使いの者
朝食後、マリンスノーは一人でふらふらとスラムを歩いていた。
「だーもう暴れんな! ガキじゃねんだからよ! マリンスノーを万が一にでも取られねえようにカッチリとキメるって言ったのはテメェだろうが!」
「ソレ持ってくんのをやめろっつってんだカルーア!」
「ただの整髪剤だろうがワガママ言ってんじゃねえダボ助! あ、ごめんねマリンスノー、時間掛かりそうだから自由時間って事で。昼前にラダシフ到着してればオッケーだから!」
まあ何と言うか、そういう事があって取っ組み合い状態になっている家から逃がされたという感じだ。
昼前までにはそれなりに時間もあるしどうしようかしら、とそこらの柱にもたれながら人通りを眺め、
「え」
思わず二度見した。
てくてくと歩いているのは四足歩行の人面だった。
「あ、マリンスノーだ。ヤッホー。って、会話するのはこれが初めてなんだけどね!」
「ああ、うん、ええ、そうでしょうけど……え、それどうなってるの?」
「え? 見ての通りに体がヤギってだけだよ?」
「ヤギ」
草食系っぽい四足ボディだとは思ったが、成る程ヤギだったらしい。成る程と言って良いのかはわからないが何となく納得はした。確かに馬や羊では無さそうだし。
「……色んな奇形を見慣れたと思ってたけど、私もまだまだね。頭が健常人だから体がどうなってるのか全然理解出来なかったわ」
「えっ!? 本当!? ボクの頭って健常人っぽいかなあ!?」
うひゃあ、と人面ヤギが嬉しそうに頬を染める。
しかし嬉しそうに揺れている体は完全にヤギで、ステップを踏み出しそうなリズムを取っているのにヤギでしかない。人面犬を目撃してしまったような、そこはかとない悪夢感が滲み出ているのは何故だろう。
まあ奇形にも色々居るし見慣れないだけかしら、とも思った。
「ツノ生えてるし耳ヤギだし目もヤギみたいな横長瞳孔だから、そんな事言われたの初めて! 奇形ですらお前は殆どがヤギだよなって言うくらいなのに! 流石ボスの女だよね! 着眼点が普通と違う!」
「褒められてる気がしないけど、ボスの女っていうのは褒め言葉として受け取るわね」
着眼点については褒め言葉じゃないと思うので受け取らない事にした。
男の趣味について言うと大抵悪趣味扱いされるので着眼点については既に諦めているが、それはそれだ。
「でもその体って生活出来るの? 仕事は?」
「ああ、結構イージーモードだから大丈夫。ほらボクってこういう体だから必然的に四つん這いで下に置かれた物を食べる感じなんだけど、四つん這いで下に置かれた飯を食べる姿に性的な興奮を覚える層って一定数居てさ」
「もしかして北にある風俗店?」
「そうそう! 一般的に屈辱的とされる行動やらを見せる店! 一応指名してエロい事したりも出来るけど、基本はお触り厳禁で見抜き用のショーがメインだから楽なんだよね! ボクに至っては屈辱も何もこういう食べ方しかしてないし!」
「舞台で食事するだけでお金が入るなら確かにイージーモードでしょうね」
「だよね! しかもショー扱いだから食事も経費で落としてもらえるんだよ! まあ時々ケモノ趣味のヤツに指名されるけど、指名料のボーナス出るから文句無し!」
普通のメンタルなら見世物の時点で病みそうだが、流石はスラムで暮らしているだけあってメンタルが合金製だった。
こういうのも、ある意味適材適所と言うのだろうか。
・
人面ヤギとの会話後もちらほら顔見知りと会話をしたりしたが、結局手持無沙汰過ぎてラダシフに到着してしまった。
何かあるとここに集合する事が多いし、何も無くてもここに集まる事が多いせいで足が向かうようになっているのだろうが、他にも行きつけの店を作った方が良いのかもしれない。
