奇形
案内された部屋は、豪華な調度品に溢れた部屋だった。
既にソファに腰掛けているシュセイが部屋に入って来たマリンスノーをちらりと見やり、向かいのソファに腰掛けるよう手で示す。
「失礼するわ」
「ああ」
ソファに腰掛ければ、随分質の良い物だというのがわかった。
布地の触り心地もそうだが、弾力がある。低反発なのに弾むような感触。骨組みには決して触れないようになっている密度。
スピリタスで普段から使っているリビングのソファも相当に良いものだが、革張りのソファとは表面が違うから、という以上の違いがあるように思えた。
「彼女達は中まで来ないのね」
「不要な圧を貴様に掛けるつもりはない」
ふ、とシュセイが胸元の口を笑みにする。
そのシュセイの視線が、髪からもスカートの裏地からも覗く無数の視線が酷い圧を掛けてきているが、あらかじめオノマトペで防御しておいたので思ったより圧は感じない。
室内を見た限りではジャックターが心配していたような薬品臭も何かを焚いているような雰囲気も無いが、目に見えない形で何かをされないよう、そちらも当然対処済みだ。まんまとしてやられるつもりは無い。
「さて、では本題だ、異世界人。マリンスノー。貴様、エタノールに来い」
「お断りよ」
「だろうな」
くく、とシュセイが笑う。
予想通りに可愛らしい反抗を見せるじゃないかとでも言うような笑い方だ。それはもう、仔犬が痛くも無い牙で必死に抵抗しようとして転がされるのを見るような。
「あの男はやめたらどうだ? あの男の傍では危険も多いぞ。ここでなら女は皆守られる」
「それ以上に厳しそうだけどね。そもそも、危険がどうとか関係ないわ。私がルシアンに惚れて押しかけたんだから」
「貴様の未来をあの男にくれてやるには惜しい。三十五の男に未来を捧げても、折角の花が枯れ朽ちるだけだ」
「へえ、ルシアンの年齢は初めて聞いたわ。カルーアがルシアンの一つ上ってくらいしか聞いた事無かったし。寧ろもっと年上の可能性すら考えてたから、思ったより今後も長く連れ添えそうで嬉しい情報ね」
ふむ、とシュセイの笑みが消えてマリンスノーの真意を探るような目になった。
とはいえ、マリンスノーとしては本心である。元々ルシアンの力加減が下手そうなところに惚れただけなので、年齢がどうとかは根本的にどうでも良かった。実年齢が五歳でも五十歳でも、ルシアンである事に変わりないならそれで良い。
だからわざわざ聞いたりもしなかったが、成る程、三十五だったらしい。奇形は見た目年齢と一致しない事が多いが、まあ妥当か。一つ上だというカルーアが若々しいので尚更よくわからなかったけれど、マリンスノーとしては充分に問題無しの範疇だった。気にする必要も無いくらいの年齢差だ。
「お前は本気でルシアンを、あの男を愛しているらしい」
「当然じゃない」
「私の下へ来るのは、間接的にあの男の助けになるぞ」
「信じると思う?」
マリンスノーが眉を顰めれば、想定の範囲内、どころか思っていた通りの反応なのかシュセイの口角が吊り上がった。
「私の目的達成は、アレの過去にあった事柄の再発防止に繋がるだろう。関係者全員への復讐にもな」
「……どういう意味?」
「まず、奇形の話をしてやろう」
マリンスノーに聞くつもりがあると判断したシュセイは、優雅に頬杖をついてそう口を開く。
「マリンスノー、貴様は私達のような奇形がどうして生まれるか、知っているか」
「え? 遺伝子的な問題、とかじゃないの? 魔力を持たない代わりに、その魔力が肉体を変化させたとか色々な説はあるみたいだけど」
カルーアのように、魔力は無くとも魔法染みた能力の目を持つ奇形も居る。ルシアンのように、魔力は無くともあの巨体を浮かせるだけの力を持つ翼を有する奇形も居る。
だから最初から魔力を持たないというよりも、胎児の時に魔力が違う形に変化したという説が有力なのではないかとマリンスノーは思っていた。
「まあ、そうだ。魔力が足りない、あるいは無い人間。それが奇形という形になる。だが、何故そんなものが産まれると思う。何故、文明が向上し、人々の暮らしが楽になると同時に、奇形が産まれる率も高くなっていると思う」
