処の方が重要案件だ。
「姉ちゃん、そのアイスは?」
「ん、ああこれ? 駐車場行ったらこないだ泉公園で会った悟の同級生の……深井君、が居て。そのお母さんがお礼と一緒にくれた」
何でだよ! それなら僕にもあっていいじゃないか。て、言ったら何か意地汚く思われそうで口には出来ないけど、よりにもよって何で姉にだけ……
くそおっ!
やっぱり神様は不公平だ。
ん? 神様だから貢がれた……のか?
そうとでも思わなきゃ、それでなくても暑さに負けそうな心がもたないや。
「ふうん……」
あれ、僕が今したこれって、オカメと同じ……けど、何でオカメは心がもたないんだ?
ワカラン。
姉はそんな僕の気持ちも知らずに、駐車場で見付けた答えを嬉しそうに説き始めた。
「やっぱり地中を冷やしたのは水道管。断水で栓をされたのは飲用の水道管だけで、校庭には消火用の防火水槽があって、そこには例の農工用の水が流れてたの!」
“例の”に繋がる答えを僕に求める姉の瞳に、昨日までの記憶が重なる。
鬼頭さんも言ってた噂の【血染めのプール】は、既に姉と調べて答えも見付け、残る謎は別にある。
だから青田君や他のみんなと市民プールに集合するのは気が乗らず、断る言い分けを考える間もなく鬼頭さんが走り去ってしまって……
いや、そもそも姉がこの噂を調べるに至った経緯は、【血染めのプール】の噂に関するネット掲示板に誰かが『乳飲池の呪いじゃね?』とか書いたからに他ならず。
「こんなん書く奴、池の伝承まで知ってる地元民しか居ないでしょ!」
と、乳飲池に対する侮辱的なコメントに怒った姉は、噂の真相を解き明かそうと立ち上がり、僕を巻き込み走り出した。
▼プール閉鎖から二日目。
市民プールで遊ぶ予定がボツになり、親から宿題を命ぜられた赤星君の為にと、みんなで図書館に集まり手伝っていた。
「プールの予定が宿題とか、全部プールが閉鎖されたせいだ!」
いや、赤星君がやらないからだろ。とは、みんな思っているけど口にはしない。
大桃君と鬼頭さんが赤星君に教え、青田君も家野君に教わっていて……
「早くやれよ赤点! オマエもだよ頭アオハル!」
僕は二人を罵る口の悪い石黒さんをなだめていた。
口は悪いけど根は優しくて、スラッとして背の高いモデル体型の女子。
なのに男勝りな性格が災いして男子から喧嘩を売られがちで、一部の女子からは宝塚的な扱いを受けて逃げてもいる。
で、逃げた先に居たのが赤星君と青田君だって話だけど、本当は大桃君の事が好きなんじゃないかと僕は見ている。
そして、鬼頭さんが好きなのは家野君じゃないかとも!
そんな僕の恋愛予想図はともかくとして、宿題も凡そに飽き出した頃、家野君が仕入れたネットの噂【血染めのプール】の話題で盛り上がり、図書館の端で小声になり地図に照らして水の道を辿っていた。
【血染めのプール】の噂によれば、プール閉鎖の数日前、市の北西に位置する貯水湖で複数の遺体があがったらしく、警察は一部報道されるも直ぐに規制をかけてこれを封じた。
何故なら遺体は既に腐乱し血が抜き取られ、その血こそがプールを染めた赤い水の原因だとする内容だ。
話は盛り上がるも図書館の閉館時刻を迎え、みんな習い事もある為、次に集まる予定も決まらないまま、僕は家に帰ってからネットで【血染めのプール】を調べていた。
姉は風呂上がりに喰む製氷機の氷が半分以下になっていると気付き、憂鬱な顔を浮かべながら僕が観ていたノートパソコンの画面を覗き込んだ事で、乳飲池に対する侮辱的なコメントを見付け、この噂の謎解きが始まった。
けど、この時はまだ姉も僕もこの噂を解く事で、噂に潜む闇の真相をも解き明かす事になるとは……