まあ今日は元々集合場所がここだったのでそれらについては後日考えれば良いか、とマリンスノーはラダシフに入る。
「おう、らっしゃい。って、マリンスノー?」
パチクリ、とスコーピオンが左目を何度か瞬かせた。
「今日はエタノールの方に強制連行じゃなかったのか?」
「何よその悪意ある言い回し。確かに強制で付き添いらしいけど、私は別にルシアンと一緒ならどこでも良いわ」
「俺相手に惚気んじゃねえ」
「そこに行くのが昼前くらいで、ルシアンの準備が出来るまでぶらぶらしてたの。集合場所はここだって言われたから早く来ちゃった」
「集合場所とか聞いてねえぞ」
「普通に待ち合わせ場所って意味でしょ?」
「いや、今回の話じゃ向こうから迎えが寄越されるとか何とか」
「あっ、マリンスノーだ! おーい!」
カウンターに肘をついたままのスコーピオンが何かを言いかけた瞬間、別のテーブルから声を掛けられた。
見ればアズールが笑顔でブンブンと手を振っている。
同じテーブルにはコモドールとクリスタルラッシーも席についていて、仲良しトリオで食事中らしい。
「ハァイ、アズール。コモドールにリシィも」
「昼前に時間が合うとか珍しいな!」
「アズールお前、上司の奥さん相手にさあ……」
「しかも気軽な呼びかけだけじゃなくタメ口までかましてるお」
「えっ駄目だった!?」
「私は別に構わないわよ」
「良かったー!」
あからさまにホッとしてみせるアズールに、コモドールが肘を入れる。
「マリンスノーさん自身そこまで気にしてないっぽいけど、あんまそういう態度取り過ぎんなよ」
「いったい! 酷い!」
「おめーの態度のがひでーお」
泣き真似をするアズールを見てクリスタルラッシーがケラケラ笑った。
今日のクリスタルラッシーは仕事中では無いからか、エクステをつけていない普段通りの髪型である。この状態だと中性的ではあるが、少年寄りに見えなくも無い。
まあそもそもクリスタルラッシーは下半身がナメクジ系の為、実質的に両性だそうだが。
「でもリシィだって別に私に敬語使ってないわよね」
「やっべ、そうだったお」
「お前もかい!」
「コモドールのが少数派じゃん。これを機にもうちょいフレンドリーになれば?」
「オレはアズール達と違って立場とかを重んじるの」
「ジジくせーお」
「流石トリオ内最年長」
「リシィとは八つ違いだけどアズールとは四つ違いなだけだろ!?」
実に仲良し。良い事だ。
「あー? 何だよマリンスノー、待ち合わせにゃまだ時間あるってのに早いじゃねえか」
「あら、ジットにソルティ」
「よっ」
ニィッと笑ったジャックターが手をひらひらと振って見せる。
隣に居るソルティは相変わらず目立つ風体だというのに、こうして視線を向けないと存在に気付けないのだから流石はプロ。単純に影が薄いだけという可能性もあり得るけれど。
「……しかし、カルーアとボスは?」
正面の顔にある目をきょろりと動かし、向かって右側にある顔の耳をぐるりと回しながらソルティが問う。
「ルシアンの身嗜みを整えるのに難儀してるわ」
「どうせいつもみたく、お偉い様んとこの犬っころみたいに毛を好き勝手されるのを嫌がってんだろ? ボスはいーっつもそうだ」
「……礼服も嫌がって暴れるからな」
「適当な既製品と違って出来の良いオーダーメイドだし、伸びも良いからそこまで窮屈じゃねえはずなんだがな。ま、上等な服ってのはどうあれ息苦しいのは確かだから文句を言いたくなる気持ちもわかるぜ」
「………………」
「何か文句あんのかソルティ」
「そもそも君は上等な服を用意されたところで着ようともしないだろう、と……」
「放っとけ」
「う゛」
「言ったのがお前じゃ無かったら脛蹴るどころじゃなく頭に穴開けてやってたぜ」
