拠点
医院を出て本日最後に到着したのは、歪な建築だった。
建物と建物を無理矢理に梯子で繋げたような、廊下を繋げる事で無理矢理一つの建物にしたような、それでもって建物自体はどこか素人細工のような歪感が滲み出ている。
何階建てだろうとマリンスノーは建物を見上げたが、だまし絵のようにも見える歪な建造物だけあって、窓の高さが一致しない。窓の数も。
あちらは一階層分の窓なのに、梯子が斜めに掛けられ繋がっている隣の窓は二階層分。これは内部の天井までの高さも一定じゃないと思った方が良いだろう。
「ここが僕らの住まう本拠地だよ! 見ての通り最初は小さかったんだけど、スラムが広がっていくのに合わせて仕事部屋を増やしたり、書類を置いたり僕らの立場としては見逃せない相手を僕ら自身で拷問したりの部屋作ったり、まあそういう感じで」
「そういう感じで、後付けで増えたと」
「そう!」
カルーアはにっこり笑って頷いた。
「最初の方は職人が居なかったから僕らでやったんだ。だから凄いボロ。まあ今じゃ広めの玄関みたいなもんかな。戦利品として奪ったけど使い道も特に無いから放置した、服だった端切れとか武器だった鉄くずがゴロゴロしてるよ。歩く時は気を付けて」
「トラップって事?」
「トラップ目的ではないけど、まあそうだね。あと下手なとこ触っても崩れるから。当時は僕らも子供だったからさあ」
スラムが広がっていくのに合わせて、と言っていたし、ここはルシアンのスラムだと言う。
代表者を交代したとかではなく、一からこのスラムを作り上げた、という感じだったりするんだろうか。
そこまで考えて、まあ別にどちらでもいいわね、とマリンスノーは思考を停止させた。
交代して代表者になったにせよ、自分で位置から作り上げたにせよ、マリンスノーがルシアンという男に惚れた事実は変わらない。ならばそれで良い。それだけが重要で、それ以外は寛容だ。
「やだ、本当にごちゃごちゃ」
ここらのボスの本拠地とは思えないボロボロの扉を入った先の光景に、マリンスノーは思わずそう言った。
「しかも周りの、これ、肉片とかついてない? 衛生面どうなってるのよ」
「スラムにそんな事言われても。触らなければ良いんだよ。これ欲しいなーって時にここを漁れば大体見つかるしね。大事な物置いてるわけでも無いから、うちに出入りするヤツが勝手に持って行ってくれたりもする」
「肉片付きの服や錆び付いた武器を?」
「転売目的」
「成る程」
「僕らがやるのも手間が掛かるし、処理の手間が省けるしその分のお駄賃も自分で勝手にやってくれるから良いよね!」
にこやかに笑ったカルーアについてゆく。
扉を開けたら狭いベランダで、そこに掛かっている梯子から向かいの窓に移動したり、渡り廊下を移動したり、部屋っぽい空間の下側にある窓から移動したり、と随分ぐちゃぐちゃした道を歩かされた。
「はい、とうちゃーく! ここが基本的に僕らが待機してたり話したりする場所。雑に言うとリビング兼客間かな?」
到着した部屋はこれまでのこまごました部屋や道と違い、だだっ広い空間だった。壁際には棚が置かれ、中心には大きなソファが複数とこれまた大きなテーブルがある。
向こう側にはカウンターとキッチンも見え、遠目から見た限りではきちんと使っているらしく放置された気配は無い。
「ちなみに玄関からここに直通ルートもあるけど、マリンスノーはしばらくさっきの複雑ルートで出入りする事」
「新入りいびりにも程がない!?」
「あー、違う違う。これは合理的な理由」
無言のままソファにどっかりと腰掛けたルシアンを横目に、カルーアが言う。
「まず、このスラムは複雑な作りになってるところも多い。素人じゃ道をすぐに間違って狩り場にご案内コースなの。慌てて逃げようとしても、一見通せんぼみたいになってたりね」
