信仰の形
別室に通されたマリンスノーは、プッシー・キャットと話す事になった。
「とは言っても、気軽に話してくださいね。気兼ね無く。あと出来れば、個人的に聞きたいので、サムが日常的にどうしているかっていうのは気持ち詳しくしてくれると嬉しいかなって」
照れたようにそう言う姿は恋する乙女のようで、とても真っ白で、なんだかなあ、とマリンスノーは密かにため息を吐く。
ひと月でスラム慣れしてしまったのか、こういう良い子ちゃん相手だとやり辛い。
良い子、ではなく良い子ちゃん、だからより一層やり辛さが増す。
「サムの日常、ね」
ハレルヤという声と共に教会に入って来た人に無差別発砲してますよと正直に言ってやろうか。
しかし言ったところで信じてもらえるとは思えないし、そもそも重火器なんかの武器自体がスラムに居る魔力無しの奇形が扱う野蛮な武器。
低魔力とはいえ奇形でも無い魔力持ちの神父が、曲がりなりにも聖職者のサマーデライトがそれを扱い、あまつさえ販売までしているなんて、マリンスノーの頭がおかしいと判断されかねないレベルだ。
頭がおかしいどころか、そうやってサマーデライトの評判を貶めようとしている悪党扱いされるかもしれない。
立場としてはスラム側なので、その視点で話せばその分だけ教会側からは悪党扱いされそうな気もするが。
「とはいっても、荷物や商品の受け取りに行く時に会話するくらいしか付き合いも無いし。サムって基本的に教会だから、用事があって教会に行くとかじゃないと会わないのよね」
嘘だ。
普通にその辺を出歩いて屋台飯を食っている時もあるし、夜に酒場で見かける事もある。買い物帰りに喧嘩売られてハレルヤして血溜まり作ってる事もある。
が、その辺りを削ると、教会で会うくらいしか関わりは無い、という事になる。
「荷物や商品? となると聖書とか……いえ、でもここ数年間、教会に何かを発注したりは無かったし」
「あー、えっと、外から買い付けたのを一旦教会に置かせてもらってるの。あそこなら強奪する馬鹿も居ないし」
「成る程、そういう事ですね! 確かに教会という神のお膝元にそのような行いをする者はいません!」
全然普通に居る。ただ神父のハレルヤによって物言わぬ死体にされるだけで。
あと外から買い付けた云々は、まあ、嘘ではないから良いだろう。買い付けたのはサマーデライトだし取り扱ってるのは重火器が主な品物だが、そこから武器を購入するのも事実なので嘘じゃない。
「そっか、じゃあつまりサムは、そういった安全地帯という役割を担う事で立場を得たんですね」
「ウン」
「そっか、だからスラムでも教会運営が上手く行ってるんだ。良かったぁ」
ほ、と安心したようにプッシー・キャットが胸を撫で下ろす。
「本当に、心配だったんです。サムってちょっと不器用というか、人見知りというか、人付き合いを積極的にしようとはしない人だから」
全然そんな事は無い。
わりとフレンドリーだし笑顔が多いしスラムに馴染みまくっている。武器を扱っているからかスラムの顔見知りも大量に居るし、武器商人からの不平不満を買ったら死ぬとわかっているからか敵意を向けずに仲良くしているヤツも多い。
もっともそこを考えていない馬鹿や酔っ払いは喧嘩を売って血飛沫花火と化すが、スラムでの暮らしも長くて生存力が高い者は普通に仲良くやる方を選んでいた。
カルーアも初日のマリンスノーが挨拶する先の一つとしてサマーデライトを紹介していた辺り、スピリタスにおける顔役の一人と認識して良いだろう。
要するに、不器用だの人見知りだのは全然当てはまらないという事だが。
少なくともここで生活していた時のサマーデライトはそうだったのだろう。
「…………」
「?」
じ、と見て来るプッシー・キャットに、マリンスノーは首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ、いえ、何ていうか、スラムの人にしてはまともな人なんだな、って。スラムの人と言ったら、会話も通じないし銃だとかを振り回して人を殺そうとする、とても恐ろしい、野蛮な存在だって思ってたので」
まあ間違いではない。
「でも、マリンスノーはどうしてスラムに?」
「んー、まあ、色々あって?」
スラムのボスに一目惚れをしたから、と言っても信じてはもらえまい。
スラムの外にも出るルシアンとカルーアが奇形である事は知られている可能性が高いし、奇形を同じ人間とは認識もしていない一般的感覚の彼女からすればあり得ない事柄だろう。
そんな化け物に一目惚れだなんて明らかにおかしな薬でも盛られているのでは、という善意を出されかねない。