ったく、とジャックターは近くの開いている席にドカッと腰掛けた。
見た目だけなら可愛らしい少女だが、その立ち振る舞いはスラム暮らしも年季が入っているなというのがわかる仕草だ。
「……まったく、ジットはヤンチャで困る……」
ハァ、とソルティがため息を吐いて肩を落とす。
「しかしそろそろ時間のはずだが、ボス達は」
まだだろうか、とソルティが言い切る前に酒場に入る影が二つ。
「間に合ったー! いやもう本当遅れるんじゃないかと思って焦ったよね! この野郎無駄に手こずらせやがってよ!」
「口悪いな、カルーア」
「口悪くもねーとやってらんねーんだよコイツの世話はよぉ!」
ケラケラ笑っているスコーピオンに、疲れているとわかる顔でカルーアがそう返した。
「ピオ、酒!」
「これからエタノール行くって聞いてたが?」
「あーそうだった! じゃあ炭酸バチバチのやつ!」
「あいよ」
「ほらルシアンも入口に突っ立ったままで居ないで動く!」
「もぞもぞして気持ち悪ぃ」
「おめーの体から生えてる石だの何だのに配慮しまくった作りになってんだぞそれでも!」
中々に疲れたらしくカルーアの口調がかなり崩れている。
が、それを対価に、ルシアンはキチッと身嗜みを整えられていた。
髪はギチッと整髪剤で後ろへと流され、前髪が上がったオールバックに。しかし右側のサイドは少しだけ毛が残されていて、厳し過ぎない隙がある。
服装はキチッとした詰襟シャツにベスト、ジャケットという姿だが、
「? マリンスノー、どうした」
怪訝そうにするルシアンに何も返さず、マリンスノーは無言で立ち上がってすすすと位置を移動しルシアンの背中を見た。
そこには、ドラゴンのような翼の邪魔にならないよう、ぱっくりと布地が開いて剥き出しになっている背中があった。
シャツとベストはそもそも袖無しかつ首と腰の布地で固定する作りになっており、ジャケットに至っては翼の間を縫うように細い布地をクロスさせたデザイン。
前側から見るとキチッとしているのに、背中側から見るとどことなくヘキを感じさせるという得も言われぬ作りになっていた。
つまり、
「マリンスノー?」
「……ちょ、っと、待ってくれるかしら」
ふらり、と足取りがおぼつかない様子で顔を覆ったマリンスノーに疑問符を浮かべ、倒れないようにとルシアンは無言でマリンスノーの腰にその大きな手をスッと回す。
その指に左手でギュッと掴まりながら、マリンスノーは右手で顔を覆ったまま言う。
「ただでさえ普段と違う髪型というだけで女の心がギュンギュンなんだけど、カチッとしてるのに背中側は大胆に開けているっていうのは、ちょっと、今から大事な時間だっていうのもあるし精神統一の時間が欲しいわ」
後半になるにつれ中々に早口だった。
「…………カルーア」
「駄目」
ルシアンは顔を覆ったままのマリンスノーを両腕で抱きしめてカルーアを見るも、カルーアはジョッキで炭酸をキメながら笑顔でさらりと却下した。
「でもな、カルーア」
「思いのほかマリンスノーからの反応が良くて嬉しいってのはわかるよ? どうキメたところでシュセイからの心象に変わりはないだろうからマリンスノーに刺さるようにしようって思ってやったわけだしね。服装はいつも通りの礼服だからともかく、髪型はそれ狙ったし。その方がお前のぐちぐち文句も無くなるだろうし?」
いやあ僕って天才だよね! とカルーアは自画自賛しながらがぶがぶとジョッキの中身を飲み干してゆく。
「でも」
ダンッ、と空になったジョッキがカウンターに叩きつけられた。
「これから最悪の場合マリンスノーを強奪されかねないお話合いがあるっての、忘れたわけじゃねえだろ。おい」
「…………ならその後」