「……一見って事は、玄関からここまでの道みたく、道があるようには見えない場所からの移動ルートがあるって事?」
「一般住居の中を三ヵ所くらい通らないと行けない場所もあるよ!」
成る程、とマリンスノーは小さく口の中で呟いた。
分類としては一つの建物扱いだろうにこのリビングまで来るのに十分近く掛かったが、つまりその予行演習でもあったようだ。
「この移動法に慣れる、複雑な道を覚えてここまで速やかに来れるようになる。これが出来ればスラムでの生活はかなり楽になるよ。逆に追っ手をトラップに掛ける事だってね。だからマリンスノーはしばらくさっきの複雑ルート。慣れてきたら直通ルートを使う許可も出す」
「……了解。面倒だけど、一定の安全性が確保されている環境下で練習するのは大事だものね。外で何に鉢合わせするかわからない状態で練習するより、万が一があっても発見されるだろうここで練習する方が安全だわ」
「そーいう事! うんうん、不満を言っても説明さえ理解出来ればちゃんと納得するところは良いね! 好感度高いよ! これで面倒臭がってさっさと直通ルート使わせろとかギャンギャン言うなら自分で家見つけろって追い出してたもん!」
知らない間にまたも何かを試されていたらしい。
本当に油断も隙も無い相手だと思うも、それだけ警戒するのがここでの通常なんだろう、とも思う。
それに言われた事をきちんと理解した上でそれに従うと納得すれば問題無しと判断された辺り、彼らに誠実に接すれば何も問題は無い程度の試練。
指示に従うかどうか、文句を言うかどうかの人間性や、ここで暮らす気が本気であるかどうか、という部分の判断材料でもあったのだろう。
「あとは、マリンスノーの部屋に案内しよっか」
キッチン側が十二時の方向とするなら、九時の方向側に面する扉。
その扉を開けた先には十二時方向に伸びた廊下があり、リビングから出た向かい側の面に扉が幾つかあるのが見えた。
「一番奥の扉がルシアンの部屋。その手前が僕の部屋。で、リビングから出て正面なこの部屋が元は物置きとか拷問とかそういう用途用だった、」
言い切る前に正面の扉が開き、中から二人の男が出て来る。
「終ーわったーあ! ってギャッ! カルーアさん! すんませんもう帰ってたんですね!?」
「ほら見た事かよ馬鹿! アズールお前本当馬鹿! 言ったろすぐ帰ってくるんだからさっさとやれって!」
「ううううるっせーよコモドール! お前だって腹痛いって蹲ったりして動き遅かった癖に!」
「あれは昼間に入った店で変なモン食わされたせいだよお前が適当に頼んだお陰でな!」
「ごめーん!」
うるっさ。
しかしまあ、カルーアの顔見知りではあるようで、盗人だとかそういう事ではないらしい。
「はーい、二人共喧嘩はそこまで。とりあえず内装とか終わったんだよね?」
「「はい!」」
「うんうん、お疲れ! 突然仕事割り振ってごめんね! ありがと! ちゃんと臨時のお給料払うから! あ、っていうか二人だけ? アズールに頼んだからいつもの三人組になるかと思ったんだけど、リシィは? 仕事だった?」
「あー、じゃなくて」
先程の言い合いからしてアズールと呼ばれていた暫定アズールが、苦笑いしながら頭を掻く。
「リシィってほら、粘液系じゃないっすか。だから自主的に留守番なんです。内装担当とか無理寄りの無理だお、って言ってました」
「あー、そっか。そこはこっちの配慮不足だったね。ごめん」
「いえ! 残念そうにしてたんで、じゃあ俺らの今日の稼ぎでお前の店に行って3Pオプションでお前抱くからって約束しました!」
「お前は要らん事まで言わなくて良いんだよ!」