「…………理由があるのね?」
「ある」
シュセイが笑う。
「実は、健常人と健常人の間に奇形が産まれる事は無い」
「は?」
「極稀に産まれる事はある。が、大体はおぎゃあと産声を上げる事すら出来ず、腹の中で死ぬ。根本的に体の作りが適応していないからだ。上半身しかない体で生きるなど普通は出来ないように。長過ぎる手足も大き過ぎる巨体も顔に大きくある一つの目玉も、人間としての構造ではまずありえない。その形になろうとすれば、生き物として成立しない。だから死ぬ」
言いたい事は、わかる。
マリンスノーは別に生物学に詳しいわけではないが、物理法則がどうとか言いたいのは何となくわかる。人間を羽で飛ばそうとしたらそれだけ屈強かつゴツイ翼が必要だし、それを動かすだけの筋肉も必須、みたいな話だ。それを実行する為のカロリーだの何だの、現実的に考えれば問題点はキリが無い。
「じゃあ、どこからどうやって奇形が産まれたって言うの? 魔物と交尾でもした?」
「良い着眼点をしているようだが、違う。ちなみに健常人と奇形の間に生まれた子は七割の確率で奇形となり、奇形と奇形の間に生まれる子供は間違いなく奇形として生まれる。奇形同士の間にまともな見目の子が産まれる事もあるが、私が調べた限りでは言語、内臓、あるいは五感。そういった普通なら持ち合わせているはずのどこかに異常が必ず生じていた」
「完全な健常人ってわけじゃない、って言いたいわけね」
「そういう事だ」
腕を膝の上に置き、シュセイは背をソファへともたれさせた。
「さて、本題だ。怪我を即座に治したり、筋力を向上させる薬。一般的にポーションと言われる類のもの。言ってしまえば麻薬の一種だが、存在は知っているな?」
「ええ。使った事は無いけど。スピリタスでも禁止されてるし、何より後遺症がないか怖いのよね。無理矢理体の状態を上げたって、麻薬の一種扱いされてる時点で嫌な予感がするわ」
「察しが良いようだな、貴様」
シュセイの目が笑った。
顔の目が、髪のあちこちから見える目が、スカートの裏地から覗く目が、にんまりとした弓なりの形で笑っている。
「麻薬、そしてそれに含まれるポーション類。これらを用いた事が一度でもあれば、子供が奇形になる確率は三割になる」
「は!?」
「父母どちらであろうとも、本来あり得ないはずの奇形が生まれる確率が三割になるわけだ。そして産まれた子供が七割を当てて健常人であってもその血の中に毒は残る。産まれた健常人の子として奇形が産まれる確率は、依然三割」
「あれだけ奇形を下に見て忌み嫌ってるのが常識って様子だったのに、ポーション類は普通に販売されてたわよね」
何なら護衛の報酬としてポーションが支払われた事もある。現物支給の一種扱いだった。
「自分の身が可愛い健常人としては、自身の怪我が瞬時に治り、厄介な重労働も軽くこなせる方が重要なのだろう。ポーションを使用すれば、それだけで生存率はうんと上がる。仕事の成功率もそうだ。仕事を成功させて生き残り稼ぐ。それが一番大事なのだろう?」
生まれてくる子が奇形になるなんて考えず、目の前しか見ていない愚か者。
そんな副音声が聞こえる笑みだ。
「何より、たかが三割の確率だ。理由もわからず、それなりに産まれる存在。その程度の扱いが奇形だ。捨てれば良いだけの化け物など、健常人からすればわざわざ調べるにも値せんのだろう」
「ポーション類は、当然のように使用されている。ポーション類を使った事が無い血筋なら奇形が産まれる事は無い、なんて……思わないでしょうね」
「三割ではな。奇形が産まれぬ家もあるとはいえ、毒を孕みながら子供を五人産んで全員奇形だった家もあれば、毒を孕みながら子供を五人産んで全員健常人だった家もある。あくまで博打だ。七割勝てるはずの博打。絶対に産まれぬ血筋があれども、その伴侶が毒を孕んでいるなら結局三割。調べようともせん愚か者が知るはずもない話だ」
ポーションを使った人間は必ず、十割の確率で奇形を産む、といったものであればポーションが原因だとすぐわかっただろう。だが、三割。儚くなったものだと思って捨て、次の子を産もうとするには充分な確率だ。
