この世界
この世界の話をしよう。
この世界は地球とは違う世界にある。
この世界における異世界人というのは、地球から呼び出された者であり、神に特殊な能力を与えられた存在。
その能力、知識、子供への遺伝など、余すところなく価値があるとされている。
対してこの世界で価値など無いとされている存在は、奇形である。
手足が少し変わった形で生まれてきた、とかではない。
魔力を持って生まれ、魔法が使えて当然であるこの世界における異端児。魔力を持たない落とし子。出来損ないの塵のような何か。
その姿はまるで魔物との合いの子。
生粋の人間とはとても思えぬ醜い異形の姿を持ち、魔力を持たず、魔法も使えない生まれ損ない。
そんな奇形たちを人々は酷く忌み嫌い、売り払ったり捨てたりするのが常識だった。
最近では文明の発展により人々の暮らしが快適になると同時、まるでそれに反発するかの如く奇形が生まれる率が高まり、捨てられた奇形達が寄り集まって作り上げた町。
正式に認められている町と町の間、誰もそこの担当者が居ないという狭間に追いやられた奇形達の暮らす場所。
それこそが、スラムと呼ばれる場所であった。
・
海雪が大男のルシアンに手荷物の如く抱えられてやって来たのは、やたらと薄暗く治安が悪いと一発でわかるような町だった。
ルシアンは無言で海雪と単眼を下ろし、ドラゴンのような翼をバサリと畳む。
「ここが手前のスラム、スピリタスだ。感想は?」
「治安悪そう」
「大正解!」
あっはっは! と単眼が腹を抱えて愉快そうに笑う。
「実際このスラムは、暴力とエロが特色でね。出会い頭に文字通り頭を吹っ飛ばされる危険性があるから警戒するように。村一つの代わりに買い取った資産だ。そうやすやすと駄目になってくれたら困る」
「それは勿論。こっちだって死にたくないし」
「うん、その態度が取れるなら問題無いね!」
オッケー! と単眼は大袈裟な動きでサムズアップした。
「ところでルシアン、どうする?」
「任せる」
「りょーかい」
単眼の目が海雪に向けられる。
「じゃ、僕がキミに色々な事を教えてしんぜよう。僕らのボスであり、このスラムのトップはこのルシアン。僕はその右腕であるカルーア。で、そっちの名前は?」
「倉酒海雪。倉酒がファミリーネームで、海雪っていうのは海と雪っていう」
「あー、そういうのは要らない。ファミリーネームなんて持ってるヤツのが少ないし。名乗る必要も無いしね。どこが出身とかどうでも良いじゃん。生き残れるなら名前があっても無くても良い、それがここスピリタス」
単眼、もといカルーアはそう言って中指だけがオレンジ色している手をひらひらと振った。
「名前はミユキ、か。響きがちょっとうちっぽくないよね。どうするルシアン。このままでいく?」
「海と雪だってんならマリンスノーで良いだろ。そう名乗れ」
「だってさ。よろしくマリンスノー」
「凄い勢いで改名されたんだけど……」
そのあっさり加減に海雪は少し引いた。
しかしスラムなんてところで住まうなら名前から少し変えて挑むくらいの、前の自分との決別といった覚悟は必要だろう。
何より、惚れた相手が直々にくれた名前だ。ならば文句を言う理由も無い。
海雪改め、マリンスノーはそう頷いた。
「了解、これから私はマリンスノーね」
「うん、聞き分けが良くて良いね! そういうのは僕らとしては好印象だよ! 前の状態に下手に固執するような人間だと邪魔にしかならないから!」
「……今の段階から面接始まってた?」
「面接以前にマリンスノーは僕らの所有物であり構成員だ。その使い勝手の話だよ」
カルーアはにっこりと微笑む。
「使い道が限られるようなら、程々に使い潰すのも視野に入れてた。幸いにも臨機応変に対応出来る様子だったから、人格ある存在としてきちんと認識してあげようって判断になったくらいかな」
危うく人格を無視して道具として使い潰されるところだったらしい。マリンスノーは油断ならないなこの男、と僅かに頬を引きつらせた。
「自己紹介も済んだわけだし、軽く主要な場所の説明でもしようか。家は僕らと同じく本拠地での寝泊まりで良いよね。部屋余ってたし」
「拷問」
「え? あー、そっか。そういえば前に本拠地まで乗り込んできた馬鹿が居たから空き部屋で拷問して色々聞き出したっけ。でも掃除屋に頼んだから問題は無いでしょ。家具がちょっと足りないからそこだけ注文かな。マリンスノーは人が死んだことのある部屋でも平気?」
「平気じゃないけど、人が死んで無い場所のが少なそうだし」
「まあそうだね」