「あだっ、ひっでー! 殴んなくても良いだろ!?」
「お前一人の恥じゃねえんだよ今のは!」
つまり3Pというのは店の相手を二人チョイスするのではなくこの二人でその友人?を指名する感じの3Pらしい。成る程。知らなくて良い情報を得てしまった。
「まあリシィについてはともかく、こっちマリンスノーね。これからここに住む事になった異世界人」
「あ、噂の!」
「へー、目が変な形してるとかもなく普通に健常人なんだ」
「いやそりゃそうだろ。健常人の王族が遺伝子的な要素目的があるとしても普通に身内に引き入れたりするんだから。奇形っぽさは無くて当然じゃん」
「それもそっか」
「異世界人について、もう聞いてる?」
「はい!」
「内装依頼の時に通達されました!」
「オッケー」
ちゃんと連絡網が回ってる事にカルーアは満足げに頷き、で、とマリンスノーに向き直る。
「こっちの緑肌でデニムジャケット着てて瞳孔鋭くて歯がギザギザしてるのがアズール」
「ども、アズールでーっす」
アズールは人懐っこそうに笑った。
にこやかな口からサメのように鋭い牙が覗くが、ルシアンが縫われた口の隙間に割れた皿を入れて普通に食っていた様子も既に見てしまったマリンスノーからすれば、恐怖の対象にもなりやしない。
「こっちのデカくてごつくて半裸で肩から先が機械っぽい腕してて、しかも同じ腕が腰からも生えてるのがコモドール」
「半裸って言わないでくださいよ……腰から腕生えてるせいで着れないんですから」
ぎょろりと目を見開いているようにも見える人相だが、性格は普通らしく困ったようにコモドールがそう言った。
実際着ているのは片方だけ肩紐通して着崩したオーバーオールなので、半裸じゃないと、というのはそうなのだろう。
シンプルながらもメカとわかる腕をしているので普通の袖には通らないだろうし、ゆとりがあっても関節部分に布が挟まれそうだ。となれば、腰の腕の邪魔にならない衣服でも結局面倒さは据え置きとなる。
だから間口が広めなオーバーオールを着崩す感じの恰好なんだろう、とマリンスノーは納得した。
「こいつらといつも一緒なリシィってのも居るんだけど、そっちはまた今度で良いかな。で、部屋はもう出来上がってる?」
「はい! 掃除屋が中の掃除済ませててくれたんで、俺らは指示された家具運び込むだけでした!」
「不満があったら位置の調整するんで、ご確認お願いします」
「だって。じゃ、御開帳」
あっさりとカルーアが明けた扉の先には、異臭や血痕など影も形も無い、シンプルに纏まった良い部屋だった。
「っていうか思ったより良い! しかもこの辺りの家具とかってちょっとお高めじゃないの!?」
「だいせいかーい! まあ今後の期待も兼ねてってところかな。よくわかったね?」
「お偉いさんの護衛をする時、臨時の護衛はお偉いさんの泊まる部屋に比べたらランクこそ下がるけど、すぐ駆け付けられるようにってそれなりの部屋用意されるのよ」
「成る程! まあそのくらいのランクかな、一応。作業しやすい机と椅子、あとこっちは本読んだりとか休憩用のソファと同じく休憩用な物置く机。本棚とクローゼット、そんでベッド。カーテンの色とかは問題無い?」
「カーテンの色が好みじゃないとか、用意してもらっておいてそこまで文句付けないわよ。実際結構素敵な色だし、ええ、何も文句は無いわ。本当に良いの?」
「僕、出すべきお金はケチらない主義だから!」
カルーアは眩しい程晴れやかに断言した。
「ルシアンも僕にお財布事情一任してるからルシアン公認だよ! 問題なーし!」
要するにルシアンは面倒臭がって色々を任せているようだが、任せた相手であるカルーアが問題無しと言ってくれるなら異議は無い。