その真相を知らなくても、その考え方が一般的になっているのなら尚更だろう。
成る程、奇形が増加してスラムの規模が広がっているというのもわかる気がした。
「そう、奇形は増える。増えてゆく。毒を孕んだ健常人が、潜在的に毒を孕んだ健常人を産む。そしてその健常人は自ら毒を呷り、奇形が産まれる確率を自ら三割以上へと濃縮していく」
く、とシュセイが笑う。
「産まれた奇形は捨てられる。スラムなりゴミ捨て場なり、魔物が居る森に捨てる親も居る。そこで死ぬ事もある。そもそも捨てられる前に殺される事すらある。スラムに辿り着けても、そこでの命は軽い。スピリタスに居るなら、貴様もわかるだろう」
「まあ、そうね」
絡んでくる馬鹿野郎の頭を金槌で叩き割った数は、既に両手では足りなくなっている。それでも溢れる程に居るのが奇形たち。
「つまり私達が把握している数の数倍では済まされない程、世界では奇形が産まれているという事だ。スラムに来る前に死んだ、殺された、そしてスラムで命を終えた奇形を含めれば、な」
「……濃縮って言ってたけど、ポーションを飲みさえしなければ、奇形が産まれる毒は消えるの?」
「サティスファイドを知っているか」
「エタノールの傘下スラム。人間牧場」
「そこでの記録から得た情報では、その通り。ポーションの使用者が居たとしても、伴侶、そして子孫と繋がる家系に毒が混ざってさえ居なければ、それぞれの血が混ざり、血の中に含まれる毒の要素は薄まっていく。稀に奇形が産まれる事もあるようだが、あれならせいぜい一割にも満たん確率だ」
泥水と水を混ぜる。混ぜた物をまた水と混ぜる。それをひたすら繰り返せば、そこに含まれる泥水の比率は、という事だろう。何度も濾過して綺麗にするようなものだ。
腹を下した時だって、原因を出し切れば回復する。毒さえ飲まなければ、それさえしなければそんな事は起きないのだから。
「だが、それを私が公表したところで奇形の戯言と言われるだろうな。学の無いスラムの民が何を言ったところで、だ。とはいえこれに関しては例え健常人が言ったとしても、結果は同じになるのが見えている」
「誰も、ポーションを使用する事はやめない」
「便利なものをわざわざ止める馬鹿は居ない。治るまで痛い思いをしなくて良い魔法の薬。野放しにしておけない魔物を狩る為に必須な魔法の薬。ポーションを用いなくとも、素の力で解決する方法は幾らでもある。だが、人はポーションに頼る。その便利さを知っているからだ」
「ま、そうなるわよね」
便利というのはそれそのものが毒に等しい。
日本式のトイレなんかもそうだろう。便座は温かいしウォシュレットがついている。それを知っていて、穴掘って用を足して穴を埋めて、なんてやり方に戻れと言われて一体誰が戻ると言うのか。
どんな説が出回ったって、昔に戻ろうとする人は居まい。決定的に手遅れになってから、ようやくそれを自覚するだけだ。
「魔物と交わったかのような化け物。奇形。そう言っておきながら、自ら摂取した毒による影響なのだから笑える話だ。勿論、奇形も煮詰まれば魔物と変わらん何かに変貌するだろうがな。魔物自体、歴史を辿れば奇形が始まりという事もあるかも知れん」
「嫌な話だわ」
「だが、このままならいずれ全員奇形として産まれてくる事になるだろう」
無数の目が、愉快そうに細められる。
「健常人がポーションを便利な薬だと言って利用すれば利用する程、世界は私達で溢れ出す」
「それが目的?」
「ああ。奇形を下に見るのは健常人。ならその健常人が居ない世界を作れば良い。奇形こそが普通なのだと、そういう世界をな。だから私は積極的に麻薬もポーションも世に広める。あちこちを傘下に収め、人手を確保し、あらゆるところへ届くだけの手をこうして得た」
シュセイは静かに拳を握る。
「女は弱い。奇形の女は特に弱い。立場が弱い。発言が弱い。権力が弱い。ならばそれ以外を排すれば良い。弱くなる原因を無くせば、問題は無くなる。女は男の都合よく使われる為だけの道具だなどと! そんな戯言が常識だとほざく世間から引き剥がし! そんな常識に苦しめられずに済む世界を作り上げた!」
ふ、と胸元の口が口角を緩めた。
「きちんとした統治者が厳格に統治すれば、成立するのだ」