仮にそこを隠してその時世話になってた村の借金を請け負って身売りを、と言ったらもっと面倒な事になる気もする。
そんな非道な事がまかり通るなんて許せない、と教会側に話を通してマリンスノーの身柄をスラムから解放されるように働きかねない。
こっちが一目惚れして、文字通り好きで身売りしたというのに、善意で恋路を台無しにされちゃ堪ったもんじゃない。
なので、詳細を聞きたそうなプッシー・キャットにはそれ以上の追及をさせない笑みを浮かべて黙殺しておく。複雑な理由があると匂わせておけばそこまで踏み込んでくる事も無いだろう。
「何か、悪い事に巻き込まれたとか」
「全然。寧ろこっちから乗り気でスラムに行ったの。詳細は語れないけど、選択は大正解。ま、それが大正解になるような色々があった、ってだけは言っとくわ」
裏があるような言い回しに、素直なんだろうプッシー・キャットは成る程と頷く。
厄介なお家事情があったとか誤解してくれたなら万々歳だ。
「……スラムの方は、どういう場所ですか? やっぱり、恐ろしい化け物がわんさと……?」
「私からするとそうでもないけど」
奇形の見目は化け物染みているし、そこらでドンパチかまして殺し合いも日常茶飯事。昨日知り合った相手が翌日には死体になっているとかもそれなりにある。
勿論、スラム慣れしてさえいればいつでも元気に笑顔を見せてくれたりもするが。
「まあでも、キティからすると化け物だらけの恐ろしい空間でしょうね。サムみたいに上手にやれるならともかく、そういう様子も無いし。来るのはオススメしないわ」
「さ、流石に行きませんよあんな恐ろしい場所! とても行こうなんて思えません!」
「サムは行ったのに?」
「…………司祭様の決定でしたから」
プッシー・キャットは祈るように手を組んで、悲し気に言う。
「私達は拾われた身なので、ここに学びに来た上の立場にある方々とは、そもそもの発言権に差があるんです。あくまで学びの一環として来た方と、ここが故郷であり、今後も過ごしていく事になる私達では……」
「成る程。更にサムは低魔力だった為、発言権は皆無に等しい、と」
「……はい。正直なところ、そうです。サムが何かを強く主張すればまた違う結果になっていたかもしれないけど、サムはあまり主張もせず、言われた事を淡々とこなすタイプだったのも相まって……」
「スラムへの異動という、明らかに左遷、または死刑宣告にも近しいお達しにも抵抗せず従った?」
「……ええ」
こくりとプッシー・キャットが小さく頷いた。
話を聞けば聞く程、サマーデライトがマリンスノーの能力でここら一体を戦争地にする案を幾つか考えていた理由がわかってくる気がした。いや、わかりたくないし味方する気も無いけれど。
でも、いっそ戦争地になってしまえば良いのにと思うくらいには、サマーデライトにとってここは嫌悪の対象なのだろう。
大事な故郷なんて事は無く、何もかも燃えて無くなってしまえと思う程の、場所。
「ハレルヤ!」
「わっ」
「キャアッ!?」
バァンッ、と扉を蹴破るように足で蹴ったとわかるポーズで入って来たのは、サマーデライトだった。ハレルヤの時点でもうわかる。
本拠地だろうにスラムみたいな行動取らなくても、とマリンスノーが視線を向ければ、
「帰るぞ」
サマーデライトの顔からは表情が抜け落ちていた。
いつもは笑顔を浮かべている事が多い顔は表情が無く、眉は僅かに顰められ、周囲を警戒している狼のようでもある。
「……一応聞くけど、サム、どうしたの?」
「宿泊用の部屋が用意されるところだった。移動には時間が掛かるだろうから、数日程度は移動中に起きた天気模様や混雑による誤差という報告で済む。帰ってからの用事であるならそれらを想定し、多少の誤差は大丈夫な範囲だろう。ここまでの移動で疲れたろうから大教会で休め。数日掛かるだろうが、是非スラムの色々な話を聞かせてほしい……と、随分ふざけた要求だ」
マリンスノーの問いにつらつらと答え、ハッ、とサマーデライトは悪辣に鼻で笑う。
「加えて少し会話を誘導してやれば、スラム慣れもしてないお偉い様は裏側を話してくれたよ。お偉方とスラムのお偉方は裏側で密かに取り引きなんかをしていたりするんだが、それによりスピリタスのボスが奥方を得た、という情報を知ったらしい」
奥方って私? とマリンスノーが無言のジェスチャーで自身を指差した。
それに対し明言はしないものの、その通り、とサマーデライトが頷く。
「大教会への同行者となれば、スラム内でもそれなりに地位の高い者が来るだろう。暗黙の了解とはいえ、そこらの下賤な者を連れて来るはずもない」
「……普通に健常人から同行者募ってたけど」