実際、既にマリンスノーの視界の端では酔っ払いが喧嘩をし始め、片方が銃を撃った事によりもう片方の頭が弾けて中身をでろりと飛び出させていた。
人とは思えない形や色味をしているとはいえ、確かに人死にだった。
だというのに日常の一部といった様子で通行人が誰も気にしていない辺り、このスラムでの日常が窺える。
「異世界人はそういうのを嫌うと思ってた。逸話でもそういうの多いし。珍しいね?」
「こっちの世界に来てから一年経ってるの。魔物に襲われて死んだ人を三回くらい見た」
「ふぅん。異世界人ならそうとわかった瞬間お偉いさんからご招待されて囲い込まれそうなもんなのに。わざわざスラムに来るより、王族の保護受けてた方が良かったんじゃない? 今からでも逃亡して保護されに行く?」
「ご冗談」
それだけは無いわ、とマリンスノーは返した。
「この世界に来て数日後に連行みたいな形で王様の前に連れて行かれて、一生監禁+王族と終わらない子作りをしろなんていう開口セクハラ発言して来やがったから、クソでも食ってろって中指立てて逃げ出したの」
「わあ、直球。そういうの大好き。王族相手に言ってるってのが最高だね」
「それで逃亡して、適当に護衛仕事とかヒッチハイクとかをしつつあちこちうろちょろ旅してからの現在よ。人死にはその旅の途中に何度か」
「そ。変にぎゃあぎゃあ騒がれるよりは楽だし、その時点で人死にに慣れておいてくれて良かったよ。どこの王様か知らないけど、異世界人に初対面で死ぬ程嫌われるようなクズの王様だった事に感謝しなきゃ」
そう言ってカルーアはケラケラと笑う。
あまりにも強い嫌味だが、マリンスノーとしても一度会っただけでありながら最悪に嫌いとなった相手なので、まあそのくらいの嫌味はぶつけて良いでしょとしか思わなかった。
「じゃ、マリンスノーがわりとここでも暮らしていけそうってのがわかったところで、覚えておいた方が良い場所を幾つか案内するよ。酒場と教会と医者」
「情報屋はいいのか」
「必要になったらで良いよ。情報屋に何か聞いた方が良いような案件があるなら僕が動いてるだろうし。その時ついでにやれば良い。いきなり情報を詰め込み過ぎて覚えらんないとか言われても困るしね」
で、とカルーアがルシアンを見る。
「ルシアンはどうする? 僕だけでもマリンスノーの案内は出来るけど一緒に行く?」
「私としては一緒に居てくれた方が嬉しいんだけど。単純に、惚れた相手が近くに居てくれると嬉しいって意味で」
「…………」
ルシアンはマリンスノーの言葉に少しばかり逡巡し、糸で雑に縫い付けられた耳まで裂けた口を小さく開いた。
「……わかった。同行するぜ。手前が隣に居た方が話もスムーズに済むだろうしな」
「実際、ボスであるルシアンが一緒なら本気で確保しておきたい大事な人員ってのは伝わるだろうしね。僕が居る時点で有望株なのは充分伝わるけど、今後も目を掛けてやってって意味では一緒の方が良いか」
「説明はテメェがしろ、カルーア」
「はーい、そんくらいはお任せあれ。僕ってば喋るの大好きだし適材適所ってヤツだよね」
「私は苛立ってるみたいにも聞こえる低い声が聞けるならそっちのが嬉しい」
「挙手してまで言わなくて良いよ。純度の高い好意なのは良い事だけどね。あと僕の方が説明慣れしてるから、今後の生活で暗黙の了解とか気にしなくて良くなるってメリットもある。僕ってそういうのぜーんぶ喋っちゃうから。長生きしたいなら僕の説明を聞いといた方が良い」
「……はぁい」
残念、とマリンスノーは肩をすくめる。
「あとカルーアは良いんだけど、そちらの素敵な方を今後はどう呼べば良いのかしら。呼び捨てで良いのか、ボス呼びが良いのか、様付けが良いのか」
「呼び捨てで良いよ。その方が立場が高いって印象を外野に抱かせる事が出来る。舐め腐った態度取られるよりは話が早い。重用させてもらうつもりだから、先にそれなりの立場につけておかないとね」
「……さらっと呼び捨ての許可が出たのは嬉しいけど、ご本人としてもそれで良いの? 他からの許可があったとしても、本人が嫌がってるのにごり押しする気は無いわよ。惚れた相手だから特に」
「構わねえよ」
吐き捨てるようにルシアンが言う。
「気に入らねえヤツが相手なら問答無用で頭を潰すが、今後の有用性からすれば呼び捨てにされるのを拒否する程じゃねぇ。どこまでの何が出来るかは知らねえが、そこまでの使い勝手じゃ無くとも使い道次第だ」
「お役に立てるよう頑張るわ」
マリンスノーがにっこりと笑みを浮かべれば、ルシアンはしかめっ面で顔を背けた。