「男を蔑む女という図が?」
「ああ」
シュセイが頷く。
「要らない物を消していけば、女が悲しむ理由はこの世に無い」
「言いたい事は何となく理解したわ」
世界を平等に、なんてものを掲げているわけではないというのもよくわかった。
要するに、奇形という理由で蔑まれた。奇形を蔑むのは健常人。なら、その健常人が一人も居なくなれば、奇形である事を気にする人は居なくなる。だってそれが普通になるのだから。
つまりはそういう事だろう。
それがシュセイ自身の話か、シュセイが保護し従え率いてきた女達の話なのかはわからないが、奇形の為というよりも正真正銘女の為だけに、健常人を根絶やしにしようという思想を掲げているらしい。
「それで、それがどうしてルシアンの為になるの?」
「健常人が居なくなる」
「それが何よ」
「あの男の過去を知っているか?」
マリンスノーは、ルシアンがルシアンであれば良い。その過去がどうであれ、だ。
それに本人もまだ傷が癒えきっていない様子を見せている以上、マリンスノーから聞くのは躊躇われた。それを知っても知らなくても、マリンスノーからのルシアンへの想いに変わりはない。だからより一層、聞く機会は失われていた。
これまでの情報量、そしてシュセイの表情からして、シュセイはそれらを知っているのだろう。
「……火事、そしてポーション類を始めとした麻薬の類にトラウマ染みた嫌悪を抱いてる。そのくらいしか知らないわ」
「あの男。そしてその相棒。あれらは国が資金稼ぎの為、ポーションを作ろうとした犠牲者だ」
「どういうこと?」
「ポーションには材料が要る。材料を採取するには畑が要る。土地が要る。近場で加工も済ませる為、人里離れた、そしてかなりの広さを持つ土地だ」
「……奇形が集まるような、宙ぶらりんになってる土地を狙ったって事かしら」
「国の政策として麻薬畑を作る。その土地の確保の為だけに、あれらの故郷は燃やされた」
前にスコーピオンから聞いた事がある。
カルーアの背には派手なタトゥーが施されているが、それは酷い火傷を隠す為のものである、と。そしてその火傷は幼い頃に出来たもので、ルシアンの翼が無ければ死んでいただろうと、つまりそれだけの火災であったという事も。
「村のように形が出来上がっていたなら、これから畑をやりたい側としては邪魔だったろうな。住人の追い出し、建物の排除。雑草類の取り除きも一気に出来る、火を付ける側としては手間が少ない方法だ」
「だから、ルシアン達はポーション類と火事をあれ程嫌がってたのね」
スラム全体を狙ったから、と言うにはエルジンジャへの報復は尋常じゃない勢いだった、と言えるだろう。
マリンスノーとしてはこういうものかと思っていたが、スラム民から後々聞いた話では、城の一部に王族に民の一部を潰すようなやり方は手間も多いしその後の交渉もやり過ぎだと言われかねず面倒だから滅多にやらないんだそうだ。
それをやったのは、あれを実行出来るだけの力をマリンスノーが持っていたからという理由以上に、スラムを火の海にしようという考えが地雷だったという事か。
「しかし、実際の理由は違う」
「は?」
「麻薬畑を作ろうというのは後付けだ。本来の理由は、出来上がりかけていたスラムの撤去。それに尽きる」
「そりゃ宙ぶらりんの土地に奇形が寄り集まってるのは文句があるかもしれないし、ボスに値する存在が居ないなら早めに潰して散らして、そこを溜まり場にしないようにってやるかもだけど……」
しかし、コモドールの話がちらつく。
コモドールはボス、つまり管理者が居ないタイプのスラム出身だと言っていた。そういったスラムは誘拐がよく起こるのだとも言っていた。
つまりそういったスラムは複数有り、健常人が誘拐や誘拐殺人を行うのが日常茶飯事でありながら放置され続けているという事でもある。よく起こる、という事は常習性があるという事なのだから。
そうやって放置されているスラムも多いのに、わざわざ仕掛けてきた。それも村ごと燃やすという直接的な手で。
「……その土地に、何か大事なお宝でもあったとか?」
「いいや」
全ての目がにんまりと細められ、胸元の口角が吊り上がる。