「ああ。大教会だから地位ある者を、なんて誰がするか。どうせ確認にも来ない相手にそこの義理を通してやる必要性が無い」
だが、とサマーデライトは状況を把握出来ずおろおろしているプッシー・キャットに見向きもせず続けた。
「結果的にはあいつらの思惑通り。僕はマリンスノーを連れて来たし、向こうはマリンスノーがその奥方だろうと踏んで宿泊用の部屋を用意させ、数日拘束しようとした。要するに人質だ。スラムの外との交流を碌にせず、お偉方の収入源の一つであるポーション類を忌み嫌うスピリタスへの」
「ぐしゃりと潰して良いかしら」
「大賛成って言いたいけど、無関係な子供らを巻き込むのはちょっとね。僕が僕の個人的な不平不満からここらを火の海にするのは問題無いけど、君がやらかそうとして無関係な誰かまでも巻き込もうとするなら止めるよ」
「面倒臭い性格してるわねえ」
「我ながらそう思う」
自分の行いでならそれも自分の責任と腹を括った上で全てを潰すが、誰かがやろうとしたらそれは良くない事だと止めに入る。
中々に覚悟がキマッている思考回路だ。
「さ、サム、これって一体どういう」
「単純だよ、キティ。司教様や司祭様は神の教えに逆らうような非道な計画を立てていた。尊ぶべき愛にナイフを突き立て、お前の愛を証明する為にお前の身内を皆殺しにしろ、とでも言うような」
「司教様方がそんな事を言うはずないわ!」
「言ったから僕はこれ程までに怒っている」
淡々とした早口による言葉には、圧があった。プッシー・キャットはその圧にびくんと体を恐怖に震わす。
「離反する気は無い。神父という立場から下りる気も無い。だがその計画に加担する気はさらさら無い。僕は僕自身の信条と信念により行動している。神がそうだと言うならともかく、神もそう願っているはずだ、なんて推測と希望で自分達の願望を押し付けて、神の名をスケープゴートに使おうとしている奴らに従う道理なんてありはしない! スケープゴートならぬスケープゴッド? ハッ、神に救いを求めて神の忠実なる下僕だの息子だのと称しておきながら、何よりも尊ぶべき存在をよくまあそこまで貶められるな!」
サマーデライトってキレるんだ。
マリンスノーが思ったのはそれだけだった。
常に頭のどっかがキレてるみたいなテンションと態度だとは思っていたが、キレると逆に真面目な事を言うようになるらしい。つまりスラムの外に出て以降キレていたと言えるんだろう。
高台から下りてから、ずっとキレていたに違いない。
「だからって、仮にも司教やら司祭やらが相手なんでしょ? 離反する気は無いって言っても、抵抗する時点で裏切者扱いされない? 大丈夫?」
「お互い必要以上の干渉をしない、戦争をしない。そういった取り決めがあるから、お偉方は裏で繋がっている。この件には触れるなよ、という部分の擦り合わせとかでね。だがこれは邪魔だからというだけの理由でスラムに対し宣戦布告をしたも同然。知れ渡ればスピリタスだけじゃなく、教会と繋がりがある他のスラムからも不平不満は爆発する。スラムを見下しているのか、他のスラムにも攻め入るつもりなんじゃないのか、と」
「つまり?」
「この件を失敗させて全てをつまびらかにしてやれば、悪い事を考えたのは彼らなので彼らを処分して今後そんな事が起きないようにしますね、で終わる」
要するに司教より上の立場が発案者だったとしても、尻尾を切る事で誤魔化して元鞘に収まろうという魂胆らしい。
あとスラム経由で奥方()情報が漏れたとあったので他のスラムに共犯者が居るのかと思ったが、その情報を得て教会側が勝手に発案して暴走したんだろう、というのも察した。
マリンスノーがそう察すると同時、部屋の外にぞろぞろと聖職者が集まり出す。
サマーデライトが大声で騒いでいるのに加え、司教や司祭がどういった内容かは知らないが何かしらの指示でも出したらしく、まるで囲い込むようにこちらの様子を窺っている。
「……サム、もうちょいこっちに寄って。いざとなったら私が」
移動を、とマリンスノーが言い切る前に、外からドガンと音がした。
まるで隕石でも落ちて来たような音と地響き。窓が割れていないのは奇跡だろう。
一体何があったのかと周囲がざわざわし、マリンスノーも確認の為に窓を開けて外を確認しようとした瞬間、
「ここか」
壁が、シフォンケーキを思わせる軽さで崩壊した。
シフォンケーキを軽い力で捥ぐような動きで、見覚えのある三つ指が壁を気軽に崩壊させ、その姿を見せる。
ツノがあって、翼があって、目の数が多くて、スラム外からは化け物と言われるだろう姿。
「ルシアン!」
「帰りが遅ェ」
まだ日が暮れ始めた段階なので日付が変わるまでにはまあまあ時間に猶予がある気がするが、めちゃくちゃナイスタイミング。