「マリンスノーがお前相手に可愛らしい反応を見せてくれたのが男として嬉しくて今すぐ抱き潰したくなってんのは僕も別に止めやしないけど状況とタイミングが最悪だっつってんだよ馬鹿。あと、諸々が無事に終わってからのその後であってもその恰好のままでヤんのは却下だからな」
ギロリ、とカルーアの単眼がルシアンを睨みつける。
「その礼服こさえる為の測定だの布地だの伸縮性だのでどれだけの時間と労力と金を掛けたと思ってんだ。テメェが惚れた女相手に腰振るのは勝手だが、それにその服を付き合わせたら一晩でお陀仏じゃねえか」
「この服に手前の女が興奮したんならその恰好のままでヤりてぇだろうが」
「知らねえよ馬鹿。それ以外にも服なんざ無限にあるんだから片っ端から試してテメェの女が興奮する服見つけりゃ良いだろ。安物で済ませンだよそういうのは」
「お、そんなら多分マリンスノーの性癖だろうな~っていうボスサイズの衣装幾つか用意してやろうか?」
カウンターに頬杖をつき、にまにまとした笑みでスコーピオンがそう言う。
「うちの店には無いが、そういうのを置いてる店の幾つかには伝手もある。今回のエタノールの件は面倒そうだし、そこが問題無く終わったんならその祝いも兼ねて、そうだな、手始めに五着セットってのはどうだ?」
「十着」
「お盛んだねぇ。良いぜ、ボス相手に売れる恩は売っとかねえとな」
「ちょっと待ちなさいよピオ! 私の意思は!?」
「惚れた男がお前の性癖に合わせた恰好してくれるなんざ金払ってでも拝みたいもんだろ? ありがたく受け取っとけよ。お前は新鮮な悲鳴を上げる役やってりゃ良いからさ」
「うぐ、」
スコーピオンに何も言い返せずマリンスノーはルシアンの腕の中で黙り込んだ。
ルシアンに身を寄せる形で、ルシアンの腕に抱き着く形で黙り込んでいる事にルシアンはいつも通りの表情ながら大層ご機嫌な空気を纏っていたが、残念ながらマリンスノーがそれに気付く事は無かった。
「……ふん」
カツン、と耳慣れないヒールの音が店内に響く。
その音は騒いでいたルシアン達や、それを見て肴にしていた客達の視線を集めた。
「騒がしいと思ったら、下賤な色事話か」
「オールドパル、相手は仮にもスピリタスのボスなんだし、ここは一応向こうのホームなんだから」
そこに立っていたのは、双子とわかるそっくりな女が二人。
睨みつけるようにしている方は肌色がピンク色で、片割れを抑えようとしている方は肌色が青色だった。
肌色以外にも真ん中に普通の足が一本、後ろ側に逆関節の足が二本という三本足という点から見ても、奇形である事に間違いはない。
「やはり男は駄目だな。男と女を同じ空間に存在させ、守るべき規律で律さなければこういった事が起こる」
「オールドパル、それはうちの考え方であってここの人達とは違うしさ」
「シュセイ様の言う通り、一刻も早く異世界人をエタノールで保護し、男という毒から引き剥がさなければなるまい」
「オールドパル、相変わらず私の話聞いてくれない……」
いまいち会話のラリーが上手く行っていない様子の二人ではあるが、奇形である事からしても話の内容からしてもエタノールからの迎えが彼女達なのだろう。
斜視らしくピンクの方は右目が、青の方は左目が外を向いていたが、それでも二人は真正面からルシアンへと向き合った。
「「シュセイ様の指示によりここへ参じました」」
二人の目がきょろりとルシアンの腕の中、痣になるだろう力でしっかりと抱きしめられているマリンスノーへと向けられる。
「「では手始めに、異世界人様のお力を見せていただきます」」
「ぁあ゛?」
初手から要求を通して来た相手にルシアンが青筋立ててキレたので、マリンスノーは気にしてないと主張しどうにかルシアンを落ち着かせた。