「そのスラムは世にも珍しく、奇形に理解ある健常人が、奇形と共に暮らしていた場所だった」
わかるか? とシュセイの笑みが深まった。
「奇形の隣人足り得る健常人が、仲良く奇形と暮らしていたわけだ。平和的に。実に隣人らしく。健常人と奇形で純粋に愛し合う事すらある程に」
「それが、理由?」
「奇形を安い労働力として使っている国は多い。手を汚したくない者の為、処刑や屠殺を奇形にやらせる国も多い。奇形を奴隷として売り出して国の稼ぎにしているところも多い」
わかるだろう、とシュセイが言う。
「奇形に味方する健常人などという者が居ては、為政者としては邪魔にしかならない。それが集落を作り上げる程の数になっている。今はまだ過疎気味の村に等しいが、いずれ町になる。国になる。そうなれば、奇形に味方しようという思考の人間が出るかもしれない。今の安定した政策にデモを起こすかもしれない」
「……そうね。今でも奇形に友好的な人は居なくもないけど、少ないわ。住んでいる場所を捨てられない人なら尚更、それを隠すでしょうね。自分の生活の為に、奇形の扱われ方から目を逸らして」
サムライロックはそれを嫌悪した。自分から、故郷ではないとはいえ、確かにスラムへと帰って来た。
ミスサイゴンは元から偏見を持たず、そして自分の行いを後悔しない性質だった。だから故郷を捨ててスラムへとやって来た。
サマーデライトは限りなく奇形側に立ち、奇形達のよき隣人に自ら成った。スラムをホームとし、大教会へ帰らず済むように。
けれど彼らはそれが出来る人間で、それが出来ない人間は、自身の心をじりじりとすり減らしながら生きるのだろう。自分が目を逸らしていると自覚しながら、それでも直視出来ないまま。
「でも、そういった集まりがあるとわかれば、仲間が、味方が居るとわかれば」
「そう、集まる。国々はそれを危険視した」
パ、と手のひらを見せるようにシュセイは両手を開いて見せた。
「だから滅ぼされた。奇形の味方をする健常人なんてものが、大量発生しないように」
「……健常人を滅ぼして奇形だけの世界にする。その目的を掲げるエタノールに味方すれば、ルシアンの故郷が滅ぼされた理由は無くなる。健常人が滅ぶという形で」
「そうだ」
「それを復讐として、ルシアンを愛しているなら、愛しているからこそ、愛した人の復讐を成し遂げる手助けの為に、エタノールに所属しろって?」
「長い話になったが、そういう事だ」
「お断りよ」
ふん、とマリンスノーはつまらない話を聞いたという顔で鼻を鳴らす。
「私、迷惑な思い込み女にはなりたくないの。ルシアンからこういった事情があってこういった復讐をしたい、って言われたならやるわよ。別に絶対やりたくないって理由も無いもの。詳細な説明が無くっても、真剣な顔で頼まれたなら何も聞かずに実行くらいするわ。愛してるものね」
でも、
「でも、ルシアン本人から言われたわけじゃない。ルシアンの代弁者だとルシアン自身も認めているカルーアから言われたわけでもない。だったらそれは、不透明だわ。ルシアンが本当に求めているかどうかもわからない」
そうだ。言われてない。
「言われたのは、私をエタノールにくれてやる気は無いってこと。だったら私はそれを貫くわ。ええ、だって私が愛しているのはルシアンだもの」
マリンスノーは正面から、こちらを凝視する無数の目を睨み返す。
「愛するルシアンの言葉以外を、どうして聞かなきゃいけないのかしら」
「ハ、面白い」
ハハハ、とシュセイが笑う。地の底を這うような低い笑い声だが、心底愉快だという声色が滲んでいた。
「らしいぞ、三つ目」
シュセイが声を掛けた方向には、大きな窓があるのだろうという巨大なカーテンが閉じられていた。それが向こう側からするりと捲られ、
「……狭そうね?」
「ああ、狭かった。二度とごめんだ」
「僕も許可無しで過去を暴露されたブチギレ状態のルシアンを押し留めながら隠れるなんてのは二度とごめんだね! 絶対に!」
ベランダに通じるような大きな窓と思っていたらそんなものは無く、そこは半円型の出窓になっていた。どうやらずっと、出窓の棚部分に二人でコンパクトに収まっていたらしい。